2008/5/20  0:40

マダガスカル島  旅行

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マダガスカル島
Photo: Courtesy of Mr. Toussaint Raharison
写真:ラフィア・ヤシの繊維で作った伝統的なコートを着ているBetsimisaraka 族の男。このようなコートを着ている男性は首都アンタナナリヴォやマハジャンガ市などではめったに見られませんが、放牧牛の牧童たちが着ているのを見たことがあります。写真は以下の投稿文と直接の関係はありません。
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マダガスカル島へのアラブ人移住者が先住民であるAustronesian(オーストロネジアン)に与えたもっとも大きい影響は文字でした。それまではマダガスカル島に文字はありませんでした。アラビア語テキストの次には英語のテキストが、そして次にはフランス語のテキストがAustronesian(オーストロネジアン)に紹介されてゆきましたが、現在はマダガスカル語がようやく息を吹き返してローマ字で書かれるようになりました。今はマダガスカル語とフランス語が公用語になっています。

日本にとっても、中国から持ち込まれた最大の影響は漢字ですが、マダガスカルと似ています。中国語が日本の公用語となったことはありませんが、公用文字となっています。僕が今書いています投稿文のひらがな、カタカナも漢字を崩したり、簡略化したりしたものであるのは皆さんがご承知のとおりです。

マダガスカル島ではアラブ人のコーランをマダガスカル語に翻訳する形で紹介されてゆきました。当時マダガスカル島には紙がなかったのでクワの木の樹皮をなめしたものに書かれ、コーランの他に天文学、占星術、予言、魔術に関するものも記入されていたそうです。特に占星術や魔術に関するものはマダガスカル人の巫女(みこ)やシャーマンに取り入れられました。また後にいたっては歴史のようなものも記録されているそうです。

Austronesian(オーストロネジアン)、Austronesian(オーストロネジアン)と結婚したアフリカ人とその子供たち、Austronesian(オーストロネジアン)と関係があった生粋のアフリカ人、そしてアラブ人がマダガスカル島に新天地を求めて移動してきました。その次にマダガスカル島に移住を試みたのはポルトガル人です。当時、ポルトガル人は既に、マダガスカル島の対岸にあるアフリカのモザンビックを領有していました。  −続く−
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