2008/5/18  19:38

西洋哲学史【アルバート・シュヴェーグラー】  
前々からこの本はいいよー、と勧められていたので、改定重版が出ると同時に買ってあった。
いやぁ、いいね。きっちりと期待に答えてくれた。
半可通をからかうためには絶好のアンチョコ。

工学系の学生がハマりやすいところは、アリストテレスとライプニッツ。
アリストテレスは分類学という見地から理系全体にとって祖先に当たる人であるし、ライプニッツの発想は人工知能論のはしりであるアルゴリズム論の根っこの部分になるのでとても大事。あとはデカルトなんだけれども、神学色が強いんでマジで読んでいる人の話を聞いたことが無い。一度トライして挫折した経験アリ。
そういやライプニッツの全集って工作舎からのんびりと出ているんじゃなかったけか?高いんで手が出ないけれども、どっかのお大尽が買ってくれないものか。

んで、意外とハマったのがスピノザからの系列。
とくにフィヒテとシェリング。不勉強でこのあたりは原典を読んでない。
スピノザ自体は神学論と密接に絡んでいるんだけれども、鮮烈なイメージの奔流がいいね。

フィヒテ前期のイメージもいい。豊穣で感性に満ちている。なによりぶっ壊れ方がいい。
俺もこういう具合に、自分を窮地に陥れるような人生の選択をしてしまうタイプであるので、なんとなく共感してしまった。

シェリングの発想は、人工知能論のはしりとしてもいいんじゃないだろうか。
人工知能論ってのは、多かれ少なかれ思考を量で捉え、量がどういう相互関係にあるのかということが議論になる。

オートポイエーシスの概念って、もしかしてスピノザが根っこにあるんじゃねぇのかなとも思った。
どこかスピノザ的な香りがするんだよね。マトゥーラナってどういう哲学書を読んでいたんだろう。

哲学といえば、過去の思想を超えてゆこうとする努力だという印象だった。
だから木田元に反哲学と言われても、既存の哲学を越えてゆこうとする試みは、哲学の王道なんじゃないのと思っていた。
しかしこの本を読んでみたら、なんか違うなというカンジがした。既存のものの延長線上に哲学思想が構築されてゆくという哲学史の見方もまたひとつの方法なんだな。
こういう見方が面白いか面白くないかという感覚は、まぁ個人差があるだろうね。

19か20そこそこに、カントも読んでいた。
上手な分類学の先生だけれども、人工知能論と関係がねぇよなぁと思っていた。
哲学史上で、純粋な知性と実践的な知性という風に分類してゆくと、別個の帰結になるっていうところが哲学上は重要なんだな。これで混沌の坩堝と化していた哲学に、ひとつの基準ができたということがカントのスゴさだったんだなと発見できたことも収穫。
たぶん三年後くらいにもう一度読めば、また違う感想が出てくるものだと思う。


俺は人工知能論にとって、哲学は部分的にしか機能しないんじゃないかと思っている。
哲学から一方的に科学が作られたという感覚は無い。数学の基礎に関係している(たとえば非ユークリッド幾何学や、アルゴリズム)といったことに影響を与えたことは間違いないけれども、同時に数学や科学のほうからも哲学・思想へと影響してゆく。どっちもセットで発展してきたもんなんだよね。
これを踏まえて考えてみると、人工知能論から新しい哲学が生まれる可能性はあると思っている。一方で既存の哲学や思想を基礎にして、人工知能論を構築しようとしても、用語の不安定性からうまくいかなそうな部分が多い。量や数式に還元しづらいというのが最大の難点。

不安定とか頑強に欠けるというのは、たんに明確な記述用語を用いていないからだ。
自然言語で記述する限り、表現には限界があると今でも俺は信じている。オートポイエーシスを簡単に使えるものなのかどうか判断できない理由もこれ。
んでもまあしかし、哲学に用いられる述語って妙に頑強なんだよな。簡単に崩せないという印象のあるものが多々ある。この辺をどう咀嚼・利用するかは、今後の俺の課題。

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