2008/3/9  23:52

頑張って  ひとりごと

注文した本がすべて届いた。

中でも乙女シリーズはほんとに乙女心をくすぐり、

掃除の途中だとか、
ブログの合間とか、
ドラマを見ながらとか、

つい手にとってしみじみ読んでしまう。(あ・・就活してないじゃん?)


知らなかった郷里の方言や、
友だちの店、

それに、新しいお店や懐かしい和菓子やなど、帰りたいなぁ・・と思いながら、

そういえば、帰る場所さえも自分で作らなきゃ、だわ、
と、わが身の状況を思い出す。


今となっては、なにもかもなつかしく。

東京でも友はできたが、

夜中に集まってお誕生日を祝ったり、
なじみの飲み屋があったり、
大好きなセレクトショップがあったり、

そんな憩いがたくさんあるわけでもなく、

ま、それは若さのせいだった、という話しもあるが、

わたしにとって東京は、もう4年にもなろうとするのに、
いつまでたってもどこか旅の延長のような、

長い旅の途中のような、


そんな感じがする。


だとしたら、どこに住んでも同じかな?

そんな変な気持ちになるセンチメンタリズム。

なは。


さて、
これは教会のせいなのか、乙女シリーズのせいなのか、

昔のわたしは、人に

大丈夫!

だとか、

頑張って!

という言葉がかけられなかった、


ということを思い出した。

特に近しい人になればなるほど、
それは辛らつに彼女らの夢は希望を傷つけていたように思う。

花屋になりたいんです、って夢を語ってくれたかつての部下にですら、
「がんばってね」の一言もいえずに別れることになってしまった。

それは、彼女が退職するときで、
もちろん、今も彼女は花屋であるわけもなく、

当時からプランはあまあまで、

実現しねーな、ってことはど素人でもわかる行動だったが、

それでも、


頑張って


ぐらいいってあげればよかったと思う。




会社員のままお金ためてお店を出せばいい、とか
花屋になりたいなら、花屋で働け、とか

現実的なアドバイスとも、中傷ともとれるような、
半端な話ししかできなかった、半端な自分が悲しい。

どうせ半端なら、もっと
例えば偽善であっても、「頑張って、あなたならできるよ」と
いってあげればよかった。


今のわたしは
その言葉にどれだけ助けられているかわからない。

大丈夫、とか
頑張って、とかいう言葉は、

ぼくが君を幸せにする、というプロポーズのように、

形も責任もない。


昔のわたしには、
そんな無責任なこというなんて、信じられへん!
という感情だけが先立ち、

誰にも、ひとことも言ってあげられなかった。

結局、できないことはいえない、
責任とれないことは、いえない、っていう

それこそ

優しさのかけらも、
責任のかけらも、
愛のかけらもない、

傲慢で小さな人間の考えだった。


ようやく今になって、
言葉のうわっつらだけで会話をしてきたことがわかる。

本当に大丈夫かどうかなんか、誰にもわからない。

人生のすべてが不安(安定の逆の意味で)の連続だと
納得できたのは、最近なんだから仕方ないけど、
それまで、人生の安定は自分でつかみとれると思っていたから。

それは定職という形だとか、結婚とかいう形なんだけど、

どういう状況であれ、心の平安だけが安定であって、

どんな状況にも不安がついてくる、と今なら思う。


安定していないこと、それを経験することが人生だと、最近あきらめがついた。

≧(´▽`)≦




もっと早く気がついていれば、もっとたくさんの人に
「あなたなら大丈夫」っていってあげられたかもしれない。


あなたなら大丈夫、きっとできるよ。




本当に人は大丈夫だ。



だって、それが人生なんだもの。




なにがあっても、それを経験するために私達は生きている。




ほんと、そう思う。






・・・就活からの逃避??






2008/3/10  9:05

投稿者:浮世姫

それでよかったと思いますけど・・・
頑張っている人に「頑張れ」って言っても重圧を感じる人もいるらしいので、人それぞれ。
周りの皆もそれぞれ成長して本質的な優しさって分かってくる人も多いですし。
それでも、人間ふと甘えて「頑張って」って言ってほしい時もあると思うのでそういうときは、思いっきり包み込んで、何でもしてあげればよいように私は思っています。

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