【ブログ移転のお知らせ】
このブログ【はなこのアンテナ@無知の知】へお越し下さっている皆様へ
いつも読んで下さってありがとうございます。
突然ですが、AOLのダイアリー・サービス終了に伴い、
【はなこのアンテナ@無知の知】は2008年12月3日を以て
GMOティーカップ・コミュニケーション株式会社が提供する
ブログサービス「AutoPage」へ移転しました。
私も突然のサービス終了の知らせに驚いているところで、
愛着あるAOLダイアリーとお別れすることにも
一抹の寂しさを感じておりますが、
今般の事情ではこういうことも仕方ないのかもしれません。
宜しければ、引き続き【はなこのアンテナ@無知の知】に
お付き合い下さい(住所が変わっただけで中身は同じです)。
ブックマークをして下さっている方は、
改めてこちらのアドレスを登録して下さいますよう
宜しくお願い致します。
なお、過去の記事が正しく検索されなくなっているようです。
→常にトップページが表示される。
お手数ですが、サイドバーにあるブログ内の検索機能で
【このブログを検索】にチェックを入れて改めて検索をかけるか、
検索エンジンに戻って”キャッシュ”機能をご利用下さい。
取り急ぎ、お知らせまで。
はなこ
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はなこ
2008/12/2 22:41
水の都ベネツィアが水没の危機?! ニュース
今、テレビのニュース報道によれば、水の都ベネツィアが159cmの高潮で、旧市街が全面冠水の状態だそうです。あのサンマルコ広場でも、膝辺りまで水に浸かった人々の姿が映し出されています。店はすべて休業状態?
地球温暖化が原因らしいですが、今後、海面が20cm上昇するだけで、年間129日冠水することになるだろうって…大変ですね。
ベネツィアには過去に2回、20年前の新婚旅行と、7年前の夏休みの家族旅行で行ったことがありますが、旅情豊かな土地で、またいつか訪ねたいと思っている場所。水没して欲しくないなあ…
20年前にルーブル美術館で、海から見たサンマルコ広場を描いた17世紀頃?の絵を見ましたが、現代と変わらない風景でした。何百年と変わらなかった風景が、この数十年(100年?)の温暖化で水没の危機なんて、ちょっと信じがたいと言うか、現代文明生活を享受している人間のひとりとして申し訳ない気がします。
地球温暖化が原因らしいですが、今後、海面が20cm上昇するだけで、年間129日冠水することになるだろうって…大変ですね。
ベネツィアには過去に2回、20年前の新婚旅行と、7年前の夏休みの家族旅行で行ったことがありますが、旅情豊かな土地で、またいつか訪ねたいと思っている場所。水没して欲しくないなあ…
20年前にルーブル美術館で、海から見たサンマルコ広場を描いた17世紀頃?の絵を見ましたが、現代と変わらない風景でした。何百年と変わらなかった風景が、この数十年(100年?)の温暖化で水没の危機なんて、ちょっと信じがたいと言うか、現代文明生活を享受している人間のひとりとして申し訳ない気がします。
2008/12/2 12:30
理念なき政治家が国政を担う国家の民の不幸 はなこ的考察―良いこと探し
「無差別殺人」の多発、「麻薬汚染」の広がり、「万引き、窃盗、強盗、親族殺人、危険運転致死傷(特にひき逃げ!)」の増加、「高級官僚、公務員の不正及び職務怠慢」の発覚。これらの現象は何を意味するのか?日本人の心が壊れかけているのか?どう見ても、これらの事件報道は、人々の心を暗澹とさせるばかりだ。
それに拍車をかけるように、未曾有の不況が日本全体を覆い尽くそうとしている。連日、「大手企業の業績大幅下方修正」「企業倒産」「就職予定者の内定取り消し」「派遣労働者の首切り」と言った暗いニュースが報道される。
日本を取り巻く”負”の状況が、人々を「絶望感」へと駆り立てる。マスコミもネガティブ・キャンペーンばかり張らないで、もう少し明るい話題を提供したらどうだ?とひと言文句も言いたくもなる。と言っても、かつての、悪化する一方の戦況を正しく伝えず、いたずらに国民を侵略戦争へと追い立てた情報統制のような事態は真っ平ゴメンだ。
今、日本で何が一番問題かと言えば、政治の不毛だと思う。国の政(まつりごと)を司る政治家に理念がない。日本と言う国をどのような国家にしたいのかの青写真を描く政治家がいない。日本が向かうべき方向性を明確に示してくれる政治家が、ひとりとしていない。日本の国家としての弱点を着実に補強しつつ、一方で長所を伸ばし、世界へと堂々とアピールできる政治家がいない。
世襲政治家の多く(←全員とは言っていない)は「政治家」と言う「職業」にうま味があるから世襲するのであって、これが「労多くて益なし」であれば誰も好きこのんで世襲などするまい。「何がなんでも先代の理念を引き継ぎたい」のであれば、先代の地盤を安易に引き継がずに、違う選挙区から立候補すれば良い。「国家の為に、国民の為に命を賭して働けるか?」〜世襲政治家の場合、それを自身の心に問うてから選挙に臨むくらいの気概を持つのが最低条件である。何より無名の政治家より知名度の点でアドバンデージがあり、ハードルを高くしなければ腐敗の誘惑が忍び寄るのが世襲の弱点であろうから。
将来を展望できなければ、国民は安心して生活を営むことはできない。不安の中で日々の暮らしに汲々とすれば、心は萎縮し、脳も働かなくなり、個々が本来持っているはずの能力さえ発揮できなくなるだろう。そのことによる国家の生産性の損失は計り知れない。
現状では若者はまともな就職ができず、十分な収入もなければ結婚もできず、たとえ結婚できたとしても子供を産み育てることをためらうだろう。子供が生まれたら生まれたで、教育費が嵩み、少子化を止めるだけの子供の数は到底望めない。豊かな時代に育った世代に「貧乏子沢山」の生活を強いることなどできまい。
経済の活況に消費は欠かせないが、将来への不安を抱えていては、消費者心理としては「消費」より「貯蓄」である。富裕層は資産防衛の為に資産の海外移転さえ考えていて、日本にお金を落としたりしない(不動産ほど水ものはないし、懸念される大震災でも起きれば、日本の不動産価値や貨幣価値、株価はクズ同然になる)。
大量生産、大量消費を前提とした経済の収益構造で、あらゆる点で国民の自己責任の部分が大きく(裁量権が大きく、自由度も高い)、階層間移動が盛ん(大成功のチャンスがある一方で、転落のリスクも大きい)な米国型社会を目指すのか、税負担の加重を覚悟の上で社会保障を手厚くした(医療費、教育費の公費負担を充実させる)北欧型社会を目指すのか、米・北欧の長所・短所をうまく調整したタイプの社会(←ってどんな社会?)を目指すのか、或いは全く新しい発想で日本独自の社会制度を創り上げるのか?
今いる政治家で、堂々と自身の政治的理念を示してくれる政治家はいないのか?いたら、その人の話に耳を傾けたい。
裁判員制度より先に、首相公選制を実現して欲しかった…(て言ったら、「あなたは議員内閣制の意味が分かっていない」と言われるのだろうか?)
それに拍車をかけるように、未曾有の不況が日本全体を覆い尽くそうとしている。連日、「大手企業の業績大幅下方修正」「企業倒産」「就職予定者の内定取り消し」「派遣労働者の首切り」と言った暗いニュースが報道される。
日本を取り巻く”負”の状況が、人々を「絶望感」へと駆り立てる。マスコミもネガティブ・キャンペーンばかり張らないで、もう少し明るい話題を提供したらどうだ?とひと言文句も言いたくもなる。と言っても、かつての、悪化する一方の戦況を正しく伝えず、いたずらに国民を侵略戦争へと追い立てた情報統制のような事態は真っ平ゴメンだ。
今、日本で何が一番問題かと言えば、政治の不毛だと思う。国の政(まつりごと)を司る政治家に理念がない。日本と言う国をどのような国家にしたいのかの青写真を描く政治家がいない。日本が向かうべき方向性を明確に示してくれる政治家が、ひとりとしていない。日本の国家としての弱点を着実に補強しつつ、一方で長所を伸ばし、世界へと堂々とアピールできる政治家がいない。
世襲政治家の多く(←全員とは言っていない)は「政治家」と言う「職業」にうま味があるから世襲するのであって、これが「労多くて益なし」であれば誰も好きこのんで世襲などするまい。「何がなんでも先代の理念を引き継ぎたい」のであれば、先代の地盤を安易に引き継がずに、違う選挙区から立候補すれば良い。「国家の為に、国民の為に命を賭して働けるか?」〜世襲政治家の場合、それを自身の心に問うてから選挙に臨むくらいの気概を持つのが最低条件である。何より無名の政治家より知名度の点でアドバンデージがあり、ハードルを高くしなければ腐敗の誘惑が忍び寄るのが世襲の弱点であろうから。
将来を展望できなければ、国民は安心して生活を営むことはできない。不安の中で日々の暮らしに汲々とすれば、心は萎縮し、脳も働かなくなり、個々が本来持っているはずの能力さえ発揮できなくなるだろう。そのことによる国家の生産性の損失は計り知れない。
現状では若者はまともな就職ができず、十分な収入もなければ結婚もできず、たとえ結婚できたとしても子供を産み育てることをためらうだろう。子供が生まれたら生まれたで、教育費が嵩み、少子化を止めるだけの子供の数は到底望めない。豊かな時代に育った世代に「貧乏子沢山」の生活を強いることなどできまい。
経済の活況に消費は欠かせないが、将来への不安を抱えていては、消費者心理としては「消費」より「貯蓄」である。富裕層は資産防衛の為に資産の海外移転さえ考えていて、日本にお金を落としたりしない(不動産ほど水ものはないし、懸念される大震災でも起きれば、日本の不動産価値や貨幣価値、株価はクズ同然になる)。
大量生産、大量消費を前提とした経済の収益構造で、あらゆる点で国民の自己責任の部分が大きく(裁量権が大きく、自由度も高い)、階層間移動が盛ん(大成功のチャンスがある一方で、転落のリスクも大きい)な米国型社会を目指すのか、税負担の加重を覚悟の上で社会保障を手厚くした(医療費、教育費の公費負担を充実させる)北欧型社会を目指すのか、米・北欧の長所・短所をうまく調整したタイプの社会(←ってどんな社会?)を目指すのか、或いは全く新しい発想で日本独自の社会制度を創り上げるのか?
今いる政治家で、堂々と自身の政治的理念を示してくれる政治家はいないのか?いたら、その人の話に耳を傾けたい。
裁判員制度より先に、首相公選制を実現して欲しかった…(て言ったら、「あなたは議員内閣制の意味が分かっていない」と言われるのだろうか?)
2008/11/29 23:01
もう使用を止めた方が良いと思う言葉 はなこ的考察―良いこと探し
この世には確実に罪作りな言葉があると思う。言葉の響きや表記の変化によって、本来の意味から離れた印象を与え、犯罪行為の罪悪感が薄められてしまう言葉。特にここ何年も私が気になって仕方がない言葉は万引き。そう明らかにその行為は窃盗=犯罪なのに、その言葉の軽みが、犯罪者の罪意識を著しく減退させる言葉。
語源を調べてみると、江戸時代から使われている言葉だと言う。諸説あるらしいが、「商品を間引いて盗むことから、”間引き(まびき)”が語源で、撥音”ん”が入ったとされる。万引きの”万”は当て字」と言うのが、やはり有力か?上方では「万買(まんがい)」とも言うらしい。
◆万引きの語源
他人の財物をこっそり盗むことには変わりはないのだから、どうして「窃盗」の一言で済ませずに、わざわざ「万引き」と言う言葉を使い始めたのだろう?江戸時代に店頭での小売り商いが盛んになってから激増した犯罪なのだろうか?被害金額の大小で「窃盗」と「万引き」を使い分けるようになったのか?
しかし、「チリも積もれば山となる」である。近年、個人書店の廃業が相次いでいるが、その理由のひとつに万引きの多発がある。私の実家も以前、小さな書店を営んでいたので、万引き被害には頭を痛めた。書店で扱う商品の利幅はとても小さい。そこへ万引きの被害が後を絶たないとなれば、個人書店には死活問題である。万引きという犯罪行為を行う人々には、事の重大さが分かっていないだろう。と言うより、被害の多寡、規模の大小に関わらず、人の財物を対価を支払わずに無断で持ち出すのは、歴とした犯罪行為であり、けっして許されるものではない。その社会生活を営む人間としての倫理観の欠如は、情けない限りだ。恥を知れ、と言いたい。
言葉は生ものであり、時代を経るにつれ、その言葉の持つ意味や表記や社会における位置づけは変化する。数十年前の映画のテレビ放映時には「現在では差別的表現に当たる表現も含まれています」との断りが必ずと言って良いほど付く。芸術的価値、或いは放映に社会的意義を認められた作品では、今や禁忌となった言葉も時代性を象徴するものとして尊重され、検閲されることなくそのまま放映される。このことに関しては違和感はない。
逆に生ものだからこそ、社会的規範を崩す恐れのある言葉は、社会的に抹殺される可能性も否定できないのではないか?現に映画の例もそうだが、自分が子供の頃に何気なく使っていた言葉でさえ、公の場では既に使われなくなった言葉、使うことを憚られる言葉が結構ある。その意味で、万引き行為が社会悪として看過出来ないほどになっている現在、この”万引き”という言葉の使用も、再考の時期に来ているのではないか?
個人的使用はともかく、少なくとも実際の被害現場では「万引き」と言わず「窃盗」と言って加害者を非難するべきではないか?社会的コンセンサスを形成する手段としては、公共の電波では「万引き」と言う言葉の使用は避け、「窃盗」に統一する。これって、言葉狩りに当たるのかな?表現活動を重んじる作家等からは反対の声が上がりそうだ。
そう言えば昔、「名付け方法」について勉強した時、「ま行」の音は柔らかい印象を与え、耳に心地よい、逆に「さ行」は堅い印象を与える、との解説が名付け辞典にあった。「万引き」はその音の持つ柔らかい響きも、罪作りの一因なのかもしれない。
どうして「万引き」について改めて考えたかと言えば、先日の米LAへの修学旅行生(私立北海道栄高校2年生)の、免税店での集団「万引き」報道を耳にしたからだ。100余人の生徒中、判明しただけでも21人の生徒が盗みを働いていたとは驚きである。しかも、判明後の学校の処理も拙すぎる。盗みを働いた生徒への5日間の停学処分も甘いし、日本に持ち帰っていた盗品を旅行社(←どうして旅行社に尻拭いさせる?)を通じて被害店へ返還。現地の被害店には引率教師が、この件について口止めしていたとの報道もある。
この事件は2重3重に衝撃的である。当該高校の学校及び家庭教育の不全性、現地での日本人全般に対するイメージダウンへの懸念、そして改めて突きつけられた、日本の社会に少なからず浸透している「万引き」と言う行為に対する罪悪感の希薄さ〜「1人が(盗みに)成功したのを真似て、総勢21人がその行為に及んだ」とは何事よ!この事態はもっと深刻に捉えられて然る可き。
語源を調べてみると、江戸時代から使われている言葉だと言う。諸説あるらしいが、「商品を間引いて盗むことから、”間引き(まびき)”が語源で、撥音”ん”が入ったとされる。万引きの”万”は当て字」と言うのが、やはり有力か?上方では「万買(まんがい)」とも言うらしい。
◆万引きの語源
他人の財物をこっそり盗むことには変わりはないのだから、どうして「窃盗」の一言で済ませずに、わざわざ「万引き」と言う言葉を使い始めたのだろう?江戸時代に店頭での小売り商いが盛んになってから激増した犯罪なのだろうか?被害金額の大小で「窃盗」と「万引き」を使い分けるようになったのか?
しかし、「チリも積もれば山となる」である。近年、個人書店の廃業が相次いでいるが、その理由のひとつに万引きの多発がある。私の実家も以前、小さな書店を営んでいたので、万引き被害には頭を痛めた。書店で扱う商品の利幅はとても小さい。そこへ万引きの被害が後を絶たないとなれば、個人書店には死活問題である。万引きという犯罪行為を行う人々には、事の重大さが分かっていないだろう。と言うより、被害の多寡、規模の大小に関わらず、人の財物を対価を支払わずに無断で持ち出すのは、歴とした犯罪行為であり、けっして許されるものではない。その社会生活を営む人間としての倫理観の欠如は、情けない限りだ。恥を知れ、と言いたい。
言葉は生ものであり、時代を経るにつれ、その言葉の持つ意味や表記や社会における位置づけは変化する。数十年前の映画のテレビ放映時には「現在では差別的表現に当たる表現も含まれています」との断りが必ずと言って良いほど付く。芸術的価値、或いは放映に社会的意義を認められた作品では、今や禁忌となった言葉も時代性を象徴するものとして尊重され、検閲されることなくそのまま放映される。このことに関しては違和感はない。
逆に生ものだからこそ、社会的規範を崩す恐れのある言葉は、社会的に抹殺される可能性も否定できないのではないか?現に映画の例もそうだが、自分が子供の頃に何気なく使っていた言葉でさえ、公の場では既に使われなくなった言葉、使うことを憚られる言葉が結構ある。その意味で、万引き行為が社会悪として看過出来ないほどになっている現在、この”万引き”という言葉の使用も、再考の時期に来ているのではないか?
個人的使用はともかく、少なくとも実際の被害現場では「万引き」と言わず「窃盗」と言って加害者を非難するべきではないか?社会的コンセンサスを形成する手段としては、公共の電波では「万引き」と言う言葉の使用は避け、「窃盗」に統一する。これって、言葉狩りに当たるのかな?表現活動を重んじる作家等からは反対の声が上がりそうだ。
そう言えば昔、「名付け方法」について勉強した時、「ま行」の音は柔らかい印象を与え、耳に心地よい、逆に「さ行」は堅い印象を与える、との解説が名付け辞典にあった。「万引き」はその音の持つ柔らかい響きも、罪作りの一因なのかもしれない。
どうして「万引き」について改めて考えたかと言えば、先日の米LAへの修学旅行生(私立北海道栄高校2年生)の、免税店での集団「万引き」報道を耳にしたからだ。100余人の生徒中、判明しただけでも21人の生徒が盗みを働いていたとは驚きである。しかも、判明後の学校の処理も拙すぎる。盗みを働いた生徒への5日間の停学処分も甘いし、日本に持ち帰っていた盗品を旅行社(←どうして旅行社に尻拭いさせる?)を通じて被害店へ返還。現地の被害店には引率教師が、この件について口止めしていたとの報道もある。
この事件は2重3重に衝撃的である。当該高校の学校及び家庭教育の不全性、現地での日本人全般に対するイメージダウンへの懸念、そして改めて突きつけられた、日本の社会に少なからず浸透している「万引き」と言う行為に対する罪悪感の希薄さ〜「1人が(盗みに)成功したのを真似て、総勢21人がその行為に及んだ」とは何事よ!この事態はもっと深刻に捉えられて然る可き。
2008/11/25 23:41
APEC首脳会議後の首相の記者会見 はなこのMEMO
日本時間の昨朝リマで行われた、APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議後の、麻生総理の記者会見の中継を見た。聞いていて、夫婦してイライラが募った。
まず、一文が長過ぎる。「〜ですが」で文を繋げ過ぎ。ダラダラと話が続くので、なかなか結論が出て来ない。同時通訳泣かせの話し方ではないか?事実、通訳とのやりとりもうまく行っていないような印象を受けた。
特に質問者の質問に対しては、まず相手が知りたい結論から述べるべきではないか?例えば、地元ペルーの記者の「北朝鮮の核問題に関して、日本は具体的にどのような役割を果たすつもりか?」との質問に対して、延々と日米中韓4者の話し合いがどうのこうのと述べていた。日経新聞の見出しには「文書化めざす」とあり、「(核問題の)検証をきちんと文書で残す作業に今年中に取りかかりたいと日米韓と中国の4カ国で合意している」と言うことが、どうやら記者の質問に対する答のようらしいが、会見を聞いている限りでは何を言いたいのか、さっぱり要領を得なかった。それにこの答では、日本独自の役割が見えない。日本は日本として何ができるのか?何をしたいのか?果たして質問の記者は、首相の回答に納得できたのだろうか?
同時通訳者は話し手の話からキーワードを拾い出し、自分の頭の中で再構成して外国語に変換すると思うのだが、果たしてうまく首相の言わんとしていることを伝えられたのか、心配になった。だって日本人の私でさえ、聞いていて理解出来ない話なんだよ。内容が難しいとかのレベルではなく、質問の的を射ていない回答と言う意味で。
質問者の質問に的確に答える、というのは、私自身毎回きちんとできているとは言えないが、TOP DOWNのロジックで答えるよう気をつけてはいる。まず結論、そのあとに論拠の詳細説明。とりわけ仕事上のやりとりでは、論法は大切だと思う。あの話し方で、よく外相が務まったなあ…
まず、一文が長過ぎる。「〜ですが」で文を繋げ過ぎ。ダラダラと話が続くので、なかなか結論が出て来ない。同時通訳泣かせの話し方ではないか?事実、通訳とのやりとりもうまく行っていないような印象を受けた。
特に質問者の質問に対しては、まず相手が知りたい結論から述べるべきではないか?例えば、地元ペルーの記者の「北朝鮮の核問題に関して、日本は具体的にどのような役割を果たすつもりか?」との質問に対して、延々と日米中韓4者の話し合いがどうのこうのと述べていた。日経新聞の見出しには「文書化めざす」とあり、「(核問題の)検証をきちんと文書で残す作業に今年中に取りかかりたいと日米韓と中国の4カ国で合意している」と言うことが、どうやら記者の質問に対する答のようらしいが、会見を聞いている限りでは何を言いたいのか、さっぱり要領を得なかった。それにこの答では、日本独自の役割が見えない。日本は日本として何ができるのか?何をしたいのか?果たして質問の記者は、首相の回答に納得できたのだろうか?
同時通訳者は話し手の話からキーワードを拾い出し、自分の頭の中で再構成して外国語に変換すると思うのだが、果たしてうまく首相の言わんとしていることを伝えられたのか、心配になった。だって日本人の私でさえ、聞いていて理解出来ない話なんだよ。内容が難しいとかのレベルではなく、質問の的を射ていない回答と言う意味で。
質問者の質問に的確に答える、というのは、私自身毎回きちんとできているとは言えないが、TOP DOWNのロジックで答えるよう気をつけてはいる。まず結論、そのあとに論拠の詳細説明。とりわけ仕事上のやりとりでは、論法は大切だと思う。あの話し方で、よく外相が務まったなあ…
2008/11/25 12:34
紅葉の上野公園&『線の巨匠たち展』 散歩の記録
この色彩!自然は天才!!東京芸術大学大学美術館で開催の展覧会『線の巨匠たち〜アムステルダム歴史博物館所蔵 素描・版画展』を最終日の昨日、やっと見て来ました。チケットは新聞店からいただいたもの。上野公園の木々もだいぶ色づいていました。

左)東京文化会館裏手の銀杏並木。右手に野球にゆかりの深い歌人、正岡子規の名が冠せられた記念球場があります。 右)噴水広場の周辺の紅葉

左)噴水広場の噴水 中央及び右)美術館に向かう途中にあったキリンのオブジェ。美術館が集中する場に相応しい佇まい。青と白の色調が効いています。晴天ならなおのこと映えたのかしら?周辺には他にもオブジェが何点かありました。

展覧会は10月11日(土)〜11月24日(月)の会期で行われました。オランダのアムステルダム歴史博物館所蔵作品を中心に、オランダ、ドイツ、イタリア、フランスの素描、版画作品が展示されていました。
建築・彫刻・油彩画などの準備の為の「下描き」として考えられがちな素描ですが、ルネサンス以降、西洋美術史においては、それらの「三つの芸術の父」(ヴァザーリの言葉)とされ、あらゆる造形芸術の基礎を成すものとして重要視されていたそうです。そう言えば、以前、既に失われてしまったルーベンスの油彩画のオイル・スケッチが、無き作品の研究の手がかりとして、その価値を高く評価されているとの報道もありましたね。これらの素描は、芸術家の創作の原点やプロセスを知る上でも貴重な資料となるのでしょう。
17世紀のオランダにおいて、素描はさらに発展を遂げ、描かれる対象は人物画、屋外風景、静物と多岐に渡り、芸術家のアトリエでは、絵画の為の下描き、弟子たちの練習手本、あるいはモチーフの「型見本」として活用されたそうです。実際、私の調べたところでは、レンブラントもドイツのデューラーやイタリアのカルラッチの素描を入手して、彼らの画風を学んだようです。
展覧会では、銅版画製作において支持体としての”紙”にも拘りを見せたレンブラントが、17世紀当時貿易立国として繁栄を極めていたオランダの利を生かし、日本から輸入した和紙(美濃の紙?)を用いて製作した代表作《病者を癒すキリスト(「百フルデン版画」)》も展示されていました。西洋紙を用いた作品より、全体的にやや赤みを帯びて見えるその作品は、特に質が高いと認められているようです(写真の絵はがき5枚の内、下段左側のもの)。また現在80枚が現存していると言われるレンブラントの銅版の1枚が、刷り上がった作品《クレメント・ダ・ヨンゲの肖像》と共に展示されていました。
因みに今秋公開された映画『宮廷画家ゴヤは見た』(原題”GOYA'S GHOSTS”)には、18世紀当時の銅版画の製作工程が描かれたシーンもあり、なかなか興味深いものがありました。この作品にはゴヤの作品も多数登場します(私はこれほどまでにゴヤ作品を見たのは初めて!)。美術ファンにとっては映画のストーリーと共に、これは見どころと言えるでしょうか。
素描や版画は(一般に)色彩を持たない分、小手先の誤魔化しが一切きかず、できるだけ細やかな観察と鋭い洞察で対象へと迫り、その造形の正確な把握と描写が必要とされるように思います。それらを”完成された作品”として、教養あるコレクターの蒐集の対象にまで高めた芸術家達の力量は、まさに巨匠と呼ぶに相応しいものなのかもしれません。
その線描が細やかなだけに、見る方にも力が入り、見終わった後には眼球に軽い筋肉痛を覚えたほどでした(笑)。
昨日の歩数はDoor to doorで、8,172歩でした。1万歩超えならず!
2008/11/20 17:26
麻生総理の「非常識」発言 はなこのMEMO
昨日は通院の日だった。内科と婦人科だったが、婦人科が、予約を入れているにも関わらず1時間待ち。待合室では診察室の声も漏れ聞こえて来る(もちろん、詳細は聞こえない。雰囲気が分る程度)。驚いたことに医師に悪態をついている患者がいた。医師がなだめるように説明をしていたが、反抗的な物言いに終始していた。医師への敬意は微塵もないのか?入院して、医師や看護師の過酷な勤務ぶりを見てから、改めて医療関係者を尊敬している私から見たら、その患者の態度は不遜以外のなにものでもない(必要以上に謙る必要もないけれど)。医師が藪医者ならともかく、私もお世話になっているその医師は、身を粉にしての誠実な働きぶりである。
驚きつつ帰宅してニュースを見ると、麻生総理が全国知事会の席で、「医師には社会的常識がかなり欠落している人が多い。」と発言したらしい。一国の総理からしてこの発言だから、どうしようもない。麻生総理は地元で病院も経営していると聞いたが、その病院に勤務している医師は、さぞかしモチベーションが下がっただろうね。本当に「非常識」なのは誰なんだろうね…?(-_-)
【ブログ内関連記事】
◆映画『シッコ』を見ての感想
驚きつつ帰宅してニュースを見ると、麻生総理が全国知事会の席で、「医師には社会的常識がかなり欠落している人が多い。」と発言したらしい。一国の総理からしてこの発言だから、どうしようもない。麻生総理は地元で病院も経営していると聞いたが、その病院に勤務している医師は、さぞかしモチベーションが下がっただろうね。本当に「非常識」なのは誰なんだろうね…?(-_-)
【ブログ内関連記事】
◆映画『シッコ』を見ての感想
2008/11/20 16:58
元厚生省事務次官夫妻襲撃事件 今、興味あること(教育など)
この事件、謎だらけなだけにマスコミも謎解きに熱中している(何やら楽しそう(-_-))。連続”テロ”にしては犯行声明もない。
この事件で何よりも怖いのは、無言の圧力である。誰が誰に対しての圧力なのか?私たちが予想だにしない犯人の、予想だにしない人?、組織?に対しての圧力である可能性もある。こうした不可解な事件が、時代の空気を重苦しいものにする。徒に不安をマスコミが煽るのも不快だ。
【蛇足】
「不況で大変」「失業が心配」と盛んに喧伝するマスコミの伝え手は、殆どがそうした状況に無関係な立場にあるんだよね?彼らが「不況だ」「大変だ」と言えば言うほど、片腹痛いと言うか、馬鹿にされているようで腹が立って来ると言うか…
この事件で何よりも怖いのは、無言の圧力である。誰が誰に対しての圧力なのか?私たちが予想だにしない犯人の、予想だにしない人?、組織?に対しての圧力である可能性もある。こうした不可解な事件が、時代の空気を重苦しいものにする。徒に不安をマスコミが煽るのも不快だ。
【蛇足】
「不況で大変」「失業が心配」と盛んに喧伝するマスコミの伝え手は、殆どがそうした状況に無関係な立場にあるんだよね?彼らが「不況だ」「大変だ」と言えば言うほど、片腹痛いと言うか、馬鹿にされているようで腹が立って来ると言うか…
2008/11/20 16:32
去る人がいる。戻る人もいる。 はなこのMEMO
筑紫哲也氏が亡くなって早2週間が経とうとしている。昨日午後10時にテレビを6チャンネルに合わせたら、久米宏氏の姿があった。そう言えば、彼はつい最近テレビのレギュラー番組に復帰していたのだ。かつては筑紫氏と裏番組で視聴率を競った人だ。
久しぶりに見る久米宏氏は頭がすっかり白くなっていた。余力を残して前の番組を去った印象があったが、何年かのインターバルを置いての復帰(途中、すぐに頓挫した番組の司会も務めたが)。以前は週日毎日出演だったのが、今は週1のペース。これくらいが今の彼にとってはちょうど良いのだろう。司会ぶりも楽しげ。でも、いささか物足りない。まだエンジンがフル回転とは行かないのか?それとも老いて(庶民と違って豊かな老後だろうし)、怒りを忘れたのか?
復帰と言えば、10代の頃に大人気を誇ったグループSPEEDも、全員が20代半ば前後になって、8年半ぶり?に音楽界へ戻って来た。グループ解散後、1人を除いてそれぞれに芸能活動を行っていたが、SPEED時代ほどの活躍はついぞ見られなかった。この5年の間に結婚・出産・離婚を経たメンバーもいる。再結成後の新曲を聴いたが、美しいハーモニーは健在。最新ヒットチャートで3位と、なかなかの滑り出しである。SPEED世代も彼女達と共に大人になり、社会で活躍している頃。どんな思いで彼女達の復帰を受け止めているのだろう?
久しぶりに見る久米宏氏は頭がすっかり白くなっていた。余力を残して前の番組を去った印象があったが、何年かのインターバルを置いての復帰(途中、すぐに頓挫した番組の司会も務めたが)。以前は週日毎日出演だったのが、今は週1のペース。これくらいが今の彼にとってはちょうど良いのだろう。司会ぶりも楽しげ。でも、いささか物足りない。まだエンジンがフル回転とは行かないのか?それとも老いて(庶民と違って豊かな老後だろうし)、怒りを忘れたのか?
復帰と言えば、10代の頃に大人気を誇ったグループSPEEDも、全員が20代半ば前後になって、8年半ぶり?に音楽界へ戻って来た。グループ解散後、1人を除いてそれぞれに芸能活動を行っていたが、SPEED時代ほどの活躍はついぞ見られなかった。この5年の間に結婚・出産・離婚を経たメンバーもいる。再結成後の新曲を聴いたが、美しいハーモニーは健在。最新ヒットチャートで3位と、なかなかの滑り出しである。SPEED世代も彼女達と共に大人になり、社会で活躍している頃。どんな思いで彼女達の復帰を受け止めているのだろう?
2008/11/20 14:40
(29)ジョージ・A・ロメロのダイアリー・オブ・ザ・デッド 映画(2008年公開)

やっぱりゾンビより怖いのは人間?!
結構スプラッターで残酷描写も多いゾンビ映画に意外に抵抗感がないのは、昔マイケル・ジャクソンの『スリラー』のPVが好きだったからかもしれない(笑)。加えてジョージ・A・ロメロ監督はゾンビ映画の始祖であり巨匠。後発の数多あるゾンビ映画とロメロ監督の作品とでは格の違いを感じて来たので(でも、亜流の中でも『ショーン・オブ・ザ・デッド』は好きよん♪)、ロメロ監督の作品なら是非見たいと思う。
◆マイケル・ジャクソン『スリラー』(You-tube)
本作は、大学の映画科の学生達が、「今、目前で起きていることを人々に伝えたい」一心で、恐怖におののきながらもカメラを回し続けると言う設定で、何やらドキュメンタリー・タッチ。”手持ちカメラの映像”で臨場感を誘うが、これを流行(最近多いですね。この手法)の後追いと見るか、はたまた”68歳のチャレンジ精神”と見るか?私は好意的に受け止めた。何より巨匠でありながらその地位にあぐらをかくことなく、 (低予算でも映像作品が作れることから)若手が好む手法に倣ったのは、反骨精神溢れる監督の原点回帰(監督のデビュー作は、CMなどを手がける映像製作会社を経営の傍ら、有志で週末を利用して作った『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』である)のようにも見える。
映画を見終わった後、出口へ向かう帰り客の中から「これはゾンビ映画じゃないなあ」との声が聞こえた。”ゾンビ映画=ホラー”と言う意味で、「違う」と言ったのか?だとしたら、違うかも。ロメロ監督のゾンビ映画はホラーの形を借りた文明批判、人間批判のように私は受け止めている。3年前公開の『ランド・オブ・ザ・デッド』でも、”ゾンビ狩り”を楽しむ残酷な人間の姿が描かれていた。
今回の批判の矛先のひとつは、ネット社会に氾濫する投稿映像だ。”個人の主観に基づく情報発信”と言う意味では掲示板への書き込みやブログ記事も含まれるのかもしれない。マス・メディアが崩壊すると、玉石混淆のこうした主観情報が氾濫すると本作では警告する。
しかし、既にマス・メディアの信頼性は失墜してしまった感があるし、今更ネットのない社会に後戻りも出来ないだろう。誤った情報の流布が誘発する社会の混乱というリスクを負うのと同等に、否、それ以上にネットの恩恵に浴しているのが現代社会なのではないだろうか?現実的な対応としては、ネット情報に限らず、あらゆるメディアの情報から、適正かつ有用な情報を取捨選択するメディア・リテラシー教育に注力するべきなのかなと思う。そもそも全ての物事は正負両面を併せ持って存在するものなんじゃないのかな?光が当たれば自ずと影ができるように。
それにしてもエンディングの映像は、あまりにもイタイ(-_-)。
◆映画『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』公式サイト