2008/5/2  12:02

びょういんで かんがえたこと(1)  入院の記録

 「生きる」とはどういうことなのだろう?何を以て人は「生きている」ことを実感できるのだろうか?

手術後は回復を早める為に、できるだけ歩くように言われた。入院の前半は患部の痛みでよく眠れないところに、風邪の名残咳でうつらうつらした状態から叩き起こされる状態が続いた。夜中の2時頃に起こされると、もう眠れない。ひたすら朝が来るのを待って、5時、6時頃にはベッドから出ると、少し離れた談話室まで歩いた。

 そこは常にカーテンが開け放たれていて、高層12階からの大パノラマを一望できた。と言っても遠方には京浜工業地帯の煙突が林立し、その背景には常にどんよりと鉛色の空がたれこめている。いかに天空が晴れようとも、そこだけは快晴にほど遠い、煤煙まみれの澱んだ空気が支配しているのだ。そんな場所にも朝が来れば、生命感漲る大ぶりの、オレンジ色の太陽が顔を出す。大自然の変わらぬ営みと人間の所業と。そのミスマッチ感がいかにもこの街らしい。

 強烈な朝の光に眩しさを感じながら、しばらく景色を眺めて病室へと戻る。7時頃に再び、今度はミネラル・ウォーターを買いに自販機のある談話室へと向かう。途中左手にナースセンターがあり、この時間になると呆然と車椅子に乗せられた老人たちの一群がそこで朝食の用意が調うのを待っている姿を目にする。彼らは互いに言葉を交わすでもなく、ただ無表情に空(くう)を見つめている。すれ違いざまにこちらが視線を合わせても何の反応もない。

 そういう光景を入院の間、短い間だったけれど毎日見続けて、彼らの姿を重い認知症を患う故郷の祖母や父の姿に重ねて、或いは将来の自分自身になぞらえて、「生きる」ことの意味を考えた。特に自分自身の問題として考えるならば、「生きていること」を自覚できなくなった時点で、私は自分の「はなこ」としての人生は終わったと認識している。仮に夫や息子がどんな形であれ「私」がこの世に存在して欲しい、という思いとは別のところで、私は私自身の命の終わり方を決められたらと思う。命のバトンタッチと言う意味では息子が誕生した時点で、既に私の人生の目標のひとつは達成できているのだ。さらに私の肉体は滅びても、その魂は家族や私が人生で関わった人々の中に生き続けているはずなのだ。常に覚えていられなくとも、折に触れて思い出してくれるだけでいい。

 今、他国に類を見ない高齢化社会による医療費負担増の問題が、深刻な社会問題として日本を揺るがせている。先の山口県の補選では、後期高齢者医療問題で政府与党自民党の候補者が落選した。あまりにも非情だとして、誰ひとりとして「姥捨て」論議の口火を切ろうとはしないがこのまま高齢者医療の負担増を、後に続く世代に押しつけて果たして良いものだろうか?自分が生きながらえる為に、子や孫の世代から、明るい未来を展望する喜びを奪うことは許されるのだろうか?現状を見る限り、私は自分の老後を肯定的に展望することができない。

 ことここに至って、必ずしも「長寿は善」ではなくなった。このことを、近年次々と打ち出される少子高齢化政策や社会の空気から感じる。長寿が尊ばれる価値観は、長寿を全うすることが困難な時代であったからこそのものだったのか?「長寿」がありふれた時代には、その価値は相対的に下がると言うことなのだろうか?

 自らの命の終え方を選択する自由が保障される。また、どんな形であれ生きながらえることを選択した者にはそれ相応の負担が求められる。来るべき超高齢化社会の日本では、こうした考えがコンセンサスを得られる可能性もあるのではないか、と私は考えている。暴論かもしれないけれど。 



2008/5/4  23:46

投稿者:管理人はなこ

cherryさん、いつも丁寧なコメントをありがとうございます。

年配者の話を聞く、と言えば、美術館のギャラリートークは主に小中学生を対象としているのですが、たまに年配者のグループに対しても実施します。そういう方々は大抵カルチャー・センターの美術講座の受講生で、講座修了後も自主的に勉強会の形で美術館巡りや勉強を続けておられる方々が多い。

一通り、ハイライト・トークを終えた後、自由見学の時間になるのですが、その時にざっくばらんにお話をする機会も少なくありません。前回は上野近隣にお住まいの方がいて、「終戦直後の上野動物園では食糧難であったために豚が飼われていた」というエピソードを話して下さいました。まさに歴史の生き証人のお話には説得力がある(笑)。

ところで日本の地上波テレビ番組は今や誰をターゲットにしているのか理解不能。日中等、私たちの世代は殆ど働きに出ているし、かと言ってお年寄りが楽しめる番組も皆無。一口にお年寄りと言っても様々だとは思いますが、結構知的刺激を求めている人は少なくない。学習意欲が高い人は多いのです。その受け皿にテレビはなり得ていない。公共の電波を無駄に使っていますね。

お年寄りを大事にする風土は地域差が大きいでしょう。長寿県ほどお年寄りは大事にされています。個々の家庭環境の違いも大きい。案外今ないがしろにされているお年寄りは、若い頃我が子への愛情が足りなかったのかもしれません。愛情は累々と世代間で受け継がれるものだと思うから。愛し方も教えられないと分からないものだと思います。それで苦しんでいる人は多いんじゃないかしら?

自分の人生の終わり方云々については、あくまでも私自身の問題として考えた場合ですね。やっぱり自分で自分のことを制御できなくなった時に、息子や第三者の手を煩わせるのは心苦しいです。そういう考えに至ったのは、私の同世代に老親介護で疲弊している人が少なくないことも一因と言えます。

2008/5/2  20:54

投稿者:cherry
http://cherry5australia.blog62.fc2.com/

はなこさん、ご退院おめでとうございます。
病院で考えられたこと、はなこさんの記事を楽しみにしていました。

私も昨年帰国して父の看病をしていた時に、今回のはなこさんが感じられたことと同じことを感じました。
日本では年を取ると、社会に申し訳なさそうに生きている。それは病院であっても家庭であっても。
花子さんが言われるように、今まで生きてきた中で年配の方から学ぶこといっぱいあると思うんですね。私はそういう方からいろいろ自分の知らない時代の話を聞くのが好きで、病院でもいろいろ聞きました。勉強になりますよね。

日本では年配の方を尊敬しなさすぎだと思います。
ということは、将来自分たちがその年代になった時のことを考えると、希望があまり持てないです。

>「生きていること」を自覚できなくなった時点で、私は自分の「はなこ」としての人生は終わったと認識している。
と書かれているはなこさんと、私も同じように思っています。
自分の人生、どうしても選択できないのは、生死。
でも自分で自覚できなくなった人生を生きながらえる意味をいまだ見いだせないです。むしろそうすることによって第3者の手を煩わせるわけで、それは自分の本望ではないもの。
本人が望めば、自分の人生、もう少し選択肢を選べる時代って来るのでしょうかしらって思います。

せめて日頃から健康に気をつけ、病院のお世話にならないで自分の人生をおわれるようにしたいなって、病院に入院している年配者を見て思いました。

はなこさん、風邪も完治されてないので、ごゆっくり静養して下さいね。


2008/5/2  17:03

投稿者:?

はじけ猫さん、コメントをありがとうございます。

どこの国、地域でしたか、
「老人ひとりを失うことは、一冊の百科事典を失うに等しい」
と言う表現があるそうですね。
私もお年寄りの話を聞くのは大好きです。今回病室は4人部屋で、
同室の3人の内2人は70代半ばの女性でした。
手術を間近に控えてピリピリしている同世代の女性より、
70代のお二方との方がよりうち解けてお話ができました。
お二人はそれぞれ、GW明けに脳外科手術を控えている、
癌研への転院が決まっている、と私よりよほど深刻な病状なのに、
どこか覚悟を決めておられているのか、とても落ち着いたご様子でした。
ひっきりなしに見舞いに訪れるご家族のご様子からも、
お二人がいかに愛されているのかが分かります。

しかし、このお二人のように素敵に年を重ねられ、
それぞれのご家族にとってかけがえのない存在であるご老人は、
比較的恵まれた方々なんですよね。

私は冷たい言い方かもしれませんが、自助努力を怠った人々が
今更「無年金」を嘆くのはおかしいと思っています。
夫の父など、命からがら満州から引き揚げて来て、苦労に苦労を重ねた結果、
今の”けっして豊かではないけれど安定した生活”を築いています。
そういう人々がいよいよ困窮するようになれば、
この国はどうしようもない国だと思います。

国民から預かった税金を無責任に浪費する役人の感覚や、
役人の天下り天国然とした省庁の外郭団体や関連企業の現状、
そして政治家と癒着し、利権で税金を食いものにしている輩の存在は
許し難いものだと思います。
そうした現状を、誰も打破することができないのをもどかしく思う。
そして政権与党と次期政権党を自負する野党の両方が眉唾もので、
”究極の選択”を迫られ歯噛みしている。

それでもこの国をより良くする、将来の展望を抱ける国にするには、
やはり若い世代が投票という形で政治に関与することが大切だと思います。
投票(或いはデモンストレーション)という形で彼らが明確な意志表示をしない限り、
政治家も官僚も、国民はどんなに苦しかろうが物言わず従うだけだとタカをくくり、
やりたい放題の政(まつりごと)を続けるでしょう。

「もっと怒れよ、若者」と言いたい。あのフランスを見倣いなさいよ!
彼の国は高校生だって怒りの声を上げている。

2008/5/2  12:41

投稿者:はじけ猫

はなこさん、退院おめでとうございます♪
長寿がめでたい、という感覚ではなくなってきたことが、悲しいです。
老人は長生きするべきではないのでしょうかねえ。
確かに、総合病院や町の病院の待合室はお年寄りの談話室と化している実態も否めませんが
だんだん体が弱ってくる、いう事をきかなくなる、などの身体的理由や
おじいちゃんやおばあちゃんの、家での居場所が無くなってきた、
というのも背後にあるのかもしれませんね・・・。
ニッポンという国家は老人だけではなくて母子家庭にも冷たい。
自分たちの私腹を肥やしたり、
血眼になって天下り先を探すギインばっかり、
税金を湯水の如く無駄遣いする今のこの国に
自分たちの将来を託していいものでしょうかねえ。
たとえ民○党が大騒ぎして政権交代を唱えたとしても
所詮同じ穴の狢、という感が払拭できませんなあ。
官僚天国、ヤクニン天国の今の現状を、
ご本人らが襟を正して取り組んでいかない限り
いつまでたってもお寒い事情は変らないと思います。

ごめんなさい、病み上がりなのにハードな話題でしたねっ。
お大事になさってください〜☆

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