2008/5/6  10:43

(11)フィクサー(原題:MICHAEL CLAYTON)  映画(2008年公開)

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 これまで見たジョージ・クルーニー出演作の中では一番面白い。邦題は弁護士事務所で面倒な事案を処理する(劇中では度々”清掃人”と自嘲ぎみに自称している)”もみ消し屋”を意味する「フィクサー」となっているが、原題はクルーニー演じる主人公の名前である。 

 「フィクサー」と言ったら日本では”黒幕”的意味合いが強くて、私などコダマヨシオ、オサノケンジ、ササガワリョウイチらの名前が浮かんだりするのだが(因みにオサノケンジの運転手を務めていた人物は、今や大手芸能プロダクションの経営者で、芸能界では絶大な権力を持つらしい。まるで映画「アメリカン・ギャング・スター」を地で行くような人生だ)、他の弁護士や事務所の尻拭いをする汚れ役も意味するとは、この映画で初めて知った。確かに「マイケル・クレイトン」より「フィクサー」の方がキャッチーではあるが、しかし、案外ミスリードしちゃんだな、これが(笑)。

 クルーニーの「フィクサー」としての活躍を描いていると思いきや、そうでもない。寧ろ映画の中ではフィクサーとしては何ら効力を発揮していないのである。事務所の汚れ役を一手に引き受け、いいように使われている主人公が、私生活でもギャンブルと身内のトラブルで多額の借金を抱え、いよいよ追い詰められた時に、同僚花形弁護士の奇行(実際のところは彼の良心と原告の一人の少女への淡い恋心が彼を「正義」へと走らせた結果なのだが)の尻拭いを命じられる。そこから彼の”人間力”が試される、とでも言おうか。社会の裏側の汚い部分を散々見聞きし、どっぷりと浸かっていた主人公の中にまだ残されていた一片の良心。それを原動力に、彼はある意味鮮やかな逆転劇を演じてみせる。それでも万々歳と行かないところに、容易ならざる人生の厳しさが垣間見えて、最後のシーンでふと見せる彼の表情が深い余韻をもたらすのだろう(夫は最後のシーンを、映画「卒業」のそれと重ねて見たらしい)

 主演のジョージ・クルーニーとトム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントンら演技派俳優との丁々発止のやりとりは見応えがある。製作に一流映画人が名を連ねたことからも本作の本気度が伺える(同時にそれはクルーニーの求心力を証明するものでもある) 。近年では、映画の醍醐味を感じさせてくれる数少ない作品のひとつだと思う。

【心にグッと来たワンシーン】
離婚して、別居を余儀なくされている息子との車中での会話。(酒に溺れた)マイケルの従兄弟の弱々しい姿を目にして怯えた表情を見せた息子に、走らせていた車を止めてマイケルは言う。「お前は心の強い子だ。お前なら大丈夫だ」―その目はしっかり息子を見据えて、声も力強く。新しい父親を迎えた家庭に今ひとつ馴染めない息子には、おそらく何よりの励ましとなったはずだ。

映画「フィクサー」データ



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