2008/2/5 17:42
北川健次の写真展 展覧会のお知らせ
アートスペース・サンカイビでは3月6日(木)から北川健次の写真展を開催します。
北川健次氏は1952年福井県生まれ。駒井哲郎に銅版画を学び、棟方志功・池田満寿夫の推挽を得て作家活動を開始しました。日本で初めて銅版画に写真製版技法を導入した実績を持ち、現代の銅版画とオブジェの分野における第一人者的存在です。版画や油彩画、オブジェのみならず、詩や評論なども手がけます。
写真は、北川氏の幅広い創作活動において常に重要な役割を果たしてきました。今回は北川氏にとって、満を持しての初の写真展です。北川氏の鋭い詩的感性と卓越した意匠性の、新たな到達点をご覧に入れます。
2008年にフランスで刊行された美術書に、ピカソ、クレー、ジャコメッティ、メープルソープらと共に北川氏の作品が掲載されています。カタログに北川氏を紹介した文章がありますので、抜粋して以下紹介します。
「ランボーに共鳴できるのは西洋人だけである。」という先入観を持っている人々は、北川健次のランボーへの並々ならぬ想いを知るや、その先入観が一掃されるであろう。20世紀半ば、日本の中部地方に生まれた北川は、美術大学で日本の著名な画家に師事する。
さて、北川のランボーとの出会いは多分、戦後出版された数々の翻訳本からだと思われる。大学を卒業してまもない25歳の北川は、カルジャーによって撮られたランボーの肖像写真をまず写真製版という技法を使い銅版画を発表する。学校で使われる方眼紙のような紙を使ったモノトーンな鋭い作品である。
1990年に渡仏を果たし、この詩人をより一層興味の対象として認識する。
また、2001年、2004年にも2回ほど渡仏し、マチエールの成熟さを増す。評論家、谷川渥はパリンプセスツスをもって当時の北川を想い起す。パリンプセスツスとは、古い羊皮紙のことで何度も書いては消した痕跡から時代を超えた歓喜や効用が浮かび上がってくる。パリンプセスツスは人間の記憶を呼覚ます素晴らしい、自然の産物であるとボードレールは語っている。この2つの銅版画には、内なる己の偏在化した相貌と普遍的なヴィジョンとが交差した瞬間、または作家の潜在力や普遍的過去が交差した瞬間をイメージとして記憶させている。「ランボーの眼差し」“Face of Rimbaud”にはフランス語と英語のテキストが加えられ、また分度器は方向を示唆する役割なのだろうか。雑然と積上げられたオブジェ、戸外に放置された滑車、柱搭、横糸、テキスチュール。。。。最初に制作した肖像作品を“Study of Skin”( “etude de peau” )としたのには納得がいく。なぜなら北川はランボーの題材、文献、その生涯が混ざり合ったもの、己と他者などについて語っているからだ。また2枚目の肖像作品は、赤と黒の線が相反するものを独自の論理で結びつけ、分裂するものを存在の融合へと導いている。
北川健次氏は1952年福井県生まれ。駒井哲郎に銅版画を学び、棟方志功・池田満寿夫の推挽を得て作家活動を開始しました。日本で初めて銅版画に写真製版技法を導入した実績を持ち、現代の銅版画とオブジェの分野における第一人者的存在です。版画や油彩画、オブジェのみならず、詩や評論なども手がけます。
写真は、北川氏の幅広い創作活動において常に重要な役割を果たしてきました。今回は北川氏にとって、満を持しての初の写真展です。北川氏の鋭い詩的感性と卓越した意匠性の、新たな到達点をご覧に入れます。
2008年にフランスで刊行された美術書に、ピカソ、クレー、ジャコメッティ、メープルソープらと共に北川氏の作品が掲載されています。カタログに北川氏を紹介した文章がありますので、抜粋して以下紹介します。
「ランボーに共鳴できるのは西洋人だけである。」という先入観を持っている人々は、北川健次のランボーへの並々ならぬ想いを知るや、その先入観が一掃されるであろう。20世紀半ば、日本の中部地方に生まれた北川は、美術大学で日本の著名な画家に師事する。
さて、北川のランボーとの出会いは多分、戦後出版された数々の翻訳本からだと思われる。大学を卒業してまもない25歳の北川は、カルジャーによって撮られたランボーの肖像写真をまず写真製版という技法を使い銅版画を発表する。学校で使われる方眼紙のような紙を使ったモノトーンな鋭い作品である。
1990年に渡仏を果たし、この詩人をより一層興味の対象として認識する。
また、2001年、2004年にも2回ほど渡仏し、マチエールの成熟さを増す。評論家、谷川渥はパリンプセスツスをもって当時の北川を想い起す。パリンプセスツスとは、古い羊皮紙のことで何度も書いては消した痕跡から時代を超えた歓喜や効用が浮かび上がってくる。パリンプセスツスは人間の記憶を呼覚ます素晴らしい、自然の産物であるとボードレールは語っている。この2つの銅版画には、内なる己の偏在化した相貌と普遍的なヴィジョンとが交差した瞬間、または作家の潜在力や普遍的過去が交差した瞬間をイメージとして記憶させている。「ランボーの眼差し」“Face of Rimbaud”にはフランス語と英語のテキストが加えられ、また分度器は方向を示唆する役割なのだろうか。雑然と積上げられたオブジェ、戸外に放置された滑車、柱搭、横糸、テキスチュール。。。。最初に制作した肖像作品を“Study of Skin”( “etude de peau” )としたのには納得がいく。なぜなら北川はランボーの題材、文献、その生涯が混ざり合ったもの、己と他者などについて語っているからだ。また2枚目の肖像作品は、赤と黒の線が相反するものを独自の論理で結びつけ、分裂するものを存在の融合へと導いている。
