2008/6/29  21:10

嵐の建白書〜篤姫第二十六回  篤姫

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今週は孝明天皇が前面に登場。さすが、なかなか雰囲気がありましたね。

孝明天皇の祖父は、光格天皇(こうかくてんのう)と言い、閑院宮家の出身でした。江戸時代、天皇家は皇位継承予定者以外の男子は出家する慣わしがあり、後光明天皇が承応3年(1654年)に22歳で崩御すると、後継者不足で皇統断絶の危機が訪れました。

この時は後光明天皇の父、後水尾法皇の生後間もない皇子(つまり、後光明天皇の弟)が成人するまで、中継ぎとして有栖川宮家から天皇を出しました(後西天皇)。

既に有栖川宮家の他に、伏見宮家(室町時代後期創設)桂宮(豊臣秀吉の時代に創設)もありましたが、どちらも創設から時間が経っており、現皇統とは血縁的に疎遠になっていました。そこへ上記のような皇統断絶の危機が生じたので、幕府と朝廷は危惧を抱き、新たに閑院宮家が創設されたのでした。

その後、当時の朝廷や幕府の不安は的中し、後桃園天皇が22歳で内親王一人を残して急逝。閑院宮家第二代典仁親王の第六皇子が、光格天皇として即位し、この系統が現代の天皇家まで続くことになりました。

そんな経緯で即位した、光格天皇を祖父に持ったため、孝明天皇はより皇祖皇統に強い拘りを抱いていたのかも知れません、綿々と続いてきた天皇家を頂点とする日本国に、夷狄を自分の代で入れてはならない、とも。

さて、来週は将軍家後継者問題から、幕府の次期大老問題へ。またまた篤姫が候補者2名と面接(笑)するようです。

写真は清水寺。



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