2008/5/14 23:26
次郎物語 御本
最近この文章に次郎物語と言う言葉を書いた。
篠山や柏原に行くとそこが戦前の地方の小都市(微小都市かな)の雰囲気を残していてよい、と言う文脈で。
で、それがきっかけで次郎物語を再読したのだが、なんと驚くなかれ今や著作権の切れた過去の名作はネットで読めるのである。ついつい会社で読んでしまった。
私は小説も映画も落語(の録音)も舞台(の録画)もお笑い番組(の録画)も繰り返して見るたちである。
芝居のビデオを見ていて面白いところ、感動するところは何度も何度も繰り返してみて飽きないタイプの人間である。
一度そんな話を人としていて、なんで一回読んだ小説をもう一回読んで楽しいの?といわれたことがあった。その時にはうまく答えられなかったのだが、あとで考えてみると、私は筋道を追っているのではなく形而下の感覚でもって小説も映像もお笑いも捕らえているのだろう、と言うことがわかった、、、と言うか、そう考えた。理屈じゃなくて心地よい、突っ込みのタイミング、決め台詞のトーン、テンポ。生理的に感官を覚える場面があるのだ。その場面を効果的に楽しむために何度も巻き戻して繰り返し見るのだ。
音楽がそうでしょ。
一回読んだ小説を繰り替えし読むのを不思議がる人も、きっと音楽は何度でも繰り返して聴くと思う。
ああ、その曲は一回聞いたからもういいよ、と言うのはないんじゃない?気に入ったら何度でも聞くよな。
料理もそう。
あの店のあの料理はうまい。本当においしい。でも、もう一回食べたから食べない、って人は少ないよな。何度食ってもおいしい。
次郎物語は何度も読んだ。
中学生高校生大学生(大学生の時には、かなり昔を懐かしむ気持ちも入っていたけど)けれど、気がついたらもう10年くらい読んでなかったかもしれない。
今回、PCの画面上とは言え読み返してみると、たくさんでてくる登場人物がみんな旧知の人物のようで懐かしかった。
もちろん主人公の次郎も好ましかったが、出てくる人みんながかつて知っていた人のように思える。以前、実際に会ったことがあるけれどももう死んでしまった人のように思える。
母方の祖父母は亡くなってしまってもう20年近くなり、思い出の中の人になった。
思春期に思い入れ深く読んだ小説の中の登場人物も、そう言う私にとっての思い出の人に列しているのである。そうして、その人(小説の中の人ですよ)もかつては生きていたような、感覚。今となっては死者となっている人と同じような感慨を持って思い出される。
若いころに読みふけった小説を読んでいると、故人が写っているアルバムを繰っているような気持ちにもなる。アルバムより鮮明かもしれない。読んだときに思い描いた映像がそのまま浮かんでくるのだから写真やビデオよりも、より生々しい。
そして同時に作品の隠された魅力にも気づかされる。それはひょっとしたら作者ですら予期していなかった効果かもしれないのだが。
僕が次郎物語を父親に与えられて読んだのは中学生の時。その時には小説の中の次郎の父親、祖母なんてのは、完全に他人と言うか自分の親の世代であるから点景に近いものがあるわけ。自分を投影する人物は主人公の次郎しかないわけだ。
しかし、今42歳で読むと、次郎の父親と同じ年か下手すりゃ年上。意地悪なだけでうすっぺらな人物描写しか与えられていない敵役のお祖母さんも僕の母よりも若い年齢設定。
そうすっと、小説の主眼は次郎と言う少年の成長過程を描くことにあったのであるが、今現在僕が手にとって読む場合は、昭和から大正の旧士族の没落していく物語と言う隠された(作者にとって、図らずも生まれた見方)側面も読み取れるのである。これは、ひとつの小説を何度も繰り返し読まないと得られない喜びなのである。
僕が高校生のころ、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」は十代のうちに読め、と言う文章を目にしたことがある。
その文章の言いたかった事は、感性がみずみずしい間に読んでおきなさいと言うことであったのだろうが、今回次郎物語を読み返して思ったことは、十代のうちに読んでいたら、大人になってからの思い出が増えるよ、と言う意味もあるなあ、、と言うこと。
次郎物語を子供のころに読んでいて本当によかった、と思ったのである。
篠山や柏原に行くとそこが戦前の地方の小都市(微小都市かな)の雰囲気を残していてよい、と言う文脈で。
で、それがきっかけで次郎物語を再読したのだが、なんと驚くなかれ今や著作権の切れた過去の名作はネットで読めるのである。ついつい会社で読んでしまった。
私は小説も映画も落語(の録音)も舞台(の録画)もお笑い番組(の録画)も繰り返して見るたちである。
芝居のビデオを見ていて面白いところ、感動するところは何度も何度も繰り返してみて飽きないタイプの人間である。
一度そんな話を人としていて、なんで一回読んだ小説をもう一回読んで楽しいの?といわれたことがあった。その時にはうまく答えられなかったのだが、あとで考えてみると、私は筋道を追っているのではなく形而下の感覚でもって小説も映像もお笑いも捕らえているのだろう、と言うことがわかった、、、と言うか、そう考えた。理屈じゃなくて心地よい、突っ込みのタイミング、決め台詞のトーン、テンポ。生理的に感官を覚える場面があるのだ。その場面を効果的に楽しむために何度も巻き戻して繰り返し見るのだ。
音楽がそうでしょ。
一回読んだ小説を繰り替えし読むのを不思議がる人も、きっと音楽は何度でも繰り返して聴くと思う。
ああ、その曲は一回聞いたからもういいよ、と言うのはないんじゃない?気に入ったら何度でも聞くよな。
料理もそう。
あの店のあの料理はうまい。本当においしい。でも、もう一回食べたから食べない、って人は少ないよな。何度食ってもおいしい。
次郎物語は何度も読んだ。
中学生高校生大学生(大学生の時には、かなり昔を懐かしむ気持ちも入っていたけど)けれど、気がついたらもう10年くらい読んでなかったかもしれない。
今回、PCの画面上とは言え読み返してみると、たくさんでてくる登場人物がみんな旧知の人物のようで懐かしかった。
もちろん主人公の次郎も好ましかったが、出てくる人みんながかつて知っていた人のように思える。以前、実際に会ったことがあるけれどももう死んでしまった人のように思える。
母方の祖父母は亡くなってしまってもう20年近くなり、思い出の中の人になった。
思春期に思い入れ深く読んだ小説の中の登場人物も、そう言う私にとっての思い出の人に列しているのである。そうして、その人(小説の中の人ですよ)もかつては生きていたような、感覚。今となっては死者となっている人と同じような感慨を持って思い出される。
若いころに読みふけった小説を読んでいると、故人が写っているアルバムを繰っているような気持ちにもなる。アルバムより鮮明かもしれない。読んだときに思い描いた映像がそのまま浮かんでくるのだから写真やビデオよりも、より生々しい。
そして同時に作品の隠された魅力にも気づかされる。それはひょっとしたら作者ですら予期していなかった効果かもしれないのだが。
僕が次郎物語を父親に与えられて読んだのは中学生の時。その時には小説の中の次郎の父親、祖母なんてのは、完全に他人と言うか自分の親の世代であるから点景に近いものがあるわけ。自分を投影する人物は主人公の次郎しかないわけだ。
しかし、今42歳で読むと、次郎の父親と同じ年か下手すりゃ年上。意地悪なだけでうすっぺらな人物描写しか与えられていない敵役のお祖母さんも僕の母よりも若い年齢設定。
そうすっと、小説の主眼は次郎と言う少年の成長過程を描くことにあったのであるが、今現在僕が手にとって読む場合は、昭和から大正の旧士族の没落していく物語と言う隠された(作者にとって、図らずも生まれた見方)側面も読み取れるのである。これは、ひとつの小説を何度も繰り返し読まないと得られない喜びなのである。
僕が高校生のころ、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」は十代のうちに読め、と言う文章を目にしたことがある。
その文章の言いたかった事は、感性がみずみずしい間に読んでおきなさいと言うことであったのだろうが、今回次郎物語を読み返して思ったことは、十代のうちに読んでいたら、大人になってからの思い出が増えるよ、と言う意味もあるなあ、、と言うこと。
次郎物語を子供のころに読んでいて本当によかった、と思ったのである。
2008/5/14 0:35
金子みすず 大漁 分類なし
金子みすずの有名な詩
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰯の 大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰯のとむらい するだろう
だけど、金子みすずは30歳になるかならないかで死んでしまったのだが、もうちょっと生きていれば、人間が魚を食うのはしょうがないこと、この世のならいだと言う諦観がえられたのではないかと思うのである。
ぼくなら、この詩にこう続ける。
お墓を立てて待っていろ
今夜の夕餉で骨上げだ
しょうがないんである。
俺たちだって飯食わなきゃ死んじゃうんだもん。
だけど、食べるときに、ああ、生き物の命を食べたんだな、と言う気持ちは持つようにしたい。
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰯の 大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰯のとむらい するだろう
だけど、金子みすずは30歳になるかならないかで死んでしまったのだが、もうちょっと生きていれば、人間が魚を食うのはしょうがないこと、この世のならいだと言う諦観がえられたのではないかと思うのである。
ぼくなら、この詩にこう続ける。
お墓を立てて待っていろ
今夜の夕餉で骨上げだ
しょうがないんである。
俺たちだって飯食わなきゃ死んじゃうんだもん。
だけど、食べるときに、ああ、生き物の命を食べたんだな、と言う気持ちは持つようにしたい。
2008/5/14 0:35
水戸の白鳥、黒鳥 分類なし
水戸は昨年一瞬だけ訪問した。仙台から東京へ移動する時に、在来線を使い、途中下車したのだ。駅前から偕楽園に行ったのだが、偕楽園も広いしそれに付随する市民公園も広大で、天気がよかったせいもあるのだろうが県庁所在地にしたら恵まれすぎているほどの環境だ、と思った。茨城市に生まれ育ったら東京に出て行く気しないんじゃないかな。本当にあの公園はきれいだった。
で、その公園の白鳥を中学生が叩き殺したのだ。
まあ、していいことではない。もし自分の子供がそんなことをしたらぼろかすに怒るだろう。どつくだろう。知らない子がそんなことをしていても止めさせる。しかし、浦島太郎の昔から子供が生き物をいじめるものであることは確かなのである。年頃の男子が芽生えかけてきた暴力衝動をコントロールしきれないでつい生き物を殺してしまうことはいけないことではあるものの異常ではない。
まさか中学生がそんな残酷なことを、、、、、と言う反応はあるが、むしろ中学生だからありえるのであって、40歳のサラリーマンがそうゆうことをするほうがはるかに異常だ。
一方、俺はすごく気になるのであるが、バス釣りってどうなんや?
釣上げた魚を食うわけでもないのに、いい年こいた大人が魚の口に針を引っ掛けちゃっ引きずり上げて開放。引きずり上げて開放。スポーツフィッシングとか言ってカッコつけてるものの、完全な虐待ですわ。どうも見ていて気分が悪くなるのである。
これがヒグマ狩りなどであれば「お互いに」命をかけた闘いと言えるし、おおへら鹿などだったら冬の荒野をさまよう、など人間のほうも「苦労に苦労を重ねて」と持ち出しが大きい。そこへいくとバス釣りなんて、昼前に起きて車で郊外のダムに出かけてタバコ吸いながら、、、だ。お気楽なことはなはだしい。
バスとの駆け引きとか言いやがって、その実魚は命がけ人間は絶対死なない。バランス悪すぎでしょう。その性や蔑むべし。
これからはバス釣りと言わずにバス虐めと呼べばいいのである。
むしろ、バスのような外来魚は駆除せねばならん、と言って釣上げて殺すほうがまだ見てるほうからするとまし、である。
連想してしまったが、、、、
金子みすずの有名な詩
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰯の 大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰯のとむらい するだろう
であるが、この漁は漁師もそれを買う人も生きるための業である。お前を取ってを食わなきゃ俺も家族も死んでしまうのである、すまぬのう。と言うどうしようもない前提がある上での、生き物の命を奪わねばなならない境遇を嘆くような趣もある。いわしも瞑目すべし。(魚だけど)
しかしバス釣りにはこのような省みる姿勢はないぞ。
金子みすずにならって詩の形にするならば、、、、、、
朝だお池はあさまづめ
ブラックバスの爆釣だ
1kg超える大物と
知恵を絞ってつなひきだ
岸はお祭り騒ぎだが
波の下ではパニックだ
口に針かけ宙吊りし
息の出来ない水の上
問答無用のお仕置きだ
となるわけだ。悲惨なことこの上ない。
で、その公園の白鳥を中学生が叩き殺したのだ。
まあ、していいことではない。もし自分の子供がそんなことをしたらぼろかすに怒るだろう。どつくだろう。知らない子がそんなことをしていても止めさせる。しかし、浦島太郎の昔から子供が生き物をいじめるものであることは確かなのである。年頃の男子が芽生えかけてきた暴力衝動をコントロールしきれないでつい生き物を殺してしまうことはいけないことではあるものの異常ではない。
まさか中学生がそんな残酷なことを、、、、、と言う反応はあるが、むしろ中学生だからありえるのであって、40歳のサラリーマンがそうゆうことをするほうがはるかに異常だ。
一方、俺はすごく気になるのであるが、バス釣りってどうなんや?
釣上げた魚を食うわけでもないのに、いい年こいた大人が魚の口に針を引っ掛けちゃっ引きずり上げて開放。引きずり上げて開放。スポーツフィッシングとか言ってカッコつけてるものの、完全な虐待ですわ。どうも見ていて気分が悪くなるのである。
これがヒグマ狩りなどであれば「お互いに」命をかけた闘いと言えるし、おおへら鹿などだったら冬の荒野をさまよう、など人間のほうも「苦労に苦労を重ねて」と持ち出しが大きい。そこへいくとバス釣りなんて、昼前に起きて車で郊外のダムに出かけてタバコ吸いながら、、、だ。お気楽なことはなはだしい。
バスとの駆け引きとか言いやがって、その実魚は命がけ人間は絶対死なない。バランス悪すぎでしょう。その性や蔑むべし。
これからはバス釣りと言わずにバス虐めと呼べばいいのである。
むしろ、バスのような外来魚は駆除せねばならん、と言って釣上げて殺すほうがまだ見てるほうからするとまし、である。
連想してしまったが、、、、
金子みすずの有名な詩
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰯の 大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰯のとむらい するだろう
であるが、この漁は漁師もそれを買う人も生きるための業である。お前を取ってを食わなきゃ俺も家族も死んでしまうのである、すまぬのう。と言うどうしようもない前提がある上での、生き物の命を奪わねばなならない境遇を嘆くような趣もある。いわしも瞑目すべし。(魚だけど)
しかしバス釣りにはこのような省みる姿勢はないぞ。
金子みすずにならって詩の形にするならば、、、、、、
朝だお池はあさまづめ
ブラックバスの爆釣だ
1kg超える大物と
知恵を絞ってつなひきだ
岸はお祭り騒ぎだが
波の下ではパニックだ
口に針かけ宙吊りし
息の出来ない水の上
問答無用のお仕置きだ
となるわけだ。悲惨なことこの上ない。
2008/5/13 21:42
山歩き 港巡り 分類なし
三田からは早めに帰ってきて4時からは摩耶山に登った。
ケーブルの駅の下に単車を止め、歩いて登って、ケーブルとロープウェイで降りてくるのだ。久しぶりである。
こんな道を歩き始める。

歩き始めは肌寒いくらいだったがやはり上りはいい運動なのだろう、すぐに汗をかく。20分ほど歩くと展望の開けるところへ。港を見ると大きな白い船がとまっている。

外国の客船がつくポートターミナルである。しんどかったせいもあるけどその船を見に行きたくなって、てっぺんまで上るのはやめてケーブルで降りた。いったん家に戻って着替えてからすぐに港へ。ハーバーハイウェイを通ってポートターミナル、、、、には直接入れないので、一回ポーアイまで行って神戸大橋を渡り返して再度三宮側から南へ。ポートターミナルに入って船をみた。でかい。むっちゃでかい。


全長270m幅30mってどうなんでしょ。高さは不明だけど、、、、定員2700名となるとむしろ人口と言いたくなるくらいだ。http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/country_information/japan/pref_information/town200704/pop3000miman200704_1.html
ここには人口3000人未満の村が載っている。2700人の富山県舟橋村の予算は13億円。一人当たり50万円弱。この船の運賃は仮に一年間乗ると考えたら2000万円くらいかかるのではないか。村だと考えると裕福な村である。ま、関係のない話だけど。
どこからかでっかさが伝わる写真が撮れないかなあと新港へ。

それからポーアイ北岸壁から。

逆光で神戸大橋が美しいが船自体の姿はまっくろけでなんのこっちゃようわからん。
夕方で逆光と言うことは夜明けだと順光(こんな言葉があるのかどうか知らんが、、、ありました。どっかで覚えたんでしょうな。人間の―わたくしの―おつむも捨てたもんではありません)のはず。よっしゃ、明日は早起きして来てやろう。
家へ帰ってネットで調べてみると、この船、神戸港に入港した客船としてはクイーンエリザベス二世号を抜いて一番でかいそうだ。
僕が子供のころクイーンエリザベス二世号が神戸に来たときはちょっとした話題になったことを覚えている。おそらく地方ニュースでも流したのではないか。
思うに、そのころ(昭和50年頃)にはすでに外国の優れた文化文明、が港を通じて入ってくると言う状況は薄れていたものの、まだそうであった時代の記憶を持った人々が大勢いたのだろう。記憶じゃないな、経験だ。外国の美しい服が、かばんが、帽子が、あるいは缶詰や乾物が港から入って来ることを当たり前だとみんな思っていた。その気持ちが昭和50年には抜け切っていなかっただろうから、世界一の豪華客船が入港すると言うことがニュースとして取り上げられたのだろう。
今、Wikipediaでクイーンエリザベス2号と引いてみると最近も神戸に入港しているようだ。そんなことは知らなかった。なんだか悪いことをした気になってしまった。
翌朝は4時過ぎに起きてすぐ港へ。
朝焼けに桃色に染まるであろう船体を楽しみにしていたのだが、思いもよらず灯りを点したきれいな船体を見ることが出来た。脇の神戸大橋とセットである。海面の小さな波、鱗のような波にその光が映えて実に美しい。

真っ暗から

うすくら

ややくら

船もきれいであったが東の夜明けもきれいだった。

勢い余って自分の単車も。定員二名だけど。

5時半ごろ帰宅。
学生時代によく徹夜のバイトをしていた。その時の気分がよみがえってきた。
しかし、当時と違って、これから仕事なのであった。
ケーブルの駅の下に単車を止め、歩いて登って、ケーブルとロープウェイで降りてくるのだ。久しぶりである。
こんな道を歩き始める。
歩き始めは肌寒いくらいだったがやはり上りはいい運動なのだろう、すぐに汗をかく。20分ほど歩くと展望の開けるところへ。港を見ると大きな白い船がとまっている。
外国の客船がつくポートターミナルである。しんどかったせいもあるけどその船を見に行きたくなって、てっぺんまで上るのはやめてケーブルで降りた。いったん家に戻って着替えてからすぐに港へ。ハーバーハイウェイを通ってポートターミナル、、、、には直接入れないので、一回ポーアイまで行って神戸大橋を渡り返して再度三宮側から南へ。ポートターミナルに入って船をみた。でかい。むっちゃでかい。
全長270m幅30mってどうなんでしょ。高さは不明だけど、、、、定員2700名となるとむしろ人口と言いたくなるくらいだ。http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/country_information/japan/pref_information/town200704/pop3000miman200704_1.html
ここには人口3000人未満の村が載っている。2700人の富山県舟橋村の予算は13億円。一人当たり50万円弱。この船の運賃は仮に一年間乗ると考えたら2000万円くらいかかるのではないか。村だと考えると裕福な村である。ま、関係のない話だけど。
どこからかでっかさが伝わる写真が撮れないかなあと新港へ。
それからポーアイ北岸壁から。
逆光で神戸大橋が美しいが船自体の姿はまっくろけでなんのこっちゃようわからん。
夕方で逆光と言うことは夜明けだと順光(こんな言葉があるのかどうか知らんが、、、ありました。どっかで覚えたんでしょうな。人間の―わたくしの―おつむも捨てたもんではありません)のはず。よっしゃ、明日は早起きして来てやろう。
家へ帰ってネットで調べてみると、この船、神戸港に入港した客船としてはクイーンエリザベス二世号を抜いて一番でかいそうだ。
僕が子供のころクイーンエリザベス二世号が神戸に来たときはちょっとした話題になったことを覚えている。おそらく地方ニュースでも流したのではないか。
思うに、そのころ(昭和50年頃)にはすでに外国の優れた文化文明、が港を通じて入ってくると言う状況は薄れていたものの、まだそうであった時代の記憶を持った人々が大勢いたのだろう。記憶じゃないな、経験だ。外国の美しい服が、かばんが、帽子が、あるいは缶詰や乾物が港から入って来ることを当たり前だとみんな思っていた。その気持ちが昭和50年には抜け切っていなかっただろうから、世界一の豪華客船が入港すると言うことがニュースとして取り上げられたのだろう。
今、Wikipediaでクイーンエリザベス2号と引いてみると最近も神戸に入港しているようだ。そんなことは知らなかった。なんだか悪いことをした気になってしまった。
翌朝は4時過ぎに起きてすぐ港へ。
朝焼けに桃色に染まるであろう船体を楽しみにしていたのだが、思いもよらず灯りを点したきれいな船体を見ることが出来た。脇の神戸大橋とセットである。海面の小さな波、鱗のような波にその光が映えて実に美しい。
真っ暗から
うすくら
ややくら
船もきれいであったが東の夜明けもきれいだった。
勢い余って自分の単車も。定員二名だけど。
5時半ごろ帰宅。
学生時代によく徹夜のバイトをしていた。その時の気分がよみがえってきた。
しかし、当時と違って、これから仕事なのであった。
2008/5/12 21:13
三田方面淡河地域 バイク
昨日は早起きをしようと思っていたが、なんだかんだで9時半ごろ間違い電話で起こされるまでうだうだしていた。最近寝床からすっと離れられる時と、そうでない時の差が大きい。今日はそうでない日。悪夢ともなんともつかない、以前、夢は全部悪夢、と書いたことがあるがその気持ちにちょっと近いかも。うれしくもなんともない、現実がちょっとゆがんだような夢が細切れに浮かび上がってきて盛り上がりもなく消えていく。しかし、盛り上がりもなく、、、と書いたが今朝早く見たいくつかの夢のひとつでは声を出した。声を出したことだけを覚えているけれど、なんで声を出したのかわからない。
昼前に出かけることにして、単車に乗った。今日は寒かったので昼前でも油断せずにセーターまで着て。トンネルを抜けるととても寒い。不思議なくらい。
今日は三田を越えて篠山の手前まで行き、それから淡河(おうご、と読みます)地区を走り回った。三田はフラワータウン、ウッディタウンの二つのニュータウンが大阪のベッドタウンとして成功していて、そのあたりを走っていると神戸市北区の鹿の子台や藤原台などと連続していて、その規模に圧倒される。ニュータウンはどんどん思想が進化しているようで、須磨の名谷のあたりのニュータウン(昭和50年代)西神の学園都市、西神中央(昭和60年〜平成2,3年)を経てフラワータウンはほんとに美しい。幹線道路沿いの公園は緑にあふれていて、大阪に職場のある人ならここに住みたい!と思うのではないだろうか。自分の通勤時間は多少長いかも知れないが、嫁さんと子供がここで明るく暮らす、と考えたらいいんじゃないだろうか。
最近ネットで悲惨なニュータウン(かつての)についてかたることが密かにブームになっている、、、かどうか知らないが、Wikipediaにはそのような記載がある。私が最初に見たのは大阪府の北大阪メトロポリスについての記載だった。
一昨年、たまたまそのあたりを通りかかった。茨木市に安いタイヤショップがあって、そこにスタッドレスを買いにいったのだ。土曜で暇だったのでドライブがてら箕面、豊能方面に抜けようと山道を走り出して30分くらいか。突如新興住宅地が現れてびっくりしたことがあった。当然山奥なのであって感覚的には隠れ里と言うか、おれ、狐か狸に化かされてるのかな、と思うくらいにありえない場所なのだ。
あまりに印象に残ったので帰宅後地図を見たりネットで見たりしたところ、この北大阪ネオポリスー希望が丘をはじめ鎌倉台などが俎上に上げられていた。
まあ、家と言う一生ものの買い物であるが、一生ものと言うことは平均的な収入の人にとっては一生に一二度の買い物と言うことは殆どの人が素人、、、、、、、と言うことである。
どんどん話がショートツーリングからはずれていってしまうが、、、、、、
なぜこんな話になったかと言うと、三田から篠山、あるいは亀岡に抜ける道沿いに「三田緑風台」と言う小さな住宅地を見つけたからである。
三田、もしくは新三田から有馬富士公園を目指して走って、その先の交差点を北へ、次の分岐を右へ。しばらく走るとその住宅地はある。
二期に分かれているようで、古いほうは昭和60年ごろのものかもしれない。新しいほうはここ10年で建った様子。
一体どうゆう人が住んでいるのだろう。大阪に通う人ではなく、三田の地元の人で三田市内の企業に勤めて車通勤の人、と言うのが想像しやすいが、でも、会社の帰りに飲みに行ったりしないのかなあ、、、、、、絶対に僕は住めないだろう。
しかし、考え方を変えればとてもいい所ではある。「緑が多い」それだけだけど。
それから三田の市内をうろうろ。市内と言うよりも旧市街地。JR三田の駅の周辺をゆっくりゆっくり走る。
古い飲み屋街があり、商店街もある。三田の駅の南西に駅前町と言う町があって、飲食店などもある。いい感じに寂れた町。どう言えばいいのかな、地方都市っぽいのである。三田が地方都市であってなんの不思議もないんだけど、先週行った柏原とか篠山にちょっと通ずる感じがある。で、同時にここはベッドタウンでもあるのだ。そして、肝心なところは、三田の駅前自体はベッドタウンではない、と言うこと。
僕がフラワータウンやウッディタウンに住んでいたとしたら、大阪で仕事を終えてJRに乗って、30分か40分で三田到着。そっからウッディタウン行きの神鉄に乗りかえるわけだけど、多分寄り道してしまうな。行きつけの安いスナックを作って、週に一度くらいそこに寄って帰るだろう。
そんな想像をしてしまった。
考えてみれば、会社の近くでもなく、自宅の近くでもない乗り継ぎの小さな町ってちょっと呑みに行くのに最適の町じゃなかろうか。
フラワータウンやウッディタウンに住むと、そう言う得点もついてくるのである。きっと、今でもそうやって飲んでる人多いと思うな。
いろんなニュータウン(僕の実家もそうなのだけど)を見ていて不満なのは、結局飲み屋がない。と言う一点に尽きるのである。飲み屋をはじめとしての個人営業の商店がないと、なんとなくしっくりこない。都市には悪所が必要だ、、、と言う網野善彦とかが言っている民俗学の一面が実感できるのである。
飲み屋街の向こうには武庫川が流れていて、その向こうは本町、と言う名のこれまた商業地なのだが、まあ、さびれまくっててしょうがない。

通るのも気が引けるくらいにさびれている。とは言え、一応市の中心街に広めの地所を持って商売していたくらいだからシャッターが下りている、即首吊りなんて悲惨な状況は全くないだろう。きっとたくましく郊外に店を出したり、あるいは息子は勤めに出ていたりするのだろうが、それにしてもおそらく江戸時代から続いていた商業地が寂れてしまっているのはやはり心打たれるものがある。
そして、変態的ではあるのだが、そう言う土地でしんみりするのが好きなので、わざわざ選んででかけている、と言う面は否定できない。
滅びかけている町は美しい。
志賀直哉は「奈良は名画の残欠が美しいように美しい」と言ったそうだが、奈良だけではない。三田、柏原、篠山。それだけじゃない、小さな地方都市の大正、へたすりゃ明治時代の建物が滅びかけているところが美しくないわけはないのだ。

それから三田を後にして、淡河近辺を走り回る。地図を見てもよくわからない場所を。ここが神戸市とは思えないくらい山深いところ。大体そのあたりの農家ってでかいのである。俺んちがこんなにでかかったら人生観かわるだろうなあ、、、と思うくらいでかい。しかし、その中でもとっておきのでかい農家を見つけた。なんと玄関脇に堀のような池まであって、庭木の手入れもきっちりされている。

最初、一般公開されている庭園かと思ったくらいである。その家は谷川に沿った傾斜地に建っているのだが、川のほうから見上げると殆どちっちゃな城である。

先週行った柏原の陣屋とどっこいなのである。
その後まるでオートバイのために作られたような山越えの素晴しい国道、428号線を走って箕谷方面へ。この間気がついたのだが「柏尾台」と言う住宅地の看板に六甲倶楽部と言う字が。なんとなく気になって一本道を走って柏尾台に行ってみたら、これがなんちゅうか広い住宅地。一区画が150坪くらいある。そして、造成地のあちこちに建っている家も気合が入りまくった立派な家が多い。ま、ちょっとはずしちゃったかなあ、、、、、、と言う目黒エンペラーもかくや、と言うオーバーデコなお家も無きにしもあらずであったが。
しかし、企画としてはわかる。
箕谷の柏尾台と言うとすっごく田舎の感じがあるものの、実は地下鉄に乗ったり、バスに乗ったり自家用車に乗ったりすれば神戸の町中までさほど遠くはない。多分東門(と言う飲み屋街があるのである)で飲んでタクシーで帰っても3500円くらい、すなわち板宿くらいではないのだろうか。
そこに150坪の家を6000万円で建てるってのは悪い発想ではないのだ。
ま、買えっつっても買えないですけどね。
なんだか住宅と言うか宅地ばかりに気がいってしまったショートツーリングであった。
昼前に出かけることにして、単車に乗った。今日は寒かったので昼前でも油断せずにセーターまで着て。トンネルを抜けるととても寒い。不思議なくらい。
今日は三田を越えて篠山の手前まで行き、それから淡河(おうご、と読みます)地区を走り回った。三田はフラワータウン、ウッディタウンの二つのニュータウンが大阪のベッドタウンとして成功していて、そのあたりを走っていると神戸市北区の鹿の子台や藤原台などと連続していて、その規模に圧倒される。ニュータウンはどんどん思想が進化しているようで、須磨の名谷のあたりのニュータウン(昭和50年代)西神の学園都市、西神中央(昭和60年〜平成2,3年)を経てフラワータウンはほんとに美しい。幹線道路沿いの公園は緑にあふれていて、大阪に職場のある人ならここに住みたい!と思うのではないだろうか。自分の通勤時間は多少長いかも知れないが、嫁さんと子供がここで明るく暮らす、と考えたらいいんじゃないだろうか。
最近ネットで悲惨なニュータウン(かつての)についてかたることが密かにブームになっている、、、かどうか知らないが、Wikipediaにはそのような記載がある。私が最初に見たのは大阪府の北大阪メトロポリスについての記載だった。
一昨年、たまたまそのあたりを通りかかった。茨木市に安いタイヤショップがあって、そこにスタッドレスを買いにいったのだ。土曜で暇だったのでドライブがてら箕面、豊能方面に抜けようと山道を走り出して30分くらいか。突如新興住宅地が現れてびっくりしたことがあった。当然山奥なのであって感覚的には隠れ里と言うか、おれ、狐か狸に化かされてるのかな、と思うくらいにありえない場所なのだ。
あまりに印象に残ったので帰宅後地図を見たりネットで見たりしたところ、この北大阪ネオポリスー希望が丘をはじめ鎌倉台などが俎上に上げられていた。
まあ、家と言う一生ものの買い物であるが、一生ものと言うことは平均的な収入の人にとっては一生に一二度の買い物と言うことは殆どの人が素人、、、、、、、と言うことである。
どんどん話がショートツーリングからはずれていってしまうが、、、、、、
なぜこんな話になったかと言うと、三田から篠山、あるいは亀岡に抜ける道沿いに「三田緑風台」と言う小さな住宅地を見つけたからである。
三田、もしくは新三田から有馬富士公園を目指して走って、その先の交差点を北へ、次の分岐を右へ。しばらく走るとその住宅地はある。
二期に分かれているようで、古いほうは昭和60年ごろのものかもしれない。新しいほうはここ10年で建った様子。
一体どうゆう人が住んでいるのだろう。大阪に通う人ではなく、三田の地元の人で三田市内の企業に勤めて車通勤の人、と言うのが想像しやすいが、でも、会社の帰りに飲みに行ったりしないのかなあ、、、、、、絶対に僕は住めないだろう。
しかし、考え方を変えればとてもいい所ではある。「緑が多い」それだけだけど。
それから三田の市内をうろうろ。市内と言うよりも旧市街地。JR三田の駅の周辺をゆっくりゆっくり走る。
古い飲み屋街があり、商店街もある。三田の駅の南西に駅前町と言う町があって、飲食店などもある。いい感じに寂れた町。どう言えばいいのかな、地方都市っぽいのである。三田が地方都市であってなんの不思議もないんだけど、先週行った柏原とか篠山にちょっと通ずる感じがある。で、同時にここはベッドタウンでもあるのだ。そして、肝心なところは、三田の駅前自体はベッドタウンではない、と言うこと。
僕がフラワータウンやウッディタウンに住んでいたとしたら、大阪で仕事を終えてJRに乗って、30分か40分で三田到着。そっからウッディタウン行きの神鉄に乗りかえるわけだけど、多分寄り道してしまうな。行きつけの安いスナックを作って、週に一度くらいそこに寄って帰るだろう。
そんな想像をしてしまった。
考えてみれば、会社の近くでもなく、自宅の近くでもない乗り継ぎの小さな町ってちょっと呑みに行くのに最適の町じゃなかろうか。
フラワータウンやウッディタウンに住むと、そう言う得点もついてくるのである。きっと、今でもそうやって飲んでる人多いと思うな。
いろんなニュータウン(僕の実家もそうなのだけど)を見ていて不満なのは、結局飲み屋がない。と言う一点に尽きるのである。飲み屋をはじめとしての個人営業の商店がないと、なんとなくしっくりこない。都市には悪所が必要だ、、、と言う網野善彦とかが言っている民俗学の一面が実感できるのである。
飲み屋街の向こうには武庫川が流れていて、その向こうは本町、と言う名のこれまた商業地なのだが、まあ、さびれまくっててしょうがない。
通るのも気が引けるくらいにさびれている。とは言え、一応市の中心街に広めの地所を持って商売していたくらいだからシャッターが下りている、即首吊りなんて悲惨な状況は全くないだろう。きっとたくましく郊外に店を出したり、あるいは息子は勤めに出ていたりするのだろうが、それにしてもおそらく江戸時代から続いていた商業地が寂れてしまっているのはやはり心打たれるものがある。
そして、変態的ではあるのだが、そう言う土地でしんみりするのが好きなので、わざわざ選んででかけている、と言う面は否定できない。
滅びかけている町は美しい。
志賀直哉は「奈良は名画の残欠が美しいように美しい」と言ったそうだが、奈良だけではない。三田、柏原、篠山。それだけじゃない、小さな地方都市の大正、へたすりゃ明治時代の建物が滅びかけているところが美しくないわけはないのだ。
それから三田を後にして、淡河近辺を走り回る。地図を見てもよくわからない場所を。ここが神戸市とは思えないくらい山深いところ。大体そのあたりの農家ってでかいのである。俺んちがこんなにでかかったら人生観かわるだろうなあ、、、と思うくらいでかい。しかし、その中でもとっておきのでかい農家を見つけた。なんと玄関脇に堀のような池まであって、庭木の手入れもきっちりされている。
最初、一般公開されている庭園かと思ったくらいである。その家は谷川に沿った傾斜地に建っているのだが、川のほうから見上げると殆どちっちゃな城である。
先週行った柏原の陣屋とどっこいなのである。
その後まるでオートバイのために作られたような山越えの素晴しい国道、428号線を走って箕谷方面へ。この間気がついたのだが「柏尾台」と言う住宅地の看板に六甲倶楽部と言う字が。なんとなく気になって一本道を走って柏尾台に行ってみたら、これがなんちゅうか広い住宅地。一区画が150坪くらいある。そして、造成地のあちこちに建っている家も気合が入りまくった立派な家が多い。ま、ちょっとはずしちゃったかなあ、、、、、、と言う目黒エンペラーもかくや、と言うオーバーデコなお家も無きにしもあらずであったが。
しかし、企画としてはわかる。
箕谷の柏尾台と言うとすっごく田舎の感じがあるものの、実は地下鉄に乗ったり、バスに乗ったり自家用車に乗ったりすれば神戸の町中までさほど遠くはない。多分東門(と言う飲み屋街があるのである)で飲んでタクシーで帰っても3500円くらい、すなわち板宿くらいではないのだろうか。
そこに150坪の家を6000万円で建てるってのは悪い発想ではないのだ。
ま、買えっつっても買えないですけどね。
なんだか住宅と言うか宅地ばかりに気がいってしまったショートツーリングであった。
2008/5/10 20:44
ストーブ 分類なし
春になって山歩きも良し、単車でのツーリングも良し、と言う休日が続いたが今日は雨。
前述のような休日が続いた結果、散らかりまくった部屋を、今日は片付けた。
それにしても肌寒い。
出しっぱなしにしていた石油ストーブとファンヒーターに火を入れて、空っぽになるまで炊いて、今シーズンのお役御免とした。
しかし5月のこの時期に使うとは思いませんでしたなあ、、、、、思いませんでしたけども、この暖かさが心地よいと言うことは、やっぱり今日は寒い日だったのだな。
寒の戻りと言うには、もう時期はずれだけど。
前述のような休日が続いた結果、散らかりまくった部屋を、今日は片付けた。
それにしても肌寒い。
出しっぱなしにしていた石油ストーブとファンヒーターに火を入れて、空っぽになるまで炊いて、今シーズンのお役御免とした。
しかし5月のこの時期に使うとは思いませんでしたなあ、、、、、思いませんでしたけども、この暖かさが心地よいと言うことは、やっぱり今日は寒い日だったのだな。
寒の戻りと言うには、もう時期はずれだけど。
2008/5/8 0:10
町田健介@高槻ジャズストリート 音楽
その後、裏山を高さで300mばかり登ろうと思っていたのだが若いころと違って、単車で走るのも疲れるのである。特に最近のヘルメットは丈夫になっている分重くなっており、首筋が凝って凝って仕方がない。体力づくり&ダイエットのための山歩きはキャンセル。
それから3時過ぎに家を出て高槻へ。
高槻では高槻ジャズストリートと言う催しを行っている。十年になるらしい。
そこで町田謙介と言う東京のブルースシンガーがライブをするのだ。で、大学時代の先輩をさそって見に行くことにしている。それとファイアー大道。知る人ぞ知る、とは言うものの、ま、殆ど誰も知らない49歳の女性。会社員でありブルースギタリスト。年に100本くらいステージに立っているので最早アマチュアとは言いがたい人だけど、じゃプロかって言われるとそうでもないといういい感じ。
エンターテインメント精神に富んでいて素敵なおばはんである。で、その人のステージも直前にあるのでそこにも行きましょうと予定する。
先輩とは二年ぶりくらいに駅で待ち合わせし、居酒屋へ。腹が減っていたのでしこたま食って飲んで、まずファイアー大道の出ているRUSHと言う店へ。大勢の人で混んでいるがぎりぎりブルースをみっちり聞ける広さでなかなかいいお店だ。大阪は塚本のハウリンバーの常連、セッションメンバーが多くサポートしていてその知り合いも多いのだろう、かなり混んでいて熱気にあふれている。45分と言う短さであったが盛り上がって楽しいステージだった。そこを出て町田謙介の出ているお店へ。
歌謡喫茶「昭和40年」と言うけったいな名前のお店だった。ちょっと年上の人たちが昔を懐かしむお店のようである。RUSHとは大きく趣きが異なる。
最初お客も少なくってどうなることなんだろうと思っていたが次第に増えていった。ファイアー大道のながれも大勢。やはりジャズフェスティバルのなかのブルース部門となると少数派だからかな。マニアな雰囲気が漂っていい感じ。
町田謙介は一人でアコースティックギターをかき鳴らしてコーヒールンバやスイングしなけりゃ意味ないよ、や星影のワルツと歌う。ほとんど原曲の影形がなくなる寸前くらいまで編曲した独自のメロディで。声も金属的なビブラートがかかっていて他所ではあまり聞けない。
これまで東京で二度か三度ライブに行ったが、関西では初めて。ギターも上手い。この人は十分に魅力的なのだが売れない。CDを2枚ほど出しているだけだ。音楽で成功するってなんなんだろうと思う。ちょっとブレイクすれば2〜3年で一生食うに困らないくらいのお金を稼げることもあるのに、そうでなければ町田謙介のように50歳すぎて東京―高槻を夜行バスで行き来するような人もいる。
いちがいにどっちが幸せとは言えないが、町田謙介はもうちょっと世間に受け入れられて、もうちょっと金銭的に余裕あってもいいと思うのだ。一体売れる売れないの境目ってどこにあるのだろうと考え込んでしまう。スポーツのように勝ち負けがない、人気の世界。芸能の世界ってほんと理不尽のかたまりだなあ、、、、、
町田謙介の話す様子を見ていてちょっと変な気持ちになった。まあ、町田さんがこの文章を目にすることはないだろうから気にせずに書くと、一昨年、、、いや、その前か。以前亡くなった友人にちょっと似ているのだ。特にMCの際に早口で神経質そうに話しひきつったように笑うところは全くそっくりだった。声がかすれている所も頬がそげている顔も。笑って小さくなる目も。
ライブはこれまた45分で終わり先輩と店を出た。いや、よかった、との感想なので面目を施した。音楽好きの人なので気に入ってもらえるかな、とちょっと気にしていたのだ。そうして、高槻の駅まで歩きながら、あの人○○に似ているなと僕が思っていたように亡くなった友人のことを話した。その亡くなった人は僕とも、その先輩とも非常に仲が良かったので、変な話久しぶりに亡くなった人に出会ったような、奇妙な感覚を持ったのであった。
それから3時過ぎに家を出て高槻へ。
高槻では高槻ジャズストリートと言う催しを行っている。十年になるらしい。
そこで町田謙介と言う東京のブルースシンガーがライブをするのだ。で、大学時代の先輩をさそって見に行くことにしている。それとファイアー大道。知る人ぞ知る、とは言うものの、ま、殆ど誰も知らない49歳の女性。会社員でありブルースギタリスト。年に100本くらいステージに立っているので最早アマチュアとは言いがたい人だけど、じゃプロかって言われるとそうでもないといういい感じ。
エンターテインメント精神に富んでいて素敵なおばはんである。で、その人のステージも直前にあるのでそこにも行きましょうと予定する。
先輩とは二年ぶりくらいに駅で待ち合わせし、居酒屋へ。腹が減っていたのでしこたま食って飲んで、まずファイアー大道の出ているRUSHと言う店へ。大勢の人で混んでいるがぎりぎりブルースをみっちり聞ける広さでなかなかいいお店だ。大阪は塚本のハウリンバーの常連、セッションメンバーが多くサポートしていてその知り合いも多いのだろう、かなり混んでいて熱気にあふれている。45分と言う短さであったが盛り上がって楽しいステージだった。そこを出て町田謙介の出ているお店へ。
歌謡喫茶「昭和40年」と言うけったいな名前のお店だった。ちょっと年上の人たちが昔を懐かしむお店のようである。RUSHとは大きく趣きが異なる。
最初お客も少なくってどうなることなんだろうと思っていたが次第に増えていった。ファイアー大道のながれも大勢。やはりジャズフェスティバルのなかのブルース部門となると少数派だからかな。マニアな雰囲気が漂っていい感じ。
町田謙介は一人でアコースティックギターをかき鳴らしてコーヒールンバやスイングしなけりゃ意味ないよ、や星影のワルツと歌う。ほとんど原曲の影形がなくなる寸前くらいまで編曲した独自のメロディで。声も金属的なビブラートがかかっていて他所ではあまり聞けない。
これまで東京で二度か三度ライブに行ったが、関西では初めて。ギターも上手い。この人は十分に魅力的なのだが売れない。CDを2枚ほど出しているだけだ。音楽で成功するってなんなんだろうと思う。ちょっとブレイクすれば2〜3年で一生食うに困らないくらいのお金を稼げることもあるのに、そうでなければ町田謙介のように50歳すぎて東京―高槻を夜行バスで行き来するような人もいる。
いちがいにどっちが幸せとは言えないが、町田謙介はもうちょっと世間に受け入れられて、もうちょっと金銭的に余裕あってもいいと思うのだ。一体売れる売れないの境目ってどこにあるのだろうと考え込んでしまう。スポーツのように勝ち負けがない、人気の世界。芸能の世界ってほんと理不尽のかたまりだなあ、、、、、
町田謙介の話す様子を見ていてちょっと変な気持ちになった。まあ、町田さんがこの文章を目にすることはないだろうから気にせずに書くと、一昨年、、、いや、その前か。以前亡くなった友人にちょっと似ているのだ。特にMCの際に早口で神経質そうに話しひきつったように笑うところは全くそっくりだった。声がかすれている所も頬がそげている顔も。笑って小さくなる目も。
ライブはこれまた45分で終わり先輩と店を出た。いや、よかった、との感想なので面目を施した。音楽好きの人なので気に入ってもらえるかな、とちょっと気にしていたのだ。そうして、高槻の駅まで歩きながら、あの人○○に似ているなと僕が思っていたように亡くなった友人のことを話した。その亡くなった人は僕とも、その先輩とも非常に仲が良かったので、変な話久しぶりに亡くなった人に出会ったような、奇妙な感覚を持ったのであった。
2008/5/7 23:52
ショートツーリング バイク
先日は篠山に行ったので今回は柏原に行ってみた。柏原は以前つき合っていた女の子の故郷であり、なんとなくイメージを持っていた。兵庫県の山間部の小さな静かな町、と。
朝早起きして6時過ぎに家を出た。用心して下半身もアンダーウェアを着てスキー用のちょっとはデザイン面にも気を遣っているものの、ま、早い話パッチですな。ちょっと大げさかな、と思ったが走り出したら肌寒い。手袋も必要だった。六甲山の中腹のトンネルで裏六甲に抜け、北神戸有料道路。先日と同じく三田のニュータウンを通って、有馬富士のあたりから北上、、、と考えていたのだが、右折するところを間違えて、と言うよりも勘違いして、テクノパークの先、相野の駅まで行ってしまった。そのまま176を進めばまあ着くのだけれど、そんな交通量の多い道を走るのはいやだ。今更戻るものおっくうなので適当に当たりをつけて山越えしたり谷沿いを走ったり。
ところどころ景色のよい山道で単車を止めてヘルメットを脱ぐととても静かである。走っているときはエンジンの音、風きり音が常に耳に入ってきて、それが基底音になってしまっている。その状態と山奥のしんとした状態のギャップが大きくて緑も木々の匂いも格別染み入るような気がする。目に見える色、花で感じる匂い、耳で聞く音がそれぞれを引き立てあうのかもしれない。音が静まれば色が鮮やかになり香りがより立つような、そういう気持ちになる。
多紀町、、郡かな?なじみはある地名を通る。子供のころの社会の授業から始まってなんだかんだで目にする機会の多かった地名。それが平成の市町村合併で消えたと言うことは実に大変なことだ。物の印象、記憶はその名前とセットになっている。野村さん、野村洋一さんと言う人が佐々木賢二さんになったら戸惑う。そんなことが全国一斉に行われてしまったのだ。ニュースを聞いても知らない地名が出てきたら感情移入のしようがない。
そんなことも考えた。
柏原には裏道を通って春日町経由で。今の行政区分では全部まとめて丹波市になっているのだけど。
柏原は単車で5分もゆっくり走れば一回りできるくらいに、小さな町であった。しかし城下町を名乗っている。町の中心部に小高い丘、木々の生い茂ったかわいい丘があり、そこかな、と思ったがそれは八幡様であった。こんもりとした80mほどの高さの丘。小さな町の見晴台である。
柏原は城下町を名乗っているが厳密には城はなく陣屋があった小さな藩だったようだ。二万石。
控えめな陣屋

なんとなく城を持っている藩と陣屋の藩の境目は一万石だと思っていたのだが、調べてみるとそうでもないみたい。http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi3.html
二万石って最も小さな藩のようである。それでも旧藩の殿様がいたところだからか、小さな町のわりに日赤病院があったり、神戸検察の支所があったり裁判所の支所があったりと町としての風格がある。高校も柏原高校といって100年以上の歴史がある。丹波市へ合併する直前の人口が1万人だったのに、なんだか充実しているのである。金沢や高松が政令指定都市でもなく五大都市(六大、七大、、、、)でもないのにどことなく貫禄があり、今でも日銀の支店をはじめ企業の支店がおかれているのは、旧大藩であったり旧制高校があったり師団があったり、と中核都市としての歴史があるからだろう。
それと同じように柏原は他の町とは区別されるような貫禄がある。でも人口1万人の町なのでそれぞれがなんとなく小さくてかわいいのだ。箱庭のような盆栽のような町。
歴史資料館に入ってみると、城下町としての歴史より八幡神社の門前町としての歴史のほうが長いみたい。八幡神社の参道(山へ登る階段)の入り口近くには川が流れている。小さな川だがその横に大きな欅がある。めずらしいのはその欅の太い根が川をまたいでいるのだ。木の根橋とか言うらしい。戦前のこの町はどんなだったろうなあ、、、と想像をかきたてられる。

私は中学生のころに親に買ってもらった「次郎物語」を愛読した。今でも、平成の中学生も読むことがあるのだろうか、きっと教養小説というくくりに入るのだろうと思うが、戦前の佐賀の田舎を舞台にし、超エリートでもない、かといって貧乏人でもない当時の中産階級の子弟である主人公が育っていく物語だ。それを何度も何度も繰り返し読んだために、大正から昭和にかけての地方の農村が懐かしいのである。もちろん実際に行ったことなどあるわけもないのだが、次郎物語の舞台はどんなところなのだろうと念じ過ぎたために、映画やテレビ番組などで昔の農村風景を見るたびに気に入った道端や建物等の風景を組み合わせていき、いつの間にかいつ読んでも同じ光景が出てくるようになった。架空の田舎町を作り上げてしまったようだ。
柏原は町ごとそう言う雰囲気に満ちている。篠山もそうだったが。数十年前までは都市としての機能を自前で備えていた独立した小さな町の様子が残っていて、胸が締め付けられるような懐かしさがある。
一度ゆっくりとすごしてみたいと思うが、考えれば今回だって二三時間過ごせないことはないのだ。
しかし、因果なことに単車で山道を走るのも楽しい。いろいろしたいことがあってままならない。
柏原から国道を通って谷川と言う駅前に。
僕がつき合っていた女性が高校生のころ、谷川に住んでいる男の子と仲が良かったそうだ。その話を聞いたころ井上陽水のあまり売れなかったアルバム、Negativeの中のWHYを言うさみしげな曲を良く聞いていた。そして、夕方に冬枯れの川原に高校生の男女が立って川面を見つめている情景を胸に描いていた。それが僕の想像の中の谷川と言う土地なのだった。
実際の谷川と言う町は訪れたのが初夏の昼前だったからか想像とは異なっていた。特に印象には残らない町だった。
そろそろ帰ろうかと思い地図をながめていると、道端に円応教と書いた看板がかかっている。
ここか、ときもちがすっきりした。
もう10年ほど前夜中に加古川の女の子とドライブしていて、突然巨大な宗教施設が道沿いに現れてびっくりしたことがある。、それ以来あの場所はどこだっただろう、と思うもののはっきりと突き止めなければならない訳があるということも無いのでときどき気にしていたのであるが、ついでなので見に行くことにした。
でかかったー。
で、そのままかつての山南町中心部を抜け、今田町、三田とすすみフラワータウン、ウッディタウンを通って六甲へ。裏六甲ドライブウェイは土日休日は通行禁止なのだけど、まあいちいちおまわりも見張ってないだろうと言う判断のもとワインディングを楽しんで帰宅。
1時過ぎには部屋に戻って理想的な午前中の使い方であった。走行距離は約200km。

朝早起きして6時過ぎに家を出た。用心して下半身もアンダーウェアを着てスキー用のちょっとはデザイン面にも気を遣っているものの、ま、早い話パッチですな。ちょっと大げさかな、と思ったが走り出したら肌寒い。手袋も必要だった。六甲山の中腹のトンネルで裏六甲に抜け、北神戸有料道路。先日と同じく三田のニュータウンを通って、有馬富士のあたりから北上、、、と考えていたのだが、右折するところを間違えて、と言うよりも勘違いして、テクノパークの先、相野の駅まで行ってしまった。そのまま176を進めばまあ着くのだけれど、そんな交通量の多い道を走るのはいやだ。今更戻るものおっくうなので適当に当たりをつけて山越えしたり谷沿いを走ったり。
ところどころ景色のよい山道で単車を止めてヘルメットを脱ぐととても静かである。走っているときはエンジンの音、風きり音が常に耳に入ってきて、それが基底音になってしまっている。その状態と山奥のしんとした状態のギャップが大きくて緑も木々の匂いも格別染み入るような気がする。目に見える色、花で感じる匂い、耳で聞く音がそれぞれを引き立てあうのかもしれない。音が静まれば色が鮮やかになり香りがより立つような、そういう気持ちになる。
多紀町、、郡かな?なじみはある地名を通る。子供のころの社会の授業から始まってなんだかんだで目にする機会の多かった地名。それが平成の市町村合併で消えたと言うことは実に大変なことだ。物の印象、記憶はその名前とセットになっている。野村さん、野村洋一さんと言う人が佐々木賢二さんになったら戸惑う。そんなことが全国一斉に行われてしまったのだ。ニュースを聞いても知らない地名が出てきたら感情移入のしようがない。
そんなことも考えた。
柏原には裏道を通って春日町経由で。今の行政区分では全部まとめて丹波市になっているのだけど。
柏原は単車で5分もゆっくり走れば一回りできるくらいに、小さな町であった。しかし城下町を名乗っている。町の中心部に小高い丘、木々の生い茂ったかわいい丘があり、そこかな、と思ったがそれは八幡様であった。こんもりとした80mほどの高さの丘。小さな町の見晴台である。
柏原は城下町を名乗っているが厳密には城はなく陣屋があった小さな藩だったようだ。二万石。
控えめな陣屋
なんとなく城を持っている藩と陣屋の藩の境目は一万石だと思っていたのだが、調べてみるとそうでもないみたい。http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi3.html
二万石って最も小さな藩のようである。それでも旧藩の殿様がいたところだからか、小さな町のわりに日赤病院があったり、神戸検察の支所があったり裁判所の支所があったりと町としての風格がある。高校も柏原高校といって100年以上の歴史がある。丹波市へ合併する直前の人口が1万人だったのに、なんだか充実しているのである。金沢や高松が政令指定都市でもなく五大都市(六大、七大、、、、)でもないのにどことなく貫禄があり、今でも日銀の支店をはじめ企業の支店がおかれているのは、旧大藩であったり旧制高校があったり師団があったり、と中核都市としての歴史があるからだろう。
それと同じように柏原は他の町とは区別されるような貫禄がある。でも人口1万人の町なのでそれぞれがなんとなく小さくてかわいいのだ。箱庭のような盆栽のような町。
歴史資料館に入ってみると、城下町としての歴史より八幡神社の門前町としての歴史のほうが長いみたい。八幡神社の参道(山へ登る階段)の入り口近くには川が流れている。小さな川だがその横に大きな欅がある。めずらしいのはその欅の太い根が川をまたいでいるのだ。木の根橋とか言うらしい。戦前のこの町はどんなだったろうなあ、、、と想像をかきたてられる。
私は中学生のころに親に買ってもらった「次郎物語」を愛読した。今でも、平成の中学生も読むことがあるのだろうか、きっと教養小説というくくりに入るのだろうと思うが、戦前の佐賀の田舎を舞台にし、超エリートでもない、かといって貧乏人でもない当時の中産階級の子弟である主人公が育っていく物語だ。それを何度も何度も繰り返し読んだために、大正から昭和にかけての地方の農村が懐かしいのである。もちろん実際に行ったことなどあるわけもないのだが、次郎物語の舞台はどんなところなのだろうと念じ過ぎたために、映画やテレビ番組などで昔の農村風景を見るたびに気に入った道端や建物等の風景を組み合わせていき、いつの間にかいつ読んでも同じ光景が出てくるようになった。架空の田舎町を作り上げてしまったようだ。
柏原は町ごとそう言う雰囲気に満ちている。篠山もそうだったが。数十年前までは都市としての機能を自前で備えていた独立した小さな町の様子が残っていて、胸が締め付けられるような懐かしさがある。
一度ゆっくりとすごしてみたいと思うが、考えれば今回だって二三時間過ごせないことはないのだ。
しかし、因果なことに単車で山道を走るのも楽しい。いろいろしたいことがあってままならない。
柏原から国道を通って谷川と言う駅前に。
僕がつき合っていた女性が高校生のころ、谷川に住んでいる男の子と仲が良かったそうだ。その話を聞いたころ井上陽水のあまり売れなかったアルバム、Negativeの中のWHYを言うさみしげな曲を良く聞いていた。そして、夕方に冬枯れの川原に高校生の男女が立って川面を見つめている情景を胸に描いていた。それが僕の想像の中の谷川と言う土地なのだった。
実際の谷川と言う町は訪れたのが初夏の昼前だったからか想像とは異なっていた。特に印象には残らない町だった。
そろそろ帰ろうかと思い地図をながめていると、道端に円応教と書いた看板がかかっている。
ここか、ときもちがすっきりした。
もう10年ほど前夜中に加古川の女の子とドライブしていて、突然巨大な宗教施設が道沿いに現れてびっくりしたことがある。、それ以来あの場所はどこだっただろう、と思うもののはっきりと突き止めなければならない訳があるということも無いのでときどき気にしていたのであるが、ついでなので見に行くことにした。
でかかったー。
で、そのままかつての山南町中心部を抜け、今田町、三田とすすみフラワータウン、ウッディタウンを通って六甲へ。裏六甲ドライブウェイは土日休日は通行禁止なのだけど、まあいちいちおまわりも見張ってないだろうと言う判断のもとワインディングを楽しんで帰宅。
1時過ぎには部屋に戻って理想的な午前中の使い方であった。走行距離は約200km。
2008/4/30 23:17
映画「靖国」 表現の自由 分類なし
靖国
靖国と言う映画の上映がこれまた右翼によって妨害を受け(る恐れがあり)、上映に二の足を踏む映画館が増えていると言う。
また、この映画に関しては国会議員が検閲とも受け取れるような事前の試写会を行っていたことも問題となっている。
で、テレビでは困ったこっちゃ、問題だ、ともっともらしいことを言っている。
私の意見は、この上映に二の足踏むという映画館の態度はまあ仕方ないかなと思う。先日起こったプリンスホテルの件とは異なる。事前の予約があったわけではないし、ホテルの場合は宿泊を断ったことによる法律違反が生じたが、映画館が上映する映画を決めるのは完全に自由なはずだから。
これが、この靖国という映画を支援する団体が上映会を開くために公共の施設を借りようとしたら断られた、と言うのであれば話は別である。
しかし映画館は表現の自由を守るために開かれているのではなく、もうけるために興行として映画をかけているのである。靖国を上映して儲かると思えば上映すればいいし、こりゃ厄ネタだ、と思えば断る。
確かに右翼の妨害によって上映中止に追い込まれるのはいいこっちゃないが、そこを押して何が何でも上映せよ、と言うのは無理だろう。
私が気に食わんのはテレビ局の姿勢だ。
上映を中止した映画館に同情しとらんと、おまえのとこで流せよ。よこっちょから中学生でも言える正論を深刻な表情で言うとらんとさっさと金曜の夜9時から放映したらええやないか。と言うことなのである。
そんな根性も無いくせにえらそうに解説すんな。そう思いませんか?
大体右翼の妨害活動によって、、、、とか報道するくせに街宣車が押しかけている映像なんて見たこと無いよ。どこまで腰抜けなんや。
靖国と言う映画の上映がこれまた右翼によって妨害を受け(る恐れがあり)、上映に二の足を踏む映画館が増えていると言う。
また、この映画に関しては国会議員が検閲とも受け取れるような事前の試写会を行っていたことも問題となっている。
で、テレビでは困ったこっちゃ、問題だ、ともっともらしいことを言っている。
私の意見は、この上映に二の足踏むという映画館の態度はまあ仕方ないかなと思う。先日起こったプリンスホテルの件とは異なる。事前の予約があったわけではないし、ホテルの場合は宿泊を断ったことによる法律違反が生じたが、映画館が上映する映画を決めるのは完全に自由なはずだから。
これが、この靖国という映画を支援する団体が上映会を開くために公共の施設を借りようとしたら断られた、と言うのであれば話は別である。
しかし映画館は表現の自由を守るために開かれているのではなく、もうけるために興行として映画をかけているのである。靖国を上映して儲かると思えば上映すればいいし、こりゃ厄ネタだ、と思えば断る。
確かに右翼の妨害によって上映中止に追い込まれるのはいいこっちゃないが、そこを押して何が何でも上映せよ、と言うのは無理だろう。
私が気に食わんのはテレビ局の姿勢だ。
上映を中止した映画館に同情しとらんと、おまえのとこで流せよ。よこっちょから中学生でも言える正論を深刻な表情で言うとらんとさっさと金曜の夜9時から放映したらええやないか。と言うことなのである。
そんな根性も無いくせにえらそうに解説すんな。そう思いませんか?
大体右翼の妨害活動によって、、、、とか報道するくせに街宣車が押しかけている映像なんて見たこと無いよ。どこまで腰抜けなんや。
2008/4/30 23:07
懐かしき安全靴 分類なし
こないだの日曜日、すっきりと目が覚めたので家の片付けをしていたら学生時代履いていた安全靴が出てきた。
僕が高校生のころはパンクがはやっていたので、そのファッションの流れもあったのだろう。安全靴って格好いいなあ、と思っていた。ま、格好いい、とまでは思っていなかったかもしれないけれど、それを履いて電車に乗ってもそれほど恥ずかしくない、くらいの感覚は僕だけじゃなく、同年代にはあったのではないだろうか。
で、大学生になって現場系のバイトばっかりするようになったので、高架下の靴屋で買い3〜4年履いた。もっとかな。
手にとってつくづく見てみると、年季の入ったいい安全靴になっている。くるぶしのあたりの色の落ち具合なんかビンテージジーンズみたいだ。やっぱ革製品ていいなあ、と思った。今からでもいいから牛革のジャンパー買おうかな、と思ったくらいである。


僕が高校生のころはパンクがはやっていたので、そのファッションの流れもあったのだろう。安全靴って格好いいなあ、と思っていた。ま、格好いい、とまでは思っていなかったかもしれないけれど、それを履いて電車に乗ってもそれほど恥ずかしくない、くらいの感覚は僕だけじゃなく、同年代にはあったのではないだろうか。
で、大学生になって現場系のバイトばっかりするようになったので、高架下の靴屋で買い3〜4年履いた。もっとかな。
手にとってつくづく見てみると、年季の入ったいい安全靴になっている。くるぶしのあたりの色の落ち具合なんかビンテージジーンズみたいだ。やっぱ革製品ていいなあ、と思った。今からでもいいから牛革のジャンパー買おうかな、と思ったくらいである。
