2008/5/7  23:52

ショートツーリング  バイク
先日は篠山に行ったので今回は柏原に行ってみた。柏原は以前つき合っていた女の子の故郷であり、なんとなくイメージを持っていた。兵庫県の山間部の小さな静かな町、と。
朝早起きして6時過ぎに家を出た。用心して下半身もアンダーウェアを着てスキー用のちょっとはデザイン面にも気を遣っているものの、ま、早い話パッチですな。ちょっと大げさかな、と思ったが走り出したら肌寒い。手袋も必要だった。六甲山の中腹のトンネルで裏六甲に抜け、北神戸有料道路。先日と同じく三田のニュータウンを通って、有馬富士のあたりから北上、、、と考えていたのだが、右折するところを間違えて、と言うよりも勘違いして、テクノパークの先、相野の駅まで行ってしまった。そのまま176を進めばまあ着くのだけれど、そんな交通量の多い道を走るのはいやだ。今更戻るものおっくうなので適当に当たりをつけて山越えしたり谷沿いを走ったり。
ところどころ景色のよい山道で単車を止めてヘルメットを脱ぐととても静かである。走っているときはエンジンの音、風きり音が常に耳に入ってきて、それが基底音になってしまっている。その状態と山奥のしんとした状態のギャップが大きくて緑も木々の匂いも格別染み入るような気がする。目に見える色、花で感じる匂い、耳で聞く音がそれぞれを引き立てあうのかもしれない。音が静まれば色が鮮やかになり香りがより立つような、そういう気持ちになる。
多紀町、、郡かな?なじみはある地名を通る。子供のころの社会の授業から始まってなんだかんだで目にする機会の多かった地名。それが平成の市町村合併で消えたと言うことは実に大変なことだ。物の印象、記憶はその名前とセットになっている。野村さん、野村洋一さんと言う人が佐々木賢二さんになったら戸惑う。そんなことが全国一斉に行われてしまったのだ。ニュースを聞いても知らない地名が出てきたら感情移入のしようがない。
そんなことも考えた。
柏原には裏道を通って春日町経由で。今の行政区分では全部まとめて丹波市になっているのだけど。
柏原は単車で5分もゆっくり走れば一回りできるくらいに、小さな町であった。しかし城下町を名乗っている。町の中心部に小高い丘、木々の生い茂ったかわいい丘があり、そこかな、と思ったがそれは八幡様であった。こんもりとした80mほどの高さの丘。小さな町の見晴台である。
柏原は城下町を名乗っているが厳密には城はなく陣屋があった小さな藩だったようだ。二万石。
控えめな陣屋
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なんとなく城を持っている藩と陣屋の藩の境目は一万石だと思っていたのだが、調べてみるとそうでもないみたい。http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi3.html
二万石って最も小さな藩のようである。それでも旧藩の殿様がいたところだからか、小さな町のわりに日赤病院があったり、神戸検察の支所があったり裁判所の支所があったりと町としての風格がある。高校も柏原高校といって100年以上の歴史がある。丹波市へ合併する直前の人口が1万人だったのに、なんだか充実しているのである。金沢や高松が政令指定都市でもなく五大都市(六大、七大、、、、)でもないのにどことなく貫禄があり、今でも日銀の支店をはじめ企業の支店がおかれているのは、旧大藩であったり旧制高校があったり師団があったり、と中核都市としての歴史があるからだろう。
それと同じように柏原は他の町とは区別されるような貫禄がある。でも人口1万人の町なのでそれぞれがなんとなく小さくてかわいいのだ。箱庭のような盆栽のような町。
歴史資料館に入ってみると、城下町としての歴史より八幡神社の門前町としての歴史のほうが長いみたい。八幡神社の参道(山へ登る階段)の入り口近くには川が流れている。小さな川だがその横に大きな欅がある。めずらしいのはその欅の太い根が川をまたいでいるのだ。木の根橋とか言うらしい。戦前のこの町はどんなだったろうなあ、、、と想像をかきたてられる。
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私は中学生のころに親に買ってもらった「次郎物語」を愛読した。今でも、平成の中学生も読むことがあるのだろうか、きっと教養小説というくくりに入るのだろうと思うが、戦前の佐賀の田舎を舞台にし、超エリートでもない、かといって貧乏人でもない当時の中産階級の子弟である主人公が育っていく物語だ。それを何度も何度も繰り返し読んだために、大正から昭和にかけての地方の農村が懐かしいのである。もちろん実際に行ったことなどあるわけもないのだが、次郎物語の舞台はどんなところなのだろうと念じ過ぎたために、映画やテレビ番組などで昔の農村風景を見るたびに気に入った道端や建物等の風景を組み合わせていき、いつの間にかいつ読んでも同じ光景が出てくるようになった。架空の田舎町を作り上げてしまったようだ。
柏原は町ごとそう言う雰囲気に満ちている。篠山もそうだったが。数十年前までは都市としての機能を自前で備えていた独立した小さな町の様子が残っていて、胸が締め付けられるような懐かしさがある。
一度ゆっくりとすごしてみたいと思うが、考えれば今回だって二三時間過ごせないことはないのだ。
しかし、因果なことに単車で山道を走るのも楽しい。いろいろしたいことがあってままならない。

柏原から国道を通って谷川と言う駅前に。
僕がつき合っていた女性が高校生のころ、谷川に住んでいる男の子と仲が良かったそうだ。その話を聞いたころ井上陽水のあまり売れなかったアルバム、Negativeの中のWHYを言うさみしげな曲を良く聞いていた。そして、夕方に冬枯れの川原に高校生の男女が立って川面を見つめている情景を胸に描いていた。それが僕の想像の中の谷川と言う土地なのだった。
実際の谷川と言う町は訪れたのが初夏の昼前だったからか想像とは異なっていた。特に印象には残らない町だった。
そろそろ帰ろうかと思い地図をながめていると、道端に円応教と書いた看板がかかっている。
ここか、ときもちがすっきりした。
もう10年ほど前夜中に加古川の女の子とドライブしていて、突然巨大な宗教施設が道沿いに現れてびっくりしたことがある。、それ以来あの場所はどこだっただろう、と思うもののはっきりと突き止めなければならない訳があるということも無いのでときどき気にしていたのであるが、ついでなので見に行くことにした。
でかかったー。

で、そのままかつての山南町中心部を抜け、今田町、三田とすすみフラワータウン、ウッディタウンを通って六甲へ。裏六甲ドライブウェイは土日休日は通行禁止なのだけど、まあいちいちおまわりも見張ってないだろうと言う判断のもとワインディングを楽しんで帰宅。
1時過ぎには部屋に戻って理想的な午前中の使い方であった。走行距離は約200km。
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