2008/5/14  0:35

水戸の白鳥、黒鳥  分類なし
水戸は昨年一瞬だけ訪問した。仙台から東京へ移動する時に、在来線を使い、途中下車したのだ。駅前から偕楽園に行ったのだが、偕楽園も広いしそれに付随する市民公園も広大で、天気がよかったせいもあるのだろうが県庁所在地にしたら恵まれすぎているほどの環境だ、と思った。茨城市に生まれ育ったら東京に出て行く気しないんじゃないかな。本当にあの公園はきれいだった。
で、その公園の白鳥を中学生が叩き殺したのだ。
まあ、していいことではない。もし自分の子供がそんなことをしたらぼろかすに怒るだろう。どつくだろう。知らない子がそんなことをしていても止めさせる。しかし、浦島太郎の昔から子供が生き物をいじめるものであることは確かなのである。年頃の男子が芽生えかけてきた暴力衝動をコントロールしきれないでつい生き物を殺してしまうことはいけないことではあるものの異常ではない。
まさか中学生がそんな残酷なことを、、、、、と言う反応はあるが、むしろ中学生だからありえるのであって、40歳のサラリーマンがそうゆうことをするほうがはるかに異常だ。

一方、俺はすごく気になるのであるが、バス釣りってどうなんや?
釣上げた魚を食うわけでもないのに、いい年こいた大人が魚の口に針を引っ掛けちゃっ引きずり上げて開放。引きずり上げて開放。スポーツフィッシングとか言ってカッコつけてるものの、完全な虐待ですわ。どうも見ていて気分が悪くなるのである。
これがヒグマ狩りなどであれば「お互いに」命をかけた闘いと言えるし、おおへら鹿などだったら冬の荒野をさまよう、など人間のほうも「苦労に苦労を重ねて」と持ち出しが大きい。そこへいくとバス釣りなんて、昼前に起きて車で郊外のダムに出かけてタバコ吸いながら、、、だ。お気楽なことはなはだしい。 
バスとの駆け引きとか言いやがって、その実魚は命がけ人間は絶対死なない。バランス悪すぎでしょう。その性や蔑むべし。
これからはバス釣りと言わずにバス虐めと呼べばいいのである。
むしろ、バスのような外来魚は駆除せねばならん、と言って釣上げて殺すほうがまだ見てるほうからするとまし、である。

連想してしまったが、、、、

金子みすずの有名な詩

   朝焼小焼だ 大漁だ
   大羽鰯の 大漁だ

   浜は祭りの ようだけど 
   海のなかでは 何万の 
   鰯のとむらい するだろう

であるが、この漁は漁師もそれを買う人も生きるための業である。お前を取ってを食わなきゃ俺も家族も死んでしまうのである、すまぬのう。と言うどうしようもない前提がある上での、生き物の命を奪わねばなならない境遇を嘆くような趣もある。いわしも瞑目すべし。(魚だけど)

しかしバス釣りにはこのような省みる姿勢はないぞ。

金子みすずにならって詩の形にするならば、、、、、、

朝だお池はあさまづめ
ブラックバスの爆釣だ
1kg超える大物と
知恵を絞ってつなひきだ

岸はお祭り騒ぎだが
波の下ではパニックだ
口に針かけ宙吊りし
 息の出来ない水の上
問答無用のお仕置きだ

となるわけだ。悲惨なことこの上ない。

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