2008/5/16  12:32

インドネシアEPA承認!  分類なし

16日午前参院本会議にて賛成多数で承認(NIKKEI NET)、さあ忙しくなります。

政策学会もそれにあわせたように発足。ボスに頼んで、旅費を出してもらって明日東京まで日帰り出張してきます。

EPA承認前に萩往還完踏記を仕上げるつもりでしたが、法案が国会を通る方が先になってしまいました。今日のうちに瑠璃光寺までたどり着ける予定です(笑)。

2008/5/16  11:43

萩往還250キロ完踏記12−幽霊の正体みたり  マラニック

K田さんは一見せかせかしているようで、実は大変親切なジェントルマンだった。おばちゃんランナーの言ったとおりである。また大変頭の回転の速い人であり、コース全体を頭に入れた上で、その場その場の状況を瞬時に判断して、「頭で走る」人だということは、なんとなく彼について走っているなごやんにもすぐにわかった。さすが世界に冠たるウルトラランナー、ペース配分が実にうまい。これはウルトラマラソンのよか勉強になるだろう。
「今日はひざを痛めていますからね、いつもは4時に出るんですが、少しはやめに出ることにしました。最初はまずゆっくり歩くところからはじめましょう」といって、真っ暗な道をおしゃべりをしながら2キロほど歩く。赤い走行ランプをつけたランナーが後にも先にもところどころいるのを見ると、我々だけが特に遅いというわけでもないらしい。みな宗頭で一休みをして、最後の75キロに挑むところで、それぞれのランナーの背中に、疲れてはいるが、必ずゴールまでたどり着く、という気概があふれているのを見るのは快いものだ。K田さんは、ハンデイカムを手にして、換えのバッテリーと必要最低限度のものだけを入れているらしいウエストポーチと言う軽装だった。歩いていると、山道のことでかなり冷えるため、歯の根があわないくらいがたがた震えてきた。K田さんのアドバイスで持っていたアシックスの雨よけのビニールをウインドブレーカーの上からかぶる。
K田さんが手にしているハンデイカムは、彼が萩往還20回大会を記念して、ボランテイアで250キロのコースをあちこち撮る為に持っているのだそうで、すでに175キロ、そうして走りながらビデオを撮りためたのだという。「この分だと鎖峠あたりから夜が明けますから、そうしたら少し走りましょう。なごやんさんの走りも見させてもらって、笠山(204キロ地点)までのペースを考えましょう」なんだかランニング教室みたいになってきたぞ。それにしても、沿道の見所を撮影しながら、なごやんをひっぱりつつ走るとは忙しい人である。

2キロで藤井酒店。カッチ、とチェックシートにチェッカーを入れて、いよいよ山の中に入る。「ここから先が不安で…」というなごやんに、「道なりに行けばいいんですよ」とK田さん。「幽霊が出るでしょう」「いやあ、私は幽霊の存在は信じないんで」と軽くいなされた。なごやんも幽霊が怖いわけではないが、本当に眠くて眠くて、しきりに話しかけてくれるK田さんに悪いなと、自分も何か言わなければと思ったのだ。「風が強いですね。海から吹いてますね。こういう風に真正面から風を受けることは、萩往還(マラニック)では珍しいことですね」とずーっとしゃべっている。国道191号線に出る前に、曲がりくねった道で、ぴたっとその風がおさまり、空気の暖かいスポットがあった。なごやんは思い切ってK田さんに「すみません、5分だけ寝させてください。ここ風が来なくてあったかいですから」と頼んだ。「いいですよ。早めに出ましたから、休みながらいくことは大丈夫です。でも5分だけですよ、時計を設定しますよ」と言って、彼はすぐに立ち止まった。なごやんはデイパックをおろして、ビニールをかぶったまま山道の舗装道路に大の字になって目をつぶった。既に走り始めて34時間以上たって、初めてむさぼる眠りだった。きっちり5分後に起こされた。でもたった5分ではあったが、ずいぶんすっきりし、その後は全く眠気を感じなかった。

眠気が取れると、なごやんもおしゃべりになった。人工衛星が飛んでいくのをみたり(それがなんだかゆらゆらと不規則な動きをしているように見えたのは、やはり疲れていたせいだろう)、ランナーが走っているときに見るという幻覚の話をした。ゆきひろとうさんが二日目の夜にはありもしないいろんなものが見える、と言っていたのを思い出して、「いろんな意識障害が出るっていうんで、楽しみにしてきましたわ(笑)。たとえば、私、今、これ(山肌に生える潅木を懐中電灯で指して)が、博多どんたくの花車に見えます。50キロの道路標識が「ひょっとこ」の顔に見えるんですよ」といったら、K田さんに「ずいぶん九州に長くいるみたいですね」と妙な感心の仕方をされた。そうよね、なごやまつりの山車とはいわなんだもん(注:名古屋弁)。ちなみにK田さんは−なごやん自身もまたそうなのだが−、きれいなイントネーションの標準語をしゃべったので、二人で名古屋弁を話すことは最後までなかった。

うっすらと東の方向が明るくなるころ、191号線に出る。すると、道の脇からむっくりと人影が起き上がって動き出したので、少しびっくりした。それは、左足にテーピングをしていた女性ランナーと、一緒に走っていた男性ランナーだった。二人とも、時間がないために宗頭には寄らずにずっと走り続けていたのだという。男性ランナーの方は、K田さんを見て声をかけていたから知り合いだろう。この2人も加えて4人で走ることにした。鎖峠にたどり着いたときには、夜が明けていた。だが、ここで夜があけると、いちばん怖い青長谷踏切あたりの幽霊がいなくなってしまうだろう。幽霊の正体をみてやれ。
鎖峠を越えると、K田さんの号令がかかる。「はい、ここから少しスピードを上げて走ります!」走りながら、彼自身はカメラを抱えて、「ここから石橋が見えるんですよ」と沿道解説をする。夜走ったらこのきれいな石橋は見えないだろうな。「早く早く、私を待ってなくていいから先に行ってください。すぐ追いつきますから」とせかす。撮影にはそこそこ時間がかかるものらしい。我々3人はキロ5分半のペースで先を急いだ。左足を痛めた女性ランナーはつらかろうに、黙々と走っていた。K田さんはあっちゅうまに我々に追いついてきて、我々は再び彼に引っ張られて走った。三見駅のチェックポイントでカチッととチェッカーを入れるなごやんをK田さんがビデオで撮っている。ああ、被写体がいるとおばちゃんランナーが言っていたのはこういうことか。この調子だと、萩往還の250キロのビデオの後半75キロは、なごやんのプロモーションビデオになっちゃうんじゃないか(笑)。

「次、玉江の駅に7時5分に着くように走ります!」とK田さんは言った。飛ぶように走りながら、幽霊の正体が次々に朝日の下にさらされてゆく。朽ちかけた鳥居も、朝日の下ではそのおどろおどろしさはない。夜中にここを走るランナーたちが、幽霊を見たように恐れる田んぼの真ん中のマネキンは、単に首長族に見えるのみ。枯れ尾花とはこのことか。
K田さんにひっぱられながら玉江駅までをすっ飛んでゆく我々に、あるランナーが苦笑しながら言った、「K田塾ですか。大変でしょう」。どうしても時間内完踏したい人が、K田さんに引っ張られて走るのはどうも毎年恒例のことらしい。

2008/5/15  0:29

萩往還250キロ完踏記11−K田ランニング塾  マラニック

宗頭文化センターの食堂は、それまで真っ暗な道を走り続けてきた身にはびっくりするくらい明るく、夜中の2時過ぎだというのに多くのランナーが-リタイアした人も、また諦めていない人も-集っていた。リタイアした人の中には、既にアルコールで真っ赤になっている人もいて、これからあと残りの70キロに挑戦するランナーにエールを送っていた。自分が故障なく走り続けることができる幸運を思う。大事な仲間は失ったけれども、まだなごやんの旅は終わったわけではない。少し休憩して、急いで出よう。これから三見まで、お化けのでるこわーい道である。だれか一緒に走ってはくれないだろうか。

おにぎりとお味噌汁の食事をぱくつこうとしたとき、緑のウエアをきた、おばちゃんランナーがなごやんの顔をみて手を振った。「リタイアしました。走れるところまで走ったから、もういいわ」とすがすがしそうに彼女は言った。「私はまだがんばります」となごやんは答えた。「でもここまで一緒に走っていた人がここでリタイアしてしまって…だれか別に一緒に走ってくれる人いないかしら」するとおばちゃんはバナナをおいしそうにぱくつきながら、「あの、名古屋のあの人がいいわ、なんていう人だったかしら」と言い出した。名古屋のランナーですって、私も名古屋なんですよ、地元が一緒なら話題が一緒だから走れるかも。「彼は今、萩往還20回を記念してビデオ撮影しながら走ってるから、被写体を必要としているはずよ」それがどういう意味かあまり関心を持たなかったなごやんは、その名古屋のランナーがどれくらいの走力であるかの方が重要だった。一緒に走って自分の方がへたばるなんてことないだろうか。「大丈夫よ、去年、私も彼について走ったもの。4時にここをでて、ちゃんと時間内完踏できたわよ」4時に宗頭を出て、時間内完踏とは!「彼はたたたた、と走って行っちゃう人で、こっちが小走りでついていかなくちゃいけないところもあるけど、親切な人だから。疲れたといえば、ちゃんと休みを取りながら行ってくれるから」とおばちゃんはしきりに勧める。「あ、K田さんね。彼についていけば時間内完踏はできる」とそばに居たリタイアランナーさんが相槌をうった。「そうそう、K田さん。彼と一緒に走れば、絶対に時間内完踏できるわよ」えっ、K田さんのこと!?なごやんの持つK田さんのイメージと言えば、雲の上の存在だった。北米大陸やらオーストラリア大陸やら、何ヶ月かけても走って横断してしまう、超有名人である。彼がまだ宗頭にいるの?「ええ、彼は早い人だから、9時くらいに宗頭に入って、6,7時間寝て、それから瑠璃光寺まで走るのよ」と別のおばちゃんが教えてくれる。
そういえば、鯨墓の復路を来たK田さんとすれ違ったおばちゃんランナーが、一緒に何か話していたなあ。知り合いだったのね。雲の上のような人であっても、一緒に走ってもらえるのなら光栄だ。「じゃあ一緒に行こうかな。K田さんはいつ出発されるのですか?」「4時かな」少しは休めるだろうか。そのとき、誰かが「K田さん、3時に出るって。さっき起きて顔を洗ってた」と教えてくれた。えっ、3時?あと20分くらいしかないじゃない。とても休めないよ。そのとき、K田さん本人が食堂に降りてきた。おばちゃんはK田さんに「彼女が一緒に走りたいって」と言ってくれた。なごやんも「お願いします」と言った。ひょろっとしたK田さんは、いいですよ、と言って、「あと20分だけど、ちょっとの間ビデオのバッテリーを入れますから。今日はまだひざの調子がよくないんで、4時の出発を少し早めます」といいながらあちこちせかせかと歩き回っている。「どこかでお会いしましたね」というので、「昨年の佐賀の酒蔵マラニックでご一緒しました。名古屋出身で今は福岡に住んでいるってお話したんですが・・・」というと、ああそうか、とK田さんはなごやんのことを思い出したらしい。雲上人に思い出していただけるとは光栄である。

急に20分後に出ることになったので、急いでおにぎりを食べ終えた。K田さんは早口で「刻一刻、関門は近づいてきますからねえ、3時ぴったりに出ますよ」というので、とても着替えている時間はないと踏み、ウエアはそのままで靴下だけを換えた。てきぱきしたK田さんは、時間とお金を大事にしそうな人で、名古屋人らしいといえば名古屋人らしいと思った。おっとりしたマイペースでここまで走ってきたなごやんが彼についていくためには相当てきぱきと走らなければならないだろう。ま、いいか。「K田さんに遅れないようにね、荷物はそのままでいいから。こっちで預かって山口まで送り返すから」とリタイアしたらしいおじさんランナーが片目をつぶって言った。うわあ、あわただしいことになったぞ。とよとよさんに一声かけて出かける予定だったが、それもかなわない。トイレに行く時間すらなかった。「はい、靴はいて準備してます。出発まであと3分!」とK田さんは言ってさっさと玄関に出て行った。急いで荷物を確認して、おばちゃんと周りにいたランナーに「行ってきます!」と挨拶をすると、「がんばって!」というエールが食堂のあちこちから返ってきた。

玄関で靴を履く。K田さんはビデオを回して、宗頭文化センターの玄関の様子を撮影している。「はい、それでは1分遅れで宗頭文化センターを出発!95番と303番、出ます!」とK田さんが高らかに宣言した。「いってらっしゃい!」といういくつもの声に送られて、3時1分過ぎに再び真っ暗な夜道を走り出した。

2008/5/12  22:50

萩往還250キロ完踏記10−「最後」の11キロ  マラニック

仙崎から先は、とよとよさんにもなごやんにも辛い道となった。

さきほど大日比峠で、動けなくなったランナーがケータイでタクシーを呼んでいた。「宗頭文化センターまで」と言っている。我々がそのそばを通過したとき、丁度タクシーがきて、ランナーはやっとこさっとこタクシーに乗り込んでいった。とよとよさんが冗談ぽく、「僕らもタクシーに乗りたいな〜」と言ったので、なごやんは言下に「だめ!」と言った。「その場でリタイアになりますよ」「わかってるって」ととよとよさんは言ったが、あれは弱音を決してはかない彼の本音だったかもしれない、と今では思う。なぜあの時「タクシーを呼びますか?」といえなかったのだろう?もしあの場でタクシーを呼んでいれば、彼はあの後あれほど苦しむことはなかったはずだ。ボルタレンはもう全く効かなくなっていたようだが、足腰が痛くなったことのないなごやんには、いたむ足を引きずって走る、という辛さが全くわかっていなかった。

仙崎についたのは11時過ぎていた。思ったより遅くなっている。間違いなく我々が最後だったろう、エイドの撤収が始まっていて、ひとりバスを待つリタイアしたランナーがいたが、寒いのでバスの中で待ってますわ、と係の人に言って、収容車に乗り込んだ。テントも撤収されるからそろそろ我々も出ようか。あと、4キロ!となごやんが張り切ると、「いやいや、宗頭までは11キロあるよ」と係の人に教えられた。その言葉は、既に痛みにたえかねていたとよとよさんには地獄のように響いたに違いない。なごやんは実は、昨年仙崎から宗頭を通過して瑠璃光寺まで夜間走をしているので勝手がわかっている。しかしとよとよさんは初めての道のようであるので、それだけでも心理的に負担だろう。

既に40時間ほど一睡もせずに走っていると、道を知っているはずのなごやんも意識朦朧となり、地図が読めず、バイパスに迷い込みそうになった。そのために、とよとよさんにはつらいつらい目にあわせたことを反省している。この道でいいのだ、となごやんが気がついたとき、かすかだが、1キロほど先をゆく光を認めた。時々、その光が大きくなる。後ろを振り返ってなごやんたちを確認したらしい。なごやんは手にした懐中電灯を大きく振り回して合図した。「誰かいる?」ととよとよさんが聞く。「前方にランナー発見。まだ走っている人がいますよ!」と励ますが、とよとよさんは精魂尽き果てた様子で歩いたり走ったりを繰り返す。次第にライトが近くなってきた。みると、西本でであった、杖を手にしていたむ左足をテーピングしていた女性ランナーだった。支えるように一緒に走ってきている男性ランナーにも見覚えがある。
我々が追いつくと、「宗頭はこの先ですよね」と男性ランナーが聞いた。「はい、あと4キロくらいかと思いますけど」宗頭はずいぶん山の中に入っていたようなイメージがある。まだバイパスが並行して走っていたから先かもしれない。女性ランナーは辛抱づよく一歩一歩を踏みしめながら進んでいる。決して歩みを止めない。これぞウルトラランナーの強さだ。静かな感動を覚えた。彼らはまた我々をゆっくりと離して先に進んで行った。

とよとよさんは、このころには既に痛みが限界に達していたらしく、ゆっくりと歩き始めた。なごやんはふらふらの彼の足元を懐中電灯で照らしながら自分もゆっくり歩く。もう1時は過ぎただろう。宗頭につく時間を気にした彼が「先に行っていいよ」と言うが、何も答えないで一緒に歩き続けた。こんなところで仲間を置いていけるものか。ゆうべはなごやんが助けられたのだ、無事に宗頭に送り届けるまでは自分が面倒を見る、仲間だもの。
ウルトラのベテラン、ゆきひろとうさんの言葉を思い出さないわけではなかった−これは競争ですからね、ウルトラって言うのは走れなくなった人に付き合っていたら自分がつぶされるんですよ−確かにそうだろう。しかしそれは、ゆきひろとうさんのように超がつくエリートウルトラランナーの話だろうから。なごやんのように最初に250キロの完踏に挑戦する者のレベルではない。それに、なごやんにはひそかに自信があったのである。仮にとよとよさんが宗頭でリタイアするとしても、自分はそうはしない、最後まで走りきるだろう、という自信が。今ゆっくり歩いて脚を休めておくことは、明日の昼、萩往還道に入ったときにとても役立つはずだ。

バイパスを通る車の音が遠くなり、三隅川の音も背後に消えた後に、前方にひときわ明るいライトが見えた。赤い走行ランプをちかちかさせながら大勢の人が出たり入ったりしているのも見える。なごやんは大きく懐中電灯を振って合図をする。向こうからも合図が帰ってくる。「宗頭ですよ。見えましたよ!」

午前2時10分。宗頭到着。ここでとよとよさんはリタイアを宣言した。

2008/5/12  21:43

萩往還250キロ完踏記9−そしてまた夜がきた  マラニック

とよとよさんは少しいたみが取れるようになると、なんとか飛ばそうとする。青海大橋を越えるころには真っ暗になっていて、二日目の晩がやってきた。復路のランナーのライトが次々に上がってきて、すれ違う。「がんばってください!」と声を掛け合う。
「僕らがいちばん最後だろうねえ」と話していると、後ろからはあはあと誰かが追いついてきた気配がした。先にいっていたおばちゃんランナーだった。「トイレに入っていて…」と決して体調万全ではない様子。だがこの人もがんばっているではないか。最後まで行きましょう。しばらく3人で走る。ライトを持って上ってくるランナーにお富さんを認めた。「早いね〜!でも、じき追いつきますからね!」と冗談を言う。次に、背のひょろっと高いランナーが復路を来て、うしろのおばちゃんと話している。「あ、K田さんだ」となごやんは気がついてとよとよさんに言った。「北米大陸やオーストラリア大陸を走って横断した人よ。去年の佐賀の酒蔵巡りマラニックで一緒に走ったじゃない?」といったら、とよとよさんも思い出したようだ。なんであの世界的に有名なウルトラランナーがこんなところにいるんだろうか。とっくに宗頭についているころかと思ったのに。

大日比峠を一気に下る。おばちゃんランナーはそのころまでに我々にはついてこられなくなっていて、少し距離が離れた。真っ暗な中に彼女のランプの明かりが見えないかと、しばらく振り返ってみたけれど、なかなか彼女の明かりは見えなかった。このころになると、とよとよさんは痛みを忘れようと、気持ちだけで走っていたような気がする。ただひとこと「弱気の虫がでてきたなあ〜」とぽつりと言ったが、なごやんはあえて返事をしなかった。キャンプ場に寄らずそのまま直行する。我々が鯨墓のチェックポイントに近づくほど、折り返しランナーは減ってきて、ひょっとしてチェックポイントを見落としたんじゃないかと心配になるほどだった。4連休の初日のこと、釣り客や観光客で付近の旅館は一杯なのだろう、真っ暗になったのに、結構車の行き来も多かった。ようやっと走ってきた男性ランナーに「チェックポイントはまだ先ですか?」とたずねると、道なりに行ってください、赤いランプがついているからすぐにわかりますよ、とのこと。どれだけ走ったろうか、港の先の先、赤色灯がぐるぐる回っているところが、チェックポイントだった。午後9時。受付の人は、「ご苦労様」とねぎらってくれた。先に通過したランナーたちがありったけ飲みつくし、食べつくしたのだろう、紙コップは既になく、アミノバリユーのからのペットボトルをコップの代わりにするほどだった。なごやんは近くの自動販売機でカルピスソーダを買って飲んだ。「キャンプ場によりますか?仙崎に戻っても店は開いていませんよ、残ったパンがありますから持って行きませんか」と親切である。そうか、仙崎に戻ったら11時は過ぎるな。それから宗頭か、12時半過ぎるかも知れぬ。

さすがにとよとよさんはぐったりした顔をして座っている。本人も認めたくはないだろうが、半ばあきらめの表情が見て取れた。だいたいさっきから言うことが全部ネガテイブである。なごやんはまだまだいけるぞ。「僕らが最後」ですって?瑠璃光寺じゃあ、最後のランナーが一番注目を浴びるって知ってた?みんなの拍手喝采に迎えられて、堂々と走りきりましょうよ、最終ランナーとして。かっこいいじゃない!?

再び立ちあがって復路に向う。おばちゃんランナーが走ってくる。「がんばって、あとちょっと!」と励ます。それからまだ先にもぽつぽつと、自分たちよりも遅いランナーとすれ違う。だからといって自分たちの順位が上がるわけではないだろう。けれど、一生懸命前に進もうとする姿に心を打たれた。早くはないけれど、決して歩みを止めない。自分たちもそうありたい、ね、とよとよさん。
…けれど、いくら待っても、自分たちの後を追ってくるランナーの光は見えなかった。

2008/5/12  20:33

萩往還250キロ完踏記8−261と303  マラニック

われわれはまず、おばさんランナーと、彼女と一緒に出発した何人かのランナーを追いかけることにした。5キロほど一気に坂を下ると、千畳敷の巨大な風車はあっという間に見えなくなった。西本の交差点を左に入ると、そこがエイドだった。通過時間を記録してもらう。「261と303です」とセットになって走っている我々は、相方のゼッケン番号もセットで申告する。おばちゃんランナーと前後しながら走っていた、左足のテーピングも痛々しい女性ランナーがおいしそうにカップラーメンを食べている。「どうぞどうぞ、なにをお出ししましょうか、カップラーメンもありますよ」と暖かい。「冷たいお茶をいただけますか?」「何も食べなくていいんですか、仙崎まではまだ遠いですよ」なごやんは用心のため、まだカップラーメンを食べないほうがいいだろうと踏んだ。ここから仙崎まではほとんど起伏がないはず。日が傾いて気温が下がってきているからうんと飛ばすだろう。今ここでおなかに入れて走ると、また夕べと同じことになってしまう。「ありがとうございます、まだおなかは何とかなるようです」とよとよさんが珍しく、ラーメンを食べようかどうか迷っている様子だった。彼は薬を飲むタイミングを計っていたのである。なごやんはすっかり忘れていたが、ボルタレンは6時間おきに飲まない効かないのだそうで、それも胃に何かをいれてから飲まないとひどい胃痛を起こすのらしい。ここから仙崎までいく前にボルタレンが切れてしまう時間帯だったかもしれない。
案の定、とよとよさんの足取りは少しずつ重くなってきていた。しきりに腰に手をやって痛そうな顔をしている。ボルタレンが効いているのか、それとも切れかけているのか、腰の痛みに薬は効かないのだそうだ。「腰がぴりっと来て…この前の馬刺しランのときと同じ症状だよ…」と不安そうに言う。一旦は治っていたかと思った腰痛の再発である。なごやんはこころを決めた。仲間を支えよう。大丈夫、痛みさえとれれば、先まで行けるよ。がんばって鯨墓まで往復して、0時には宗頭に入って少し休もう。

仙崎公園に次のエイドがあるが、とよとよさんはそこまでもちそうになかった。それまで併走していたテーピングの女性ランナーさんに「コンビニによります」と目で挨拶をしてコンビニに入った。「ここで早めの夕食をとりましょう。カップラーメンを食べて、ボルタレンを飲んで、痛みが引いてから出かけましょう」その代わり、仙崎公園のエイドと、青海島のキャンプ場はスキップする。おなかすいたら、帰ってきてまた仙崎のどっかのコンビニに入ればよい。キャンプ場の往復をスキップするだけで、遅れている我々はかなり時間を稼げるはずである。さすがに朝からうどん2,3筋とアイス2個しか口にしていなかったなごやんも気持ちよくおなかがすいてきた。コンビニに入って、カレー味のカップラーメン(普通サイズ)を買って出る。カレーのかおりが食欲をそそる。ありがたい、食欲が出てきたのだ。とよとよさんも食事を買ってきて、痛そうにしながら食べて、それから薬を飲んだ。
西の空が茜色にそまり、まもなく陽がゆれようとしている。おばちゃんランナーが−我々は途中で抜いたらしい−相変わらずマイペースでひょこひょこと走ってきた。なごやんが手を振ると、コンビニにピットインしてきた。「ちょっと調子が悪いので、ここで食事をしています」「私もそうしよっと」と言って、おばちゃんはなんかいっぱい買ってきた。おそば、ヨーグルト、ヨーグルト飲料…そして我々の隣にすわってもりもり食べ始めるので、よく召し上がりますね、というと、いえ、おなかの調子が悪くてね、と言う。やはりどのランナーも胃腸をやられるのがこの250キロというレースか。ありがたいことになごやんの胃腸はほぼ元通りに戻った。これから温度が下がれば、また元通りなごやんらしい走りができることだろう。しかし、宗頭でどれくらい休めるかが後半の走りにかかってくるだろうな…。とよとよさんはまだ苦しそうにしていたので、おばちゃんランナーは先に発っていった。それからもう一人、ステッキを持ったおじさんランナーもピットインし、我々のそばでお弁当をもりもり食べて、そして「お先に」と出て行った。彼らの背中には、なんとしてもゴールまで行こうとする気概があふれていて、好ましく思った。なごやんもゴールまでは決してあきらめない。とよとよさんも行こうよ、ぼちぼちとね。

再びとよとよさんが立ち上がって私たちが仙崎公園を通過したときは7時を過ぎていたと思う。もう、道の反対側に渡って通過時間を申告するのも面倒だった我々は、「ゼッケン番号は?」と大声でたずねられ、「261と303!」と怒鳴り返した。先を急ごう。と、K武さんが鯨墓の復路を走ってきて、驚いたような顔でなごやんを見る、「まだ走ってたの?」…失礼な!なごやんは強いのよ。少々吐いたくらいでへこたれるタマじゃないわ。とよとよさん、いくわよ!どれだけかかっても瑠璃光寺まで引っ張ってっちゃる!!

2008/5/11  23:57

萩往還250キロ完踏記7−クニさんリタイア!?  マラニック

立岩観音に行くまでに山を越えて、それを一旦海岸まで降りてそこにチェックポイントがある。それから再び千畳敷までくねくね上るのだそうだが、われわれはなまじルートをよく知らない分、こわいもの知らずで心理的にも強かったのかも知れぬ。千畳敷の風力発電機が目の前にのっと現れてくる前までにおばちゃんランナーに追いついた。「この道がいやらしくってね〜」とはしりながらおばちゃんは言う。あがったと思ったらまだ下がるんですよ。でもこの先の千畳敷のアイスがおいしくってね。そうか、アイスがある。「アイス2本分食べるぞ〜」ととよとよさんは走っていってしまった。やっぱり走りたかったのね。

チェックポイントでおばちゃんととよとよさんと写真を撮って、アイスを注文する。と、レストランのバルコニーに見慣れた青いシャツのランナーが。クニさんだ。仲間とビールを飲みながら談笑している。「リタイアしたってよ」と別のランナーが携帯で自分のリタイアを表明したあとで話している。肋骨を折ってこのまま最後までいけるかどうかわからないと踏んだのか、ビールを飲み始めたという。あれ、ビールはランナーにとってガソリンじゃあなかったの?で、とよとよさんに「私たちもビール飲もうか?」というと、「いいねえ」とのりがよい。むろん、我々にとってのビールは、リタイアの言い訳ではなく、今晩宗頭まで走るためのガソリンに過ぎないのだが。とよとよさんが買ってきたのはほどよい酸味が口当たりのよい、メキシコのSOLビールだった。チアパスで、みんなが歓送会をしてくれたときに飲んだことを思い出した。「かんぱーい!」と今日は素晴らしい千畳敷の景色を堪能しながら一気に飲み干す。メキシコビールはさほどアルコールは強くないので酔っ払うことはない。さあ、一息ついたらまたでかけるか。ここでリタイアを宣言したランナーが、「ちょっと急いだほうがいいよ」と教えてくれる。さっきのおばちゃんランナーは、アイスを買ってそのまま休まずに千畳敷を下っていった。そこで、クニさんに挨拶をして、我々も再出発することにした。既にビールを堪能してクニさんの顔はほんのり赤く染まっている。とよとよさんがなごやんを紹介してくれた、「昨年阿蘇で一緒に伴走した人です」「よろしく、HNなごやんです。SNSで、全然ゼッケン番号がこないと騒いでいた者ですが」と言ったら「今度帰ったら確認してみます。がんばってくださいね」「宗頭は午前2時には出たほうがいいですよ。これから温度が下がるから小走りでね」と一緒にいた別のランナーが言う。今の調子ならば午前0時過ぎには宗頭につくだろう。2時間は休めるな。まだまだ行けそうだ。それでは出発!
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千畳敷からは、日本海の素晴らしい眺めがみえる。(Courtesy of とよとよさん)

2008/5/11  22:56

萩往還250キロ完踏記6-おばちゃんランナーに学ぶ  マラニック

俵島を往復し、川尻食堂への道を行ったとき、クニさんが食堂からの復路を来るのに出会った。追い越したり追い越されたりで、もうお互いに顔見知りになっているので、手を上げて挨拶をする。なに、食事をしてすぐ出れば、夕方にはクニさんたちには追いつくわよ。我々が川尻食堂について食券をだして食事を待っていると、今朝ほど大坊ダム付近で追いついたおばちゃんランナーがやってきた。「あー、やっとここまできた」とおばちゃんは言って、なごやんの顔を見ると、にっこりした。「よう来たわあ。自分でも思いますねん。怪我して治ったばかりで、全然走ってないんですよ」「萩往還は初めてですか?」「いえ。3回目です」「以前は完踏しはったんですか」「ええ、無理さえしなければね、完踏できますよ、誰でも」ほらね。このおばちゃんはゆっくりランナーだから強いのよ。なまじ早く行こうと焦る人は途中でへたばる。「でも今年は走れるかどうかわからないから、いくとこまで行きますねん」とよとよさんも自分が故障している話をして、「僕らもいくとこまで行こうと思ってます」…って、なぜゴールまで行こうと思ってますっていわない!?なごやんはどんじりになっても絶対収容車には乗らないと決めている。
川尻食堂のうどんも用心して二すじ、三すじしか口にしなかったが、出汁がきいて最高においしいおつゆをぜんぶ飲み干して、それでは体力は持たないかも知れぬとアイスクリームを買って、食べながら食堂を出た。千畳敷の関門は5時、今は11時である。あれ?と地図を見ながらとよとよさんが言う。「川尻食堂の関門は1時半だったのに、なんでここで2時間もゆとりができるんだろう」きっとより多くのランナーさんに、素晴らしい景色を見せるために関門までの時間を長く取ったのね。それでなくても、地図に表記してあるペースが遅くなったのに対して、昨夜から比べると今日の私たちのペースはむしろ上がっているもの。
千畳敷までどれくらいあります?と受付のお姉さんにきくと、「17キロくらいです、でも体感的には20キロ以上ある感じですね」と答えた。それをあと3時間で行くわけね。「行けるように設計してあるんですよ」というお姉さんのことばに励まされて出発する。これから先は暑くなりますよー、日陰がないですからね、とおばちゃんランナー。何回も完踏しているようだし、この人と一緒に行こう、ととよとよさんと話したが、「私は遅いですから気にせずに先に行ってください」と促されて、歩いたり走ったりして先に進んだ。ここから先は左手に日本海を眺めながら走る。最高のランスポットではある。だが、暑い!それでもなんとか先にいくクニさんに追いつこうと、のぼりまで走ろうとするとよとよさんに「今体力を使ってしまうと、今晩宗頭以降に響きますよ」と呼びかけた。宗頭以降が本当の勝負となろうから。全体を見通して走りましょう。温度が下がってから距離を稼げばいいんですよ。それでも行き急ぐとよとよさんに、俊足ランナーの癖を見た。走れる間には走って距離を稼ごうと、遮二無二になるタイプである。ひょっとして瑠璃光寺でなく宗頭を目指して「最後の走り」を覚悟しているのかもしれない、とちらと思ったりもした。宗頭以降のためにセーブしましょう、と言ったのは、なごやんがグロッキーだった50キロ地点で、「虎ヶ崎(207キロ地点)のカレーを食べよう」と励ますと同じくらいの効果があると踏んだからなのだが。

川尻漁港に差し掛かったのはいよいよ暑くなる1時ごろ。漁港のトイレを借りて、日陰で10分だけ休憩をすることにした。昨夜から一睡もせずにここまで来ている。だいぶ離したつもりだったが、なごやんたちの後からきたおばちゃんランナーが、我々が休憩している横をひょこひょこと休みもせずに上っていった。おばちゃんを追っかけて、我々も起き上がって歩き走りを繰り返す。「執念やねえ〜」ととよとよさんが感心している。おばちゃんは強い。長門−萩地方の特徴である、みかん色のガードレールにそって、明るいみどり色のウエアがすいすいとあがってゆく。怪我をして十分に走る練習もしていない人とはとても思えないくらいの軽い足取りだった。やっぱり超長距離になると女性の持久力の強さはいかんなく発揮されると見える。制限時間を気にしてスピードを調整してはいるのだろうが、決して力の入っていない様子が見事だった。ああいうのを本当のウルトラランナーというのだろう。

2008/5/11  14:28

萩往還250キロ完踏記5-よか天気、よか景色、よかランナーたち  マラニック

大坊ダムではほとんどランナーが通過した後のように見えたが、我々がピットインすると、すぐに暖かいお味噌汁が出た。胃の消化に自信がなかったなごやんはわかめは取り除いたが、小さく切ったお豆腐を口にして、「ああ、お豆腐がおいしい!」とこころからありがたく思った。トイレには行かなかった。理論的に言えば、まだ固形物をほとんど入れていないから胃腸は動くはずがないからである。また再びキロ6分台で走り出したことで交感神経優意になっていたために、多少おなかに物が入ってなくても気持ちだけで次のエイドまでは走れるような気がしたのである。長門市の海脇食堂まであと11キロ、なんとか気持ちを切らさずに行けるだろう。

長門市に出るまでに陽はすっかりのぼり、途中でウインドブレーカーを脱がないといけないほど暑くなってきた。夕べの肋骨を負ったという青いシャツのランナーさんたちに追いつく。ゆうべは気がつかなかったが、このランナーさんたち、往年のベテランランナーのオーラが背中から出ていた。「おはようございますっ!」と追い越しざまに声をかけると、ゆったりと「おはようございます」と返す。ゆっくりのように見えるが、なかなか健脚のランナーだった。坂でなごやんが少し遅れると、さっさと追い越されてしまう。とよとよさんはしきりに頭をひねっていたが、いきなり彼らにくっついて走り出し、なにか話しかけている。どうせ海脇食堂で追いつくので、とよとよさんたちに先に行ってもらい、なごやんは坂の途中でコーラを買い、その半分をゆっくりとではあるが身体に流し込んだ。そろそろ太陽が高くなり、脱水状態がひどくなるので水分と糖分を補給する必要があり、また冷たい炭酸を入れることで胃腸を刺激するのが目的だった。これは非常に効果があった。6時間からっぽにした胃は、そろそろ本来の機能を取り戻そうとしていたようである。

海湧食堂に着くと、U先生の笑顔が出迎えてくれた。「ちょっとワープしてね」と笑っている。食堂では、にゅうめんのお味噌汁、おかゆに梅干が饗された。おかゆというのはありがたい。なごやんはにゅうめんのお味噌汁は塩分を摂る意味でもきれいにいただいたが、おかゆは用心のため3口にしておいた。でも梅干はたっぷりとつけていただいた。それから胃腸が動き出したのを確認してから、さあ、最初のチェックポイント俵島へ出発!
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海湧食堂を出発。まだまだこれから走りまっせー!(Courtesy ofうーさん)

午前9時。今日も暑くなりそうだ。俵島のとっつきまでいくと、リュックがいくつか置いてある。なるほど、同じ道を帰ってくるからチェックシートだけ持って、リュックを置いていったんだな。我々はそのままリュックをからったまま走ることにした。既にチェックポイントを通過して降りてくる人たちのなかに、「なごやんさんですか」と声をかける人があった。SNSの吉成さんだった。初対面だが、よく人のゼッケン番号と名前とが一致するものだと感心した。折り返してきたばかりの吉成さんに「これからチェックポイントまでいくのにどれくらいかかりますか?」と聞くと、「僕がここを通過したのは6時ごろでしたから…片道一時間半くらいかかりますかね」とのこと。早い人とは3時間の差をつけられているということか。お互いにエールを送りあって、それから自分たちのペースで行くことにした。とよとよさんによると、肋骨を痛めても走っているランナーは、ミスター萩往還ことクニさんだということだった。ゼッケンに書いてある名前を見て、話しかけてみたところ、今はなんとかいう独立行政法人に勤めていて、視覚障害者の伴走に関するセミナーを全国で行うことが仕事だそうで、九州でも、伴走に関するセミナーを開催して欲しいのなら、費用はあちらもちで講習会をしてくれるのだそうである。九州で伴走に関する活動をしているとよとよさんは、凄い人とであうことができたと喜んでいた。
なごやんは、朝方、クニさんの背中に何事にも流されない、独特のオーラを感じたことを思い出した。あの人についていけば完踏はできるかもしれない。今どこにいるかよくわからないけど、どこかで追いつけるだろう。なごやんが全然あわてないので、本当はもっと早く行きたかったのだろうとよとよさんも根負けしたようで、なごやんのペースに落とした。俵島のチェックポイントは島のぐるっと反対側にある。絶好の景色だが、どうもみなショートカットをしたようで、軽トラに、水をポリタンクにたくさん入れて待っていてくれたおばちゃんは、「もう誰も来ないんで帰ろうと思った」と話していた。ショートカットした人は、エメラルドーグリーンの、とても日本海の色とは思えないような絶好の景色も眺められないんだろうな。なごやんたちは正規ルートを通って、素晴らしい景色も堪能したぞ。

2008/5/11  12:16

萩往還250キロ完踏記4-夜明けと共に朝は来る  マラニック

まだ本調子ではないので、少しゆっくり進むことにする。豊田湖エイドを3時半に我々がでて、ゆっくりコースに戻ったとき、我々よりももっとゆっくり走るランナーたちが「新しいエイド、どうでした?」と聞いてくる。「たいした距離ではないのですが…寄られないんですか」「我々は遅いからパスしないと間に合わないんですよ」と青いウエアを着たランナーが言った。先ほどの豊田湖エイドで、骨折のためにリタイアした女性を乗せた救急車がサイレンを鳴らして夜中の山道を下っていった、それを見て「どうしたんでしょうね」とくだんのランナーが聞くので、「女性が一人骨折されたようなんですよ」と答えると、「僕も肋骨折ってるんですけどね」と冗談っぽく話す。「あれまあ、無理なされないで…」というと、「萩往還は無理しなくちゃ走れないんですよ」とまたもや冗談っぽく言う。この人何者だろう。ちょっと先にでたU先生は、えらい勢いで行ってしまったようで、我々が走っても走っても追いつかない。しかし、肋骨を折っても走っているというこのランナーについていけば、なんとか完走はできるかもしれない。どうも、このランナーさんたち、ベテランらしい。萩往還のベテランランナーともなると、決して急がず、時間内に完踏する術を知っているつわものが多い。彼らもそういう人たちなのではないか。

時刻は4時過ぎだろうか。最も寒さの厳しいときであろうが、ゆっくり走ることはあっても、もう歩くことはないから寒くない。まだものは口には入らないが、足は痛くないので、あとは胃腸の調子を整えるばかりである。日が登って暑くなる前までに、なんとか元の調子で走れるようになるだろうか。俵山温泉に入るころには山の端がうっすら明るくなっていた。朝方まで、地元の中学生が火の番をしてストーブをたいてランナーを迎えてくれる。「ありがとうね」と挨拶をする。夜中も寝ずに走るへんなおじさんおばさんの趣味に付き合わせて、ごめんなさいね。先についたU先生が、ぐったりした格好でストーブのよこで眠っていた。なごやんは一応トイレにはいって胃腸の調子を見る。おそらく脱水状態になっているのであろうから、水分補給が必要だと冷静に判断する。とよとよさんは辛抱強く待っていて、目をさましたU先生と三人でエイドを出る。さっき、我々よりもゆっくり来た女性ランナーが先に出て行ったから、われわれはおそらく最後のランナーだろう。周りはすっかり明るくなっていてライトを消した。道に迷って砂利ヶ峠の方向がわからない。3人で地図を見たり、少し先まで走って偵察に行ったりしてやっとのことで道を見つけ出す。救護車というサインをつけたバンが行ったり来たりしている。昨夜、西寺でなごやんが、一瞬、乗ろうかな、と思ったやつである。もう、乗らんぞ。しかし、U先生はぽつりと「この前は、砂利ヶ峠を下るところで夜が明けたのに…。このままでは、千畳敷の関門に引っかかって5時の収容バスに載せられるかもな…」って、なんてこというのよ。どうしてゴールまで行こうといわないの!とよとよさんとなごやんは初めての道を走ることになるので、道を知っているU先生と一緒に走りたかったのであるが、砂利ヶ峠に差し掛かる坂の途中で、U先生はそのままずるずると遅れていった。我々は振り返り振り返りしながらU先生の姿を確かめていたが、とうとうその姿が見えなくなってしまった。それから二人で何も申し合わせたわけではないが、キロ5分半くらいにスピードを上げて、砂利ヶ峠を一気に下った。走れる。十分走れる。胃腸はまだ様子を見なければならないが、足腰が痛いわけではない。昨夜遅れた分を取り戻そう。

大坊ダムへ下る道で、俵山温泉を我々よりも先に出た女性ランナーに追いついた。イヤホンで音楽を聴きながらマイペースで走っているようなので、びっくりさせないように後ろから追いついて、元気に「おはようございますっ!」と挨拶。すると、しゃべり方もマイペースなおばちゃんランナーは「おはようございまーす」とのんびりと返してくれた。ああ、いいなあ。ともに苦しい長い夜から生還して朝を迎えることができた人たちとは独特の連帯感みたいなものがある。今日も一日がんばって行きましょうね。

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