2008/5/16 11:43
萩往還250キロ完踏記12−幽霊の正体みたり マラニック
K田さんは一見せかせかしているようで、実は大変親切なジェントルマンだった。おばちゃんランナーの言ったとおりである。また大変頭の回転の速い人であり、コース全体を頭に入れた上で、その場その場の状況を瞬時に判断して、「頭で走る」人だということは、なんとなく彼について走っているなごやんにもすぐにわかった。さすが世界に冠たるウルトラランナー、ペース配分が実にうまい。これはウルトラマラソンのよか勉強になるだろう。
「今日はひざを痛めていますからね、いつもは4時に出るんですが、少しはやめに出ることにしました。最初はまずゆっくり歩くところからはじめましょう」といって、真っ暗な道をおしゃべりをしながら2キロほど歩く。赤い走行ランプをつけたランナーが後にも先にもところどころいるのを見ると、我々だけが特に遅いというわけでもないらしい。みな宗頭で一休みをして、最後の75キロに挑むところで、それぞれのランナーの背中に、疲れてはいるが、必ずゴールまでたどり着く、という気概があふれているのを見るのは快いものだ。K田さんは、ハンデイカムを手にして、換えのバッテリーと必要最低限度のものだけを入れているらしいウエストポーチと言う軽装だった。歩いていると、山道のことでかなり冷えるため、歯の根があわないくらいがたがた震えてきた。K田さんのアドバイスで持っていたアシックスの雨よけのビニールをウインドブレーカーの上からかぶる。
K田さんが手にしているハンデイカムは、彼が萩往還20回大会を記念して、ボランテイアで250キロのコースをあちこち撮る為に持っているのだそうで、すでに175キロ、そうして走りながらビデオを撮りためたのだという。「この分だと鎖峠あたりから夜が明けますから、そうしたら少し走りましょう。なごやんさんの走りも見させてもらって、笠山(204キロ地点)までのペースを考えましょう」なんだかランニング教室みたいになってきたぞ。それにしても、沿道の見所を撮影しながら、なごやんをひっぱりつつ走るとは忙しい人である。
2キロで藤井酒店。カッチ、とチェックシートにチェッカーを入れて、いよいよ山の中に入る。「ここから先が不安で…」というなごやんに、「道なりに行けばいいんですよ」とK田さん。「幽霊が出るでしょう」「いやあ、私は幽霊の存在は信じないんで」と軽くいなされた。なごやんも幽霊が怖いわけではないが、本当に眠くて眠くて、しきりに話しかけてくれるK田さんに悪いなと、自分も何か言わなければと思ったのだ。「風が強いですね。海から吹いてますね。こういう風に真正面から風を受けることは、萩往還(マラニック)では珍しいことですね」とずーっとしゃべっている。国道191号線に出る前に、曲がりくねった道で、ぴたっとその風がおさまり、空気の暖かいスポットがあった。なごやんは思い切ってK田さんに「すみません、5分だけ寝させてください。ここ風が来なくてあったかいですから」と頼んだ。「いいですよ。早めに出ましたから、休みながらいくことは大丈夫です。でも5分だけですよ、時計を設定しますよ」と言って、彼はすぐに立ち止まった。なごやんはデイパックをおろして、ビニールをかぶったまま山道の舗装道路に大の字になって目をつぶった。既に走り始めて34時間以上たって、初めてむさぼる眠りだった。きっちり5分後に起こされた。でもたった5分ではあったが、ずいぶんすっきりし、その後は全く眠気を感じなかった。
眠気が取れると、なごやんもおしゃべりになった。人工衛星が飛んでいくのをみたり(それがなんだかゆらゆらと不規則な動きをしているように見えたのは、やはり疲れていたせいだろう)、ランナーが走っているときに見るという幻覚の話をした。ゆきひろとうさんが二日目の夜にはありもしないいろんなものが見える、と言っていたのを思い出して、「いろんな意識障害が出るっていうんで、楽しみにしてきましたわ(笑)。たとえば、私、今、これ(山肌に生える潅木を懐中電灯で指して)が、博多どんたくの花車に見えます。50キロの道路標識が「ひょっとこ」の顔に見えるんですよ」といったら、K田さんに「ずいぶん九州に長くいるみたいですね」と妙な感心の仕方をされた。そうよね、なごやまつりの山車とはいわなんだもん(注:名古屋弁)。ちなみにK田さんは−なごやん自身もまたそうなのだが−、きれいなイントネーションの標準語をしゃべったので、二人で名古屋弁を話すことは最後までなかった。
うっすらと東の方向が明るくなるころ、191号線に出る。すると、道の脇からむっくりと人影が起き上がって動き出したので、少しびっくりした。それは、左足にテーピングをしていた女性ランナーと、一緒に走っていた男性ランナーだった。二人とも、時間がないために宗頭には寄らずにずっと走り続けていたのだという。男性ランナーの方は、K田さんを見て声をかけていたから知り合いだろう。この2人も加えて4人で走ることにした。鎖峠にたどり着いたときには、夜が明けていた。だが、ここで夜があけると、いちばん怖い青長谷踏切あたりの幽霊がいなくなってしまうだろう。幽霊の正体をみてやれ。
鎖峠を越えると、K田さんの号令がかかる。「はい、ここから少しスピードを上げて走ります!」走りながら、彼自身はカメラを抱えて、「ここから石橋が見えるんですよ」と沿道解説をする。夜走ったらこのきれいな石橋は見えないだろうな。「早く早く、私を待ってなくていいから先に行ってください。すぐ追いつきますから」とせかす。撮影にはそこそこ時間がかかるものらしい。我々3人はキロ5分半のペースで先を急いだ。左足を痛めた女性ランナーはつらかろうに、黙々と走っていた。K田さんはあっちゅうまに我々に追いついてきて、我々は再び彼に引っ張られて走った。三見駅のチェックポイントでカチッととチェッカーを入れるなごやんをK田さんがビデオで撮っている。ああ、被写体がいるとおばちゃんランナーが言っていたのはこういうことか。この調子だと、萩往還の250キロのビデオの後半75キロは、なごやんのプロモーションビデオになっちゃうんじゃないか(笑)。
「次、玉江の駅に7時5分に着くように走ります!」とK田さんは言った。飛ぶように走りながら、幽霊の正体が次々に朝日の下にさらされてゆく。朽ちかけた鳥居も、朝日の下ではそのおどろおどろしさはない。夜中にここを走るランナーたちが、幽霊を見たように恐れる田んぼの真ん中のマネキンは、単に首長族に見えるのみ。枯れ尾花とはこのことか。
朝日の中に、萩市街地とその向こうに広がる萩港がまぶしく見えた。「手前が萩城、奥が笠山」とK田さんが教えてくれた。あそこまで行って、戻ってきていよいよ最後の難関、萩往還道に入るのね。もう先は見えてきた。いままでうんざりするくらいの距離を走ってきたのだから、何のこれしき。
K田さんにひっぱられながら玉江駅までをすっ飛んでゆく我々に、あるランナーが苦笑しながら言った、「K田塾ですか。大変でしょう」。どうしても時間内完踏したい人が、K田さんに引っ張られて走るのはどうも毎年恒例のことらしい。
「今日はひざを痛めていますからね、いつもは4時に出るんですが、少しはやめに出ることにしました。最初はまずゆっくり歩くところからはじめましょう」といって、真っ暗な道をおしゃべりをしながら2キロほど歩く。赤い走行ランプをつけたランナーが後にも先にもところどころいるのを見ると、我々だけが特に遅いというわけでもないらしい。みな宗頭で一休みをして、最後の75キロに挑むところで、それぞれのランナーの背中に、疲れてはいるが、必ずゴールまでたどり着く、という気概があふれているのを見るのは快いものだ。K田さんは、ハンデイカムを手にして、換えのバッテリーと必要最低限度のものだけを入れているらしいウエストポーチと言う軽装だった。歩いていると、山道のことでかなり冷えるため、歯の根があわないくらいがたがた震えてきた。K田さんのアドバイスで持っていたアシックスの雨よけのビニールをウインドブレーカーの上からかぶる。
K田さんが手にしているハンデイカムは、彼が萩往還20回大会を記念して、ボランテイアで250キロのコースをあちこち撮る為に持っているのだそうで、すでに175キロ、そうして走りながらビデオを撮りためたのだという。「この分だと鎖峠あたりから夜が明けますから、そうしたら少し走りましょう。なごやんさんの走りも見させてもらって、笠山(204キロ地点)までのペースを考えましょう」なんだかランニング教室みたいになってきたぞ。それにしても、沿道の見所を撮影しながら、なごやんをひっぱりつつ走るとは忙しい人である。
2キロで藤井酒店。カッチ、とチェックシートにチェッカーを入れて、いよいよ山の中に入る。「ここから先が不安で…」というなごやんに、「道なりに行けばいいんですよ」とK田さん。「幽霊が出るでしょう」「いやあ、私は幽霊の存在は信じないんで」と軽くいなされた。なごやんも幽霊が怖いわけではないが、本当に眠くて眠くて、しきりに話しかけてくれるK田さんに悪いなと、自分も何か言わなければと思ったのだ。「風が強いですね。海から吹いてますね。こういう風に真正面から風を受けることは、萩往還(マラニック)では珍しいことですね」とずーっとしゃべっている。国道191号線に出る前に、曲がりくねった道で、ぴたっとその風がおさまり、空気の暖かいスポットがあった。なごやんは思い切ってK田さんに「すみません、5分だけ寝させてください。ここ風が来なくてあったかいですから」と頼んだ。「いいですよ。早めに出ましたから、休みながらいくことは大丈夫です。でも5分だけですよ、時計を設定しますよ」と言って、彼はすぐに立ち止まった。なごやんはデイパックをおろして、ビニールをかぶったまま山道の舗装道路に大の字になって目をつぶった。既に走り始めて34時間以上たって、初めてむさぼる眠りだった。きっちり5分後に起こされた。でもたった5分ではあったが、ずいぶんすっきりし、その後は全く眠気を感じなかった。
眠気が取れると、なごやんもおしゃべりになった。人工衛星が飛んでいくのをみたり(それがなんだかゆらゆらと不規則な動きをしているように見えたのは、やはり疲れていたせいだろう)、ランナーが走っているときに見るという幻覚の話をした。ゆきひろとうさんが二日目の夜にはありもしないいろんなものが見える、と言っていたのを思い出して、「いろんな意識障害が出るっていうんで、楽しみにしてきましたわ(笑)。たとえば、私、今、これ(山肌に生える潅木を懐中電灯で指して)が、博多どんたくの花車に見えます。50キロの道路標識が「ひょっとこ」の顔に見えるんですよ」といったら、K田さんに「ずいぶん九州に長くいるみたいですね」と妙な感心の仕方をされた。そうよね、なごやまつりの山車とはいわなんだもん(注:名古屋弁)。ちなみにK田さんは−なごやん自身もまたそうなのだが−、きれいなイントネーションの標準語をしゃべったので、二人で名古屋弁を話すことは最後までなかった。
うっすらと東の方向が明るくなるころ、191号線に出る。すると、道の脇からむっくりと人影が起き上がって動き出したので、少しびっくりした。それは、左足にテーピングをしていた女性ランナーと、一緒に走っていた男性ランナーだった。二人とも、時間がないために宗頭には寄らずにずっと走り続けていたのだという。男性ランナーの方は、K田さんを見て声をかけていたから知り合いだろう。この2人も加えて4人で走ることにした。鎖峠にたどり着いたときには、夜が明けていた。だが、ここで夜があけると、いちばん怖い青長谷踏切あたりの幽霊がいなくなってしまうだろう。幽霊の正体をみてやれ。
鎖峠を越えると、K田さんの号令がかかる。「はい、ここから少しスピードを上げて走ります!」走りながら、彼自身はカメラを抱えて、「ここから石橋が見えるんですよ」と沿道解説をする。夜走ったらこのきれいな石橋は見えないだろうな。「早く早く、私を待ってなくていいから先に行ってください。すぐ追いつきますから」とせかす。撮影にはそこそこ時間がかかるものらしい。我々3人はキロ5分半のペースで先を急いだ。左足を痛めた女性ランナーはつらかろうに、黙々と走っていた。K田さんはあっちゅうまに我々に追いついてきて、我々は再び彼に引っ張られて走った。三見駅のチェックポイントでカチッととチェッカーを入れるなごやんをK田さんがビデオで撮っている。ああ、被写体がいるとおばちゃんランナーが言っていたのはこういうことか。この調子だと、萩往還の250キロのビデオの後半75キロは、なごやんのプロモーションビデオになっちゃうんじゃないか(笑)。
「次、玉江の駅に7時5分に着くように走ります!」とK田さんは言った。飛ぶように走りながら、幽霊の正体が次々に朝日の下にさらされてゆく。朽ちかけた鳥居も、朝日の下ではそのおどろおどろしさはない。夜中にここを走るランナーたちが、幽霊を見たように恐れる田んぼの真ん中のマネキンは、単に首長族に見えるのみ。枯れ尾花とはこのことか。
朝日の中に、萩市街地とその向こうに広がる萩港がまぶしく見えた。「手前が萩城、奥が笠山」とK田さんが教えてくれた。あそこまで行って、戻ってきていよいよ最後の難関、萩往還道に入るのね。もう先は見えてきた。いままでうんざりするくらいの距離を走ってきたのだから、何のこれしき。
K田さんにひっぱられながら玉江駅までをすっ飛んでゆく我々に、あるランナーが苦笑しながら言った、「K田塾ですか。大変でしょう」。どうしても時間内完踏したい人が、K田さんに引っ張られて走るのはどうも毎年恒例のことらしい。
2008/5/17 23:05
投稿者:なごやん
はい、まるちゃん、K田さんは素晴らしいペースメーカーでした。いつかまるちゃんがウルトラを走るときにはぜひご紹介したいものです。
2008/5/17 20:41
投稿者:まるちゃん
ここ読んだだけでも、K田さんのペースメーカーぶりが目に浮かびます。
是非プロモーションビデオを拝見したいもんです。笑
是非プロモーションビデオを拝見したいもんです。笑
