2008/8/19  13:32

あれから19年  思い出2008年夏

昼すぎに若手から連絡。一生懸命勉強してある学校を受けたのだが、どうも調子がよくないらしい。「明日福岡に帰りますから」と元気ない声なので「今度は本命だね、しっかりやろうね」と励ます。あー、彼女もあの学校の構内からこの電話をかけているのか。

とたんに、19年前の思い出がフラッシュバックする。彼女のようにだめもとで受けたら、掲示板に自分の名前があった。信じられない思いで、名古屋に、それからM先生に電話した。今でもはっきり覚えている、T門の前の公衆電話だ。今のように携帯電話なんてなかった頃だ。「…受かっちゃいました…」すると、M先生はカンラカラカラと笑い「おー、それはよかった。おめでとうございます。ワイフも喜んでるよ」と労われたのである。M先生はなごやんをかわいがって下さって、夫人にもなごやんの話をしていたらしい。

あれから19年か。自分は当時のM先生の立場にあるんだなあ、とふと思う。なごやんの指導した若手は残念な結果になったが、改めて、今の自分のあるのはM先生のおかげだと痛感する。あれから一生懸命勉強したつもりだったけれど、どれだけ自分は先生に近づけただろうか。5年前、はじめて出版した本を贈ったとき、「君は鳴かず飛ばずでいるはずはない、と思ってたけど、九州でもしっかりやっているようですね」とはがきが来た。何よりも嬉しい恩師の一言である。

「理論のM」と呼ばれ、学園紛争の時代を血気だった学生と対峙した先生は、日本のトップレベルの仕事人だったが、見た目はごく普通の、巨人ファンの「おじさん」だった。ちゃきちゃきの江戸っ子で、フィリピンのことをシリピンと発音していたのをよく覚えている。知らない者とてない、大きな仕事をした人だったが、全然そぶりにも見せなかった。数年前に亡くなる前、先生はご家族に、関係者にも一切知らせないようにと言われていたそうである。従って我々がその事実を知ったのは、学報に掲載された訃報記事だったが、いかにも先生らしかった。なにもいらない、余計なことはしない、たんたんと生きた人である。「粋」な生き方とは、こういうことを言うのではないか。

なごやんが、仕事もできんくせにそっくりかえってる輩を嫌うのは、田舎くさくてダサいからである。自分には、見かけ倒しではなく物事の本質を踏まえた立派な恩師がいて、その人から受けた薫化の影響はひじょーに大きい。やっぱり教育って大事だ。
自分はM先生のようにたんたんと「粋」に生きようと思っているが…田舎くさいと職場の文句ばかりいっているようじゃあ、「いやぁ、君もまだまだだねぇ!」なんて、今頃M先生は彼岸で大笑いされてるかもしれない。ほんと、まだまだ。超一流への道は長いわ。



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