2008/10/4  22:26

おくりびとを見て大いに泣き笑い  おしゃれな生活

ランザの練習会を終えて職場へ。あまり苦しまずに頼まれ原稿を仕上げて、FAXとメールで口の悪い身内の批評家に送って、5時である。さて、仕事が一段落したので、今日は帰りに映画でも見て帰るか。

中洲大洋に、滝田洋二郎監督の「おくりびと」を見に行く。今年のモントリオール映画祭でグランプリをとった作品だ。最近疲れきって気持ちのよい涙を流すことすらない。今日は大いに泣こう。

人類普遍のテーマである「死」を取り上げるシンプルなストーリーで、登場する納棺師の無駄のない、品格のある所作と同様、余計なプロットは盛り込まれていない。しかし、「死」と「生」を見事に連動させた、実に精神分析的な作品で、これなら世界中の人にもグランプリ受賞作品であることを納得してもらいやすいだろう。

主人公(本木雅弘)が最初「生」と「死」とが連動していることを認識できなかったシーンはこう描かれる。ぬるぬると動いているタコを怖がる妻(広末涼子)に頼まれて近くの川に逃がしにいったとき、川に戻してやってもぷかぷか浮くだけで動かないタコは、単なる死骸というシンボルだった。しかし、納棺師の仕事を習い覚えるうちに、「死」と「生」は連動するものであることを認識してゆく。最後のシーン、父(峰岸徹)の遺体から零れ落ちる石文は、まだ見ぬわが子への生を願う父親としての強烈なメッセージとしてシンボライズされている。脚本もよかったと思うが、シンボルが実にうまく使われていて面白かった。

このほか、気がついただけでもいくつかの名言があった。
「うまいんだな、これが。困ったことに」(山崎努)
これは、すべて人間は、魚とか鳥とかを殺してそれを食べることで生きている事実を謙虚に受け止めた、先輩納棺師の言葉だ。
「私は門番なんです。あの世への旅立ちの門を開くことなんです。…でもあの世とこの世はつながっているんです。だから私は、いつも『またお会いしましょう』といってお送りするんです」(笹野高史)
これは火葬場の職員の言葉。台詞は不正確だが、こういう意味のことを言っていた。キリスト教徒のなごやんにはこの意味がよくわかるが、日本人に多い仏教的な考え方をする人たちの中にも共感する人は多いに違いない。これも、「生」と「死」を連動させるための大事なシンボルである。

それにしても日本人の聴衆は礼儀正しいというか、おとなしすぎるというか。美しい女性の身体を清拭中に、あるはずのない「もの」があって狼狽する主人公をみて、なごやんはげらげら笑ったが、他の人は微動だにしてなかった。葬儀の場面ではわらっちゃいけないという自制心でも働くのかしら。でもモントリオールでは聴衆はきっとこの場面は爆笑したと思うわよ。死を笑い飛ばしているわけではないが、美しい女性にはないはずものがある事実を受け取ることができず狼狽する主人公をみて笑うことは、自分が狼狽していることを笑っているに他ならないのだ。女性として生きたニューハーフを、女性用の死化粧で送り出すシーンは、家族の死者に対する愛情に満ち溢れていて涙が流れた。

映画の全般にわたってチェロの音色の美しい曲が流れていた。どっかで聞いたことある旋律だと思ったら、やっぱり久石譲だった。オリジナルサウンドトラックのCDを買って帰った。



2008/10/6  19:58

投稿者:なごやん

ゆめさん、「おくりびと」は面白かったでしょ?どんでん返しがあるわけじゃなし、非常にシンプルなテーマだけど、それだけに脚本がうまくないとみせることはできないでしょう。製作者は苦労したと思いますよ。

漫画もあったそうで、それのおかげで映画興行も上々だったとのことですね。

2008/10/6  8:09

投稿者:ゆめ

昨日はお疲れ様でした。
おくりびと、私も封切りになってすぐに観ましたよ。なごやんが解説してるとおり、素晴らしくいい映画でした。観るまではグランプリ??どこかもマニアックな映画祭か?って無知な私はそう期待もしてなかったのですが、なんとなく魅かれて。
自分の場合小さい時に祖父や祖母を家族で送った時に、あの映画の一シーンに近い体験もしていたので、凄く懐かしく遠い子どもの頃を思い出しました。火葬場のあの窓から見える炉の中・・・あれも小さい頃見せられました。でもあんな素敵な係りのおじさんはいませんでしたが・・・

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