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■ニュース・時事
スレッドアイコン 亜科蝦夷風雪考
日本国内 スレッドマスター:- 投稿日時 2003/11/26 5:24
アクセス数:6215 更新日時 2003/11/26 5:24
蝦夷は退治しつくしたと思っていても、熊のねぐらやキノコの下の水溜りにぼうふらのように生き残っているものである。

さてもさても、誇るべき故郷をもたぬ蛮族ほど世に悲しいものはない。
空みつ大和の国の民となれたことを喜び、蛮風よりの解放を得ても、所詮は蛮族の血は寒風にさらされると、波の花のように海岸にうちよせられるのだろうか。そのはかない泡のように、思考の飛沫はふわふわと流れるようだ。

この21世紀、交通も通信も発達した時代に、わらじの旅の時代のように、日本を再度分割しようなどという不思議な考え方が出てくるのは、ドウ考えても阿呆としかいいようがない。
弱小国を細分化すれば、力はさらに弱まるのである。
毛深い蝦夷の思慮は絶えず浅く、娘を売って生き延びたその子孫は、いまだにその風俗を都会の穴でさらしつつ、落書帳では波の花を綴っている。
世界最大の生物である!とキノコの山を誇るのはかってだが、その植生の違う吉野の山とみくらべて、しょぼいという、蝦夷はやはり滅ぼされるべきだろう。
何もないからといって、何もないものが地図に線を描いても国が豊かになるわけではない。
そんなこともわからずに、かいつまんでかくのは、ロシア文学的に言うなら一酸化炭素中毒である。

ずうずうと 言うはつまりし なみの 洟 せんじつめれば 虫のなきがら
 
ページ 12|3|45
82 今日は紀元節
投稿者:- 投稿日時 2004/2/11 10:17:19
更新日時 2004/2/11 10:17:19
紀元節だから 宮城遥拝
美しいメロディーの
雲にそびゆる高千穂の 高嶺颪(おろし)に草も木も
なびき伏しけん大御世を 仰ぐ今日こそ、たのしけれ♪
きけば 右脳が活発に動き出す
イメージがわいてくる そんな歌

紅白の饅頭のかわりに 紅白のアイスでもたべるかな
81 きっと失恋経験多いんだろうなぁ
投稿者:- 投稿日時 2004/2/11 09:00:02
更新日時 2004/2/11 09:27:48
  
80 僕を含め人は必ず人を裏切ります・・早いか遅いかだけ
投稿者:- 投稿日時 2004/2/11 08:53:53
更新日時 2004/2/11 08:53:53
  
79 僕はギリギリまで人を裏切りたくないと思っています
投稿者:- 投稿日時 2004/2/11 08:42:14
更新日時 2004/2/11 08:42:14
高倉健ちゃうで
78 今 イシバが とれんでぃ〜
投稿者:- 投稿日時 2004/2/10 18:23:29
更新日時 2004/2/10 18:23:29
引用
石破のシリコン入れたようなホッペをいうのを忘れてた。

アレがまた三白眼とアンバランスなんだな。


              今 イシバが トレンディ〜
              いいよなあ

              「軍事バカボン」こと イシバ大臣

              もう マスコミは 面白がって わざと「変な顔」を
              撮り 使う

              イシバ すばらしい!

              次の総理でもいいや
              安倍ちゃん もいいし
              副総理を しっかりもんにして
              イシバが総理で 米国は ブッシュでも ケリーでもいいや

              最近 英国の首相影が薄いけど

              ケリーも 行け行けになるかも 

              21世紀は 米国と組んで 低強度武力紛争の世紀だ
77 本題にもどる…雑踏のなかで
投稿者:- 投稿日時 2004/1/7 01:45:11
更新日時 2004/1/7 10:53:54
神主に挨拶をしてわかれたあと、
ふと思い付いた。
考えればやつらを退治して1200年目である。
やつらとは?そう、蝦夷のアテルイである。
さては地獄の釜のふたがあいたのだろうか?
蝦夷は退治し尽くしたはずだが?
はて?
私は多少の恐怖を覚えた。
この恐怖感は日本人を自認するものならわかってもらえるだろうと
私は確信する。
そういえば奇怪しごくなことがおおい年ではあった。
ところで、
枚方は当時、朝鮮半島からの渡来人が多く住んでいたところである。地名をみるとそれが今でも良く知れる。
坂上田村麻呂も渡来人の系列であるから、彼に付き従った渡来人たちの、夫や恋人を殺された人々の為に、あえてそこが処刑場に選ばれたのだ。坂上田村麻呂はともかく、それに付き従った渡来人たちは、その処刑を熱望し歓迎したのである。

また、ああいうものは、決して王城の地で処分するべきものではないのである。
なんとなれば、王城の地がけがれるからだ。
ただし魔除けとして首をうめることはある。

最近知ったことだが、愚かにも蝦夷の信奉者たちは
>少なくともアテルイらは平安京の南郊、桓武天皇がしばしば遊猟した交野郡の淀川沿いで、人々が多く集まる津か橋のあるところで、処刑されたと考えられる。
と馬鹿なことを書いている。
(無礼極まりない表現であるが、ママであるので容赦ねがいたい。)
1200年たっても蝦夷は辺境の地の者であるらしい。
自分達の信奉者が
いかなる者たちにうたれたかも知らないのである。

無論、この時はこんな反乱者賛美が遠くであるとはわからなかった。
なにか変なことが起きている。
そのことだけは感じ取れた。
76 本題にもどる…端緒
投稿者:- 投稿日時 2004/1/7 01:36:44
更新日時 2004/1/7 01:55:41
京都市内のある神社の神主が、
私に語ったことが発端であった。
このころ変った参拝者が、
ある神社に来るらしいというのである。
しかも、バスツアーでまで来ると言う。
その、当の神社の神主も、
いままでそういうことはなかったのですが…。
と当惑気味であったという。
その人の話によると、
大阪府枚方市片埜(かたの)神社の旧境内にあるアテルイの
かつての処刑場にまでその人々はゆくという。
東北ですか?と聞くと、
そうだと思うという返事である。
かわった事もあるものですねえ、とわかれた。
75 これはどうだろうか
投稿者:- 投稿日時 2004/1/6 00:04:48
更新日時 2004/1/6 01:30:38
>今度は 三成を美化したドラマでもみたいものだ

朝鮮人に配慮を怠らない放送協会が三成をドラマ化すれば、
朝鮮征伐の正当性を歪曲してしまうだろう。

僕はあまり三成は好きではない。
理由は朝鮮征伐で、生半可な態度を取り、朝鮮撃滅の機会を逃させたことによる。
もっとも秀吉は殲滅戦を戒め、略奪暴行をかたく禁じていた。
しかし、信長なら、一村あえて皆殺しとし、
その恐怖をもって全朝鮮人を難民となし、明に流入させ混乱に乗じて、
一気呵成に制圧したかもしれない。
これは古くて新しい戦法である。近くではボスニアでの虐殺がこの効果を狙ったものである。
彼なら内戦と外国との戦争の違いをすぐに理解したであろう。
ついでに書くが、戦国時代の価値観と、現在の価値観を混同してはいけない。
阿呆な人々は、平和主義をこの時代にまで持ち込むのであえて言う。
しかし、戦略については同じだ。
中国の分断と撃滅。豪州と欧米との分断。
方法を変えるのみである。
三成を美化することは、朝鮮征伐しいてはアジア征服という壮大な秀吉の壮挙を
単なるボケ老人の夢にしてしまうことになるだろうから。

秀吉の壮挙は、評価されるべきである。
大阪城とともに不滅であろう。
それは徳川氏が、豊臣大阪城の上に徳川大阪城をつくり、
その上に大阪市民が豊臣大阪城天守閣を復元したようなものである。
偉大な日本人の精神は埋めることなどできないのである。

中国は日本を圧迫する巨大な木であり、
日本が成長するにはいつかは切り倒さねばならないもであったからだ。
朝鮮はその大木を切り倒す足場でしかない。
朝鮮人が考えるほど、鶏がらのような国土にも、にんにく臭い人々にも
本来的価値はないのである。これは今にいたるまでそうである。
だから朝鮮人が日本を目の敵にするのは、実はお門違なのである。
日本は道路と港を有料でお貸しくださいとお願いしただけなのだから。
朝鮮人がそれを断ったのは日本に対する侮辱的軽蔑心からでたことである。

しかし、三成の「首の座にあっても大事を思うものは命を大切にするものだ」という、
言葉には感動する。
これは私の座右の銘のひとつである。

なお三成は生まれ故郷に潜伏していて捕らえられたのだが、
密告したのは、入り婿入り婿と近所から馬鹿にされていた、
婿養子が村民へのハライセにしたそうだ。
爾来その村では婿養子は今に至るまでとらないそうである。

それにしても、入り婿とは悲しいものである。
最近ある名家の養子が、
もと華族との触れ込みでテレビ出演したが、
陰口はやむことなく、
自分の家も自分ではヨーナオサヘン!
養子はやっぱりアカンナア!
と単に知らない人にまで知らしめあざけりを深めた結果に終わってしまったことからも、
いえるだろう。
おうちの人は大事にしてはるのにねえ。

74 1年楽しかった
投稿者:- 投稿日時 2003/12/31 21:30:54
更新日時 2003/12/31 21:30:54
では みなさん よいお年をお迎えください
来年は もっとよくする

*信長って 魅力的だよな
  一番損してるが。。
  歴史は勝者の視点でかかれるのが常だが
  そういうことからして 去年の「利家とまつ」はよかったな
  信長とその時代が 徳川の視点からはまるでえがかれてなかったからな
  今度は 三成を美化したドラマでもみたいものだ

  しかし なぜ 信長は幕府をひらかなかったんだ
  
  平氏だといいはればいいはれたろうに

  それだけじゃないよな

  まあ しかし今の日本は その時代に生まれた家が 続いているわけだから  
  信長は 秩序を本当に塗り替えたわけだよな
  すごいすごい
73 * * *
投稿者:* * * 投稿日時 2003/12/31 21:22:01
更新日時 2003/12/31 21:25:57
* * * この投稿は投稿者本人によって削除されました。 * * *
72 鳥けものもいにしへのまつにしてなほき
投稿者:- 投稿日時 2003/12/31 05:26:17
更新日時 2003/12/31 05:31:52
人間五十年
…信長が敦盛が好きでよく舞っていたというのは周知のこと。
さて、この敦盛はいわゆる修羅モノと言われるが、
修羅というのは、人が仏道を行おうとするときに現われる、仏道の妨げをいう。
しかし、これは仏の静なるものに対して
激しく動くという意味もあるのではないのかな?

ところで、信長の最後である。
彼は光秀に包囲され、あの時代の大名なら、さらりと自害して果てるのに、
自らが戦闘能力を喪失するまで、足軽相手に戦っている。
その激情こそが彼の人生の根底を貫いていた。
しかし、彼がばくちを打ったのは桶狭間のみである。
ところが、すべての計算が無くなったとき、かれの魂が前面に躍り出て輝いたのである。
そして、彼を絶えず駆った激情こそは修羅道そのものなわけだ。
天が自らを潰そうとするとき、人たるものは阿修羅のごとく天に対峙するべきである。
かなわぬことがわかっていてもだ。
そこに、深い共感おおきな悲劇があるのだ。
信長は最後まで動の人であったわけだ。

平家物語の教経の動と知盛の静。
この対比が壇ノ浦の段だけでなく、平家物語全体での芯となるものだろう。
敦盛にしてもそういう組み立て方になってると思う。
これらは仏教とやまとごころの対立といってもよいかもしれない。
稲目と尾輿以来の、日本の文学の主題でもあるような気がする。
敦盛はその部分で作為を行ったと、私には見えるのである。
結果として「かくわろくことになりぬれ」なのである。
敦盛は「やまと魂」からはやや遠い気がするのである。
なんとしても人は生きぬかなければならないのである。
これはなかなか簡単ではない。
悟りきった仏では、
現に苦しむ人を決して救済することはないのである。
動にたいしては、動であるべきだ。

平家物語は敗者の文学である。
その点からするなら敦盛は価値のある場面だとおもう。
しかし、
それゆえ、
私にはまったく容認できないのである。



71 年末歴史探訪C
投稿者:- 投稿日時 2003/12/31 03:20:51
更新日時 2003/12/31 03:20:51
さらに、西に行ったとこに「武蔵・小次郎の碑」ってのがある。
「手向山」っていう小高い山の頂上がその場所。タムケヤマと読む。
ここは山全体が公園みたいになっていて、車で頂上まで登ることが出来るのだ。けど、今日行ったら
なんか工事中だったな。公園整備をしてたみたい。
オレが写真を撮ってたら、なにやら剣術の鍛錬みたいなことを始め出した人がいた。裸足になって
武蔵の碑の前で「や!」「はあ!!」などと言って棒を振り回してたよ。
子供がビビッって「パパ・・・帰ろう・・・・」って言い出す始末(笑)。もうちょっとみていたかったが・・。
70 年末歴史探訪B
投稿者:- 投稿日時 2003/12/31 03:12:37
更新日時 2003/12/31 03:12:37
2003年の「大河ドラマ」は宮本武蔵だったな。
関門橋から、少し西に行ったところに「船島」がある。そう・・・・武蔵VS小次郎の対決した島だよ。
巌流島というのは小次郎の巌流からとったもの。こっちのほうが一般的よな。
なんの変哲もない薄っぺらい小島。風情もなんもありゃしない(笑)。ちなみに以前・・・
アントニオ猪木が、ここに特設リングをつくって誰かと対決したことがある。相手はもう忘れたが・・。
69 年末歴史探訪A
投稿者:- 投稿日時 2003/12/31 03:04:39
更新日時 2003/12/31 03:04:39
仕事が休みだと夜更かしできるなあ・・・遊べるぞ
安徳天皇といえば、「壇ノ浦」。7歳で入水・・・御いたわしや。ちょうどこのあたりが「壇ノ浦」。
これは、九州側から写したもの・・・・向こうが下関だな。意外と近いだろ。源平でもそうだが、
幕末にも歴史の舞台になった場所だよな。
関門橋の真下にオレは居るんだ・・・・・この海に続々と平家は身を投げたのだろうか・・・。
68 年末歴史探訪@
投稿者:- 投稿日時 2003/12/31 02:56:25
更新日時 2003/12/31 02:56:25
いやあ・・・とうとう、大晦日やなあ・・はは。
みんな忙しそうで誰も投稿しない・・・・暇なのはデスパぐらいか・・・・はやく寝ろよ。
家に居たら、邪魔と言われたので子供と散歩に出かけた。
久々に行ってみたら、やっぱり粗末な立札だった・・・なんとかせえよ。
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67 千宗室お家元
投稿者:- 投稿日時 2003/12/27 23:23:48
更新日時 2003/12/27 23:23:48
どうだろう

彼は いきさつはよくしらないが 特攻隊員だった
そのとき 父は反対したそうだ しかし 結局は
利休が自決につかった 刀を渡して 送り出した

本人はイツ死ぬか 命令が下るかとおもっていたが
結局 出撃のチャンスがないまま 終戦

刀ももどったわけだ

どうなんだ

勝ち目のない戦い ただ死ぬだけの戦法 それに志願して
親は 利休の自決刀を 渡す

志願するのはいいが その刀を渡すのは良くない と思った
子が死んでも またつくればいい あるいは他の一族が継げばいい
しかし その刀は 時間がしみこんだ 歴史の証人だろう

それを 海の底にしずめるのはだめだ
だが 親は 子に渡したんだな
ただ 死にに行く息子のために

こういう「発想」するのが 日本人なんだと思う
66 敦盛
投稿者:- 投稿日時 2003/12/27 16:12:41
更新日時 2003/12/27 16:12:41
引用
これはわからん。
ガキがぐずぐずと戦の駆け引きもできず、
「逃げるな」と言われて、身の程もしらず返しては、
返し矢一つ出来ずに東国の雑兵に捕まって、
それでも、せいいっぱいに虚勢をはる。

       そうだな そのとおりだ
       駆け引きなど知らん やらない ただ 死にに行くだけ
       それが 平家のためだと 幼いながら考えたわけだ
       それだけで 私は 立派だとおもう

       たしかに 17歳でなければ もっと強く歴戦の武将なら
       壇ノ浦まで 死に物狂いで戦うのがいいさ

       しかし 肩書き(形式=表)は大将でも 実(実質=裏)はちがう
       そんな敦盛が 「表裏を一致」させようとすれば

       (負けを覚悟で)引きかえしていくしかないだろう
       それが可能な「心がけ」が いざというときに
       発揮できるというところに 惚れるのだ

       『不惜身命』というが 他方で『可借身命』という

      前者が 表なら 後者は 裏だ

      裏があって 初めて表があるわけだが

     敦盛のような 戦いに未熟な武将は
     最後の最後に『不惜身命』を貫くべく それまで『可借身命』を守る
      ほどの 力量がないのだ

     そんな 敦盛は いきなり平家一門の名誉のために『不惜身命』に
     なってしまうわけだ
     そんなことが とっさにできるという点は

     やはり「器量」は 大将だということだ

     ただ 経験をつまぬうちに 死に場所がきたというだけ

       もはや 再起かなわぬ平氏の 名誉を 死んで守る という「生き方」

       語り継がれる「死」というものを
       残すという点で
       後の「特攻隊」と同様
       「外道の統率」ではあろうが

       私が 敦盛を好きなところ

       私らは もはや 死を覚悟で 突撃していくところなどない
       不可能なことに 憧れる

       たとえてみれば(江藤 淳流にいえば)
       邪読(興味本位に手当たりしだい読書すること)が可能だった時期はとうにすぎ
       資料として 読書をするようにしか 読書が出来なくなった人間からみれば

      非合理な、邪読に 強い憧れが生じるようになる

      そんなのと 同じなんじゃないのかな
      敦盛の死に方 散り方に 共鳴するのは

      散華の美の極致 と書いたのはそういう意味

      特攻したくてもできない将官は
      8月16日になって 後部座席にのって
      刀とともに 散るというのを選ぶようなもの

      ずるいやつは
      終戦をいいことに もう死ぬ理由がないとかいいはじめる
       

つまかえたオヤジもせんだって、自分の子供が怪我をしたことを思い出して、こいつの親父も殺されたと聞いたら落ち込むぞ!と可哀想になる。
ところが後ろをみると、梶原の勢が50騎ほどくる。
あの腹黒いやつに逃がすところを見られては、今度は自分の身が危ない。
そこで助けると言ったことを、ころりと返して、
くどくどと菩提を弔うなどと言い訳をしていると、

       言い訳じゃないだろう
       その後 理由はどうであれ 弔っている
       討ち取った翌日には 首と遺品と書状(熊谷状)を添えて
       父経盛に送り
       直実に感謝を述べた返状(経盛返状)を直実に送る

       いい話じゃないか


俺は何度よんでも意気地のない様に虫ずがはしるのである。
ガキのアホさ加減と青さには今もいらつくだけだ。
1,退路はあるか?
2,敵より強いか?
3,敵より高速機動が可能か?
この3つがあって初めて勝てるのだ。
それとて、状況が変われば消え去る条件だ。

1つもなければ、絶対にやらないもんだ。
負けるからだ。

軍記物はあくまで喧嘩の為に読むもんやろ。

         そういう読み方に徹すればそうかもしれん

         『失敗の研究』という 本がある
         文庫版もあるが
         防大の教授たちがかいてたものだ
         

自分なら勝つために何が出来るか?
現在の自分の戦いにどれだけ資するものがあるか?
を探す為に読むもんだ。
猫の喧嘩ですら勝ってなんぼやで。
日本人にはそれが欠けてるのと違うか?

          日本人にはかけてるよ
          南雲と 山口
          山口のほうがいいよな

          南雲はダメだ
          そういえるのは どちらも 十分大人だから
          南雲が 許せるのは 自決したから
          ただそれだけ

         でも 南雲の自決を 潔いとは思うが
         美しいと思う気持ちにはならん
       
        敦盛とちがい そうするしかないわけではなく
        要は 南雲は能力不足だっただけだから

       
65 今日は頭がすっきり
投稿者:- 投稿日時 2003/12/27 15:21:57
更新日時 2003/12/27 15:21:57
引用
旧来の教科書的な鑑賞をとってるのだろうか?
信長がでたことから能のなにかとリンクした発言なのか?
それとも、単純に咲いた華なら、と言う感じなのか?
よーわからんな。

           さすがだな
           ちょっと書くだけで いろいろと 想像力を働かせて
           あれこれ 解釈の幅を広げてくれる

           私自身も思いもしなかったから
           是非に 信長と能の話で なにかかいてくれ
           時間がなければ別にかまわない
64 私見です
投稿者:- 投稿日時 2003/12/27 08:25:07
更新日時 2003/12/27 08:29:19
引用
みそさざいさん
>そして本当にかいでみたいのは、茶や香ではなく、
別な所のにおいです。

横レスで申し訳ない。
別な所ってどこですか?
全く見当がつきません。
教えてください

          さらに 横レス
          こういうのはいいなああ まるで「頭を使わずに」レスできるから

          きまってるだろ(と思う)
          候補箇所としては 3箇所だろ 3箇所(ないしは5箇所か)
          ただし そのすべてがOkな人もいれば
          1箇所のみの人もいるだろう

          サラニハ アイテニヨリ ゼンゼンケツロンモチガウダロウ

          モデルの未来なら 全部いいな(個人的意見)

          ところで 誰だ?
          どうせ 今回の質問だけ別のSNつかってるんだろ
          しょうもないことするなよ

          年末なんだから
63 素直に質問
投稿者:- 投稿日時 2003/12/26 22:28:06
更新日時 2003/12/26 22:28:06
みそさざいさん
>そして本当にかいでみたいのは、茶や香ではなく、
別な所のにおいです。


横レスで申し訳ない。
別な所ってどこですか?
全く見当がつきません。
教えてください。
62 天長節
投稿者:- 投稿日時 2003/12/23 21:40:03
更新日時 2003/12/23 21:40:03
レスをしようと思ってはいるが
あたまが疲れていて 返信するだけの 精神エネルギーが足りない

ということで 本日は

天長節

皇室さへ ちゃんとしていればと思うけれど
(終戦直後なんかは 皇室がしっかりしてるから
国民はみんながんばれた)
雅子妃殿下も ご病気だし あいかわらず サーヤ様は並んでいるし
皇室のあり方は 日本の未来の鏡のように思う

やわらが どうとか別スレでいってたが
あんなのでも 「蓼食う虫も。。」で谷がひろってくれて

なんだか 景気はまちがいなく 回復へむかっているのに
(でもあきらかに 2極分化という感じだな)

なんだか 平成は このまま だら〜だら といくだけのような
そんな感じがしたな

やはり全学連世代があと5年かそこらで 引退するまではだめだな

東宮殿下の御世に期待したいな
61 楽天
投稿者:- 投稿日時 2003/12/23 11:49:28
更新日時 2003/12/23 11:53:06
楽天知命 故不憂        天を楽しみ命を知る 故に憂えず 

以大事小者 楽天者也     大を以って小に事(つか)うる者は 天を楽しむ者なり


男性が「煩悩のかたまり」と仰る意は、主として「色」・・・なのでしょうか。
女性であるなら、それは「嫉妬」などでありましょうか。

姿勢を正して硯に向かい、真白な半紙に文字をしたためる。
その墨の香りは好きですね。
何万回と同じ文字を書いても一字として同じものはなく、それでいて間違いなく私の文字です。

文字の時間は止まり、私の時間は流れる。
平安の昔から変わることのない調べが今日を生きる者たちによって再現され、しかし、その
カタチを留めることなく過ぎ去ってゆくに似て、また、その規律の譜は永劫継がれてゆくに似て、
ひとの営みの不思議は一時も休まることなく繰り返されるものなのかもしれません。

争いあり苦悩あり楽もあり病もあり・・・・けれど、それもほんの一時のこと。
楽天の境地は悟りでしょうか。。。
ならば煩悩を生きることこそ人の命でありましょうか。。

海から陸から天からの視点すべてを手に入れたいと欲するも、また、煩悩の人でありましょうか。
60 御陵
投稿者:- 投稿日時 2003/12/23 01:28:29
更新日時 2003/12/23 01:28:29
愚かにも時子(二位の尼)は安徳天皇を
「波の下にも都のさぶらうぞ」と謀って
抱いて飛び込み、
あろうことか天皇を殺害した。
前代未聞の大逆である。


オレんとこの近所に安徳天皇御陵ってのがあるよ。
粗末な立て札にそう書いて地面に突き刺してある。天皇の御陵なんてのは全国あちこちに
あるけど・・・・あそこの横をとおる度に、「もう少し、なんとかならんもんかいな」と感じる。
なんの変哲もない竹やぶの小山だよ。
59 因縁
投稿者:- 投稿日時 2003/12/22 16:40:00
更新日時 2003/12/22 16:43:18
>ひとは誰も一瞬を生き一瞬に死ぬという。。    ゆえに一期一会。

いろいろな考え方があるんだろうけど、
私は一生一日また一日一生として、
その節目として、
裏でもなく表でもない、
やすらぎの場所として、
>変わらぬものの間を右往左往するひとのさまざまな波長が
ひとところで節となる場所が茶室であり、
その出会いを
一期一会というのではないか?
と、私は人には言うでしょう。

もっとも煩悩の固まりの私は、
狭い茶室で綺麗なねーちゃんと近接するほうが
よほど意義深いことだと思わずにはおれません。
そして本当にかいでみたいのは、茶や香ではなく、
別な所のにおいです。

ああ、子供の頃、ただ純真なこころで
雲や水の流れるのを見ていた自分がなつかしい。

敦盛と熊谷の邂逅、小枝となづけられた狂言綺語の器が転法輪の縁を結ぶ…というのが、敦盛なのだよと、あなたはいいたいのでしょうが、そんな事は黄安も私も知ってますよ。
 ただ、私は吾妻鏡にあるように直実の出家は、土地争いが原因だと思うのと同じ理由で、存在しない英雄の教経の武勇を喜ぶわけです。
 つまり、事実に即した形での虚構、つまり精密な嘘が好きな私は、当時の地形、当日の海流、時刻から救援船に乗れたのに乗らなかった敦盛を、阿呆と思うわけですよ(直実は一度海に入ると陸に帰れない離岸の潮流であるため追撃を諦めた。で罵ったわけです。恩賞が逃げてゆくわけですから。あの当りは時刻によっては、川の様に潮の速い場所であるから…と考えるわけ。古戦場で思いをはせるとはそういう事です)。
 で、たぶん、黄安は突撃による壊滅に喝采をあげてるのでしょう。そう思っても、「気色のわるやつめ!首がちぎれたら砂が血だらけじゃないか。榊原を思い出すだろう。」とは書かずに能登のことを長々と書くわけです。これで彼の気分は台無しでしょうから。まあ、考えれば能登さんも返り血でべっとりでしょうが…。
 単純に書けば黄安は陸から見て私は海から見ていると言うことです。たぶんそういうことでしょうね。
 平家物語は文学であり、その狂言綺語の過ちをもって讃仏乗の因、転法輪の縁としようというものであることをうたっているこの場面が、ひとつの焦点、あるいは種明かしとは言えますが…。
58 これもよーわからん
投稿者:- 投稿日時 2003/12/22 15:09:42
更新日時 2003/12/22 15:09:42
>敦盛はすばらしい  散華の美学の極地のひとつだ

散華の美学とは純粋に仏教的な意味だろうか?
ならば、
>あはれ、弓矢とる身ほど口惜しかりけるものはなし。
が焦点となるはずだが?
少年は自らの死をもって機縁として、
>それよりしてこそ熊谷が発心のおもひはすすみけれ。
がこころうたれるということだろうか?
でもこれらは赤字ではないなあ。
これは、どういうことだ。
たしかに仏教的な因縁ものとしては美しい華だ、
少々生々しいが。
つまり、旧来の教科書的な鑑賞をとってるのだろうか?
信長がでたことから能のなにかとリンクした発言なのか?
それとも、単純に咲いた華なら、と言う感じなのか?
よーわからんな。


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