2008/5/9  23:59

「くわしく教えてクラシック」  音楽

 いつだったか、「文学界」「新潮」「群像」「すばる」の主要文芸誌すべてに寄稿してるな、すごいなと思ったのを記憶しているが、最近はそうした状況も珍しくなくなってきた。
 そんな中原昌也が「新潮」6月号では、「くわしく教えてクラシック」なる連載を開始してしまった。
 その第一回ゲストが浅田彰。なんと。テーマは「21世紀のクラシック音楽体験とは?」。
 
 久々に読む浅田さんの言葉はさすがに濃厚。見識と情報と考察が見事なバランスで語られ、プロフェッショナルとはかくやとため息をつく。

 クラシック音楽のあるべき意味として、うまい定義だなと思ったのが、「のちの創造的誤読をうむためのプリテクスト」という言葉だ。

 クラシック音楽がポピュラー音楽と決定的に違うのは、複数の演奏形式を許容する点だ。そして、そのクラシック演奏がベートーヴェンやショパン自身の演奏を再現したものではあり得ないという点。だから、作曲者の意図とはまるで違う演奏なのかもしれない。
 けれどそれはそれとして、「創造的」に誤読すること。そこに悦びを見出せるのがクラシックで、それを浅田さんは「ビビッとくる」かどうかにかかるというわけで、実に刺激的な言葉を与えてくれるものだと思う。

 そして、ミケランジェリらの生演奏に間に合ったという浅田さんが語る体験は、素直にうらやましいと思うし、そうした「体験」というものは得難いものであるとする一連のエピソードは、浅田彰の見事な描写とあいまって、それ自体が音楽的で、この言葉を読んでクラシック音楽に触れてみたいと思わなければ、その人は本質的に音楽を求めていないのではないだろうか。

 私なんかも、カラヤン、朝比奈、シノーポリの生演奏に間に合った口なので実に実によくわかる。
 と、思いつつ書店の別のところに行ったら、小泉純一郎・著『音楽遍歴』なる書物が日本経済新聞社から出ていた。うわ・・・。

 話変わるが「群像」新人賞の評論部門当選作の題が、「囲われない批評−東浩紀と中原昌也」だってさ。はぁあああ、とうとうそういう時代になっちゃったか。ちなみに未読。



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