2008/5/19  23:48

三島由紀夫『小説家の休暇』  

三島由紀夫『小説家の休暇』(新潮文庫)読了

 これも初読だけど、根本的に日本古典文学に対する興味と教養がゼロなので、いささか読書に苦労する。ことに巻末の『日本文学小史』を読むのは、努力が必要だった。

 標題の『小説家の休暇』は三島30歳、6月24日〜8月4日までの日記。
 三島由紀夫が書いたことに、私ごときがケチなどつけられようもないが、しかしこの人にして迂闊なことを書くな、やっぱり人間だなと思うのは、こんなことを書くときだ。

 「私はわずかながら乗馬をやったことがあるが、乗馬のあとの、肉体的健康の意識、その爽快さ、その行くとして可ならざるなき感じ、その快い疲労、なかんずくその解放のよろこびは、制作のために確実に害となることを知った。」(7月28日の日記より)

 芸術家のスランプについて論じたこの日の日記は、以後、スポーツのよろこびは、その無償性やエネルギー解放のよろこびなどにおいて、芸術に酷似しており、であるが故に、スポーツ後の芸術制作は、気分が重複するため害になるのだ、だから、芸術には一種不健康さが必要なのだ、と続く。

 ここで三島が何の検証も批判もなく、無反省に「スポーツ」の「快い疲労」とか「爽快」とか、書きつけるのは、実に実に実に痛恨だし、単に普通っぽすぎる。いっそ言ってしまうと、どこか安っぽくさえある。
 三島由紀夫ほどの人に、何のニヒリズムもなく「スポーツ」が「爽快」だなんて、間違っても言ってほしくない。

 単に私がスポーツに類することは一切やらないから、こんなことを言うのかもしれないけど、「スポーツ」=「爽快」という方程式には真っ先に疑いの目を向けてしまう。
 この一点において、私自身は、三島の宿敵(?)太宰治にぐっと接近する。



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません


RSS1.0