2008/7/26  23:59

PFF 「巨匠ミロス・フォアマンの世界」  映画

 ぴあフィルムフェスティバルの1企画で「巨匠ミロス・フォアマンの世界」。母国、チェコとのあれこれで渡米し、『カッコーの巣の上で』でブレイクする以前の、初期作品4作。
 渡米後のフォアマンはともかく、チェコ時代はすばらしいという高評価は昔から耳にしていたので、ここはぜひ確認に赴く。

 この企画がどれだけレアかというと、日本未公開のデビュー作『黒いピーター』(1963)と、初のアメリカ資本のユニバーサル作品にして、フォアマン自身の言葉では「チェコ時代最後の作品」という『パパ/ずれてるゥ!』(1971)は、それぞれチェコとアメリカから取り寄せたフィルムを、そのまま上映とのこと。
 字幕つきのフィルムがないため、字幕はビデオによるスクリーンへの二重投影。少なくとも字幕つきの上映は、おそらく二度とないだろうとのことだ。そんな変則字幕だから画面の影響を心配したが、まったく違和感はない。主催者の努力が本当にしのばれる。映画を観られるのは、こうした熱意に支えられてのことだ。心から感謝して鑑賞したい。

 結論としては、4作品とも見事というほかない作品だった。特に『パパ/ずれてるゥ!』は、70年代ニューシネマの中でも最高傑作ではないか。
 ヒッピー・カルチャーにのめりこむ、15歳の娘の家出におおわらわする親たち。さまざまなフォーク・ロックを、細切れに叩きつけるようにつないだ、前半のヒッピーシーンの描写が圧巻。
 クライマックスは、家出した子どもを持つ親たちのコミュニティで、子の気持ちを知るには子の気分を味わわねばという無茶な理屈で、全員がマリファナでトリップする、悪夢のようなシーン。とんでもなくパワフルな10数分!

 『カッコーの巣の上で』以後のフォアマンは、精神病院ご用達作家のような風情さえあるが、そうした萌芽はすべてこのチェコ時代の4作にある。
 そして、新世代による旧世代の乗り越えと、旧世代の新世代への迎合(無理した理解)、そして内心にひそむ強烈な対立という主題、つまり『アマデウス』、『ラリー・フリント』のモチーフは、より一層ここで鮮明だし、『ヘアー』は『パパ/ずれてるゥ!』の前半部のパワーアップバージョンだ。

 このように考えると、18〜19世紀の欧米を舞台とする『アマデウス』、『恋の掟』、『ラグタイム』も、カウンター・カルチャーど真ん中の『カッコーの巣の上で』、『ヘアー』、『ラリー・フリント』、『マン・オン・ザ・ムーン』と、二つに分かれるフォアマンの時代設定も、語ろうとすることは同じであることがわかった。
 チェコ時代の『消防士の舞踏会』(1967)の信じられぬ狂騒ぶりも、完全に『カッコーの巣の上で』中盤の狂乱ぶりに無理なく接続する。

 ただ1点、すばらしく切ない『ブロンドの恋』(1965)だけは独自の世界を形作って、あまりにも美しいチェコの小都市における、青春恋愛ものである。
 ここにはフォアマン的な毒素は陰をひそめ、恋に夢見る少女のおとぎ話として見事な達成だ。ただ、「精神病院」作家であるミロス・フォアマンという点にこだわりつつ、ひねくれた見方をするならば、この『ブロンドの恋』でさえも、狂った少女の白昼夢という解釈さえ許す点において、ミロス・フォアマンの驚くべき一貫性が感じられる。

 まず観る機会のない4作品ということから、これは近日中にきちんとレビューをまとめておきたい。ここではほんの感想だけ。

 なお、劇場にあの人がいた、この人がいたというのは、ご本人には失礼な話だからあまり書かないようにしているのだけど、私の座った視界の範囲に山田宏一さんがいらして、2つ後ろの座席には四方田犬彦さんがおられるというのには、さすがに緊張する。



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません


RSS1.0