2008/3/27  20:55

黎明はここに  分類なし

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2008/2/8  16:10

さそり座のKiss  分類なし

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ユングフラウ・モンブラン・エベレスト韻を踏みつつ歌へ言霊

浅草の神谷バーには今もある電気ぶらんとカストリの差異

性癖を暴露するほど憎み合ふたとへば歌の中に刻まれ

地平線に一条の赤差すのみの夜を掻き分けアクセルを踏む

キッチンの壁に不穏の動きあり香辛料の壜打ち伏してゐる

冷酒と熱燗の隅、人肌が手持ち無沙汰にややに湿れる

国民の手もて大臣(おとど)を選べたら罷免できたら いつか必ず

信長の意気地なみだは似合はねば勝手に泣いてをれ涸れるまで

始まりと最中があれば恋は善し間欠泉のやうな勢ひ

沈黙に耐へねば雪崩てゆくばかり光織り成す夜の隅田川

なまくらの匕首呑みし懐がひりひりと泣く木枯らしの今日(けふ)

両の手に嬉しくもなき花の束 枯れ行くものを歓べと言ふ

姦の字の女やぐらを組む中に男はどこにもゐないぢやないか

人類の死滅が夕焼けて立つてゐたフルボディの赤を飲み干して出づ

一年の長し短し忘却はすみやかにきて匂ひもおぼろ

やいと花・早乙女かづら・の贈り名にヘクソカズラはほの明かりする

愛無くばそは一枚のひふ愛あらば舌の根深く絡まるところ

根無しかづら絡みつきつつ宿主の倒れ伏すまでその白き花

焼酎が嫌ひな女ウオッカとジンは平気と言ふ訳わかめ

C56型機関車、椅子の固きを楽しまん先頭(せんづ)の先の夢の吊橋

携へてつごもりの夜を濡れ籠るハイアット・リージェンシー箱根

人生の辻褄合はせは見苦しい「女将さんお勘定お願いします」

歴史とは折れざる一本の意志と思ふ2008年平成20年

観衆の沸くこゑの中誇らかにをんなの意気地 外八文字

「ミニー・ドライバー」→「片桐はいり」が浮かぶなり真四角に張る鰓の辺りに

アンジエリーナ・ジョリーたらこ唇突き出さば毒にあたらぬ男はをらぬ

江分利満氏連れ戻られよ山口氏 ワーキング・プアの溢れる日本

オール・オア・ナッシングを旨とする蠍座のKiss灰から灰へ

振り返る道は紫黒(しこく)に暮れてをりゆく手を示す光さへ無し



2008/2/8  15:25

如月二ん月誕生日  分類なし

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 我が家の<えいと君>は、休むときは藻の間に逆立ちをして休みます。
哲学する金魚かも?(逆立ち病とは違って癖のようです)

すっかりHPともご無沙汰で遊びまわっていました。この国の形を憂えては胸を痛めていました。山は動きつつあるのかしら?


常磐道駆けて町田に一時間北から西へ秋の韋駄天

松園の春画を観たし芯のある女がをんなを描きたる其を

首筋が燃えて面(おもて)が水を噴く女体あまねく臓も汗ばむ

二つに重ねて四つにしてください不義密通に蕩けてしまふ

あたしにも旦那がゐること摩訶不思議 ジャガタラ芋は爵位を背負ふ

ぶつたぎる為に手斧(てうな)は黒光り児童ポルノを楽しむ人に

後半はいよよ佳境の晩節期わたくしらしく汚して死なん

液化する野菜の匂ひ平成の時代激しく饐へてゆくなり

6等のトンボ鉛筆一本が万年ビリのご褒美でした

抱き方に創意工夫とサプライズ君に言ふても詮無きことか

土星の輪の砂礫に裸のマハがゐる☆が生まれて死んでゆく中

ヘクソカズラ、早乙女花と言ひ換へて陽だまりの中からまり昇る

愛は死に勝るだらうか「哀愁」のウオータールーの橋に佇む

そらまめの無法の蔓に絡まれて永田町界隈ジャングル化する

封印はほどかずに置くとこしへにハリセンボンのわたくしを抱け

二十三夜・二十六夜待ち愛咬の佳境のなかを月のぼりくる

富士額の私はどこに縮みしや年甲斐もなく前髪たらす

一杯に絞ることだね?「フルスロットル」検索しても出てこない鬱

大昔の私だつたら吼えたでせう巨人!長島〜!・・こゑ嗄れさうな

塩サウナミストサウナに溶かしつつ性欲の棲むやはらかな肉

割り込みの膝の堅さに耐へゐしが鼠蹊部りりと緩びゆくなり

致死量の毒を飲み込む真暗がり<のどびこ>るると震へるが見ゆ

捩摺りのしのぶもぢずり雅世を捨ててねぢれのうつつかなしむ

背中からどんと押されてたたら踏む 石楠花なんぞ秋をほころぶ

竹かごに溢れてんでの富有柿西日の長きコンパスの上

大胆に枝打ちされし柿の木の向かう三軒近しき明かり

秋霖が疼く肺腑を濡らすからミストサウナの汗に溺れん

剥きだしの心が寒い 霜月をリストカットの増ゆるたましひ

コンテナ車貨車の列なり見送りつ <はやぶさ> の時間ゆるやかに過ぐ

つぶら実のこぼれが芽ぶき育ちゆく千両万両冬のくれなゐ






2007/11/23  21:41

私の中のマドンナ達  分類なし

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「風と共に去りぬ」の純真なメラニー役のオリビア・デ・ハヴィランドは、「断崖」のヒロイン、ジョーン・フォンテーンのお姉さんなのです。

二人とも似ていないので、姉妹とは長く気が付きませんでした。

父親が東京帝国大学の教授で、日本に生まれて、聖心女子大(妹のジョーン)に通ったなどということにもびっくり。(父親は姉妹が幼いときに離婚をして、日本人女性と再婚。姉妹は母親とアメリカに戻る。ジョーンのみ17歳ごろ再び日本の父親の元で暮らします。)

姉妹ともアカデミー主演女優賞を貰っています。

「断崖」でケーリー・グラントと共演したジョーン・フォンテーンの美しさは子供(NHK世界名画劇場を観て育ちました)ながらもうっとりと見惚れたものです。

「風と共に去りぬ」のメラニー役のオリビア・デ・ハヴィランドは、ひっつめの髪型の所為でしょうが随分顔の大きい女優という印象でした。

同じようにひっつめの髪型で、容姿の劣ったオールドミス役キャサリンを演じた「女相続人」は、女の復讐の怖さを子供心に植えつけられた作品です。(アカデミー主演女優賞)

モンゴメリー・クリフトが演じる、財産目当てで近づいてきた男、駆け落ちを約束して密かに準備をして待つキャサリンの元に、迎えの馬車はとうとう来なかった。

モリスに騙されたと理解した時の、キャサリーンの誇り高く凍った表情と、何年か後に、助けをすがってきたモリスに変わらぬ愛の言葉を掛けます。

しかし、約束の時間に「開けてくれ~キャサリン、開けてくれ~~」モリスがドアを叩く音をBGMのように聴きながらキャサリンは平然と刺繍を続けるのです。

手ひどい復讐を果たした、一切の感情や情感を捨て去ったキャサリーンの石の心に、観ているこちらの心まで強張ってしまいました。

わたくしにも、心が石になったときの夜叉が、息を潜めているのを知っています。時々躍り出てくることも。

それにしても、男というものは、どうして自惚れが強いのでしょう?手ひどい裏切りをしながらも、まだこの女は自分を愛しているから言いなりになる、と思い込む愚かしさ。


   ちりぢりのこころが泣けば春秋を閉ざしをんなが成るストーカー



一枚目二枚目・・ジョーン・フオンテーン
三枚目・四枚目・・オリビア・デ・ハヴイランド






2007/11/23  21:32

私の中のマドンナ達  分類なし

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「スミス都へ行く」共演・・ジェームス・スチュアート
「オペラ・ハット」共演・・ゲーリー・クーパー

ヒロインのジーン・アーサーも忘れえぬ女優です。

白黒フイルムの時代の、女優のアップの場面は、霧のようにけぶらされていて、憂い顔や夢見る表情が実に魅惑的に撮られています。

「シエーン」共演・・アラン・ラッド

音曲「遥かなる山の呼び声」で有名な、天然色映画の「シエーン」で、開拓者の妻を演じたジーン・アーサーを見たときは、「オペラ・ハット」・「スミス都へ行く」のジーンとはとても思えなかった。

それほどがっしりとした腰骨の大きい女性に変貌していたからだ。

開拓者の妻の設定だから合ってはいるのだが、白黒フイルムの時代の魔法が煙のように消えて、現実の骨太の女性をカラーフイルムはむき出しにしてしまう。

白黒の時代は陰影が深い味わいをもたらしていたのだね。

ジャック・パランスが演じる、殺し屋ウイルソンを倒して去るシエーンに、少年ジョーイが

「シエーン!カムバック!」

と呼びかける場面も、馬の上のややうなだれた姿勢のまま去るシエーンが、殺し屋ウイルソンの銃に傷つけられていて、馬に揺られながら死にゆくというもう一つの説を知れば、ラストシーンの長回しは余韻嫋嫋と涙ながらに胸に迫ってくる。

今年の題詠100blgに、「バランス」の御題があった。

初め「ジャック・パランス」を詠いこもうと考えた。
しかし、どう逆立ちをしても、ジャック・パランスであって、バランスではないのだ。

それで、上のもう一つの説をもって詠い納めた。

024:バランス 

「カム・バック・シエーン !」馬に揺られて遠ざかるバランス崩れ落ちたる 其の 死

2007/11/12  21:39

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クローデッド・コルベール

「或る夜の出来事」のクラーク・ゲーブルと

男から、ヒッチハイクの奥義を伝授されたが、スカートを巻くって美しい脚を見せるだけで車が止まるシーンが楽しい。

クローデッド・コルベールの可愛らしさ、少女だった私の胸をときめかせた作品です。

毛布で作った「ジェリコの壁」で、男女の純潔を保つアイデアは初々しい。
ちなみに、アカデミー作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚本賞の五部門を制覇した作品で、ほかは、75年カッコーの巣の上で・90年羊たちの沈黙だけだそうです。

ほんの少女の頃から、NHKの世界名画劇場を観て育ちました。おませな女の子の小さい胸が、どんなにキュンと鳴ったことでしょう。

そのまま大人になって、今もうっとりと夢を観ているわたくしがいます。

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2007/11/12  21:26

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イングリツド・バーグマン

「カサブランカ」は、ハンフリー・ボガードのリック役、イングリツド・バーグマンのイルザ役で、戦争中の男女の運命的な別れを描いて女性達の涙を絞った。

「君の瞳に乾杯!」

「きのうはなにしたの?」
「きのう? そんな昔のことは忘れたよ」

「あしたは、どうするの?」
「あした? そんな先のことはわからない」

リックのニヒルな台詞も魅力的でした。

イングリット・バーグマンは、顔立ちも四角く、体躯もいかつくて、絶世の美女ではないのだが、空港での別れのシーンの潤んだ瞳の写真はたまらなく愛おしい。

それでも、くるりと向きを変えて、脱出の飛行機に向かって歩む表情には、隠せぬ喜びが浮き上がっていた。イルザの脳裏からリックの存在は完全に消えて、アメリカで生きてゆく未来しか見えていなかった。

リックが自分の脱出チケツトを譲ってまでイルザを愛したダンデイズムは、見事に切り捨てられたのだ。


 振り向かずイルザは歩み残されし<君の瞳に乾杯!>のこゑ

女は怖いね。

ケーリー・グラントとの「汚名」


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2007/11/12  21:12

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エヴァ・ガードナー

「裸足の伯爵夫人」

ロッサナ・ブラッツイ、ハンフリーボガードと共演

裸足の踊り子が映画女優から伯爵夫人に登りつめながら、性的不能の夫からの満たされぬ思いに苦しむ姿。精神の愛と肉体の愛のせめぎあいが、女の業を浮かび上がらせて共感するものが大きい映画でした。

肉体の愛に走って夫の伯爵に射殺されるのですが、結婚した後に不能だと告白するような男のずるさが、一人の女を不幸にしたいい例です。

エバ・ガードナーと、元宝塚の麻美れいと、よく似ていると思いませんか?

 日本のエヴァ・ガードナー<麻美れい>のけぶれるやうな眼差しがいい


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2007/11/12  20:49

私の中のマドンナ達  分類なし

ビビアン・リー

マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」を読んだのは中学一年のとき。泣いて泣いて泣き明かした少女の胸に、レット・バトラーが永遠の恋人として棲みついた。

男らしくないアシュレ・ウイルクスは決して選ばなかった。しかし現実の世界は、アシュレ・ウイルクス的男達に満ちていると分かったのは、遅い年齢の恋をした時だ。その恋も情けないアシュレ・ウイルクスだったのだ。

男の侠気・誇りある精神・雄雄しい正義感・何よりも愛するということを知っていた。
私のレット・バトラーはどこにもいなかった。

スカーレット・オハラの愚かしさに、何度地団駄踏んだことだろう。12歳の私でも、レット・バトラーとアシュレ・ウイルクスの男としての真価を見極められたのに・・。

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ロバート・テイラーと「哀愁」

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クラーク・ゲーブルと「風と共に去りぬ」

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珍しいクレオパトラ役

2007/11/11  18:23

ネズミに似ていると言われて  分類なし

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こんな記事を発見した。にこやかに書かれているけど、書いた人の内心はどんなものだろうか?

「アルジャーノンに花束を」の映画に涙した者には、二十日鼠のイメージは可愛い。
いじらしい思いがする。

デイズニーランドのミッキーマウスやミニーの仕草の愛らしさには、子供も大人もほのぼのとするだろう。でも、この記事の中の「ネズミに似ている」の言葉からは、ドブネズミの灰色の姿態しか想像できない。

言われたときの上田さんの心は痛かっただろうなあと思う。
雅子さんという人のエピソードを聴くにつけても、ほとんどデリカシーの無さを実感する。

婚約前の「恫喝写真」を含めて、何故、周りの人々は雅子さんという人の本質を見極められなかったのか?

何故皇室に押し付けたのか?
大きな悪意の存在を感じられてならない。


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