自己紹介  分類なし

 わたしは、関西の某大学に勤務しながら認知心理学の立場から人間の思考を研究しています。当初は、人間の思考が論理的ではないなという直観から始めたのですが、やっているうちに途方もなく難しいテーマだということを痛感しています。 

 それは当然かもしれません。たまたま巨大で複雑な脳を得たヒトという動物が、その脳を用いて自己を含めた様々な対象を内省的に観察することができるようになり、そして「それはいったいどういうことなのか」を昔から哲学者や宗教家、さらには歴史に名前を残さなかったさまざまな人々が考え続けてきたことなのです。たかだか50年足らずしか生きてこなかったわたしにそう簡単に答えが見つかるわけがありません。

 大きすぎる問題というのは、逆に何でも書けるという強みがあります。時々独り言を書いてまいりますので、読んでくださった方々からのコメントなどを歓迎いたします。「個別の記事に特にコメントはないが、何か一言」という方は、この自己紹介欄のコメントにお願いします。

 ところで、2008年の4月よりサバティカルをいただき、1年間、ロンドン大学のBirkbekc Collegeに滞在しています。刺激的な環境で、思い切って異なる領域にもいろいろ触れつつある今日この頃です。
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2008/8/29  6:18

London Reasoning WorkshopとThinking2008 in Venice  思考心理学

 8月は、18日と19日に、わたしがお世話になっているロンドン大学Birkbeck Collegeで第3回のLondon Reasoning Workshopがあり、21日から23日に、ベニスで6th International Conference on Thinkingがあって、バタバタしていた。London Reasoning Workshopは、Jonathan Evansの60歳記念ワークショップとしても開催されたが、以下のアドレスから、発表者のファイルがダウンロードできる。
http://www.bbk.ac.uk/psyc/staff/academic/moaksford/londonreasoningworksh
なお、わたし自身の、「後知恵バイアスについての比較文化」についての発表は、19日であった。

 ワークショップで発表し、またベニスも生まれて初めての訪問だったので、いろいろと期待もあるはずなのだが、個人的に少々欝気味だったので、かなりテンションが低下したままの参加になった。さらにその落ち込みに拍車をかけたのが、ここ2−3年の間に、推論研究がさらに進んでいると現実であった。わたしがしばらく比較文化的な文献を読んでいるうちに、メンタルモデル理論、二重過程理論、ロジシズムに対する確率論的理論、合理性についての議論が、わたしの手の届かないところへ到達しているという実感をもった。それから、わたしが興味を抱いていた進化論的な議論は、もうほとんどなされていなかった。また、比較文化研究の発表も、唯一わたしだけであった。メンタルモデル理論は、確率論とも結びつき、またあくまで意味論ベースであって語用論的な理論とは明確に区別されるべきであることが強調されていた。また、二重過程理論では、二つの過程をコントロールするメタ認知的役割をもつ、第3のシステムまで想定されつつある。わたしは、メタ認知は進化的に新しいとする第2の分析的認知システムが担当しうるのではないかと思ったが、時代の流れにはなかなか逆らえない。唯一嬉しかったのは、同じく後知恵バイアス研究を発表されていたポーツマス大学のHartmut Blankさんがわたしの研究に興味をもってくださり、彼に来年の2月にポーツマス大学での講演を依頼されたことである。しかし、わたしは、Blankさんの研究にも圧倒されてしまった。彼によれば、後知恵バイアスは、記憶のゆがみ、予見可能性印象、必然性印象という3つの半ば独立した成分から構成されている。そして、どのようなタイプの後知恵バイアスが生じるかは、この3つの成分がどのように機能するかによって影響され、かつこれらの成分は互いに相関がない。

 ベニスの学会は、サンマルコ広場からさらに船で10分の、San Servolo島で行われた。島全体がベニス大学の所有で、合宿のような学会であった。わたしは、counterfactual、pragmatics、causality、probabilistic reasoning、normative rationalityなどのセッションに参加した。counterfactual研究は、causalityについての知識がどうかかわるかでたいへん興味深い領域だと思う。現実場面におけるcausalityの知識が、どのようにして反実仮想世界に適用されて架空の結論が導かれるのかという点について、多重に世界を構成する必要があるということで、executive functionとの関連や、架空であるという想定を維持するための抑制制御などが議論されていた。

 今年の学会では、招待講演者は、推論研究者はPhil Johnson-LairdとSteve Slomanのみで、あとはどちらかといえば、ちょっと別の領域の有名人を呼んできて、最新の話題を拝聴しようという企画だった。なかでも、心の理論のAlan Leslieと知識発達のElizabeth Spelkeはおもしろかった。Leslieの話は、心の理論がモジュールでありながら、executive functionとかかわり、かつその後生的性質として、信念の帰属とその抑制が重要であることが強調された。また、Spelkeの話は、子ども、乳児から動物にいたるまで、コア知識とは何かを追求したものだった。とくに彼女の研究はコア数字とコア幾何学という素朴知識についてであり、大人になるにつれてその素朴なコア知識がよりフォーマルな数字や幾何学的知識にどう変化するかという議論において、土台となって新しいものができるというよりは、常にコア知識が基礎になってそれに依存しているということが主張された。

 ベニスの学会には、神戸女学院大学出身の中村紘子さん(現大妻女子大学)と新居佳子さん(現大阪大学)も参加されていた(日本人は、これに早稲田大学の中垣啓先生を含めて計4名。ちなみに、韓国からはド・キュンスーさんが参加されていて、アジアからの参加者は計5名であった)。新居さんは、初の英語による口頭発表ということで緊張されていたが、オーガナイザーのトゥールーズ大学のDenis Hiltonさんにサポートされてなんとかやり終えた。わたしも、初の英語の口頭発表では異常に緊張してしまったことを思い出した。なお、下の写真はわたしが撮ったもので、わたしは写っていない。
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2008/7/29  6:30

ああ、日本人的怒り  分類なし

 英国で暮らしてみて4ヶ月近くになろうとしているが、こちらへ来て、非常に気楽に感じられるのが、依頼と断りである。日本の社会では、依頼や断りには、かなり神経を使わなければならない。調子に乗って頼めば、ずうずうしい人間ということになるし、人からの依頼を断れば、たいへん冷たい人間ということになり、場合によっては、人間関係まで絶たれる可能性もある。しかし、英国では、かなり気軽に人にものを頼めるし、また、頼まれて自分ができなければ断ることも容易である。これは、わたしが英国人にとって外国人であるということで、少々の常識はずれが許容されるからであるかもしれない。しかし、英国人同士でも、かなりたやすく頼んだり断ったりしているようでもある。この依頼・断りの容易さに文化差があるとすれば、これまでの比較文化的な理論ともかなり合致するし、さらには、よくいわれる「現代の日本はストレス社会だ」という言説を説明できる鍵になるかもしれない。

 わたしも、最近、高野陽太郎先生(近著に「集団主義という錯覚」がある。まだ入手できていない)の影響からか、西洋と東洋の差異を表わすのに、個人主義・集団主義という用語の使用に慎重になっているが、この日本における依頼・断りのしにくさは、他者の心を読むことが奨励される文化の産物ではないかと考えている。他者の心を読むことが奨励されるか否かの文化差は、幼稚園における教師や親の子どもに対する叱り方に現われているといわれる。たとえば、ある子どもが他の子どもに意地悪をしたら、米国では、親や教師は、直接その権威で子どもの意地悪を叱るといわれているが、日本では、意地悪をされた子どもの気持ちを考えるような働きかけがなされ、「自発的」に意地悪は悪いと悟るまで待つといわれている(恒吉, 1992 人間形成の日米比較)。

 この叱り方については、日本の方が教育上優れているようにも思うが、一方でこれは、依頼のしにくさにもつながると思う。つまり、日本では、依頼の前に、もし頼みごとをしたら、頼まれたほうが困るのではないかとか、負担になるのではないかと十分に相手の心を読んでおくことが求められるようである。依頼側にこれだけ読むことが求められれば、それに対して断ることもたいへん失礼ということになる。このようにして、依頼する側には、相手に負担をかけないようにという細心の注意が求められ、また、依頼された側にも容易に断れないというプレッシャーの中で、こうして日本独自のストレス社会が形成されているかもしれない。前回の日記で、日本が多文化社会化していると述べたが、人々の間で暗黙の価値観が多様化すると、他者の心を読むのがだんだん困難になる。わたしは、依頼されただけで、自分があたかも被害者になったかのようにしてキレる人をときどき見かけてきた。嫌なら簡単に断れば済むことがどうしてこうなるのかと不思議だったが、やはりこのような背景を考える必要があるかもしれない。

 6月に日本に一時的に帰る途中、ロンドンの地下鉄の中で、「これが日本人特有の怒りだ」という経験をした。ヒースロー空港に行くことができるピカデリー線では、車内に大きなスーツケースを置けるスペースがあり、そこは、スーツケースに優先権がある。わたしは、そのスペースが空いたので自分のスーツケースを置こうとしたが、瞬時の差で、手ぶらのカップルにその場所を奪われてしまった。わたしは、スーツケースを中途半端な場所においたまま途方にくれ、なんとかそのカップルにこの状態を「察して」欲しいと思ったが、彼らは一向にその場所から動こうとせず、わたしはかなり頭にきてしまった。英国のルールは簡単である。彼らに頼めばいいだけなのである。そこがスーツケースの優先場所だと告げれば、おそらく、彼らは、かなりの高確率で謝って場所をゆずるだろう。わたしは依頼すればよかったのだろうが、結局、そのままでいて、怒りだけがこみ上げてきた。これは日本人的怒りである。日本であれば、そういうことを頼むと、自分に恥をかかせたと逆恨みされたり、へたをすると殴られたりする確率は少なくとも英国よりは高い。そのリスクを避けて、何も頼まず、相手が「察して」くれないことに怒ってイライラする。この習慣をわたしはロンドンの地下鉄に持ち込んだのである。自分の中に日本人を見た瞬間であった。

2008/7/18  22:29

嬰児殺しとアモック―日本人は本当にモラルが低下しているのか?  時事

 わたしがもつ大きな疑問の一つに、なぜ現代の日本を過大に否定的に評価する傾向があるのかという問題がある。これは、とくにマス・メディアなどで、「貧困な精神の時代」とか「モラルの喪失」などといったキーワードとともに喧伝されて、一般の人々にも受け入れられやすい。確かに、現代を過剰に肯定して、改善の芽を摘むよりはいいのかもしれないが、何か本質を見誤っているという気がしてならない。わたしは、これに二つの違和感を抱いている。第一は、現代の日本人が、本当に精神が貧困になって、モラルが失われているのかという事実認識の問題である。第二は、それらをあたかも事実として、たとえば「競争社会のひずみ」とか「格差社会」といった表層的な概念で説明しようとする点である。

 第一の問題だが、現代の日本人の精神が貧困で、かつモラルが失われているということをどのように実証したらいいだろうか。マス・メディアは、その時代時代に目立つようなエピソードを逸話的に繋げて現代の日本を否定的に評価する。たとえば、いくつかの事件から、「最近は凶悪な犯罪が多い」と主張して、あたかもそれを前提として議論を進める。しかし、そのような方法はたいへん危険である。モラルを判断するのに、比較的信頼できるのは、時系列的な犯罪統計データだろうが、それによれば、ここ100年間、明らかに凶悪犯罪は減少している。その中に明白に最近激減しているのが嬰児殺しである。統計資料によれば、2000年には、1970年の4分の1に減っている。この事実は、去る2月に慶応大学で行われたCOEのシンポジウムで、長谷川眞理子先生が話されていた。とくに、嬰児殺しは、未婚のまま生んで経済力がない母親によるものが多かったのだが、それが減っているらしい。

 第二の問題として、実際にモラルが低下していないのに、低下を「事実」として説明するのは奇妙だが、実際に、マス・メディアではそういうことが頻繁に起きている。たとえば、最近、秋葉原で通り魔的大量殺人事件があったが、これも、メディアの論評によれば、核家族化や地域社会の崩壊、あるいは非正規雇用という現代的な問題として捉えられている。しかし、こういった「事件」は、近代化される以前の狩猟採集民の間でもときどきあったことであり、「アモック」として知られている。アモックとは、ネガティブな経験をして、侮辱を受けるなどした後、部族の人との接触を避け、引きこもり、物思いに耽っている様な状態になるが、突然、身近にある武器を手に外へ飛び出し、遭遇した人を無差別に殺傷してしまうという現象である。したがって、秋葉原の事件は、決して「現代日本」の犯罪ではない。こういう事件は、人間のより本質的な部分で議論すべきだろう。

 わたし自身は、19世紀以来の日本社会における変化のうち、最も根本的な部分は、公教育などによる人生における選択肢の多様化だろうと考えている。核家族化や地域社会の崩壊は、それに伴った現象であろう。選択肢の多様化は、個人に、同時にいくつかの集団に所属することを要求し、かつ集団も流動的になる。かっては、所属する集団といえば地域社会だけであったのが、現代では、地域と同時に職場の集団にも所属したり、また、仕事の場所が変化すれば、地域や職場の集団が変化したりする。そうすると、価値観も多様になってきて、社会が多文化化してくるわけである。言いかえれば、集団主義文化から個人主義文化への変容を体験しているということになる。

 わたしは、嬰児殺しの激減について、単に、未婚母子への経済的サポートが充実したという理由のみならず、この価値観の多様化があると考えている。かっては、「未婚で子どもを産むことなどとんでもない」ことだったのが、「そういう生き方があってもいい」というように多様化しているのである。多様化は、長所だけではない。異なる価値観の受容がなされなければ、多様な価値観の並存は社会に摩擦を招く。たとえば、モラルの喪失の例として挙げられるような「モンスター・ペアレント」は、自分自身の価値観と学校文化価値観の衝突の例として捉えることができるだろう。さらに、かっては「学校は絶対」という価値観だけだったのが、学校の教師の不祥事などによって、「学校にクレームをつけてもかまわない」という価値観が生まれれば、当然モンスター・ペアレントは生じてくる。

 土居の「甘えの構造」によれば、人間の関係は、(1)家族やごく親しい友人など、甘えが許容される関係、(2)良く知っているが、甘えるにはその対価が必要な関係、(3)赤の他人、に分類される。現代日本は、集団の流動性などによって、(1)の関係がかなり破壊された状態と記述できよう。それによって孤独を感ずる人間も増えたかもしれない。だが、一方では、(3)の人々への接し方もずいぶんと変化したように思う。かっての、旅の恥は掻き捨て的な人はずいぶんと減少し、また、以前は(3)に分類されていた身体障害者や中国や韓国の人々への差別も表面上は少なくなっている。集団流動性がパブリックという発想を植えつけてきた結果だろう。そういう点で、わたしは現代の日本における変化を、本質的な部分で評価している。選択肢や自由の増大とそれに伴う孤独は、ヒトの文化史におけるトレードオフの問題であろう。

2008/7/1  3:10

「自己愛の暴走・精神の貧困な時代・現代社会の歪み」−ン?  時事

 先日、イタリアの世界遺産であるフィレンツェ市のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂において日本人の落書きがあったというニュースが報道されたが、それに対する6月29日付けの産経新聞でのコメントにはかなり違和感をもった。コメンテーターの意図を新聞記者が歪曲した可能性もあるが、私見を述べてみたい。


自己愛の暴走
 コラムニストの勝谷誠彦さんの話「誰でも簡単に海外に行ける時代で、『そこに行った』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、落書きという安易な方法をとる。実名まで書いてしまうのは自己愛の暴走。自分を『世界に1つだけの花』と思いこむ人間が増えて、そこに自分という存在が残ったと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。野球部監督も、もし落書きをしていたとしたら、そうした1人にすぎないということ。立場があるのだから、きちんと謝ればいいこと。辞任だとか、重い処罰を受ける必要はない」

記念写真感覚
 社会評論家の赤塚行雄さんの話「昔から相合い傘の落書きが街角の壁にあるなど日本人は落書きに対して割と寛大なことが底流にある。落書きといっても汚い言葉を書くわけでなく、記念写真を撮る感覚で証拠を残したいという軽い気持ちから書いている。だが世界の歴史的建造物となると意味合いが異なる。外国では宗教が教育の中心にあるが日本は違う。かつての日本では『修身』が、モラルを示していた。勉強だけできればいいという現代社会の歪みがこうした問題を起こしているのかもしれない」


 勝谷氏の「自己愛の暴走」には、申し訳ないが笑ってしまった。自己愛は、個体が独立していく過程の防衛機能である。これが青年期に、自分は優越的で素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む程度が極端に強くなり、かつ排他的になると人格障害的かもしれないが、適応的かつ合理的なメカニズムである。「世界に1つだけ」程度は、十分に健全な精神といえ、「自己愛の暴走」はあまりにも大げさである。「自己愛の暴走」というと、わたしが連想するのはヒトラーである。

 それに、「自己愛」はたいへん便利な概念で、多くの人間の行動の説明に使用できる。たとえば劇場型の自己顕示的な犯罪から万引きまで、多くの犯罪には自己愛が影響しているだろう。「名前を残す」といえば、西洋の多くの寺院にサインブックが置かれているが、それに名前を書くのも自己愛かもしれない。どんな行動でも説明できる概念を持ってきていたのでは、この「世界遺産に落書き」という特定された行動の説明にはならない。まあ、「遺産の重みを理解していなかった」「「みんながやっているならいいだろう」くらいのノリでやった」程度で、説明としては十分だろう。

 「劇場型犯罪」の生みの親はたしか赤塚氏だったと思うが、ここでの「修身」はピントはずれだ。戦前に「修身」はあったが、現代よりは、たとえば韓国・中国の人々、あるいは障害者に対する差別ははるかにひどかったし、昔の社会のモラルが現代より高いという根拠は皆無である(詳しく検討すれば、ある面ではモラルは高くなり、ネットなどの新しい習慣が生まれるとモラルが確立されるまで時間がかかって、一見モラルが低くなったように見えることがあるだろう)。それに、「勉強だけできればいい」という価値観は、ほんとうに日本の現代社会にとくに強くあるのだろうか。わたしは、「能力さえ高ければモラルは問わない」は西洋のほうが強いように思えるし、さらに日本でも、昔は、「家柄が良ければいい」とか「身分が高ければ偉い」というもっと忌まわしい価値観があったのではないだろうか。

 この二人に共通するのは、「精神の貧困な時代」とか「現代社会の歪み」などの用語による現代社会の過剰な否定的評価である。わたしは、現代社会はモラルがより失われているとは全く考えていないし、現実にそういうデータがあるわけではない。それから精神が貧困とはどういう意味なのか、そしてその意味に照らして本当に現代は精神が貧困になっているのだろうか。こういう証拠もわたしは見たことがない。犯罪は、統計データをみれば一目瞭然だが、確実に減っている。何か大きな事件があるとこういう内容の無いキャッチフレーズが踊るという習慣は、いったいいつから定着しているのだろうか。わたしが日本の現代社会をどのように捉えるかは、比較文化的な視点で、後日書いてみたい。


追記

 以下は、コメントして下さった方に対する返信として記載したが、オリジナルとの比較のために、本文に移動した。

 最近英国で、ティーンエージャーのナイフ所持とナイフによる通り魔的な殺人が問題になっているので、勝谷氏のコメントのパロディをつくってみた。

「誰でも簡単にナイフが持てる時代で、『強くなりたい』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、ナイフを持つという安易な方法をとる。殺人までしてしまうのは自己愛の暴走。自分を『世界に一人だけの強者』と思いこむ人間が増えて、そこに殺人がその証明だと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。」

何にでも使えそうである(笑)。

2008/6/22  0:55

ドレミの歌―サウンド・オブ・ミュージック  音楽

 6月20日に、London Palladiumで現在公演中の、サウンド・オブ・ミュージックを見てきた。これは、わたしが最も好きなミュージカルで、日本でも、宮本亜門演出で、マリアを大地真央が、フォン・トラップを若林豪が演じていたものを見たことがある。しかし、何よりも印象深いのは、ジュリー・アンドリュースの1965年の映画版である。

 あらすじは、ご存知の方も多いと思うが、簡単に記すと以下の通りである。

 舞台は第二次世界大戦直前のザルツブルグ、謹直なやもめのオーストリア海軍の退役大佐フォン・トラップの元に、女子修道院から破天荒な修道女マリアがトラップ家の7人の子どものための家庭教師として送られてくる。大佐は、以前は音楽が好きだったようだが、妻を亡くしてからは全く音楽とは無縁で、子どもたちも、歌うということはほとんどない環境だった。そんな子どもたちにマリアが教えたのがドレミの歌であり、また、大佐は、テーマ曲のサウンド・オブ・ミュージックを口ずさみながら昔の音楽好きな自分を取り戻す。マリアは、子どもたちに、My favourite things、The lonely goatherd、So long farewellなどを教えるうちに、彼らと絆を深め、またいつのまにか大佐を好きになっていた。ところが大佐は、ある女性と結婚することになっており、自分の気持ちに気がついたマリアはトラップ家を逃げ出して女子修道院に舞い戻る。そんなマリアに対して、修道院長が歌うのがClimb every mountainで、ここで、一幕が終了する。

 トラップ家に戻ったマリアは、婚約者と別れた大佐と結婚した。ところが、大佐のもとに、ドイツ海軍から召集令状が来ていた。一方で、オーストリア教育大臣の秘書であるマックスが企画した音楽コンテストにトラップ・ファミリー・シンガーズとして出場し、ドイツ海軍の任務につくのはその直後ということになっていた。そのコンテストで披露されたのが、Edelweissである。コンテストでは見事に優勝するが、その発表のとき、トラップ・ファミリーが逃亡していることが発覚する。ファミリーは、アンコールで、So long farewellを歌ったが、それとともに会場を去っていたのである。彼らは一時女子修道に匿ってもらうが、その後、アルプスの山々を越えて亡命する。このときのテーマも、Climb every mountainである。

 舞台を見るときも、ついつい映画版と比較することになるが、キャスト、演出ともたいへんすばらしかったと思う。日本で見ると、どうしても必ず一人や二人「はずれ」が出てくるものだが、少なくともこのキャストにははずれはいなかった。マリアを演じたSummer Strallenは、コミカルなマリアとしっとりしたマリアをうまく演じていたし、声も美しかった。また、トラップ家の子どもたちは一人一人個性的でドレミの歌にしろ、My favourite thingsにしろ、たいへん上手かったと思う。極めつけは、修道院長のMargaret Preeceで、あんなすばらしいClimb every mountainを聴いたのは初めてである。また、彼女と修道女たちとのコーラスも秀逸だったと思う。実は以前も「オペラ座の怪人」を見たのだが、このロンドンのウェストエンドミュージカルのレベルの高さに、今さらながら驚かされている。

 映画版と比較してちょっと残念に思ったのは、ザルツブルグやザルツ・カンマグートの美しい風景が取り入れられていなかったことだろう。映画版では、子どもたちは、ザルツ・カンマグートへハイキングに行ったところでマリアからドレミの歌を教わっており、元気よく行進しながら歌う場面は、ザルツブルグのミラベル宮殿の庭であった。その要素がこの舞台では全く取り入れられていない。一方、舞台として見て、今さらながらに気がついたのは、Climb every mountainが思っていたより大きな位置を占めているということだった。第一幕の最後ではマリアの人生の旅立ちとて歌われ、またフィナーレでは、トラップ家の旅立ちとしてメロディーが流されている。このことは、映画版では気がつかなかったことである。あと、せっかくの舞台なら、音楽コンテストでのEdelweissを、観客も一緒に歌えるような演出もあっていいのではないかと思った。それとも、これはミュージカルではご法度なのだろうか。

 最後に、気になったことが一つある。内陸国のオーストリアに海軍があったのかなと思ったら、どうやら、第一次世界大戦前にアドリア海沿岸にハプスブルグの領土があり、そこに弱小の艦隊があったらしいということがわかった。キャプテン・フォン・トラップのイメージが、少々崩れてしまったかもしれない。


2008/6/12  22:38

HBES(Human Behavior and Evolution Society) in Kyoto  進化心理学

 2ヶ月ぶりに日本に帰って、6月4日から8日まで京都大学で行われたHBES(Human Behavior and Evolution Society)に出席してきた。わたしの場合、進化心理学に興味を持っているといっても、進化心理学者というわけではないので、毎年行なわれているこの国際学会に出席したのは初めてである。心理学者だけではなく、生物学者や文化人類学者も多く、やはり進化・適応をキーワードにした学際性が強い学会という印象であった。わたし自身の中では、人間の認知機構がどのようにして進化したのかという漠然とした問題意識しかなかったので、かくも多くの種類の細かい領域での研究が行なわれていたのにはかなり驚いた。伝統的に進化的な研究が活発なkinship、matingから、cooperationやmorality、わたしが主に出席したCognition、さらには、cultureなど、多くの領域において一線級の研究に触れることができたのは幸いであった。

 わたし自身の発表は、平石界さんが企画して下さったCross-cultural differences and similaritiesというシンポジウムであった。このシンポは、学術振興会で招聘したL. Fiddickを招いてのものである。このほかのスピーカーは、内田由紀子さん、足立邦子さん、およびわたしであった。FIddicの論文は、2000年に発表された、Wason選択課題を用いて社会的契約と危機管理のモジュール性を主張したものを読んだことがあるが、今回の発表は、moral mate-gurading仮説から、不貞をどう認識するかというものであった。内田さんの発表は、友情を支えるのは互恵性であるということで、この互恵性のモニターが、日本人がアメリカ人よりも強いということを、集団主義の日本人のほうがよりサポートを友人に求めているためと説明された。足立さんの発表では、くじを自分が引いたほうが当たる確率が高くなるというコントロール錯誤が日本人で小さいということが主要点であった。わたしの発表は、以前にも書いた後知恵バイアスの国際比較研究である。

 今学会で、わたし自身が個人的に興味を持ったのは、文化進化の領域で発展しつつあるcultural phylogenetics(文化系統学)である。残念ながらテクニカルなことはよくわからなかったが、南太平洋の人々の言語的特長から、文化系統樹を推定し、南太平洋におけるホモ・サピエンスの拡散を説明したものなど、いくつかの発表で、興味深い成果が報告された。また、新石器時代の言語は主として農耕とともに広がったとする説に対し、北米の場合は北の採集民から南の農耕民に言語が伝播したという反例が示されていたのも興味深かった。この領域は、わたしが現在在籍しているBirkbeck Collegeのお隣のUniversity College Londonの研究グループが活発に研究を行なっており、せっかくなのでときどきお邪魔させていただくことにした。ただ、テクニカルな部分はやはり素人には難しい。しかし、わたしが興味を持っている集団主義と個人主義文化の違いや、全体的認知と分析的認知の差異の源泉をたどるためのヒントがありそうである。


2008/5/31  7:12

英国の巨石文化―洞窟壁画の終焉と農耕の伝播  歴史

 先日、コッツウォルズへドライブをしたが、その帰りに立ち寄ったAveburyのいくつかの古墳とストーン・サークル、Salisburyのストーン・ヘンジには圧倒されてしまった。5月14日の日記において、5万年前からのホモ・サピエンスの拡散にかかわる旧石器時代の文化のビッグバンに触れたが、それ以降の中石器・新石器時代の文化についてはあまり知らなかったので、これらの遺跡を見学した機会に自分でまとめてみた。

 ヨーロッパにクロマニヨンが移住し始めたのは4万5千年前だが、それによって原住のネアンデルタールは徐々に圧迫され、およそ3万年前に姿を消した。狩猟採集民であったクロマニヨンたちは、たいへん興味深い洞窟壁画文化を残している。この時代も、何度かの地球規模の冷却や乾燥があり、文化がイベリア半島に南下したり入れ替わったりした。とくに大きな冷却が2万年前と、1万3千年前のヤンガー・ドリアス期である。洞窟壁画文化の最後のものは、マドレーヌ文化(1万8千年~1万1千年前)と呼ばれ、ラスコーやアルタミラ洞窟の壁画で有名である。

 多くの研究者は、なぜこのような洞窟壁画が描かれたのかに興味を持っている。しかし、わたしは、むしろ、1万1千年頃、この洞窟壁画文化が突然消滅したことのほうが興味深い。考古学に素人のわたしは、西から農耕文化が伝来して動物の価値が相対的に低下したのかと考える程度の知識しかなかったが、ちょっと調べたらいろいろと考えられそうである。まず、農耕説では、そもそも西から農耕が伝わってギリシャに農耕社会が現れたのが9千年前なので、さらにそこからフランス南部やスペインに伝わるには、少々タイムラグがある。

 ヤンガー・ドリアス期が終わった後は、現代(完新世)のような温暖な気候になり、南に住んでいた人たちがヨーロッパ全域に住み始めた。考古学者の間では、定住が先か農耕が先かで議論があったようだが、温暖化したヨーロッパでは、農耕が伝わる以前にすでに食料源が豊富になり定住が可能になったようである。この定住によって社会組織が成熟して、それから農耕を受け入れたらしい。

 もし洞窟壁画が消えた最も大きな理由が定住なら、洞窟壁画は、移動狩猟採集民の一種の縄張り誇示として機能していた可能性がある。常に移動する状況では、他の部族集団に対して自分の縄張りを示す必要があるが、定住すればその必要性は少なくなる。

 その可能性は否定できないが、それ以上に大きな理由は、新しい技術や文化の伝播だろうとわたしは考えている。定住によって、農耕以前にも、動物の家畜化、樹皮で建造された小屋、石や樹木・獣骨・獣皮・角などで製作された道具類が次々と精密化されてきた。そういう新しい文化に圧倒されると、人間はそれまでの古い文化を野蛮として捨ててしまうことはよくあることである。たとえば、江戸時代のちょん髷だが、西洋から新しい文化が導入されると、それに圧倒された日本人は、文明の利器を受け入れると同時に、その習慣まで旧いものとして止めてしまった。いくつかの部族で見られるタトゥーなども同じようにして廃れたといえよう。今から5000年後あたりに、19世紀の日本人は、なぜあのようなカッコいいヘアスタイルをやめてしまったのだろうと、文化史家の間で謎になるかもしれない。

 さて、この農耕など新しい文化を伝えた人々は、印欧祖語と呼ばれる言語も伝えてきた。かっては、この言語の伝播には、インドや中近東からの民族大移動があったのではと考えられたようだが、最近のDNA研究(Richards, 2007)によれば、1万年前以降のインド・中近東からの民族移動は予想されたよりも少なく、現代のヨーロッパ人の中でDNAの占める割合は13%だそうである。ただし、印欧祖語が伝わる以前の言語はほとんど残らず、現在、バスク語がその名残をとどめているのではないかと推論されている。

 英国のストーン・サークルやストーン・ヘンジは、ギリシャ経由で伝わってきた農耕と、エジプトから北アフリカ・イベリア半島経由で伝わってきた巨石文化の融合といえる。約5千年前に造られたらしい。定住と農耕は、富の貯蓄を可能にするので貧富の差が大きくなり、有力な者は富を蓄積し、部族のリーダーという存在を越えて住民を支配したと考えられる。とくに、ブリテン島の場合、小麦や豆が生産されたようで、貯蔵可能な小麦が食べられているところは、保存が効かないイモ類が食べられているところよりは貧富の差が大きくなりやすい。貧富の差が大きくなると、支配者は建設に多くの人々を集めることができる。また、旧石器時代や新石器時代は、人口が増えて、部族間、集団間の物理的距離が小さくなり、紛争や戦闘が絶え間なかったようである(「古代の人々は、野蛮ながら平和に暮らしていたという」かってのユートピア的歴史観は、最近の文化人類学的、考古学的研究から、完全に否定されている)。そのような状況で、巨石文化が伝われば、首長によって、勢力誇示として使用されやすかっただろう。また、ストーン・ヘンジは、当時の天文学的知識の成果として、夏至の日の太陽の昇る地点を表示している。エジプトやマヤをはじめ、首長の権力が強大な文化において、天文学は、農耕にとって重要であったというだけではなく、首長の預言者としての神性を高めるためにも役立っただろう。文字もない時代に、どのようにして首長が人々を建設に従事させ、さらに一定期間労働者として管理していたのだろうと、わたし自身の疑問は尽きないが、これ以上はわたしの専門外となるので、想像だけに留めておこう。

Richards, M.B. First farmers: the origins of agricultural societies Cambridge Archaeological Journal 17, pp.98 - 100, (2007)
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2008/5/22  22:17

ヨーロッパCL決勝TV観戦雑感  サッカー

 わたしは、正直にいって、サッカーのマンチェスターUはあまり好きではなかった。小さい頃からアンチ・メジャー路線だったので、今はほとんど見なくなった野球でも巨人は嫌いである。プレミアシップではマンチェスターUよりはアーセナルやアストンビラ、スペインリーグではR.マドリードよりはバルセロナ、フランスリーグではリヨンである。今やリヨンはメジャーかもしれないが、そもそもフランスリーグ自体がどちらかというとヨーロッパではマイナーで、かつリヨンはパリ.サンジェルマンの対抗馬という点でアンチ・メジャー路線なので、なんとなく気に入っているのかもしれない。なお、この各リーグに好きなチームがあることを、英国の某心理学者から「それぞれの港に愛人がいる水夫のようだ」と言われてしまった。

 ところが、英国に2ヶ月近く住んでみて、だんだんマンチェスターUを応援し始めている自分に気がついた。英国でも、プレミアシップの試合を見るためにはスカイスポーツなどに加入しなければならないが、わたしは残念ながら加入していないので、唯一、BBCのMatch of the dayでかなり長いハイライトを楽しんでいる。それで見る限りにおいて、やはりマンチェスターUの試合は見ていておもしろいのである。マンチェスターUには、元京都のパク・チソンがいるので、最初は、彼が出ているかどうか、あるいはどんなプレーをしているのかだけが楽しみだったが、オフェンスではC.ロナウド、ディフェンスではL.ファーディナンドを中心として、ベテランのR.ギグス、P.スコルズ、若手のナニらがかみ合って、たいへんおもしろいチームであることがわかってきた。

 昨夕、モスクワで行なわれたヨーロッパCLの決勝戦のマンチェスターU対チェルシーの試合がTVで放映されていたので、最初から最後まで見たが、息が抜けない試合だった。前半は、マンチェスターUはC.ロナウドを基点としての左からの攻めで、試合を圧倒的に支配していた。チャンスも多く、その中からC.ロナウドのヘッドで1点をもぎ取った。ところが、前半終了直前に、チェルシーはボールを相手に支配されながら、ワンチャンスからランパードがDFを振り切ってゴールし、同点となった。後半は一転チェルシーペースとなり、ボールポゼッションもよく、ドログバやランパードのバーを叩くシュートがあった。しかし試合はそのまま延長となり、前後半の延長でも得点は入らず、結局1−1でPKとなった。PKでは、C.ロナウドが外し、このままいけばチェルシーが優勝というところでテリーが外し、結局その後アネルカが外してマンチェスターUが優勝した。

 この試合を見ていて、マンチェスターUで、ルーニーと2トップを組んでいたテベスについて、わたしはかなり物足りなさを感じていた。マンチェスターUにいたファン・ニステローイなどの華やかなFWのイメージとは遠く、ルーニーのような切れ味もあまり感じられない。また、チェルシーのドログバと比較すれば明らかに劣るように思われた。しかし、所詮、わたしは素人である。おもしろいことに、京都サンガの佐藤勇人のブログ
http://www.yuto-sato.net/2008/05/post-2.html
では、テベスが賞賛されている。たしかに運動量があるFWで、かなり下がってポストになったりして、チャンスを作り出していたようにも思う。プロの見る眼だとそうなのか、佐藤のプレースタイルにとって理想的なFWなのか、判断できないのだが。

 わたし自身にとって残念だったのは、マンチェスターUではパク・チソン、チェルシーではシェフチェンコが試合に出なかったことである。ウクライナ出身のシェフチェンコにとって、心の中でモスクワはどういう位置を占めるのか、わたしは知らない。しかし、心情的にも、膠着した試合の中でも、最もプレーを見たかった選手である。

2008/5/14  6:11

脳容量の増大とホモ・サピエンスの拡散  進化心理学

 認知の文化心理学では、西洋人の分析的思考、東洋人の全体的思考という分類がなされ、それぞれ、分析的思考が西洋の個人主義文化、全体的思考が東洋の集団主義文化において適応的であるという説明がなされている。しかしわたし自身は、分析的思考が個人主義文化をうみ、全体的思考が集団主義文化を導いたという側面もあるのではないかということで、分析的思考がどのような状況で必要なのかを検討する必要があると思っている。

 昨年発表された論文(Yama, Nishioka, Horishita, Kawasaki, & Taniguchi, 2007)の中で、分析的思考あるいは、より普遍的なルールを使用するような推論が適応的な条件として、
(1) 多くの知識を獲得することが適応的な環境
(2) 新奇な課題を解決する必要がある環境
をあげた。一般に、分析的思考は、認知の容量をより多く使用するので、これらの条件は、ヒトの脳が増大してきた選択圧に相当するとも思う(ただし、もちろんわたしは、全体的思考の東洋人の認知容量が少ない、すなわち進化的に古いとは考えてはいない)。この考えは、類人猿の脳が群れの階層の中で、自分の利益追求と群れの調和を保つというジレンマの中で容量が増大したとするCummins(1998)のdominance hierarchy説や、新皮質が、群れのメンバーの心の中を推定するために増大したとするDunbar(1996)の説などをまとめたようなものである。

 ただ、わたしは、あまりにもヒトの脳の進化について無知だったようである。とくに、最近のヒトゲノムの研究や、考古学・人類学の研究から、かなりヒトの脳の進化とその環境的要因について明らかになっているようだ。以下は、「こんなこと常識」と思われている方も多いかもしれないが、わたし自身の忘備録として残したい。

 およそ600万年前にヒトの祖先がチンパンジーの祖先と分岐した頃は、かなり寒冷な気候で、ヒトへの進化がみられたアフリカが乾燥し、森林が縮小したらしい。そこで、類人猿の一派が樹上から降りて平原に出、二足歩行をしだしたのがアウストラロピテクスである。アウストラロピテクスの脳はそれほど大きくはなかったが、大きくなりだしたのは300万〜200万年前に再び寒冷・乾燥化してアフリカの森林が縮小した時代らしい。このとき、生存に2つの道があり、1つは臼歯を巨大化させて草の根や硬い木の実を食べられるようにした進化、もう1つは肉を食べて脳を巨大化させせるようにした進化である。前者は、頑丈型アウストラロピテクスと呼ばれ、むしろ脳は顎の巨大化のために縮小した。後者は、ホモ・ハビリスと呼ばれ、肉食によってエネルギー食いの脳を維持し、かつ肉食に適した石器(石を打ち砕いただけだが、オルドヴァイ石器と呼ばれる)を使用するようになった。もちろん後者がわたしたちの先祖である。このように、進化の大きなターニングポイントは、気候の大変動などがあり、上の(1)や(2)が満たされた環境であることがわかる。

 次のターニングポイントは170万年前で、ホモ・ハビリスの一派からのホモ・エレガスターが誕生した。ホモ・エレガスターでは、これまでの祖先とは異なり、男と女の体格の差が縮小した。一般に、オスの体格がメスよりも大きいほど、オス同士でメスを奪い合う一夫多妻傾向が強いと推定されるが、このホモ・エレガスターにおいて、根茎類を食べるようになり、またより洗練された石器(アシュール文化ハンドアックス)が使用されるようになり、男女の協同パターンが形成されていったと推定される。また、発見されたハンドアックスには実用に適さないと思われるものもあり、これは男性が女性にプロポーズするさいに使用されたのではないかとする説もある。この変化は、社会構造的な変化として興味深い。このホモ・エレガスターの子孫のホモ・エレクトスの時代に最初の出アフリカがあり、アジアやヨーロッパへ広がっていった。北京原人やジャワ原人もその一派である。

 この後、アフリカにおいてホモ・サピエンスの先祖が生まれ、最終間氷期(12万年−9万年前)にいったん西南アジアに進出したが(2回目の出アフリカ)、当時ヨーロッパにいたネアンデルタール(ヨーロッパのホモ・エレガスターの子孫)に滅ぼされたらしい(昨年の4月に、東京上野の科学博物館の平成館では、人類の進化の説明として、ホモ・サピエンスがネアンデルタールから進化したと記されていたが、これは誤りである。すでに訂正されているだろうか?)。ホモ・サピエンスは、10万年前には解剖学的にほぼ現生人類と同じらしいが、行動や社会システムが劇的に変化したのは5万年前と考えられている。いわゆる文化のビッグバンと呼ばれて、石器は精密になり、骨角器が登場し、人々が世界中に拡散して入った(3回目の出アフリカ)。さらに、ヨーロッパにおいてすばらしい洞窟壁画文化が生まれたが、これは3万7000年前に広まったマイクロセリファン対立遺伝子が関係していると推定されている。

 現代の、集団主義と個人主義に優劣はつけられないと思うが、人類の拡散と定住はトライブ単位であり、基本的に、このトライブ内では集団主義文化が主流だと考えられる。また、環境の激変時に、分析的な思考を用いて、あるいは脳容量を大きくして生き延びてきたとはいうものの、現代の基準から考えれば、状況依存的な全体的思考であっただろう。したがって個人主義文化も、分析的思考も、集団主義文化を維持し、全体的思考を行う人類のなかから、どのような条件で生まれたのだろうかというのがわたしの問いである。「優劣はつけられないといいながら、やはり個人主義が進歩的と考えているではないか?」とお叱りを受けそうだが、わたしは、西洋以外の土地では、それぞれに集団主義文化を洗練させていったと考えている。

 なお、環境の変化は、わたしがあげた(2)に対応する。たとえば、「もし秋になれば、栗の実がなる」という知識を使用していたとしよう。これは習慣化されれば、より自動的かつ状況依存的な思考になる。しかし、環境の変化によって、秋になっても栗が採れないという新奇な課題に直面すると、秋に栗が実る要因の分析的な検討が必要になり、それによって、「来年まで我慢する」とか「新しい木の実に頼る」とか「その地を離れる」といった判断に結びついてくる。したがって、分析が成功したトライブが生き残るといえる。

 では、個人主義的であることが適応的な条件、分析的に思考することが適応的条件とは何なのだろうか? そして、ヨーロッパはそれを満たしていたのだろうか? これらについては、別の機会に考えてみたい。

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