2008/5/14 6:11
脳容量の増大とホモ・サピエンスの拡散 進化心理学
認知の文化心理学では、西洋人の分析的思考、東洋人の全体的思考という分類がなされ、それぞれ、分析的思考が西洋の個人主義文化、全体的思考が東洋の集団主義文化において適応的であるという説明がなされている。しかしわたし自身は、分析的思考が個人主義文化をうみ、全体的思考が集団主義文化を導いたという側面もあるのではないかということで、分析的思考がどのような状況で必要なのかを検討する必要があると思っている。
昨年発表された論文(Yama, Nishioka, Horishita, Kawasaki, & Taniguchi, 2007)の中で、分析的思考あるいは、より普遍的なルールを使用するような推論が適応的な条件として、
(1) 多くの知識を獲得することが適応的な環境
(2) 新奇な課題を解決する必要がある環境
をあげた。一般に、分析的思考は、認知の容量をより多く使用するので、これらの条件は、ヒトの脳が増大してきた選択圧に相当するとも思う(ただし、もちろんわたしは、全体的思考の東洋人の認知容量が少ない、すなわち進化的に古いとは考えてはいない)。この考えは、類人猿の脳が群れの階層の中で、自分の利益追求と群れの調和を保つというジレンマの中で容量が増大したとするCummins(1998)のdominance hierarchy説や、新皮質が、群れのメンバーの心の中を推定するために増大したとするDunbar(1996)の説などをまとめたようなものである。
ただ、わたしは、あまりにもヒトの脳の進化について無知だったようである。とくに、最近のヒトゲノムの研究や、考古学・人類学の研究から、かなりヒトの脳の進化とその環境的要因について明らかになっているようだ。以下は、「こんなこと常識」と思われている方も多いかもしれないが、わたし自身の忘備録として残したい。
およそ600万年前にヒトの祖先がチンパンジーの祖先と分岐した頃は、かなり寒冷な気候で、ヒトへの進化がみられたアフリカが乾燥し、森林が縮小したらしい。そこで、類人猿の一派が樹上から降りて平原に出、二足歩行をしだしたのがアウストラロピテクスである。アウストラロピテクスの脳はそれほど大きくはなかったが、大きくなりだしたのは300万〜200万年前に再び寒冷・乾燥化してアフリカの森林が縮小した時代らしい。このとき、生存に2つの道があり、1つは臼歯を巨大化させて草の根や硬い木の実を食べられるようにした進化、もう1つは肉を食べて脳を巨大化させせるようにした進化である。前者は、頑丈型アウストラロピテクスと呼ばれ、むしろ脳は顎の巨大化のために縮小した。後者は、ホモ・ハビリスと呼ばれ、肉食によってエネルギー食いの脳を維持し、かつ肉食に適した石器(石を打ち砕いただけだが、オルドヴァイ石器と呼ばれる)を使用するようになった。もちろん後者がわたしたちの先祖である。このように、進化の大きなターニングポイントは、気候の大変動などがあり、上の(1)や(2)が満たされた環境であることがわかる。
次のターニングポイントは170万年前で、ホモ・ハビリスの一派からのホモ・エレガスターが誕生した。ホモ・エレガスターでは、これまでの祖先とは異なり、男と女の体格の差が縮小した。一般に、オスの体格がメスよりも大きいほど、オス同士でメスを奪い合う一夫多妻傾向が強いと推定されるが、このホモ・エレガスターにおいて、根茎類を食べるようになり、またより洗練された石器(アシュール文化ハンドアックス)が使用されるようになり、男女の協同パターンが形成されていったと推定される。また、発見されたハンドアックスには実用に適さないと思われるものもあり、これは男性が女性にプロポーズするさいに使用されたのではないかとする説もある。この変化は、社会構造的な変化として興味深い。このホモ・エレガスターの子孫のホモ・エレクトスの時代に最初の出アフリカがあり、アジアやヨーロッパへ広がっていった。北京原人やジャワ原人もその一派である。
この後、アフリカにおいてホモ・サピエンスの先祖が生まれ、最終間氷期(12万年−9万年前)にいったん西南アジアに進出したが(2回目の出アフリカ)、当時ヨーロッパにいたネアンデルタール(ヨーロッパのホモ・エレガスターの子孫)に滅ぼされたらしい(昨年の4月に、東京上野の科学博物館の平成館では、人類の進化の説明として、ホモ・サピエンスがネアンデルタールから進化したと記されていたが、これは誤りである。すでに訂正されているだろうか?)。ホモ・サピエンスは、10万年前には解剖学的にほぼ現生人類と同じらしいが、行動や社会システムが劇的に変化したのは5万年前と考えられている。いわゆる文化のビッグバンと呼ばれて、石器は精密になり、骨角器が登場し、人々が世界中に拡散して入った(3回目の出アフリカ)。さらに、ヨーロッパにおいてすばらしい洞窟壁画文化が生まれたが、これは3万7000年前に広まったマイクロセリファン対立遺伝子が関係していると推定されている。
現代の、集団主義と個人主義に優劣はつけられないと思うが、人類の拡散と定住はトライブ単位であり、基本的に、このトライブ内では集団主義文化が主流だと考えられる。また、環境の激変時に、分析的な思考を用いて、あるいは脳容量を大きくして生き延びてきたとはいうものの、現代の基準から考えれば、状況依存的な全体的思考であっただろう。したがって個人主義文化も、分析的思考も、集団主義文化を維持し、全体的思考を行う人類のなかから、どのような条件で生まれたのだろうかというのがわたしの問いである。「優劣はつけられないといいながら、やはり個人主義が進歩的と考えているではないか?」とお叱りを受けそうだが、わたしは、西洋以外の土地では、それぞれに集団主義文化を洗練させていったと考えている。
なお、環境の変化は、わたしがあげた(2)に対応する。たとえば、「もし秋になれば、栗の実がなる」という知識を使用していたとしよう。これは習慣化されれば、より自動的かつ状況依存的な思考になる。しかし、環境の変化によって、秋になっても栗が採れないという新奇な課題に直面すると、秋に栗が実る要因の分析的な検討が必要になり、それによって、「来年まで我慢する」とか「新しい木の実に頼る」とか「その地を離れる」といった判断に結びついてくる。したがって、分析が成功したトライブが生き残るといえる。
では、個人主義的であることが適応的な条件、分析的に思考することが適応的条件とは何なのだろうか? そして、ヨーロッパはそれを満たしていたのだろうか? これらについては、別の機会に考えてみたい。
昨年発表された論文(Yama, Nishioka, Horishita, Kawasaki, & Taniguchi, 2007)の中で、分析的思考あるいは、より普遍的なルールを使用するような推論が適応的な条件として、
(1) 多くの知識を獲得することが適応的な環境
(2) 新奇な課題を解決する必要がある環境
をあげた。一般に、分析的思考は、認知の容量をより多く使用するので、これらの条件は、ヒトの脳が増大してきた選択圧に相当するとも思う(ただし、もちろんわたしは、全体的思考の東洋人の認知容量が少ない、すなわち進化的に古いとは考えてはいない)。この考えは、類人猿の脳が群れの階層の中で、自分の利益追求と群れの調和を保つというジレンマの中で容量が増大したとするCummins(1998)のdominance hierarchy説や、新皮質が、群れのメンバーの心の中を推定するために増大したとするDunbar(1996)の説などをまとめたようなものである。
ただ、わたしは、あまりにもヒトの脳の進化について無知だったようである。とくに、最近のヒトゲノムの研究や、考古学・人類学の研究から、かなりヒトの脳の進化とその環境的要因について明らかになっているようだ。以下は、「こんなこと常識」と思われている方も多いかもしれないが、わたし自身の忘備録として残したい。
およそ600万年前にヒトの祖先がチンパンジーの祖先と分岐した頃は、かなり寒冷な気候で、ヒトへの進化がみられたアフリカが乾燥し、森林が縮小したらしい。そこで、類人猿の一派が樹上から降りて平原に出、二足歩行をしだしたのがアウストラロピテクスである。アウストラロピテクスの脳はそれほど大きくはなかったが、大きくなりだしたのは300万〜200万年前に再び寒冷・乾燥化してアフリカの森林が縮小した時代らしい。このとき、生存に2つの道があり、1つは臼歯を巨大化させて草の根や硬い木の実を食べられるようにした進化、もう1つは肉を食べて脳を巨大化させせるようにした進化である。前者は、頑丈型アウストラロピテクスと呼ばれ、むしろ脳は顎の巨大化のために縮小した。後者は、ホモ・ハビリスと呼ばれ、肉食によってエネルギー食いの脳を維持し、かつ肉食に適した石器(石を打ち砕いただけだが、オルドヴァイ石器と呼ばれる)を使用するようになった。もちろん後者がわたしたちの先祖である。このように、進化の大きなターニングポイントは、気候の大変動などがあり、上の(1)や(2)が満たされた環境であることがわかる。
次のターニングポイントは170万年前で、ホモ・ハビリスの一派からのホモ・エレガスターが誕生した。ホモ・エレガスターでは、これまでの祖先とは異なり、男と女の体格の差が縮小した。一般に、オスの体格がメスよりも大きいほど、オス同士でメスを奪い合う一夫多妻傾向が強いと推定されるが、このホモ・エレガスターにおいて、根茎類を食べるようになり、またより洗練された石器(アシュール文化ハンドアックス)が使用されるようになり、男女の協同パターンが形成されていったと推定される。また、発見されたハンドアックスには実用に適さないと思われるものもあり、これは男性が女性にプロポーズするさいに使用されたのではないかとする説もある。この変化は、社会構造的な変化として興味深い。このホモ・エレガスターの子孫のホモ・エレクトスの時代に最初の出アフリカがあり、アジアやヨーロッパへ広がっていった。北京原人やジャワ原人もその一派である。
この後、アフリカにおいてホモ・サピエンスの先祖が生まれ、最終間氷期(12万年−9万年前)にいったん西南アジアに進出したが(2回目の出アフリカ)、当時ヨーロッパにいたネアンデルタール(ヨーロッパのホモ・エレガスターの子孫)に滅ぼされたらしい(昨年の4月に、東京上野の科学博物館の平成館では、人類の進化の説明として、ホモ・サピエンスがネアンデルタールから進化したと記されていたが、これは誤りである。すでに訂正されているだろうか?)。ホモ・サピエンスは、10万年前には解剖学的にほぼ現生人類と同じらしいが、行動や社会システムが劇的に変化したのは5万年前と考えられている。いわゆる文化のビッグバンと呼ばれて、石器は精密になり、骨角器が登場し、人々が世界中に拡散して入った(3回目の出アフリカ)。さらに、ヨーロッパにおいてすばらしい洞窟壁画文化が生まれたが、これは3万7000年前に広まったマイクロセリファン対立遺伝子が関係していると推定されている。
現代の、集団主義と個人主義に優劣はつけられないと思うが、人類の拡散と定住はトライブ単位であり、基本的に、このトライブ内では集団主義文化が主流だと考えられる。また、環境の激変時に、分析的な思考を用いて、あるいは脳容量を大きくして生き延びてきたとはいうものの、現代の基準から考えれば、状況依存的な全体的思考であっただろう。したがって個人主義文化も、分析的思考も、集団主義文化を維持し、全体的思考を行う人類のなかから、どのような条件で生まれたのだろうかというのがわたしの問いである。「優劣はつけられないといいながら、やはり個人主義が進歩的と考えているではないか?」とお叱りを受けそうだが、わたしは、西洋以外の土地では、それぞれに集団主義文化を洗練させていったと考えている。
なお、環境の変化は、わたしがあげた(2)に対応する。たとえば、「もし秋になれば、栗の実がなる」という知識を使用していたとしよう。これは習慣化されれば、より自動的かつ状況依存的な思考になる。しかし、環境の変化によって、秋になっても栗が採れないという新奇な課題に直面すると、秋に栗が実る要因の分析的な検討が必要になり、それによって、「来年まで我慢する」とか「新しい木の実に頼る」とか「その地を離れる」といった判断に結びついてくる。したがって、分析が成功したトライブが生き残るといえる。
では、個人主義的であることが適応的な条件、分析的に思考することが適応的条件とは何なのだろうか? そして、ヨーロッパはそれを満たしていたのだろうか? これらについては、別の機会に考えてみたい。



