2007/5/24  18:05

国際シンポジウム「進化と精神」事後報告  進化心理学

 去る4月21日、西宮のK女学院大学において、「進化と精神」というタイトルで国際シンポジウムが行なわれた。基調講演者は、内井惣七先生とDavid Over先生で、Wai Ling Lai博士が司会を務めた。わたしは黒子と、後半のパネルディスカッションのパネリストを兼ねた。
 まず、もちろん進化とは何かという定義についての議論も必要かもしれない。しかし、このシンポでは、とりあえずは、遺伝子の変異と自然選択によって生ずる遺伝子の集団内での変動という共通理解のもと、各スピーカーが、「進化の理論は精神の理解に貢献するのか」という問題を議論した。
 内井先生は、Darwin on the Evolution of Moralityというタイトルで講演された。進化というと、最近はDarwinよりもRichard Dawkinsの利己的遺伝子に興味を抱いている人が多く、道徳性を論ずるときも、利己的な遺伝子がいかにしてその乗物たる生物に道徳性を獲得させているのかという点が議論される。しかし、内井先生は、まずはDarwin自身がすでに自著の中で道徳性を追求していることを述べられ、道徳感覚が形成されるためには、社会的本能と高度な知能が前提とされた。もちろん社会的本能は、より個人的な動機と葛藤を起こすことがあるが、社会的本能に従った場合の報酬や従わなかった場合の罰などの記憶によって、道徳的感覚の心理的傾向が形成される。これは、さらに高度な知能の産物である社会的規範や共感といったものと結びつく。
 David Over先生は、Darwin’s theory of evolution and human reasoningというタイトルで講演された。彼は、以前から、特に推論領域における進化心理学者(Gegerenzer, Cosmidesなど)の大量モジュール(massive modularity)仮説に反論をされていたが、この講演はその集大成という印象であった。モジュールとは、領域固有的で、入力から出力までカプセル化された処理単位として定義される。ヒトは進化の過程でさまざまな適応課題を解決するために各々の特定状況において適応的なモジュールを形成し、それを進化の過程で生得化している。大量モジュール仮説によれば、一見複雑にみえるヒトの思考も、それぞれ機能が異なる刃物が組み合わされて出来ているスイスアーミーナイフのようなものであり、それらが用途に応じて使用された結果と解釈される。しかし、彼が提唱している二重過程理論では、モジュールの集まりである進化的に古いシステムのほかに、汎用性がある進化的に新しいシステムを想定している。そしてこの点が、進化心理学的理論と決定的に対立している部分である。このシステムを想定する根拠として、彼は、モジュールのはずの近親相姦タブーの文化的変遷や、ヒトがifを理解するさいの汎用性を例としてあげられた。
 その後、パネルディスカッションが行われ、司会者のWai Ling Laiさん、東工大の中丸麻由子さん、神戸女学院大学の井上牧子さん、およびわたしが、それぞれの立場から話した。わたし自身は、’Long leash and short leash’(遺伝子からの強い束縛と弱い束縛)というタイトルで、進化における文化の位置について自分の立場を述べた。進化心理学の立場ではモジュールの中に文化と精神が組み込まれるが、わたしは、精神と文化の間に適応課題を介在させる枠組みを提唱したい。すなわち、精神はある適応課題を解決するために文化を形成するが、いったん形成された文化は精神に新たな適応課題を課してくるという考え方である。そのうえで、たとえば、甘いものを好むという原初的な機能は比較的束縛が強いが、ダイエットを試みたいという長期的な目標のための機能は比較的束縛が弱いという、二重過程理論を提唱した。David Over先生ほどは、2つのシステムを明確に分けてはいない。
 学際的なシンポジウムは、それぞれが自分の言いたいことをいって終わりという結果になりやすく、このシンポジウムもそういう傾向がなかったわけではないが、まあ、それぞれの立場から「進化理論は精神を説明できるか?」というテーマに挑んだということで、成功だったのではないだろうか? 自画自賛かな。



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