病院隣接型ホテル 視察旅行のご案内  分類なし

¡ 年々高騰する医療費を抑制すべく、政府は様々な施策を講じて来ていますが、まだまだ先行きには多くの困難が予測されます。
¡ 一方アメリカにあっては、相当な手術を受けた患者も、入院が許されるのは三日程度で、その後は病院隣接のホテルに滞在して、通院することがごく当たり前となっています。
¡ 医療保険の問題は、アメリカなどに比べて、不必要に長い入院期間がその大きな原因として考えられ、早晩アメリカ並みとは行かないまでも、期間短縮が病院に求められることが想定されます。
¡ こうした問題を先取りし、保険料の軽減を実現する一方、病院にとっては益々抑制されるベッドを有効に活用する方策として、病院隣接型ホテルの開発が求められます。
¡ 現在でも小児がんの患者家族は、病院での宿泊を許されず、まだ幼い子供のために、近接のホテルとか、短期利用のアパートを利用して付き添いをしています。
¡ また放射線治療を受ける患者は、一日の照射時間がわずか数分程度であるにも関わらず、通院できない症状であったり、遠隔地に居住していることを理由に、入院を希望しています。
¡ 外科手術を受けた患者にしても、術後数日は入院の必要があるものの、それ以降はさほどの治療を必要とするわけでもないのに、医師、看護の利便性から、そのまま入院している事例が多く見られます。
¡ そこでまずアメリカでの先進開発事例をつぶさに調査し、事業化へ向けての具体案を検討して行きたいと考え、この調査企画をご提案いたします。
¡ どうかこの企画の意図するところにご理解を賜り、ご参加いただきたくご案内いたします。
日程案
4月9日(日) 成田発ミネアポリス着ロチェスター着 ミネアポリス見学バスにてロチェスターへ ロチェスター泊
4月10日(月) ロチェスター発ボストン着 TV1 メイヨー・クリニック ボストン泊
4月11日(火) TV2TV3 ダートマス大学ヒッチコックMCディジョルジオ社 ボストン泊
4月12日(水) ボストン発ヒューストン着 TV4TV5 MDアンダーソンMCシッドWリチャードソン予防医学研究所 ヒューストン泊
4月13日(木) ヒューストン発ダラス着 TV6 メデプレックス社 ダラス泊
4月14日(金) TV7 メディカル・シティ ダラス泊
4月15日(土) ダラス発 機内泊
4月16日(日) 成田着

株式会社ウィザード・アール・ディ・アイ
代表取締役社長 平田 邦彦
Tel 03-3264-5801 Fax 03-3264-4540
E-Mail wizard3392@aol.com








  

アメリカ視察旅行を終えて  仕事

かねてご案内を差し上げて来た、米国のメディカル・コンプレックスの視察は無事に終了した。6年ほど前にテキサス大学のダラスのMCを見た時から感じていた、「ペイシェント・オリエンテッド」(患者本位)の考え方は知っていたつもりだったし、入院期間が日本に比べれば極端に短く、それゆえに病院隣接のホテルが作られて、術後の患者の便宜を図っていること、それは主に保険制度の違いから来る考え方との認識でスタートした。
見回ったところは医療施設、老介施設、そしてそれらを専ら設計している設計事務所を都合8箇所ほど見学し説明を聞いて来た。
総じてまず言える事は、全ての発想の原点に「人間」が居ることだ。患者だけではなく、医師、看護士、そしてそこに働くスタッフ、そして見舞い、または付き添いで来る全ての人々、等々に対して、如何に快適で過ごしやすい空間を創り出すかに、限りない配慮がされていることだ。
訪ねたのが、米国を代表するような大規模施設が主体だったが、唯一長く地域に根ざした老人介護施設が含まれていた。しかし共通して言える事は、利便性、合理性、事業性を追求しつつも、常に根底には人に対する配慮、思いやりが支配し、具現化されている。
例えば病院内の至るところに、来訪者が気軽に休むことが出来るように、椅子、ソファーが用意されているし、随所に素晴らしい美術品、それもプリントした絵などではなく、本物の油彩とか彫刻、或いは現代アートが壁面を飾っている。
或いは熱帯魚の水槽も人気のアイテムで、長い時間見ていても飽きないし、メンテナンス・コストも安いとあって、ごく当たり前に何処にでも見られた。
そして日々の生活の中で欠かせない各種の買い物をする場所が必ず、それもかなり濃密に用意されている。日本では病院で買えるのは、入院患者用の買回り品が主体で、食事をしたくとも、限られたレストランが一つあるだけだが、かの地ではそれこそ町にいるのと同じように、フードコート、ファスト・フード、ちょっと高級なレストランが色々と用意されて居る。
小洒落たブティックだってある。中にはしっかりと銀行が出店していて(ATM ではない),借り入れの相談に預かっているところだってある。
メディカル・コンプレックスとか、メディカル・モールと呼ばれるのも頷ける。言い換えればここは病院機能を中心に組み立てられた、小さな町なのだ。
病気には誰だってなりたくない。やむを得ず入院しても出来るだけ早く出て来たい。だからこそ、入院しても日頃の生活と遜色ない機能をそこには用意すべきだし、その充実が次のリピーターを呼び込んでくれる。そしてこれからの医療は、益々人件費が高騰してくることを予測し、極力スタッフ動線に無駄のない設計が行われている。手術にしても開腹の手術はどんどん少なくなり、非開腹型の手術が主流になることを予測している。脳外科の開頭手術でも三日で退院と聞いた。やれば出来るのだそうだ。さすれば病院のベッドは出来るだけ居心地の良い空間と共に提供されるべきだし、むしろ通院患者、外来患者を呼び込む工夫が経営を制すると予測している。
早晩わが国にあっても同じ事が起きる。社会保険はパンク状態だから、入院をゆっくりさせて貰うことなど許されない。手術ぎりぎりまでは通院で対応し、術後は出来るだけ早く追い出す。これが定型化するだろう。なればこそ、そこにいる人間としっかり向かい合った病院こそが集客に成功して行くのだろう。この先はもっとお世話になるところだけにしっかり今後も見て行くべきと考えさせられた。

  

定年を考える  分類なし

いよいよ来年から、団塊の世代が定年期に達して、大定年時代が幕を開けようとしていると言う。
かねがね私見として定年は40歳、いや少なくとも40台前半には定年とし、その後は契約制にする雇用を考えてはと提案してきた。一生を一つの会社で全うする風潮は廃れつつあるが、しかし依然として終身雇用が大勢を占めているし、今後もその傾向は維持されるだろう。
大企業と呼ばれる多くの会社では、社内の厳しい競争に勝ち残ったものを残し、漸次関係会社などに人材を放出しながらトップマネジメントを育てている。勿論この方法の利点が多かったから、制度として定着して来たのだろうが、ともすれば瑕疵を嫌い、極端に言えば仕事は出来なくとも、失点が無いから偉くなるような例だってある。
早くに間引かれた人材は、関係会社に出されることが多いが、逆ではないのか?むしろ少し小さな所帯でおよそ会社に起きそうな全ての事象を体験してこそ、大きな所帯も切り盛り出来ると言うもので、早くに片道切符で社外に人間を突き出す手法が優れているとは思えない。
比較的若い段階から、子会社なり、関係先に出向をさせて、自社では体験できない多くの経験を積ませることも大切だ。国家公務員の場合は、民間会社に一定期間出向し、経験を深める制度があるとも聞くが、それだってもっと交流を深める努力があって良いのではないだろうか。逆に民間会社も積極的に官庁なり自治体に出向すべきで、それによって互いの立場に対する理解を深めることとなろうし、仕事の進め方にも民間流の厳しさを取り入れる機会ともなるだろう。
公務員が終身雇用なのも不思議といえば不思議なことで、少なくとも管理者については政権が変わるごとにそう入れ替えがあって然るべきではないのだろうか。そうした制度の導入は、職場に緊張感を増すこととなると期待される。
そんな制度の中にあれば、定年が60歳などと暢気なことを言って居れず、勢い定年は早くに迎え、新たな人生へのチャレンジをせざるを得なくなる。
走らない馬を走らせることは困難だが、走る馬を抑えることは出来るのだ。緊張感に満ちた職場を作り、常に新たなチャレンジを求められる環境こそが、成長の母であり進歩の糧ではないだろうか。
すっかり安定成長なる言葉にだまされて大人しくなってしまったわが国経済の動向を想うに、終わりなき成長、進歩を求める新たな体制作りが求められているのではないだろうか。
マネー・ゲームで巨万の富を作り出せる自由度は是としても、やはり国作りは物作りが基本なのではないだろうか。新しいことを考えず、怪我をしないことが出世、栄達の術だった時代は終わっている。
積極的な挑戦を呼び起こす土壌を作り出して行くことが、この資源貧国の生き延びる道なのではないだろうか。戦争に敗れて60年。未だに戦勝国の言い分に恐縮して見せなければならないことは情けない。冷戦では戦勝国の仲間となったものの、血を流さず、領土の取りっこをしない戦争では、敗戦国にその意識が薄いから、こっちも勝った気にならない。
改めて得意な経済戦争で、圧倒的な勝利を納め、世界の尊敬を集められるような国体を創り出すことを考えよう。そのためには、やはり緊張感の無い社会を作るべきではない。
団塊世代の定年を考えていて、改めてそんな思いに至った。我々は千年たっても揺るがない国作りを常に考えて行くべきだろう。それは実はそんな難しい事ではない。日本の潜在能力を信じよう。

2006/10/19  10:58

靖国参拝をなぜに騒ぐ  分類なし


今年の終戦記念日は、喧しく飛び交うヘリの音で一日が始まった。中韓が殊更言い募る首相の靖国参拝を実際に行われるのか、そしてその瞬間を逃すまいと、各社がヘリまで飛ばしての実況中継と相成った。
いい加減にして欲しい。中国が参拝に反対する理由としては、戦争犯罪人たる、A級戦犯が合祀されている靖国にお参りすることは、さながらヒットラーを未だに信奉するのに等しいとの詭弁が根拠と言う。確かに我々日本人の帝国主義思想は、戦前のある時期に中韓両国を侵略し、それらの国民に多大な迷惑を掛け、苦しみを与えることとなった。
当時の時代背景は今日と大きく異なり、世界には植民地主義が横行し、少しでも弱みを見せれば、たちまち飲み込まれてしまうような趨勢が跋扈していた。
アジアは、欧米列強の草刈場状態で、その中で国家を維持し、存続させて行くために、わが国にあってもそうした世界的な風潮に流され、植民地主義に押し流されないためにも、自らも同じ道を辿らざるを得なかったことも認識すべきだろう。勿論だからといって、わが国が犯した過ちが消えるものではないのは言うまでもない。
中国の言い分をよく聴けば、日本国民も等しく被害者で、軍国主義、帝国主義に走った一部の軍閥こそが糾弾されるべきで、その象徴こそがA級戦犯であり、それを合祀している靖国に一国の宰相が行くことが問題だとしている。もしこの理解が間違っているなら、ご教示願いたいが、どうも報道でしる限りは、その様な論拠と思われる。
確かにあの戦争を引き起こした張本人が誰かとの詮索は、いつも何処かで腰砕けになって、我々日本人の間にあっても明確にはされていない。
私見を申し上げれば、それは天皇に戦争責任を負わせたくない日本人のマインドが、常にこの問題をそれ以上掘り下げることを避けて、曖昧なままに置いてきたつけがここに来て、問題を複雑にしてはいないだろうか。天皇は、マッカーサーとの対談で、自らの戦争責任を認めて、戦後の再建に向けての協力をアメリカに要請した。
結果としてアメリカは当初の草案にはなかった「象徴天皇」を憲法に盛り込むこととして、現在の憲法が出来上がっている。
盧溝橋に端を発した支那事変を対中戦争とせず、宣戦布告が無いままに、泥沼の戦争に入って行った歴史を直視し、今一度戦争責任が何処にあるかを明らかにすることは必要だろう。
戦犯とは所詮戦勝国の論理でしかないから、非戦闘員が大半の東京大空襲、或いは広島、長崎への原爆の投下を命じ、実施した兵に対する戦争犯罪は問われていない。内政の不具合を糊塗するために、60年を超えてなお贖罪を求め続ける三等国には、恥じの概念が無いのだろう。
我々自身も戦争の責任を検証する義務を放擲することなく、しっかりと見据えて問題を明らかにする必要がある。しかし一方で植民地から解放された地域、人々が受けたであろう恩恵も明らかにすべきだ。あの時点で日本が取りうる手法に誤りがあったのは事実だろうし、それも明らかにしよう。しかしありもしない南京大虐殺を記念館まで作って喧伝する愚かしい政府とまともに向かい合う愚は止めにしよう。
真にアジアが世界をリードして行ける力を蓄え、世界人類の平和と安寧を勝ち取るために我々が果たしうる役割を今一度考え、それを持って、愚かな政府に支配されている哀れな民衆を救い出す術を考えようではないか。靖国に祀られることだけを糧に命を捧げた英霊には、改めて合掌するばかりだ。

2006/10/19  10:57

TVに物申す  テレビ

TVなるものが、家の中で確たる存在感を示すようになって半世紀が過ぎた。良くも悪くもTVと無縁に生活することは殆んど不可能で、人によって差はあると言うものの、生活のリズムとTVは不可分な存在となっている。しかし作り手の側の意識を思うと、自覚なり見識を持って事に当っているのかを疑問に思わざるを得ない。そもそもTVが考えるメーンターゲットは、F-1と言われる、20歳から35歳までの女性で、我々男性はあまり相手にされて居ないことは知っている。しかしそれにしても内容の無味乾燥さにはほとほと愛想が尽きる。もともと我々男性諸子としては、ニュース、天気予報、スポーツ中継程度が普遍的な視聴番組だったが、昨今はそのスポーツ中継もスポンサー付けに苦労しているのか、やたらとジャニーズ系のタレントやら、キャピキャピしたギャルが応援団とやらに付いて、喧しく画面に登場する。
あの程度の輩を嬉しがる年代層が対象とされているのなら意地でもそんな番組は見るまいと心に誓う。本番を迎えるのに、不断の血の滲むような努力を繰り返してきたアスリートにとって、観客が多いに越したことはないとしても、彼らの努力がひどく軟弱にしか見えない。もっとその試合に臨むに当って試みられたあれこれとか、相手の戦力分析とか、観戦に深みを付ける番組作りが成されても良いのではないだろうか。ちょっと人気がある(いや実はこちらは名前も顔も知らない奴が多いのだが・・)タレントと呼ばれる出演者がしたり顔にそのスポーツを語るのは、興をそがれる以外の何ものでもない。
ワイドショーとなるともっと視聴者を馬鹿にしている。CMの後には、延々とその前に放送した内容を繰り返す。作り手がそんなに繰り返されないと理解できないような程度の人間だからとしか考えようが無い。己と人は一緒ではない。視聴者を馬鹿扱いするのは止めにして欲しい。テロップにして然りだ。現に喋られている内容をわざわざ字幕で出す。訛りが強いとか、素人ゆえに滑舌が悪いならともかく、政治家のコメントにまで、字幕を付ける。聴覚障害者向けにそうしているのかと思っていたが、どうもそうでは無いらしい。ドラマにしても大半が漫画雑誌の連載からの焼き直しでしかない。深遠で、シリアスなストーリーを求めているわけではないが、腰を据えて作る姿勢はまったく見えない。
団塊世代が定年を迎えて、いよいよ街には老人が溢れる。TVの黎明期を少しでも知る、世代がいよいよ現場から居なくなる。そして今度は毎日が日曜日で、いやでもTVを今更ながら見ることとなるだろう。
愕然とするに違いない。余りの内容の空虚さ、くだらなさ、つまらなさに。自分たちが苦労して拓いて来たニューメディアが今どんな形となっているのかを知るが良い。40年近い半生を掛けて向かい合ってきたTVとは視聴率至上主義に支配されることによって、視聴から遠く離れた存在になってしまっていることを。
笑い話に「猫が見ていてもTVがついていれば視聴率は稼げる」と言われてきた。しかしどうも昨今の番組作りを見ると、猫だって跨ぎたくなるようなレベルに止まってはいないだろうか。猛省を促したい。自分たちの仕事が安易に流れていることを謙虚に見直して欲しい。少なくとも視聴者はあなた方作り手よりはるかに深く豊かな見識を持っている者がたくさん居るのだ。小生自身が人生の振り出しをTVと関わる仕事からスタートさせた経験からも物申したい。金と時間に余裕はない、だからこそ創意と工夫が生きてくるのだ。もっともっと勉強して欲しい。誰も省みることの無いTVと成らないために。

2006/8/24  16:34

Hawai'ian Vocalist 募集  音楽

私たちは、年間10回程度のライブ、コンサートを毎年行っている、ハワイアンのユニットです。コーラス・パートの曲ももっと充実させたく、新規に女性のメンバー(年齢不問・自分の足で歩いて、自分の声で歌える方)を募集しています。
出演は六本木、赤坂のライブハウスを中心に、お座敷が掛かれば何処へでも行きます。
目下のレパートリーはおよそ300曲程度(数えたことが無いのでよく分かりません。ご要望によって採譜してどんどん増えています)かと思われます。
楽器はウクレレ、ギター、キーボードを弾ける方を求めています。
ご連絡下さい。練習は毎週水曜日に四谷で行っています。

以上

またお求めなら、G-Stringのテナー、コンサート、ソプラノがありますので、格安にてお分けいたします。

2006/7/21  15:49

Hawaiian Live Concertのご案内  音楽

 来る8月1日(火)に有楽町電気ビルの北館20Fにある、外国特派員協会で、ハング・ルースのハワイアン・ライブが行われます。
 普通は会員以外は入れないメンバーシップ・クラブですが、当ハング・ルースにお申し越しをいただければ、ご入場いただくことが出来ます。
 会費はお食事だけなら¥3,150と格安で、飲み物は別途CODとなります。ご希望の方は、メールにてご連絡下さい。

 E-Mail wizard3392@aol.comまで

2006/3/16  16:26

病院隣接型ホテル視察の日程  分類なし

 当初の予定だった4月から6月に延期しました。詳細はまだ決まっていませんが、決まり次第またご案内いたします。

2006/3/16  16:24

考えよう!  分類なし

 リゾート開発と向き合って、20年余の歳月が経つ。リゾート法なる法律が制定され、それこそ日本中がリゾート開発に沸き、俄仕立てのプランナーとかコンサルが、人の無知に付け込んで開発計画を作り、そのうちの幾つかは実際に巨額の投資が行われ、バブルの崩壊と共に、多くは深みに沈み込んで消えて行った。多くの屍を残しながら・・・。
そして余暇活動に対する考え方もこの15年の間に随分変わって、「スローライフ」なる思想がもてはやされ、あくせくと成長発展を求めた戦後型の成長経済から、安定型が地に足が着き始めたと考えられるようになった。
 もう35年も前の話だが、フランスのワイナリーを訪ねた作家の吉行 淳之介氏は、当地の荘園主たる伯爵が、荘園を四分割し、25年ごとに順番に葡萄を作付けし、75年間の養生を行うとの話を聞いた。
即座に吉行氏は養生の必要性は認めながらも、75年は如何にも長い。せめて25年づつにすれば、生産量も倍になるのではと訊ねた。その問いに対し、伯爵は全く理解出来ないとの顔を見せながら、「どうしてその必要があるのですか」と逆に問うたと言う。「私たちはこの荘園を代々家臣と共に守って来ましたが、全ての家族を養うのに十分な生産量がこのシステムで確保されています。どうして生産量を増やし、忙しい思いをしなければならないのですか」と応えたと言う。吉行氏の問いは当時の日本人が誰しも持つ印象だったろうし、伯爵の答えはむしろ分かりにくい返答だったのではないだろうか。
 あれから35年を経て、ようやくこの伯爵の考えが受け入れられる社会に日本はなってきたのではないだろうか。
 IT ビジネスを中心に台頭する新しいムーブメントはその体質の脆弱さから、ライブドア事件を引き起こした。多くの生産拠点は、国外に逃亡し、国内の空洞化に歯止めは未だに掛からない。生産業が軽んぜられ、マネーゲームが巨万の富を生む時代ではあるが、それが望ましい社会の常態と考えたくはない。
 未だに自我の確立が覚束ない我が日本民族は、「是」とするものを他に求める傾向から脱却できないで、「グローバル・スタンダード」なるものを求めて見たり、「日本の常識は世界の非常識」などと指摘されると、ひたすら恭順の意を見せたりもする。
おい!ぼちぼち改めようぜ。我々は我々のご先祖様から大切に受け継いで来た物を大切にしつつ、その価値観で世界を折伏することを。
 何も民族主義者の片棒を担ぐ意図はない。過度な愛国心を求めるのでもない。ただ自信を持ってわが国を愛し、主張し、また世界に認められる、いや協調を相手から求められるような国の姿を創り出して行くべき時期に来てはいないだろうか。
 忌まわしく、はた迷惑な隣人たちは、第二次世界大戦の被害を殊更に言い募り、国家の態を成さない民意を纏める求心力に利用している。この大戦で日本が残した傷跡に苦しむ人の存在を忘れてはならない。しかし同時に当時の日本の指導者達が夢見た地球規模での壮大な人類共存への思想はもっと喧伝されるべきと言うか、我々が今一度勉強し直し、優れた点、誤った点を明確にしつつ、今後へのよすがとするべきなのだ。アングロサクソンに代表される白人の、そしてキリスト教的世界観、道徳観、社会規範がどれだけ偏狭で、世界に多くの禍根を残しているかを改めて見直そうではないか。いくら戦時とは言っても、非戦闘員が大半な大都市に、原子爆弾を落とす倫理観は永遠に尊敬されるものではないし、その恥を省みない人々が未だに大きな力を維持していることも許せない。

2006/3/2  11:20

[Hula ハワイの風にのせて」  BBS 音楽全般

 鳥山 親雄さんが書き下ろした、フラとハワイアンを愛する人のためのバイブルとも呼べる本をご紹介します。フラを踊る人なら、誰でもしっていて欲しい話、ハワイ人なら子供の頃から聞かされている童話、音楽の歴史など、盛りだくさんの内容は、絶対に持っていたい一冊です。

 お問い合わせはwizard3392@aol.comまで

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