2008/5/5  15:46

六甲全山縦走路、西の入り口  街歩き

2006年2月以来の1泊2日の神戸帰省では、六甲山系の若葉の緑が印象的でした。

六甲山、摩耶山は有名ですが、そこから西に山系はなだらかに長く連なっています。再度山(ふたたびさん)諏訪山、鵯越(鵯越)、高取山、鉄拐山(てっかいさん)。街並みのすぐ向こうに山並み。山の緑が手に取れるくらいの迫力で萌え出でています。中高生の頃は見るともなく眺めていた山並み。震災のとき、私は北東北の城下町で、高校の非常勤講師をしており、手助けに駆けつけることができず、何ら積極的に関われず、ほとぼりが冷めたころにこっそり帰る形になってしまいました。そのときも見た山並み。六甲山系の山々は、ずっとこうやって神戸を見守ってきたんだなあ。。。

やがて須磨の海岸が見えてくると、六甲山系は一の谷を経て、旗振(はたふり)山、鉢伏(はちぶせ)山で終わりになります。ここから向こうは播磨平野になり、山が迫っている摂津とはお天気も変わることがあります。

六甲全山縦走路の西の出発点が旗振山・鉢伏山のふもとにあります。そこまでちょっと遠出してみました。

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神戸市内の小中学校は、必ず遠足で六甲山系の一部を歩きます。しんどかった遠足ですが、やっぱり眺めのよさは記憶に残っています。どこからでも神戸の街並みと港と海を一望できる六甲山系です!!が・・・西の端はこんな感じで、時代の流れから取り残されたように、ひっそりとしています。向かいに見える丘はジェームス山という洒落た名前で、洋館も多かったのですが、今は殆どなくなってしまいました。

また、旗振山・鉢伏山の入り口には、毘沙門天を祭った祠があり、そこを巡ると四国八十八ヶ所を巡ったことになるとかいう話しを聞いたことがあります。本当のことはわかりません。四国八十八ヶ所巡りが晩年の楽しみだった母方の祖父(故人)は、毎朝この旗振・鉢伏山登山をしていました。毎朝しかも最晩年まで!!その健全な遺伝子が、私にも流れているのは、にわかに信じがたいんですが。。。








2008/5/2  16:44


2006年2月以来1泊2日で神戸の実家に帰省しました。

私の境界性人格障害という心のビョーキの原因は、親の育て方、私たち親子のいた環境にあったということがわかってきて、更に、親たち自身も人格的にかなり問題があるなあということも感じるようになって、しばらく彼らと距離をおこうと思っていました。「あんたらのせいや」と糾弾するつもりはないにせよ、彼らに向かうために時間は必要でした。

その間、それまで眼の敵にしていた夫の両親と少しずつ交流するようしてみました。幸か不幸か、夫の両親が年老いて、私と一対一で張り合うような人格的な強靭さが失われてきたからできたのかもしれませんが。。。年老いて弱くなった相手を前にして、やっと、張り合う必要はないんだと思えるようになってきました。『張り合う』とは、私にとっては私という人格を認めてもらうことだったのですが、決して自分の全てを理解してはもらえない、必ず誤解されている、通じ合えない部分もある、でも、それでもいいんだ、それは、私という人格が否定されていることではないんだ、ということが解ってきました。

ホント、時間かかったなあ。

そうすると、今度は境界性人格障害の子の生みの親たちにも、「あんたらのせいや。あんたらもおかしいわ」と糾弾することもなく会えるような気がしてきました。

愛情が強すぎた、というよりは、彼ら自身が自立できていない人たちと言ったほうが当たっているのかも知れません。今でも彼らは子離れできていません。死ぬまでそうでしょう。経済的、距離的には分離していても、子供の存在に精神的に強く依存し、依存させようとしています。

心のビョーキの治療の最盛期には、そんな彼らに腹が立ったり、かばったり、振り子が揺れていましたが、今は、もう少し客観的に向き合えるようになってきたと思います。そんな親だけど、やっぱり年老いてきた。弱くなってきた。そしたら、育て方がどうだったこうだったはもういいから、やっぱりちゃんと大事にしてあげるべきなんだな。

2008/4/22  16:54

クラシックギターの発表会  音楽

4月13日(日)横浜市某所で、私の通っているクラシックギター教室の発表会がありました。

ふんわりと柔らかく、ぼんやりとして定まらないところがある、クラシックギターの音色が大好きです。シンプルで素朴な楽器です。抱えて弾くと、おなかのところで優しく響きます。人肌の音。半径1メートル以内で完結する、小さく控えめな小宇宙です。

大好きなクラシックギターの音色を奏でたい、人に聞いてもらいたい、何かを分かち合うことができたら。。。その思いの延長に発表会もあります。

今回は、イタリア古典の作曲家ルイジ・レニャーニの2曲です。『ラ・マズルカ』は、発表会用ギター名曲集に入っている曲です。私にとっては難曲ですが、あまり馴染みのない曲で、メロディも単調な気がして、最初は好きになれず不安でした。でも、何ヶ月も引き込んでいくうちに、曲が自分に馴染んできて、曲に自然に表情がついてきました。そうすると、不思議なもので、曲がいとおしくなってくるのです。

もう1曲の『カプリス』は、先生がイタリアの楽譜をadobeで送って下さってダウンロードしたものです。(村治佳織さんがトヨタアリオンのCMで弾かれているカプリスとは、同じ作曲家ですが作品番号が違うのですが、ちょっぴり嬉しいです。)こちらは親しみやすいメロディのサンパティックな曲で、とっかかり易かったです。

12月頃からずっと練習してきましたが、練習も、奥が深いと実感させられました。一旦完成したかに見えても、慣れてくると演奏が乱雑になります。形を覚えて慣れた指が先を急いでしまい、お化粧が崩れるように、演奏は、雪崩をうって崩れていきます。そこで更に、慣れてきた指にもう一度神経を集中させ、注意力を注ぎ込みながら、一つ一つ丁寧に動かすように直さなければなりません。練習を重ねて精度を上げていかなければならないことがわかりました。プロの演奏家から見ればまだまだ入り口あたりでしょうが・・・

これだけ練習しても、発表会の舞台の上にあがると、指がわなわな震え、自分の意思でコントロールできませんでした。舞台に上がると、曲への思いも、ギターへの愛おしさも、全て吹っ飛んでしまうのだ!!恐ろしい!!・・・何とか終えることができましたが、嗚呼、まだまだです。。。

・・・かくして発表会は終わり、今日も、半径1メートル以内の小宇宙で、ポロンポロンとつま弾きはじめております。また、発表会の恐怖を味わうのを、楽しみにしながら。。。

2008/4/9  17:27

小川国夫さんの訃報に寄せて  

朝日新聞2008年4月9日(水)朝刊です。

「澄んだ文体で、地中海沿岸や故郷・静岡県中部の人や風土を描いてきた作家小川国夫さん」の訃報が写真入で出ていました。引用を続けます。「留学時代にバイクで旅した地中海沿岸と静岡県中部の海や光といった共通する風土を生かした物語、半自伝的な小説、19歳のときに入信したカトリック教徒として読み込んだ聖書もの。三つの方向から創作を続けた。文学は簡潔な文体にあるという信念を守り、平易な言葉と画家を志したことがある美的感性で、文章を磨き上げた。」

私にとって小川国夫さんは、全く相反する二つの要素で説明できます。

まず、私の人生の転機を決定づけた作家です。私が一生の中でもっとも大事にしている本の一冊が、小川国夫『なだれる虹〜全紀行T』、1980、作品社です。箱表紙には光が美しい地中海風のパティオの写真、ハードカバーの裏表紙にはロマネスク教会のタンパン壁画があしらわれていて、美しい装丁の本です。長いこと、パラフィン紙をつけたままで大事にしてきました。裏表紙に、当時の私が、S55年9月28日と書いて署名しています。。。大学を受験し直す夏に読んで署名したのだと思います。

ロマネスクの教会を、中世の人が巡礼した通りの道をバイクで辿る、エッセイでした。当時、歴史が好きでしたが、何を専門にするかを決めかねていた私が、これを読んで中世ヨーロッパに直感的に惹かれました。いわば、この本によって私は自分の専攻を選んだといえル、私にとって大事な作家です。

同時に、小川国夫さんはどこまで行っても近づきがたい孤高の作家でした。小川国夫さんの文体は決して平易ではなく、むしろ、何度近づこうとしても、厳しい岩のように人を寄せ付けないところがありました。どこまでも思索的な文体です。読もうとして挫折した本も数多くあります。。。トホホ。。。

ご冥福をお祈り申し上げます。


2008/4/2  15:15

今日は結婚記念日です。  人と・・・

1992年4月2日に結婚式を挙げました。16回目の結婚記念日を迎えました。

ずっと、私の『境界性人格障害』という心のビョーキが発現したのは、夫と結婚し夫の両親と出会ったせいだと思ってきました。

でも、誰と結婚しても、多分私の『境界性人格障害』という心のビョーキは出現していた、むしろ、夫とだったからこそ、ここまで乗り越えて来られたのだと思えるようになってきました。

ありがとう、オット。

夫はこの1年で3度風邪をひき、先月はインフルエンザに罹りました。彼がこんなにバテたのは結婚以来初めてです。きっと今まで16年間、私の心のビョーキのせいで、風邪をひくいとまもなかったんだろうな。私の人格障害が少しだけ回復の兆しが見えてきたから、やっと、まともに風邪をひけるようになったんだろうな。

ごめんね、オット。

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これは2006年、夫の出張でフランスのリヨンに滞在していた4月2日に描きました。"le couple"(ル・クープル)『カップル』というタイトルで、鳥のつがいの巣作りを描きましたが、偶然、トンネルも描いていました。

トンネルの出口は見えたとはいえ、まだまだ私の『境界性人格障害』には課題があるようで、心理療法面接を続けています。心理療法は、こうしなさい、ああするといいですよ、という答えが出るものではなく、ゆくゆくは自分の力で生きていく力をつけるためのものだと思っています。昨年2007年の結婚記念日にも感じたように、自立した一人の人間として、夫と仲良く歳を重ねていきたいです。

よろしくね、オット。




2008/3/27  16:40

とげを抱えて生きるということ〜薔薇のない花屋〜  テレビ

『薔薇のない花屋』を見て、『とげ』を抱えて生きるということについて考えました。

人間、多かれ少なかれ『とげ』を抱えて生きなければならない。そのとげが他人に向くか、自分に向くか。誰もが英治と舜の間を行ったり来たりしているんじゃないかな。

英治は、雫を育てることによって、自分の『とげ』を優しさに変えようと賭けてみたのだと思います。無垢な雫の前ではとげを持たないかのように振舞える。でも、ひとたび理不尽な仕打ちを目の当たりにすると、自分の持っているとげを意識せざるを得なくなる。『名も無き戦士』が自分を守るの唯一の武器『とげ』。英治は優しくなればなるほど、自分の心の『とげ』を意識し、更にストイックに『とげ』を自分の中だけに封印しようとする。が、そのことが、かえって彼自身を追い込みます。

英治に『とげ』を持ったままでいいんだよと、教えることになる美桜は、ひがみ屋で、そんな自分にすぐ自己嫌悪に陥ってしまう、自称『とげ』だらけの女性だった。盲目の振りをする設定は、冒険的な手法で、一部ひんしゅくを買うかもしれない危険がありますが、ドラマを見続けるにつれて、その意味がわかってきました。私自身の中にも「人から弱く思われたい」願望があり、それはひがみや自己嫌悪の表れだからです。美桜の心もまた、『とげ』を抱えながら成長していきます。

『とげ』を抱えながらどうやって生きていけばいいのかの、ひとつの答えが最後に出たと思います。英治は、自分の花屋に薔薇を置いて売り、美桜と一緒になる。自分のとげを、そして美桜のとげをも受け入れることで初めて、「とげ」が優しさに昇華していくんでしょう。

問題を抱えた人物の描き方がすばらしいドラマでした。

その反面、瑠璃さんのビデオレターのせりふが冗長で、真実味がありません。多分、あそこまで純粋な人は滅多にいないからだと思います。実際、親の愛を一身に受けたからといって、まっすぐ育つとは限りません。親の愛情が強すぎて、かえって人格障害になる場合も多くありますから。でもまあ、こんな批判はどうでもいいくらい、いいドラマでした。


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薔薇のないベランダです。

2008/3/27  10:35

バーレーン戦の岡田監督采配を弁護させてください。  サッカー

今までの日本代表の負け試合は、細かいパスはきれいに繋がるけど最後が決められない、決定力不足にイライラさせられていました。昨日のバーレーン戦は、そこまですら行かなかった気がします。朝日新聞では『オシムが作った緻密なサッカーを壊した・・・残ったのは日本本来の姿とは似ても似つかぬサッカーだ。これは迷走の始まりかもしれない』と完敗を報じていますが、然りです。

ただ、私は、緻密なサッカーを封印してでも何かを変えたかった岡田監督の意志を感じました。少し岡田監督を弁護したい気持ちがあります。

東アジア選手権で、北朝鮮と韓国に、引き分け以上とれなかったのは、技術より執念だという思い。だからこそ、あえてパスのかなめ遠藤選手を先発からはずし、山瀬選手を起用したんじゃないでしょうか。・・・ところが、美しいパスを禁じられた選手は文字通り迷走。岡田監督の当ては外れました。結局遠藤選手に頼む元の鞘に戻るしかなく、ときすでに遅しだったと思うのです。

予選突破が悲願のバーレーンは、選手の足が攣ってもシュートしていました。日本はというと、Jリーグが開幕したばかりで、各選手は怪我をしたくないのか、接触を避け、何が何でもボールを奪いに行くこともしていない。試合が終わって、負けた側の日本選手に、まだ余力が残っているようでした。

プロのスポーツ選手は大変です。毎回毎回、執念を持って戦うなんて、身が持たないと思います。倒れるまで走れというのは過酷過ぎることでしょう。でも、それ位していないと、多分ワールドカップにはいけないのでしょう。

岡田監督の、ワールドカップ予選は大変なモンなんだ、という思いだけが浮いてしまった戦いだったと思います。選手の中にはまだそこまでの切迫した執念が形づくられていない。皮肉なことに、負けたことでそこに近づいたように思います。

2008/3/26  17:43

ブティックショッピングにもエコバッグを  ファッション

スーパーでのお買い物には大分浸透してきたエコバッグ。

私は、ブティックやデパートでのショッピングにもエコバッグを使いたいと思っています。

以前は、ブティックやデパートでのショッピングのときにもらう袋は楽しみの一つでした。ブランドの素敵なロゴの袋は、大事に保管しています。・・・中高生の頃初めて手にした『三愛』『鈴屋』の紙袋がスタートでした。以来ん十年、国内外のブランドをさまざま変遷したものの、我が家の押入れの端っこには、多くのブランドの紙袋が保管されています。ブティックだけでなく、パティスリーの紙バッグも後生大事にとっています。

使い道といえば、クリーニングに出すときに使うくらい??あと、フィットネスや旅行、温泉に行くときに着替えを入れるには、ブティックのビニール製のロゴ袋は確かに便利ですよね。

でも、、、、。最近、このブランドバッグをもらいすぎていることが、エコに反するような気がしてきました。スーパーのレジ袋は断っても、デパートやブティックで服を買ったときにもらうブランドの紙袋は、まだ、断っている人は少ないんじゃないでしょうか。それだけに、断るには勇気がいります。。。。

今日、デパート内のブティックで買い物しました。多分そのブランドのを買うだろうと思っていたので、家から以前もらったロゴバッグを持参しました。購入した服を店員さんがパラフィン紙に包み終わった瞬間に、「あの〜〜」。・・・店員さんは快くその持参したロゴバッグに入れてくれました。

でも、もし違うブティックで買うことになっても、持参したエコバッグを気楽に使えるようになると、もっといいのになと思いました。

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とはいえ、やっぱり憧れのブランドのロゴ袋を持つことは、虚栄心を満足させてくれますし、それを全てエコバッグにせよと思っているわけではありません。虚栄心だって、人間の健全な欲望だと思うから。矛盾していますが、今の心境です。

2008/3/22  16:32

復活祭の今日、プロテスタントとカトリックについて考えます。  歴史散策

今日はキリストの復活祭。月の満ち欠けにあわせて年ごとに変わる移動祝日なので馴染みは薄いですが、キリスト教信者にとってはクリスマスと同じくらい大切な祝日です。

クリスマスに生まれたイエスが、限られた一生の中で布教活動をし、そのことでローマ帝国にとがめられます。死を前にしたイエスが弟子たちとともに食卓を囲んだ『最後の晩餐』を記念する聖木曜日、十字架に架けられて死ぬことを記念している(御受難)聖金曜日、そして死者の中から復活することをお祝いする御復活祭が土曜・日曜です。

イエスという人物が歴史上いて、十字架刑に処せられたことまでは史実です。が、復活を信じるか否か。キリスト教信者は信じています。・・・そのことについては、またいつか語る機会があればと思います。

今日、ある方に、「プロテスタントとカトリックの違いはなんだと思いますか?」と尋ねられました。そのことについてちょっと書きます。

私はとっさに、「プロテスタントは『聖書』が一番大切です。でもカトリックはもっと広いものを大事にしていると思います。もっとユニバーサルな感じで・・・・」と答えたのですが、その『もっと広くてユニバーサルな感じのもの』が何か具体的に表現できませんでした。その方と別れてからわかったのですが、それは『ミサ』です。

『聖書』か『ミサ』か。言葉か行為か、です。

『聖書』の根幹をなす福音は、4人の記者がそれぞれに書いたイエスの伝記です。4人の記者の視点に特徴があって、表現も違い、それぞれすばらしいです。新約聖書には、福音のほかに、使徒たちによる布教活動なども記されています。旧約聖書は、イエスが生まれるまでの歴史、原始キリスト教という宗教団体が生まれるまでの精神的背景を知ることができます。全て勿論言葉で記されています。勿論大切なものです。

『ミサ』は、死を前にしたイエスが、弟子たちと最後の食卓を囲み、「パンとぶどう酒を取り、これを私の記念として行ないなさい」と告げられた、その最後の食卓を忘れるまいぞ、イエスという人物がいて、我らのために十字架に架けられて死に、キリストとして復活されたんだということを子孫たちに伝えようと思い、『形』『行為』として残し、綿々と続けてきたものです。言葉よりも、振舞い自体に、よりシンプルで根本的なものがあるように思うのです。聖書自体も、そんな『ミサ』の中で読まれ、伝えられてきたものなのだからと思うのです。

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御受難というタイトルの自筆画。

2008/3/20  15:07

仏外相クシュネル、五輪ボイコット問題で深慮  ニュース

2008年3月19日(水)朝日新聞夕刊より。

中国チベット自治区の騒乱を受けてフランスで「北京五輪の開会式をボイコットすべき」との声が持ち上がり、ベルナール・クシュネル外相は18日、「支持はしないが評価に値する」と述べた。

日本の新聞ではここまでですが、フランスでは19日夜、テレビニュースでインタビューされその真意を語っておられました。ニュースキャスターのプジャダスの突込みにもゆるぎなき信念を持って語っておられ、さすが『国境なき医師団』出身の人道主義者だと感心しました。(ただし、副音声のフランス語のみで聴いたので、私の聴き取り能力の限界により、間違って解釈しているところもあると思います、あしからず)

クシュネル外相の発言を要約します。

北京五輪ボイコットに関しては、非常に注意深く考え行動するべきである。われわれは二つの点で中国政府に圧力をかけ続けなければならない。ひとつは、暴力をやめさせること、もうひとつは、本当のことを報道させることだ。この点で、ジャーナリストたちも圧力をかけなければならない。更に忘れてはならない大事なことは、チベットの住民が何を望んでいるのかということだ。彼らが求めているのは、チベット住民の文化の自治の拡大であり、オリンピックのボイコットではない。ダライラマは平和を望んでいるはずだ。

何という思慮深い発言であろうか。確かにボイコットのカードを切ってしまっては、そこで話し合いは断たれ、中国政府に対して何の働きかけもできなくなる。早々に熱く『ボイコット』を叫んでいる野党ロワイヤル女史より一枚上手だと思いました。

最初に暴動を起こした人たちが、本当に望んでいるのは何かを忘れてはいけない。弾圧している政府に対してそれを働きかけていくことこそ本来あるべき外交なんじゃないか、ということを思い起こさせてくれました。身勝手な正義を掲げた介入によってイラク、コソボ、ダルフールなど、もうそんなことを言っておられなくなってしまった地域は世界にたくさんありますが、チベットに関してはまだ間に合えばいいなと思います。



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