2008/3/22  16:32

復活祭の今日、プロテスタントとカトリックについて考えます。  歴史散策

今日はキリストの復活祭。月の満ち欠けにあわせて年ごとに変わる移動祝日なので馴染みは薄いですが、キリスト教信者にとってはクリスマスと同じくらい大切な祝日です。

クリスマスに生まれたイエスが、限られた一生の中で布教活動をし、そのことでローマ帝国にとがめられます。死を前にしたイエスが弟子たちとともに食卓を囲んだ『最後の晩餐』を記念する聖木曜日、十字架に架けられて死ぬことを記念している(御受難)聖金曜日、そして死者の中から復活することをお祝いする御復活祭が土曜・日曜です。

イエスという人物が歴史上いて、十字架刑に処せられたことまでは史実です。が、復活を信じるか否か。キリスト教信者は信じています。・・・そのことについては、またいつか語る機会があればと思います。

今日、ある方に、「プロテスタントとカトリックの違いはなんだと思いますか?」と尋ねられました。そのことについてちょっと書きます。

私はとっさに、「プロテスタントは『聖書』が一番大切です。でもカトリックはもっと広いものを大事にしていると思います。もっとユニバーサルな感じで・・・・」と答えたのですが、その『もっと広くてユニバーサルな感じのもの』が何か具体的に表現できませんでした。その方と別れてからわかったのですが、それは『ミサ』です。

『聖書』か『ミサ』か。言葉か行為か、です。

『聖書』の根幹をなす福音は、4人の記者がそれぞれに書いたイエスの伝記です。4人の記者の視点に特徴があって、表現も違い、それぞれすばらしいです。新約聖書には、福音のほかに、使徒たちによる布教活動なども記されています。旧約聖書は、イエスが生まれるまでの歴史、原始キリスト教という宗教団体が生まれるまでの精神的背景を知ることができます。全て勿論言葉で記されています。勿論大切なものです。

『ミサ』は、死を前にしたイエスが、弟子たちと最後の食卓を囲み、「パンとぶどう酒を取り、これを私の記念として行ないなさい」と告げられた、その最後の食卓を忘れるまいぞ、イエスという人物がいて、我らのために十字架に架けられて死に、キリストとして復活されたんだということを子孫たちに伝えようと思い、『形』『行為』として残し、綿々と続けてきたものです。言葉よりも、振舞い自体に、よりシンプルで根本的なものがあるように思うのです。聖書自体も、そんな『ミサ』の中で読まれ、伝えられてきたものなのだからと思うのです。

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御受難というタイトルの自筆画。



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