2008/3/27  16:40

とげを抱えて生きるということ〜薔薇のない花屋〜  テレビ

『薔薇のない花屋』を見て、『とげ』を抱えて生きるということについて考えました。

人間、多かれ少なかれ『とげ』を抱えて生きなければならない。そのとげが他人に向くか、自分に向くか。誰もが英治と舜の間を行ったり来たりしているんじゃないかな。

英治は、雫を育てることによって、自分の『とげ』を優しさに変えようと賭けてみたのだと思います。無垢な雫の前ではとげを持たないかのように振舞える。でも、ひとたび理不尽な仕打ちを目の当たりにすると、自分の持っているとげを意識せざるを得なくなる。『名も無き戦士』が自分を守るの唯一の武器『とげ』。英治は優しくなればなるほど、自分の心の『とげ』を意識し、更にストイックに『とげ』を自分の中だけに封印しようとする。が、そのことが、かえって彼自身を追い込みます。

英治に『とげ』を持ったままでいいんだよと、教えることになる美桜は、ひがみ屋で、そんな自分にすぐ自己嫌悪に陥ってしまう、自称『とげ』だらけの女性だった。盲目の振りをする設定は、冒険的な手法で、一部ひんしゅくを買うかもしれない危険がありますが、ドラマを見続けるにつれて、その意味がわかってきました。私自身の中にも「人から弱く思われたい」願望があり、それはひがみや自己嫌悪の表れだからです。美桜の心もまた、『とげ』を抱えながら成長していきます。

『とげ』を抱えながらどうやって生きていけばいいのかの、ひとつの答えが最後に出たと思います。英治は、自分の花屋に薔薇を置いて売り、美桜と一緒になる。自分のとげを、そして美桜のとげをも受け入れることで初めて、「とげ」が優しさに昇華していくんでしょう。

問題を抱えた人物の描き方がすばらしいドラマでした。

その反面、瑠璃さんのビデオレターのせりふが冗長で、真実味がありません。多分、あそこまで純粋な人は滅多にいないからだと思います。実際、親の愛を一身に受けたからといって、まっすぐ育つとは限りません。親の愛情が強すぎて、かえって人格障害になる場合も多くありますから。でもまあ、こんな批判はどうでもいいくらい、いいドラマでした。


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薔薇のないベランダです。



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