2008/3/17  10:20

フレームの向こうにある真実  RECOMMENDATION

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学生の頃に、イタリアルキノ・ヴィスコンティ監督の全作品を、半年ぐらいにわたって渋谷で上映したことがあった。ヴィスコンティ監督は、ミラノの大貴族の流れを組む正真正銘の伯爵である。初期は、貧しい漁民の話などの映画もあるが、やはり真骨頂は、自らの世界感を体現した、上流階級の世界を描いたものである。

とにかく、毎日毎日渋谷に通い詰めた。
申し訳ないが、渋谷は当時から余り好きな街ではなく、それは人の導線があまりにも悪いため、混雑がひどく、目的地に行くまでにはなはだ時間がかかるからである。日本の都市計画の悪さを体現している土地なので、外国人を案内するときは、かならず連れて行くことにしている。彼らは、別の意味で、面白がるのだが。たとえば、若者の奇妙きてれつぶりとかである。

しかし、ヨーロッパの文化や思想に偏執狂的に興味があった自分は、街への嫌悪感より、映画への興味の方がまさって、毎日ヴィスコンティを観に通った。ほぼ全ての作品を観たと思うが、当時より、歳を重ねて視野が広がった今、もう一度観直したいと密かに思っている。しかし、学生時代に、こういう体験をできたのは貴重だったと思う。
映画というのは、多くのスタッフを使っているが、とどのつまりは監督の人間性や思想がむき出しになるものだと実感した。三島や谷崎に通じるような唯美主義と背徳は、本人の性向とも重なる物であった。とにかく、一場面一場面、全てが絵として完結しなければ気がすまない。最後の作品となった「イノセント」では、場面のシチュエーションに合わせて、部屋の調度から、登場人物の着ているドレスまで、全部青なら青系統、緑なら緑系統、赤紫なら赤紫系統にそろえる懲りようである。端役に至るまで実生活ではありえないことだが、美形しかでてこない。そしてその美しい俳優たちが、重苦しい心理劇を延々繰り広げるのである。

イタリアの歴史を背後に感じつつ、観るとさらに感慨深いのは「山猫」であった。若きアラン・ドロンと老い行くバート・ランカスターの対比。ミラノの大貴族だから描ける、王政が終わり没落して貴族と、俗っぽいが新しい未来に足を踏み入れていく若者のありよう。主要俳優以外は、全て貴族の末裔を使うという完全主義。これにより映画は、よりリアルなものになり、観ているものも貴族の生活のなかで息をしているかのような錯覚に陥る。この作品で、カンヌ映画祭パルムドールを受賞。世界的な監督の切符を手中にした。1963年のことである。わたしが、一番印象的なのは、館の広大なバルコニーレースカーテンがゆらりゆらりと風にゆられるところである。オレンジの花の香りさえただよいそうな、イタリアの上流階級の優雅な空間は忘れられない。君よ知るや南の国……ヨーロッパ、特にドイツで南といえばイタリアのことを指す。「あこがれの地」に転ずる言葉だ。

その南の国のお貴族さまは、それから本領を発揮する。ドイツ3部作といわれる、歴史劇でありながら、耽美の極みをつくした、作品を連発する。「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)、「ベニスに死す」(1971)、「ルートヴィヒ」 (1972)と立て続けにドイツものを発表。これらはドイツ3部作と呼ばれ、3作続けてみると、丸一日かかり、すっかりヨーロッパ没落貴族の気分が味わえます。また、バイ・セクシュアルであったヴィスコンティが、ナチスにおけるホモセクシュアルの粛正をつまびらかにしたり(「地獄に堕ちた勇者ども」)、少年愛も異性愛も同じせつなさとぶざまさと一途さを持ち合わせていると語ったり(「ベニスに死す」)、ジェンダーの面から観て、ヨーロッパにおける同性愛者の現状を描いている点は今観ても新しい。当時は、大変なキワモノ扱いだったに違いない。

どの作品でも登場する端役で面白いのは、お屋敷のお花係である。大きな屋敷のそこここに大きな花瓶があり、そこに立派なお花がいけてあるのだが、ちゃんと、毎朝、アレンジしなおしている様がそれとなく描写されている。実際、ヴィスコンティ家の近くには花屋があって、本当にヴィスコンティ家の花を毎日届けるために機能していたという。そういう貴族生活のリアル感がさりげなくいや当然のように出てくるのである。そういうわけで、その映画祭でも、同じ作品を何度か見たりもした。筋立てや演技も素晴らしいのだが、真の上流階級の普段の生活というものが、自然ににじみ出ていて、面白かったのだ。

さて、日本の監督で世界的な名声を博している人は、実は多いのだが、必ずしも興行成績と、有名度は比例しない。世界の北野たけしだって、フランスじゃ「キタノ監督様」扱いだけれども、日本ではやっぱりコメディアンのたけしのほうがしっくりくる。あの黒澤明監督も、あるアメリカの有名監督が、尊敬のあまり自宅に押しかけたら(日本では庭付き一戸建てでたいしたものだが)その家の狭さに驚き呆れたという。日本の芸術家というのはなんというか、世界的名声があったところで、待遇ひとつとっても、人々から尊敬されぬことはなはだしい。
だいたい、このほど小栗康平監督の全作品を東京で上映されることになったのだが、海外ではこういうことは何度かあったそうだが、日本ではなんと、初めてだというのだ。カンヌ映画祭パルムドールこそ逃したが、審査員特別グランプリ国際映画批評家連盟賞のダブル受賞を「死の棘」で1990年に受賞する快挙を果たし、その他、数え切れない国際的に名誉な賞を各作品で受賞している監督なのに、である。

会期中の土日には、映画にゆかりのある人との対談もある。
同じ監督の作品を、まとめてみることは、その作家の思想や生き様に生で触れられる貴重な機会である。是非、この機会に日本の誇る映像作家の作品に埋もれてみてはいかがだろう。
くわしくは以下のリンク先を見てください。小栗監督のメッセージ動画やインタビューもあります。



小栗康平監督全映画 フレームの向こうにあるもの、見えるもの



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