2008/9/1 12:55
やりきれない事件のやりきれない結末 教育
大分の教員採用汚職事件。
テレビの新聞も雑誌も見ていないので詳細は把握できていないのだけど。
やっぱり一番の被害者は子どもたちだよなぁ。今年度採用の教員については不正行為によって採用された人は採用取り消しとか。一昨年度以前の人は証拠不十分で採用取り消しなし。
今年採用の教員については、1学期間かけて子どもたちと作ってきた様々な人間関係を清算しなきゃいけないわけだし、新しい担任はイチから関係作り直し。本人希望すれば年度末まで常勤講師扱いで在職可能と言うけど、それでクラス運営できると思う?
おまけに昨年度まで採用の教員はといえば、不正合格の可能性ありというレッテルを貼られたまんま子どもたちと接することになるわけでしょ。
どっちに転んでも子どもたちの教育にとっていいことなし。
で、なんですか?あのノー天気な文科相の会見。アホか?
不正を働いてはいけないという教育になる?
やめることになった担任のクラスの子どもたち、それでいいの?
不正はいけない。本当にいけない。
不正行為を行った人も、自分の合格の影に不正があったと知らなかった人も(居るそうじゃないですか)、結局は教員としての人生、たぶん、終わるだろう。
そして、いつものことだけど、現場に厳しく、上に甘い今回の処分。
不正合格者がやめるんだったら、長年その不正にタッチしていた教委関係者は当然全員懲戒解雇でしょ。え?違うの?そんなん不公平やん。長年それが慣習になっていたということは、今頃は教委にいる上の方の人達、自分は本当に不正なしで合格できた、ってホンマに言えるの?
そして、一番やりきれないのは、このことかもしれない。
そう、不正行為はいけない。
だけど、今回、不正行為によって、合格・採用そして免職となった人が、教員としての適性を持っていないかと言えば、そうではない可能性が高いこと。
もちろん、不正行為によって、不合格・不採用となった人も、おそらくは教員としての高い適性を持っているだろう。その人たちがあらためて合格・採用となることは良いことである。
しかし、採用試験で測ることのできる教員適性度なんてものは、ある人の教員適性度のホンの一部なのだ。おそらく、本当に、おそらく、今回の事件で免職となる人も、今回の事件であらためて採用となる人も、教員としての適性の高さは変わらないのである。
不正をしてはいけないというのは、単に不正をしたらクビになるということではない。文科相はその程度にしか理解できていないのだろう。そういうことではない。不正行為によって、子どもたちは動揺し、保護者も動揺し、教育への信頼はますます細り、学校や地域の行事も停滞し、免職にならなかった教員も動揺し、2学期をこんな状態で始めることになり、そして、有為な若い人材を何十人もすり潰してその道を絶ってしまう。
教育の現場に優秀な人材が必要といわれているときの、本当にやりきれない事件である。
結局は、事件の本当の背景は、採用を極度に絞る文部行政の問題に行き着くんじゃないかなぁ。
テレビの新聞も雑誌も見ていないので詳細は把握できていないのだけど。
やっぱり一番の被害者は子どもたちだよなぁ。今年度採用の教員については不正行為によって採用された人は採用取り消しとか。一昨年度以前の人は証拠不十分で採用取り消しなし。
今年採用の教員については、1学期間かけて子どもたちと作ってきた様々な人間関係を清算しなきゃいけないわけだし、新しい担任はイチから関係作り直し。本人希望すれば年度末まで常勤講師扱いで在職可能と言うけど、それでクラス運営できると思う?
おまけに昨年度まで採用の教員はといえば、不正合格の可能性ありというレッテルを貼られたまんま子どもたちと接することになるわけでしょ。
どっちに転んでも子どもたちの教育にとっていいことなし。
で、なんですか?あのノー天気な文科相の会見。アホか?
不正を働いてはいけないという教育になる?
やめることになった担任のクラスの子どもたち、それでいいの?
不正はいけない。本当にいけない。
不正行為を行った人も、自分の合格の影に不正があったと知らなかった人も(居るそうじゃないですか)、結局は教員としての人生、たぶん、終わるだろう。
そして、いつものことだけど、現場に厳しく、上に甘い今回の処分。
不正合格者がやめるんだったら、長年その不正にタッチしていた教委関係者は当然全員懲戒解雇でしょ。え?違うの?そんなん不公平やん。長年それが慣習になっていたということは、今頃は教委にいる上の方の人達、自分は本当に不正なしで合格できた、ってホンマに言えるの?
そして、一番やりきれないのは、このことかもしれない。
そう、不正行為はいけない。
だけど、今回、不正行為によって、合格・採用そして免職となった人が、教員としての適性を持っていないかと言えば、そうではない可能性が高いこと。
もちろん、不正行為によって、不合格・不採用となった人も、おそらくは教員としての高い適性を持っているだろう。その人たちがあらためて合格・採用となることは良いことである。
しかし、採用試験で測ることのできる教員適性度なんてものは、ある人の教員適性度のホンの一部なのだ。おそらく、本当に、おそらく、今回の事件で免職となる人も、今回の事件であらためて採用となる人も、教員としての適性の高さは変わらないのである。
不正をしてはいけないというのは、単に不正をしたらクビになるということではない。文科相はその程度にしか理解できていないのだろう。そういうことではない。不正行為によって、子どもたちは動揺し、保護者も動揺し、教育への信頼はますます細り、学校や地域の行事も停滞し、免職にならなかった教員も動揺し、2学期をこんな状態で始めることになり、そして、有為な若い人材を何十人もすり潰してその道を絶ってしまう。
教育の現場に優秀な人材が必要といわれているときの、本当にやりきれない事件である。
結局は、事件の本当の背景は、採用を極度に絞る文部行政の問題に行き着くんじゃないかなぁ。










