2008/5/1 22:16
「どうやって死ぬか」より「なぜ死を選ぶか」だと思うが。 ニュース
硫化水素による自殺が全国で多発している。
で、関係各位がなにをしたか、しようとしているか。
<マスコミ>
ニュース等で硫化水素による自殺を「流行」にし、具体的な方法も報道し、あまつさえは「多くの巻き添えが出ています」と自殺者を犯罪者扱い。
<行政>
ごめん、何かしたんか?
<警察庁>
4月30日、硫化水素の発生方法を説明したインターネットの書き込みを「有害情報」に指定し、全国の警察本部などに通達した。今後発見した場合は民間のネット関連団体などを通じ、プロパやサイト管理者に削除を求めていくとのこと。
本件に関しての僕の意見を書いてみる。
我が国ではなぜ、こんなに沢山の人が自ら命を断ち続けるのかをさぐり、一人でもおおく自殺者を減らすことを考え、実行していく、まずそれがあるべきで、「手段」については二の次三の次でいいと思う。
硫化水素を用いるのは単なる手段でしかない。硫化水素による自殺を禁じれば、また別の手段を用いるだけである。
毎年、約3万人も自殺し続ける自称「平和な国・ニッポン」
何が平和だ。戦争してる国よりひでぇ有様じゃねえか。
僕自身、うつ病を患ってもう6年近く。おかげさまでここ数年は小康状態を保ち続け、普通に仕事もしているし、こうやってブログも書ける。医師と家族と職場には感謝の言葉もなかなか見つからなくて、いつも苦労している。
だが、病がヒドい状態の時には、目が開いている時間は、ずっと「どうやって死のうか」ばかり考えていた。どうにか眠っていた1時間か2時間は夢の中でそのシミュレーションを繰り返していた。「死」は、僕のすぐ横に、いや、僕の中に確かに「いた」
他人に対して「死ね」という人がいる。多くの人はその人を責める。しかし、他人に対して「死ぬな」という多くの人は、その言葉の持つ「軽さ」を自覚しているだろうか?
「死ね」も「死ぬな」も、言うのは簡単だ。そして、まず解決策には成り得ない。
なぜ多くの人が、自ら命を断ち続けるのか。
手段の連鎖は、一過性の流行り病みたいなものだ。少し前には練炭が流行った。言葉は悪いが、大した問題ではない。
だが、人がなぜ自ら命を断つのか、については実に難しい。当然ながら、答えは一つではない。自殺者一人につき一つの理由がある。その「一つの理由」も、様々な要因が複雑に絡み合って、あたかも「ゴルディアスの結び目」のようになっている場合が多いだろう。
明治36年5月。一高二年生藤村操が自殺した時は、まさに一世を驚かせた。
藤村操は日光華厳の滝に「巌頭之感」を遺して覚悟の自殺を遂げた。その感に曰く。
悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小句を以て此の大をはからむとす、ホレーショの哲学つひに何等のオーソリチィを値するものぞ、万有の真相は唯一言にして悉す、曰く、不可解。我この恨みを懐て終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを。
山本夏彦氏は「ホレーショという哲学者はいない。ハムレットのなかの登場人物にいる。藤村は死に臨んで仲間をかついだのである」と言った。
仮に、当時華厳の滝が立ち入り禁止区域だったら、藤村は自殺を思いとどまったか?
今回の硫化水素問題にかかるネット規制の類は、それくらいピント外れなのだ。
で、関係各位がなにをしたか、しようとしているか。
<マスコミ>
ニュース等で硫化水素による自殺を「流行」にし、具体的な方法も報道し、あまつさえは「多くの巻き添えが出ています」と自殺者を犯罪者扱い。
<行政>
ごめん、何かしたんか?
<警察庁>
4月30日、硫化水素の発生方法を説明したインターネットの書き込みを「有害情報」に指定し、全国の警察本部などに通達した。今後発見した場合は民間のネット関連団体などを通じ、プロパやサイト管理者に削除を求めていくとのこと。
本件に関しての僕の意見を書いてみる。
我が国ではなぜ、こんなに沢山の人が自ら命を断ち続けるのかをさぐり、一人でもおおく自殺者を減らすことを考え、実行していく、まずそれがあるべきで、「手段」については二の次三の次でいいと思う。
硫化水素を用いるのは単なる手段でしかない。硫化水素による自殺を禁じれば、また別の手段を用いるだけである。
毎年、約3万人も自殺し続ける自称「平和な国・ニッポン」
何が平和だ。戦争してる国よりひでぇ有様じゃねえか。
僕自身、うつ病を患ってもう6年近く。おかげさまでここ数年は小康状態を保ち続け、普通に仕事もしているし、こうやってブログも書ける。医師と家族と職場には感謝の言葉もなかなか見つからなくて、いつも苦労している。
だが、病がヒドい状態の時には、目が開いている時間は、ずっと「どうやって死のうか」ばかり考えていた。どうにか眠っていた1時間か2時間は夢の中でそのシミュレーションを繰り返していた。「死」は、僕のすぐ横に、いや、僕の中に確かに「いた」
他人に対して「死ね」という人がいる。多くの人はその人を責める。しかし、他人に対して「死ぬな」という多くの人は、その言葉の持つ「軽さ」を自覚しているだろうか?
「死ね」も「死ぬな」も、言うのは簡単だ。そして、まず解決策には成り得ない。
なぜ多くの人が、自ら命を断ち続けるのか。
手段の連鎖は、一過性の流行り病みたいなものだ。少し前には練炭が流行った。言葉は悪いが、大した問題ではない。
だが、人がなぜ自ら命を断つのか、については実に難しい。当然ながら、答えは一つではない。自殺者一人につき一つの理由がある。その「一つの理由」も、様々な要因が複雑に絡み合って、あたかも「ゴルディアスの結び目」のようになっている場合が多いだろう。
明治36年5月。一高二年生藤村操が自殺した時は、まさに一世を驚かせた。
藤村操は日光華厳の滝に「巌頭之感」を遺して覚悟の自殺を遂げた。その感に曰く。
悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小句を以て此の大をはからむとす、ホレーショの哲学つひに何等のオーソリチィを値するものぞ、万有の真相は唯一言にして悉す、曰く、不可解。我この恨みを懐て終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを。
山本夏彦氏は「ホレーショという哲学者はいない。ハムレットのなかの登場人物にいる。藤村は死に臨んで仲間をかついだのである」と言った。
仮に、当時華厳の滝が立ち入り禁止区域だったら、藤村は自殺を思いとどまったか?
今回の硫化水素問題にかかるネット規制の類は、それくらいピント外れなのだ。
2008/5/2 22:55
投稿者:松山 灑落齋
桃李庵主人先生、いつもコメントありがとうございます。
仁義礼智忠信孝弟を「古い」と切って棄て、「自由・平等・博愛」と言いながら実態は「無秩序・悪平等・愛の値段はいかほど?」の日本。「本当の自分探し」大流行の日本。宗教・思想・哲学の怠慢も目に余るものがあると思います。僕は微力ながら、東洋の古典から人はいかに生きるべきか?を学び、ここで紹介していくつもりです。今後ともご指導・ご鞭撻をお願いいたします。
仁義礼智忠信孝弟を「古い」と切って棄て、「自由・平等・博愛」と言いながら実態は「無秩序・悪平等・愛の値段はいかほど?」の日本。「本当の自分探し」大流行の日本。宗教・思想・哲学の怠慢も目に余るものがあると思います。僕は微力ながら、東洋の古典から人はいかに生きるべきか?を学び、ここで紹介していくつもりです。今後ともご指導・ご鞭撻をお願いいたします。
2008/5/2 10:58
投稿者:桃李庵主人
http://green.ap.teacup.com/toriansyujin/
http://green.ap.teacup.com/toriansyujin/
こんにちは。
まじめな話、どう考えても「どう生きてどう死んだか、なぜ自死を選んだか」の方が、「どんな方法で自殺したか」より重要な問題に違いありませんですね。
プレスは余程暇なのか、他人の生き死にについてそこまで想像力が働かないのか、書くべきことがないのか・・・?
これはある意味「言葉が通じてない」んですな。
「同じ日本人」なのに。
同じ時代に生きていて言葉が共有できないというのは何というか非常に気味の悪い、怖ろしいことです。
>ホレーショという哲学者はいない
いや、哲学者ではないけど「ホラティウス」はいるだろ。
この伝でいくと「ヴァージルという詩人はいない」ことになる。なるほど「いない」w
とギョエテ言い。
まじめな話、どう考えても「どう生きてどう死んだか、なぜ自死を選んだか」の方が、「どんな方法で自殺したか」より重要な問題に違いありませんですね。
プレスは余程暇なのか、他人の生き死にについてそこまで想像力が働かないのか、書くべきことがないのか・・・?
これはある意味「言葉が通じてない」んですな。
「同じ日本人」なのに。
同じ時代に生きていて言葉が共有できないというのは何というか非常に気味の悪い、怖ろしいことです。
>ホレーショという哲学者はいない
いや、哲学者ではないけど「ホラティウス」はいるだろ。
この伝でいくと「ヴァージルという詩人はいない」ことになる。なるほど「いない」w
とギョエテ言い。
