2008/9/1 16:01
野の花に魅せられて 分類なし
猛暑を通り越してまさに「酷暑」の夏だった。いや“だった”ではなく8月の終わりになっても続いている。酷暑だけでなくすさまじいほどの集中豪雨も来る。気象庁の表現では一時間80ミリの降り方を「息苦しいほど」というのだそうである。50ミリがバケツをひっくり返すほどというのいうだから“息苦しい”とは生理的な実感がある表現だ。こんな夏だから、私の愛してやまない「野の花」達にとっては最悪の受難である。夏の終わりの時期は花が少ない季節である。そして一部の花を除いては“ちいさい”花が多い。先週、塩原で小さな花びらを少しつけた萩に出会った。最近の天候を象徴するような日照りと激しい俄か雨に息苦しそうに揺れていた。萩は万葉人がもっとも好んだ花だという。その理由は小さいからである。「小さいものが美しい」それを「くわしきものこそよけれ」と枕草子は表現している。そういえば梅も山桜もあしびも小さい。「むかしの日本人は萩に代表されるようなくわしきもの“を起点として豊かさを築きあげる質の感性を待っていたのだ」と草柳大蔵の本に書かれていたことを思い出す。最近は花ブームと写真ブームである。写真に至っては一億総カメラマンである
。高齢社会の到来とあって花をたずねて旅をして写真を撮って楽しんでいる人が多い。私も古いデジタルカメラで花を写すが野に咲き風に揺れている花と写真になった花はどこかが違うような気がする。カメラを向けると一瞬花はポーズをとってくれるが、花を見つけ花に語りかけているときの表情は私の心のなかまで見透かされるような視線を感じる。花屋の店先やベランダの花もきれいだが野の花には到底およびもつかない。特に旅をしなくても、郊外の道の辺や少し足を延ばした里山にも私の愛する友人が待ってくれている。野の花に会うときが私のゴールデンタイムである。今朝も夜来の雨にぬれた露草に会った。

。高齢社会の到来とあって花をたずねて旅をして写真を撮って楽しんでいる人が多い。私も古いデジタルカメラで花を写すが野に咲き風に揺れている花と写真になった花はどこかが違うような気がする。カメラを向けると一瞬花はポーズをとってくれるが、花を見つけ花に語りかけているときの表情は私の心のなかまで見透かされるような視線を感じる。花屋の店先やベランダの花もきれいだが野の花には到底およびもつかない。特に旅をしなくても、郊外の道の辺や少し足を延ばした里山にも私の愛する友人が待ってくれている。野の花に会うときが私のゴールデンタイムである。今朝も夜来の雨にぬれた露草に会った。



