2008/4/27  23:53

命の価格  世界

今日からワシントン・ポストで5日間にわたり食料に関する特集が組まれる。
食料といっても料理のことではなく、食糧危機に関するものだ。
第1回目の今日は、食料価格が高騰する仕組みを分かりやすく記載している。

食料の輸出制限、中・印等の新興市場国における肉食普及に起因する穀物需要増、天災、バイオ燃料指向がもたらすトウモロコシ需要増、燃料価格の高騰、ドル安等が誘引となった投機マネーの穀物市場への流入等々、いくつかの主だった原因を挙げ、これらが複合的に絡んでいるとする。

特段目新しいことは記されていないのであるが、食料価格の高騰に喘いでいる数人の話が別途簡潔に書かれている。
みな最貧層に属する人達だ。

その中で、モーリタニアに住む43歳の女性の未亡人の話に触れている。
2人の子供を抱える彼女は、世界に10億人存在するといわれる毎日1ドル以下で生活する人々の1人。小麦価格の高騰により、パン食を諦め、より安価なソルガム(もろこし)に頼ることに。3人で1日50セントに抑えないといけないことから、朝食は抜き。昼食は茶。夕食に汁状のソルガムを食べる。このままだといつまで生き続けられるか分からないという。

世界に、一日2ドル以下、ないし1ドル以下で生活している人々の数というのは、様々なところで耳にするが、ふと思うことがある。

それは、「命の価格」が算出できてしまうという不正義

この女性の家庭のケースだと、一日1人20セント弱で生きていることになる。
どう考えても上のメニューを見れば、ギリギリの生活。
ここで話を極端に単純化する。

今後も食料価格が高騰し続け、生命維持の観点から必要最低限の食料価格が、彼女の金銭的キャパシティーを越えた場合、例えばそれが仮に1人50セントだとすれば、彼女及び子供たちは、そのたった50セントを賄えないために、命を落とすことになる。
逆に言えば、50セントを支払うことさえできていれば、彼女(及び子供)の人生は1日(ないし数日)延び得たと考えられる。
すると、余命をどのように設定するかにもよるが、理論上、「命の価格」が計算できてしまうのだ。

勿論、この種の話は、飢餓に限った話ではない。
例えば、救命病棟で「今この手術をすれば助かる。ただしこの手術には10億円かかる」と言われ、不幸にも死を受け入れざるを得ない場合、その人の命の価格も理論上10億円以下と判断できる。
恐らく同様なケースは探せばたくさんあるだろう。

ただ、価格が価格だけに、そして何より、このような人々の存在は稀有なものではなく、この地球上に夥しい数溢れているが故に、考えれば考えるほど受け入れがたい奇異な感じが湧いてくる。

もちろん、現実は非常に複雑で、その解決が一筋縄でいくわけがない。

ただ、そこでは、優しさや思いやりといった、「役に立たない」と専門家には一笑に付されてしまうようなものが、原動力になるしかないのではないか、と感じざるを得ない。

「世界がもし100人の村だったら」を再度読んでみる。
自分がいかに恵まれているのかを再度認識する。

そして、レイモンド・チャンドラーによる小説におけるセリフ
“If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.” (「強くなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない」)を思い出す。
自分は人に優しくできているのだろうかと問うてみる。

最後にWFP(国連世界食糧計画)のHPを読んでみる。
知らないこと、していないことがたくさん書いてある。
自分が恥ずかしくなってくる。



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