2008/5/15 23:55
縁の切れ目は縁の切れ目・・・ではない 事件
今のところ一足しかない貴重なスニーカー、コンバースのミドルカットホワイトレザー(珍しいモデルなのです)に穴が開いてしまった。ヤマアラシのジレンマ(注)である。愛すれば愛するほど傷つけてしまうのだ。いや、私は雨の日に靴下がびしょびしょになったくらいのものであるが、向こうにとっては手術を要するほどの大きな傷である。縫うしかないか…。
注)寒空の下、体を温め合いたいヤマアラシ2匹が近づけば近づくほどお互いの棘で傷つけ合ってしまい、離れたりくっついたりしているうちにお互いにとってちょうどよい距離を見つけるというショーペンハウアーの寓話。
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4ヶ月に一度くらいやってくる、「当たり前のもの見直し期間」。『我輩は猫である』を読み直し、Marcin Wasilewskiのアルバム"Trio"を聴く。
女の子を口説くときはこれでどうぞ。
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一時的なドイツ語欠乏症(Deutschmangelkrankheit←適当)に見舞われ、図書館でKunstforum Internationalを読んで何とか対処した。しかしこれでは抗生物質が必要なところにビタミン剤を飲んでごまかしたようなもので、本質的改善とは言い難い。
とかなんとか言いつつ、クンストフォーラムはなかなか面白く、中でもマーク・ロスコについての記事が一番面白かった。一時期ロスコ作品がダンピングで買い叩かれたために、現在では彼の作品は世界中に散り散りになっている。ロスコについての体系的な研究が遅れている原因はそこにあるようで、その問題をどう解決するかが今後の課題になっていくだろうとのことだった。まぁしかし買い戻すったって、今じゃ88億円とかそんな世界ですからね。
それはそうと、「1970年に彼が手首を切って自殺した」という部分で、「自殺」にFreitotという単語があてられていた。直訳すると「自由死」なんだけど、日本語で自由死というとなんだか安楽死みたいでニュアンスが全く違ってしまう。それで、「自殺」という言葉は元々外来語の翻訳なのか、日本語独自のものなのか気になって調べてみたところ、どうやら漢語に出典があるらしい(「春秋左氏伝、莊公十九年及び昭公ニ七年」)。印欧語圏だと、ラテン語のsui(自分)cide(殺す)が語源であり、セム語族系でも「自分を殺す」という発想は同じだという。うーん。しかし日本語では「自死」という言い方があるので、私の推測では、日本では元々「自分を殺害する」という発想はなかったんだけれど、ヨーロッパ言語が流入して翻訳されたことで自殺という言葉が生まれたのではないかと仮定する。他にも思うところはあるんだけど、長いので割愛。
ロスコの話に戻ると、晩年の彼はモノトーンの絵しか描けなくなっていた。自殺の原因には色々な説があって本当のところはわからないけど、彼は精神を病んでいたのではないかと思う。ムーミンの作者トーベ・ヤンソンが、第二次世界大戦を経験して「絵がすべて灰色を帯びてしまう病気」に罹ったと何かで読んだことがあるけれど、ロスコもまた作品の中に色彩を見出せなくなっていた。トーベはムーミンを描くことで色彩を取り戻していったけど、ロスコは不幸にもムーミンにあたるものを持っていなかった。
画家にとって、色彩は「在る」ものではなくて「獲得する」ものなのかもしれない。そんなことをつらつら、取り留めなく考えています…。
