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2008/11/29  15:06

恋心が、たったひとつ、凍えていたことを除けば.....  スナップ・ショット

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 何もかもが暖かそうなダンス・パーティーの夜だった。
 悩まし気な恋心が、たったひとつ、凍えていたことを除けば.....。


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『涙のステップ』 須藤薫


FINIS

2008/11/27  17:56

25マイル先の空  掌編

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 初冬の週末の朝だ。風は冷たく、わずかに砂混じりだが、空は蒼く天気はすこぶるいい。
 ぼくは、湘南の海を目の前にした市営駐車場の端に古い黄色い車・フィアット500R を停めていた。ポットに入れた珈琲を飲みながらの休息。
 いささか陽も高くなったとはいえ午前中のこんな時間に車を停めている者など他にはいない。3時間か4時間前なら、サーファーの車が何台か停まっていたかもしれないが.....。

 茅ヶ崎辺りの FM 局のオンエアか、さっきから古いポップスがカーラジオから途切れずに聞こえている。

 この車は、ぼくのアメリカ人の友人で米国資本の著作権管理会社に勤めていたエッグバード君から、彼が先月末に帰国する際に譲り受けたものだった。
 彼は、ぼくが誕生日にプレゼントした『卵鳥(たまごとり)』という三文判をどこにでもやたら押したがるほど日本式に馴染もうとしていたが、ただひとつ遂に慣れなかったのが距離の単位だった。メートル、キロメートルが駄目で、彼は、もっぱらヤード、マイルを使い続けた。だからこの車にも後付けでマイル表示の距離計を付けていて、もちろんそれは今もダッシュボードの上にある。

 ぼくが早朝に家を出て、のんびり運転しながらここまで来たのには理由があった。実は、彼には三年程仲の良かった日本人の、祖母と二人暮らしのガールフレンドがいた。何の行き違いか半年程前から音信不通だという。詳しいことは知らないが、恐らく彼の帰国とまったく無関係ではないことくらい、容易に想像が付いた。彼の出身は南部の州の人口数千の小さな田舎町。いまだに禁酒法を継承しているような土地柄だけに、何かが特別な障害になったのかと思うのは、ぼくの考えすぎだろうか。
 彼の愛車の所有権がぼくに移った日、彼はぼくに車のキーを渡しながら、帰国する日を彼女に今更知らせても仕方がないので黙って帰国するけれど、自分が帰国した後、一度でいいからこの車に乗って彼女のアパートメントを訪ね、自分が帰国したことだけ伝えてもらえないかと、住所を書いた紙をぼくに握らせた。彼女は三浦の市役所勤めだから、土曜の朝なら必ず在宅しているはずだということだった。

 彼女の住む町まで、マイル表示の距離計を見れば後25マイルほど。彼女の部屋の窓の下でフィアット独特の少し甲高い音のクラクションを鳴らそうと、ぼくは決めている。25マイル先の空が、この空と同じように晴れて、彼女の瞳に映る空だけが涙で曇らないことを願いながら.....。


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FINIS


 掌編とはいえ、この一編は、きみがいなければ完成しなかったどころか、書き始められることすらなかっただろう。


2008/11/24  23:10

テールランプ  スナップ・ショット

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 遠ざかるテールランプの向こう、重なるきみの面影。


FINIS


2008/11/22  21:06

あのワンピースの柄は向日葵ではなく、ポピー  きみのいる掌編

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 書棚の横のキャビネットを整理していたら、見覚えのある古ぼけた箱を見つけた。進物の煎餅が入れられていたような板紙の箱だ。床に下ろし、両手で蓋を開けると、中からアルバムに整理し忘れたかのような古いバラバラの写真が出てきた。アルバムに貼るべき写真の選考から漏れたもののストックかもしれない。一番古そうなのは、高校に入った頃に撮ったモノクロームのものだ。

 さて、箱から見つけたなつかしい一枚-----水泳部の夏の合宿で千葉の館山へ行った時のスナップ。写っているのは、もちろん高校一年生の朋子。

 館山は目の前に鏡ヶ浦という小さな湾で、朋子の写真は、その浜で撮ったものだろう。
 朋子が着ているワンピースは、確か小さな向日葵をあしらった柄だったと思う。手に濡れた砂が付いているところを見ると、砂団子でも作って遊んでいたところか。

 もちろん朋子は、今でもあの頃と同じ笑顔で笑ってくれるし、お互い一緒に年も重ねていることだし、今又あの向日葵のワンピースを朋子が着たなら、もう一度二人とも十代に戻れるかもしれないと思った。

                             *

 朋子によれば、あのワンピースの柄は向日葵ではなく、ポピーだという。
「なぜ、憶えてるの?」と訊くと、
「あれ、今でも仕舞ってあるもの。子供が出来たら、子供服に作り直そうと思って、取ってあるんだ」と笑った。


FINIS


2008/11/21  3:20

きみがホワイト・クリスマスを歌えない理由  雑録

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 さて、国の歴史が長いと、国民の宗教観が多様化するのは何も日本にだけ限ったことではない。しかし、日本人のように仏教徒でありながら、クリスマスも祝えば、神社も参拝するという例は、世界でそれほど多くはない。戦に敗れ、アメリカの文化が急速に色濃く流入してきた国だから、それも又止むを得まい。そもそも太平洋戦争がなかったら、ハンバーガー、フライドチキン、コーラもここまで日常生活に密着したかは疑わしい。さらに毎年末、キリスト教国同様、クリスマスがこれほど賑やかな行事になっていたかどうか.....。
 とにかく後ひと月もすれば、世界の景気の善し悪しに関わらず、そのクリスマスがやってくる。今年は生憎不幸な経済状況ではあるが、やがて街中でクリスマス・ソングが聞こえるだろう。

 ところで、子供の頃から聞き慣れたいくつものクリスマス・ソングの中で、あの『ホワイト・クリスマス』が日本語で歌われたのを誰も聴いたことがないはずだ。厳密に言えば、日本語訳はされているが、それがあのメロディーに乗せて歌われたのを誰も聴いたことがないということだ。

 さて、その理由は.....。

 『ホワイト・クリスマス』を作詞作曲したのは、明治21年(1888)生まれの Irving Berlin (アービン・バーリン)というロシア系のユダヤ人。音楽好きだったこともあって、独学で音楽家として身を立てた苦労人-----今でいう、シンガー・ソングライターである。
 このバーリンというアメリカ人が『ホワイト・クリスマス』を作曲したのが1940年というから52歳の時-----日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃する前年のことだ。
 バーリンは、ついこの間の1989年まで存命で享年101才。

 そのバーリン爺さん、自分の子供か親戚の者でも対日戦で亡くしたか、あるいは戦争を仕掛けた日本を嫌ったのか、とにかく生前から日本語で『ホワイト・クリスマス』を歌うことを著作権者として絶対に許可しなかった。さらにご丁寧なことに、死ぬ間際、遺言にまでそれを明記した。よっぽど日本を嫌いだったとみえる。だから『ホワイト・クリスマス』は、日本人に限らず誰も日本語では歌えないのである。しかしその反面、チープな訳詞を無理矢理歌わされる不幸から私達は救われた。
 あの美しいメロディーは原語のまま聴いていたいし、歌っていたい。


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歌っているのは、今、英国で話題沸騰の天才歌手、小1の Connie Talbot さん。


FINIS


2008/11/18  17:12

生態がまだよく解らない  雑録

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 めずらしいものを食べる機会に恵まれた。生態がまだよく解らない魚『ゲンゲ(カンテンゲンゲ)』の揚げ物と鍋である。

 ゲンゲは寒流に生息し、北海道から東北にかけての太平洋・日本海のどちら側でも獲れる魚である。いや、獲れるというよりは、エビ漁などの底引き網に間違って入ってしまうという方が正しい。
 形は舌平目に似て、大きさは舌平目の倍の60センチ程になる。体表はスライムのようなドロドロ・ヌメヌメした妙なもので覆われていて、それを取り除かない限り気持ちが悪くて普通の人では触れない。肉質もまたブヨブヨで、オヤジの出っ張った腹の肉に触るようである。しかも、水っぽい感じがする。

 という訳で、ゲンゲは、昔から魚河岸に出しても値段が付くような魚ではない。だから、漁師で専門に獲る者はなく、仮に間違って獲れれば岸壁に打ち捨てておくという至極当然な道理に沿って扱われ続けてきた。ランクとして『下の下』の魚だから『ゲノゲ』・・・『ゲンゲ』となったとも.....。もっとも、漁師はそれが美味しいのを知っていて、漁村では細々と食べられていたようだ。新鮮なものは刺身にもなるが、概ね揚げ物にするか出汁を取るのに使う。鍋にするとアンコウのゼラチン質に似た食感で、そのスープのおいしさは他に類がない。

 ゲンゲは、いまだ魚河岸では値段があってないようなも。特殊な常連客のいる料理屋だけがそっと仕入れて行く。


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2008/11/17  7:37

当然、鴨でしょう  きみのいる掌編

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 日曜の夜に朋子と外で食事する話が、成り行きから、ぼくの部屋でということになった。

 朋子がシドニーへの乗務から戻って成田で解放されたのが午後2時過ぎ。それから自分の部屋に寄らずに、ぼくの芝公園のマンションに着いたのが4時少し前。朋子の不在中に携帯メールボックスに今夜の計画案を送っておいたから、ここまでの時間に無駄はない。
 支度を済ませて食事に出かけるとして、朋子の盛装はいつも一、二着、ぼくの部屋に置いてあるから手抜かりはない。
 朋子がシャワーを浴びている間、お土産だから開けてみてと言われた箱を開くと、出てきたのは Penfolds St. Henri Shiraz 2001という赤ワイン。ラベルにブドウの品種がシラーとあるから、もしかしたら以前飲んだことのあるシャトー・ラフィット・ロートシルトに似ているかも知れないと思った。
「だとすれば、当然、鴨でしょう」
 11月から解禁になっているから、鴨もまた食べ頃という訳だ。表参道の紀ノ国屋だったら一時間あれば行ってこられるなと考えた。
 シャワーから出てきた朋子に提案すると、それならふたりで表参道まで鴨を仕入に行って、戻ってきて、ここでディナーにしようということで即決した。

 地下鉄を日比谷で乗り換えて表参道まで。手をつないで歩き、会話して、買い物をして、それは、ぼく達をまったく新鮮な気持ちにさせた。

 ぼくが得意とする『鴨のソテーのチョコレートソース』、作るのにそれほど時間は要らない。パンと少しのチーズと例のワインをテーブルにセットしていると、化粧して盛装した朋子がワイングラスを持って、ぼくの後ろに立った。
「あなたは着替えなくていいよ。わたしが着替えて、あなたに見せたかっただけなんだから・・・」
 朋子からワイングラスを受け取って、そっとテーブルに置くと、ぼくは思わず朋子の腰に手を回したのだった。


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2008/11/15  20:41

80対73  雑録

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 JBLレギュラーシーズン(リーグ戦)で『トヨタ自動車アルバルク』が、今期初めて待望のホームコート(府中市立総合体育館)に登場した。
 渡邉、オバノン、高橋マイケル、みんな元気だ。今期注目は、新進気鋭の91番・井上。残念ながら今日はベンチ・ウォーマーだったが、高校生の時に既にダンクシュートを武器にした201センチの長身。

 本日の対戦は、『日立サンロッカーズ』。
 五十嵐、竹内は相変わらずのくせ者で、新加入のスミスもあなどれない。

 結果は互いにディフェンスが堅く、80対73で『アルバルク』。


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チアリーダーだけ見たいという方は、こちら

2008/11/14  12:00

誰と話をしただろう  スナップ・ショット

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 都会の夕暮れ。

 この雑踏には、公園の落ち葉の数よりも多くの孤独が潜む。

 今日いち日、誰と話をしただろう。


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2008/11/13  8:07

顔を合わせる努力をしないといけない  きみのいる掌編

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 最近、CAの朋子とオフの時間が合わなくて、逢うにもまとまった時間がなかなか作れない。一日に1度か2度、写メを送り合うのが精一杯だ。しかし、写メは便利なようで、実は逢っているような錯覚をするだけのことだから、やはりきちんと逢って顔を合わせる努力をしないといけないと思うこの頃である。

 ところで、昨日は夜半過ぎまで TV 局の会議室で放送台本に手を入れていて、その後、よせばいいのに新宿二丁目の朝までやっている居酒屋へ寄ってから帰宅したので、今朝は起きたら、もう昼に近い。携帯を見ると、すでに三時間程前に、朋子から今日最初の写メが届いていた。

《今日もこれからシドニーまで乗務。行ってきま〜す。日曜の早い午後便で戻りますが、夜、逢えますか?》

 残念ながら、今からではメールを返信するには遅い。今頃、太平洋のどの辺りを飛んでいるのやら.....。もう、三週間も逢っていないから、どうにかして日曜の夜は、仕事のアポを入れずにおきたいというよりは、仕事をさっさと済ませておきたいと決心する。

 さて、朋子がメールに添付してきた出発時刻案内の電光板の写真だが、よく見ると、彼女の乗務する便が表示されていない部分だ。ブリーフィングにでも遅れそうだったのか、成田の発着ロビーを急ぎながら、とりあえず慌てて一枚撮ったもののようだった。


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2008/11/12  7:35

誰でも考え付きそう  きみのいる掌編

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 日曜日の昼下がり、食器棚の前に脚立を立てて、
「いよいよ白菜が旬よ」と朋子が新聞紙にくるんだ土鍋を棚の上からおろしながら言う。

「今夜、鍋なの?」とぼく。
「そうだよ、白菜豚」
「それって、ちゃんとした名前があるんだよね?」
「さあ、『豚肉と白菜の蒸し煮』とか『豚肉の白菜鍋』とかいうのかしら.....」
「もちろん味付けは違うんだけど、中国や韓国にも似たような鍋があるよ」
「へ〜。まぁ、手近に豚肉と白菜があれば、誰でも考え付きそうな鍋よね」
「それって、火にかける前にお酒入れるでしょ? だからっていう訳じゃあないと思うんだけど、学校の後輩に奥多摩の蔵元の息子がいて、それって杜氏がまかないで食べるもんだって聞いたことがあるよ・・・・・」

「これから寒くなればなる程、白菜は、どんどん美味しくなるからね」と言いながら、朋子が土鍋をくるんでいた新聞紙をはずすと、キッチンに古新聞紙独特の乾いた紙のカサつく音がした。
 ぼくは脚立を片付けながら、さて、今夜は何を飲もうかと、早くも考え始めているのだった。


FINIS

1. 白菜は土鍋の深さに合わせて切り、切り口を上にして鍋に入れて葉の間に豚肉をはさむ。
2. 水と酒を鍋半分程入れ----後の水分は白菜から出る----火にかけ、煮立ってきたらアクを取る。そして火を弱めて蓋をし、白菜が柔らかくなるまで煮てできあがり。
3. 器に取り、ポン酢醤油をかけ、好みで薬味や七味、胡椒などを振って食す。
4. もちろん残ったスープで雑炊が美味しく作れるが、そのスープに好みの味を付けて、それを少しずつ飲みながら、又もう一杯飲むのもいい。


2008/11/9  18:29

旅の僧侶は言った  雑録

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 蔵王連峰は、主峰に熊野岳を頂き、山形県と宮城県にまたがって君臨する大山地である。主に山形県側の観光開発が進んでいて、特にスキーをやる人達にとっては、蔵王といえば山形蔵王を指すようだ。その反対側の宮城蔵王は、東北本線白石駅が玄関口だ-----新幹線なら白石郊外の白石蔵王駅となる。

 白石は小さいながらも古い城下町で、名産がある。

 それは温麺である-----これは『うーめん』と発音する。
 分かり易く言えば、素麺よりも幾分太い、冷や麦の乾麺を半分に折ったものと考えてもらって、とりあえず差し支えない。うどんの細いものと説明するよりは、実物を的確に頭に描けるだろう。

 さて、温麺の来歴だが、もはや地元では有名な語り草になっていて、昔、城下に胃の悪い父親を持つ孝行息子がいて、父の胃の容態を案じていた彼は、旅の僧侶-----今となっては謎の僧侶なのだが-----から、消化に良いよう、素麺のように油は使わず、出来るだけ細くて短めの饂飩(うどん)を作って父に食べさせてみてはどうかとアドバイスをもらったのが始まりといわれている。

 ところで、その謎の僧侶だが、話向きからすると隣国中国から日本に饂飩を伝えたといわれている弘法大師のホームグランド・四国から旅して来た人かもしれない。日本全国どこにでもある弘法大師伝説のように、その僧侶を御大師様本人に仕立て上げなかったところにも信憑性が感じられる。
 また、この親孝行話を伝え聞いた白石のお殿様が、東北人ならではの温かい心遣いから発したこの麺を自ら『温麺』と名付けたとか.....。

 『白石うーめん』は、人の心の温かさを表している麺のことだから、名前からのイメージどおり何も温かくして食べなくてはいけないということはない。夏は冷たく、冬は温かくして食べていいのだが、やはり土地柄、雪の降る寒い日に、炬燵に入りながら、手近な具材を入れた熱々を食べたい。

 さて、その『うーめん』-----今まさに、JR東日本のCM(http://www.jreast.co.jp/tabidoki/tvcm/index.html?code=otona03&otona)で採り上げられていて、温麺ファンとしては気分がいい。


FINIS


2008/11/8  23:46

びっくり箱のようなもの  雑録

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 新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会のチケットが、幸いにもこの手に巡ってきたので、久々にコンサートホールへ出かけた。
 正装を要するコンサートではなかったから、普段着に少しばかり毛の生えた程度の身なりにしたのだが、選択したオレンジのジャケットが災いして、不動産屋の営業のような格好になってしまった。
「お探しの住まいがきっと見つかる、センチュリー21」と歩きながら愛想を振りまきたくなった程だ。

 さて、今回の演目は全曲、井上道義のタクトによる。
 最初は、モーツァルトのケッヒェル605番、楽しい『3つのドイツ舞曲』。ケッヒェル番号は620番台までだから、この作品はモーツァルト晩年に近い作品になる。華やかに、そつなくまとまっていて気分が良い。オープニング曲としてよく考えられた選曲である。企画の勝利だ。
 2曲目は生演奏で聴けるのが珍しいヴィオラの協奏曲、ヒンデミットの『白鳥を焼く男』。これは過去に放送でその部分を聴いたことがある程度で、ほとんど初めて聴くと言って良い。この楽団のヴィオラ首席奏者・篠原友美が独奏した。
 そもそも多くのプレイヤーは注目されやすいという理由から、こぞってヴァイオリンを演奏楽器として選択しがちで、世界的に見ても、ヴィオラで成功する人はそれほど多くない。彼女は貴重な奏者である。応援したい。
 曲は、中音域を奏でるヴィオラの特性を生かすために、それより音が突出しない楽器のみの編成で演奏される。作曲者自身がヴィオラ奏者であること故の佳曲である。
 最後は、クリスマスも近いこの時期ならではの可愛い児童合唱付き『雪片のワルツ』を含む『くるみ割り人形』からの抜粋演奏。思いがけず、コンサートホールに、いくらか早いクリスマスがやって来たようだった。

 ところで、コンサートに行くなら、そこで耳にする音楽とは別に、演奏者ごとに異なるそのホールの雰囲気を楽しむのも良い。
 同録でもしていない限り、演奏された曲の印象は水物で、後々まで憶えていられるものではないが、コンサートホールの印象は、それに比べれば大分確かに記憶に残る。
 過去のコンサートで記憶に残る雰囲気を真っ先にひとつ挙げるならば、上野・東京文化会館で中学生の頃に聴いたオーレル・ニコレ-----教会のクリスマス・ミサのような荘厳な雰囲気に圧倒されたのが今でも記憶に新鮮だ。
 余談だが、武満徹やフルトヴェングラーに愛された、このフルーティストも調べてみたら、今年82歳だというので驚愕した。

 ついでに、もうひとつ思い出深いコンサートは、テレビのドキュメンタリー番組で観たものだ。
 アメリカ南部の超田舎町出身のロックバンド “Creedence Clearwater Revival” が最初のヒットに恵まれ、故郷の出身高校の体育館に錦を飾った時の映像である。
 ギターの音はアンプから直出し、歌は体育館備え付けのスピーカーからという原始的なもので、照明もスポットが2本あるだけ。フットもなければホリゾントもない、まるで学芸会だ。
 聴衆にしても、彼らが同じ町の出身で、最近、都会で歌が多少売れたバンドという程度の認識しかない大人を少なからず含んでいたはずだ。しかし、前座で現れた “Booker T. & The MG's” が、当時大ヒット中の『Time Is Tight』の演奏を始めた時、郷土出身のバンドが、どれだけ出世したかようやく理解した人も多かったことだろう。それは例えば、ダンディ 坂野が『笑点』のレギュラーを前座に帰省したようなものだったから.....。
 ロクな音響環境ではない体育館だから演奏の程度は良くないにせよ、そのコンサートホールが、当初の予想を超えた熱気で次第に満たされていくのが画面からも伝わってきた。

 コンサートホールとは、開けてみなければ分からない、びっくり箱のようなものなのである。


[[youtube:dHq4laFwAEM&hl=ja&fs=1]]
"Time Is Tight" Booker T. & The MG's. This recording is the one in another hall.


FINIS

2008/11/7  7:23

あと8秒あるかなしか.....  きみのいる掌編

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 ところで太陽は、時速160万キロメートルという、ちょっと想像に難いスピードで銀河系宇宙を楕円を描きながら回っているらしい。しかし、そんな速力でも一周するのに2億年かかるとか.....。
 という訳で、人が宇宙を研究する時、そのままの数字では桁が膨大で扱いづらい。そこで偉い人達が、その2億年を2億分の1にスケールダウンして、1宇宙年と呼んでいることを小耳に挟んだ。大雑把な計算をすれば、1宇宙秒は、およそ6.3年。例えば西暦零年は、わずか5分30秒前ということになる。

 小学校の入学式で初めて朋子を見たのが、およそ5秒前。結婚して、この先50年一緒に暮らせたとしても、残りは、あと8秒あるかなしか.....。
 つまり、人生はそう長くはないということだ。


FINIS




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