2008/6/7  7:05

居酒屋タクシー  タクシー

何を今更・・・って感じだが(笑)
 
個タクがサービスで酒などを提供するなんて事は随分前からやってるし、チケットの長距離の客を確保する為にいくらかバックするなんて常識でしょう。
デンデン虫は特に有名だったな。
 
ま、最近の状況は知らないけど、私がいた数年前までは常識。
法人タクシーの人間はそういう事が出来る個タクを羨ましがってたもんだ。
(私には関係無い人種の客だが…(笑))
法人にしても個人に対抗していくらかバックしてる人間を私は知ってるが、利益の部分が個タクとは違う為「かなわない」と言うのが正直なところ。
で、そういう法人の人間は何をしてるかと言えば・・・
その会社専用のチケットの中で、つまり同じグループの中で、顧客の取合い奪い合い。(笑)
 
今マスコミに叩かれているのは官庁に強い個タクだけだけど、マスコミに入ってる法人だって調べりゃ(個々レベルでも)グループ内で似たような事やってるハズだ。
会社レベルとなれば当然接待、割引、当たり前。
それを個々単位でやってるのが個人タクシーってだけでしょうね。

2008/3/14  22:18

鹿男あをによし  歴史

長らくご無沙汰してしまって申し訳無いです。m(_ _)m
 
実は今年のテーマなんて言ってしまったお陰で書くのを躊躇してしまって…(笑)
 
今日はテーマとか関係無く今ハマってるドラマの感想なんぞ書いてみたいと思います。
 
基本的にドラマは見ない人なのですが、たまたま一話を見てしまい、遂にここまで見てしまった。(笑)
とても面白くて是非お薦めしたいドラマなのだが・・・一応一言言っておこう。(笑)

それは冒頭の「八百万の神」を「はっぴゃくまんの神」とナレーションしている事。
これだけは「ちょっとマズイ」と思う。
多分知らない人は「800万の神」つまり800万という数字をインプットしてしまうのではないか?
「八百万」(やおよろず)とは800万と言う数字ではない。
数字で表すなら「∞」なのです。
だから冒頭のナレーションは解釈の違いとかそういうレベルではなく完全に間違いであり、これを堂々としかも毎週放送するのは如何なものか。
DVD出すならここだけは撮り直した方が良いと思う。
 
ま、後は解釈次第でなんとかなるものですから問題なしですが、畿内説支持者以外からは反発食いそうだね。(笑)
 

大河ドラマっぽい主題曲や3人のヒロインもお気に入り。

さて、来週は最終回。
物語としてはもうひとつどんでん返しが欲しいところだが・・・

2008/1/16  21:45

謀反の動機はなんですか?鯨統一郎A  歴史

作者は心理学を参考にしてたが、私はその手の分野にまったく興味が無いので「ああ、そうですか」としか言いようが無い。
ただ、自殺説の根拠に現代の人間の心理を当て嵌めて述べているようにしかみえない。
過去も昔も人間の心理はそう違いは無いのではあるが、あの時代と現代と決定的に違う心理がある。
それは「人の命の重さ」である。
私は常々言ってるが、歴史的に見て現代ほど命の尊さが言われる時代は無い。
命に対する現代の価値観は人類史上異常な価値観であり、この現代の価値観を基準に過去を見ても事実を推測する事は不可能なのだ。
無論当時でも自分の命は大事だし、自分の愛する者や自分を慕う家臣達、あるいは自分に利益を与えてくれる者などの命は大事ではあっただろう。
ただ、その度合いがまるで違う。
自らの命さえ、家とか名誉とかそういったものの為に捧げる時代だった事を無視して信長の心理など解るわけがないと私は思う。

また、信長の一向宗への仕打ちを「大虐殺」などと書いてたが、正直ガッカリですね。
敵対する勢力の兵など「虫けら」に等しい時代でありこれは信長に限った事ではない。
ましてや戦争中だし、一向宗は女子供まで兵なのだ。
歯向かえば殺すのがあたりまえであり、一向宗は損得勘定じゃなく宗教で洗脳されている為必要以上の殺戮となってしまったとしても私には理解できる範疇であり、人格が破綻してたなどとんでもない、一向宗への恐怖が過ぎた殺戮に繋がり寧ろ人間らしい行為だと私は思う。
これは鯨氏だけに言うのではないが、信長にしてもヒトラーにしても、その行為は紛れも無く「人間」の行為であり、私達は「我々人間にはそういう側面があるのだ」という事を彼らから学ばなきゃいけないのです。
彼らを安易に「人格破綻者」にし我々と違う人間、つまり悪魔にしてしまっては何も学べず、そういう人間に限って知らず知らずの内に規模は違えど同じような事をしてしまっているもんです。
そういった意味でもこの話しはあまりお薦め出来る展開ではないですね。
 
さて、検証の方ですが、自殺未遂とした「桶狭間の戦い」
これは鯨氏の言う通り偶然の要素が非常に高い戦いであり、確かに通説であった「奇襲説」「迂回説」は現在否定されている。
私自身信長が勝った理由がさっぱり解らず、「偶然」以外に考えられない状況だ。
故に、死を覚悟しての出陣というのも納得だし、それを「自殺未遂」と呼べない事もないだろう。
ただ、「桶狭間の戦い」自体がそれほど悲観的な戦いだったかと言えばそうとも限らない。
単に国境紛争であったとする説もあり、私は先方隊のつもりで突撃したらそれがたまたま本隊であり、たまたま今川義元の首を獲ってしまったというのが真相のような気がする。
信長自身が自ら乗りこみ現代の感覚で言えば自殺行為ではあるが、当時そのような武将は結構居た。
自殺未遂ってのはちょっと違う気がしますね。
 
一方、自殺とした「本能寺の変」
この自殺の原因として「天皇との戦いに敗れ絶望した」というが、これはかなり疑問だ。
定説では天皇から三職推任したとされるが、これを信長からお願いし天皇が拒否したとされている。
これはちょっとありえない。
何故なら信長にとって朝廷の官位など問題外だからだ。
また、天皇にとっても信長が三職に就任すると言う事はその枠内に入ると言う事だから、願ったりってところだろう。
これは信長が拒否した事により朝廷という形式内に留まらなかった信長を危険視したと見る従来の説の方が妥当だと思う。
 
つまり信長には自殺する理由が何も無いのです。
 
あと・・・「信長の血が徳川に流れている」などと嘘は書かない事だ。(笑)
信長の血は徳川に一滴も流れていない。
3代将軍家光は信長の妹「お市の方」の血が流れてるだけだ。
それに女系の血筋はそもそも問題視しないから春日局が斎藤利三の娘でも問題外。
光秀の娘ガラシャにも同じ事が言える。
何故なら裏切りがあたりまえの戦国時代に女系の血筋まで問題にしてたら子孫がいなくなってしまうからだ。
こんな基本的な事ぐらいは抑えて欲しかったですね。

2008/1/15  22:01

謀反の動機はなんですか?鯨統一郎 @  歴史

本能寺の変には様々な説があるが、大きく分けて三つ、「怨恨説」「黒幕説」そして以前私が挙げた「野望説」だ。
怨恨説ってのは信長の酷い仕打ちに耐えかねた光秀が衝動的に謀反を起こしたというもので、昔はこの説が広く知られていた。
本能寺の変は「変」という文字が示す通り「謎」な事件だ。
その理由として用意周到な光秀ともあろう人が三日天下(実質11日)で終わってしまうような軽挙に走ったのは余程信長を恨んでいたからだろうと推測するもので、「人質の母を見殺しにされた」「家康接待の席で恥を晒された」「信長による突然の国替え」などテレビドラマの影響でもっともらしく伝わっているが、これには信憑性が無い。
現在ではほとんど唱える人がいない状態です。
変わりに流行りなのが黒幕説。
家康、秀吉、長曾我部、足利義昭、朝廷、イエズス会、などなど・・・
総てを検証した訳ではないが、「黒幕」というからには「主犯」である。
私は精々横で囁いていた「暗躍説」が限界ではないかと思う。
「暗躍」と言えば直接動く武士より朝廷の得意分野なので私は朝廷がかなり動いていたのでは?とは思うが、主犯はやはり光秀であり、それは征夷大将軍となりこの世を自らが治めたいという「野望説」を支持してる。
以前も話したが光秀の誤算は秀吉の「中国大返し」であり、仮に秀吉がもたもたしてればその間にしっかり地盤を固める事は容易い。
秀吉より更に近くにいた丹羽長秀&織田信孝などオロオロしてただけだ。
秀吉が予想を超える速さで戻ってきた為、彼らは命拾いしたが、そうでなければ簡単に蹴散らされてただろうし、信孝は無理でも丹羽長秀などは味方に引き入れる事も出来たかもしれない。
それ以外の武将も「山崎の合戦」の直前まで日和見状態であった訳ですから言うまでも無い。
歴史を推理するには当時の価値観を知る事が大事です。
当時は下克上の時代であり、主君とかそう言った意識はかなり希薄であった。
中でも信長軍団は先進的であり、謀反を起こす事自体「軽挙」とは言えない。
寧ろ「好機」なのです。
ドラマなどもそうですが、当時の武将たちの価値観の描き方は江戸時代など平和な時代の武士の価値観を当て嵌めて描いている話しが多く、それを戦国時代の価値観と勘違いしている人が多い。
騙しあい、裏切り、謀反があたりまえの時代に起きた光秀の天下獲りへの足懸かり、それが「本能寺の変」だというのが私の意見です。

さて、本能寺の変に関する説は色々知ってるつもりだったのですが、この「自殺説」ってのはこの本で初めて知りました。
正直ちょっとついていけないが、同意できる部分もあるので次回検証したいと思います。

2008/1/13  10:58

謹賀新年  歴史

ちょっと仕事が忙しくて更新が遅れました。
今更ですが(笑)今年も宜しくお願いします。
 
でも今年のテーマ、実は未だ決めてません。(苦笑)
それで昨年の聖徳太子についてちょっと補足というか感想というか・・・
 
「聖徳太子は架空の人物である」
と言うと端から否定する人も多いと思う。
それは解るし実際それを言い出したらキリが無いという人の気持ちもよくわかる。
ただそれは歴史好きな人同士もう少し柔軟に見てもらえないかなとも思う。
 
聖徳太子とは厩戸皇子を必要以上に美化した姿である。
この点において「聖徳太子という聖人は後世創られたものである」という説は充分説得力があるのだ。
 
話しは変わるが私は浄土真宗にどっぷり浸かっている土地で育った為か親鸞の教えというものを子供の頃から聞いていた。
しかし大人になり自ら進んで親鸞を学ぶとそのほとんどが親鸞本来の教えからかけ離れているという事実に遭遇する事となる。
 
「親鸞は架空の人物である」
 
実際そういう説を言ってる人もいるらしいが(笑)それは置いといて、このようにいうと嘘のように聞こえるが、本願寺教団などが伝えている親鸞像それは「架空」と言っても嘘ではない。
現在伝えられている親鸞像とは本願寺教団が世の中に合わせ必要以上に美化した姿であってそれは実像ではない。
無論私は本願寺教団を非難しているわけではない。
そもそも蓮如や教団がなければ親鸞など世に知れ渡ってないのですから、親鸞が教団そのものを否定してたとしてもそれを隠すのはあたりまえ、それより現代まで親鸞本来の教えを(禁書にはしたが)残してくれた事を評価したい。
それにより私達は親鸞という「人間」の実像を知る事が出来、色々楽しめるのですから非難したりしたらバチがあたる。(爆)
 
親鸞にはこのように実在を示す資料がたくさんある為、一部の人を除いて「架空説」を唱える者はいないが、厩戸皇子には資料がほとんどない。
その為私も含め「架空」を唱える人が多いのは聖徳太子という「聖人」の資料はあっても厩戸皇子という「人間」の資料がまったく無い為です。
 
親鸞には本願寺が伝える「聖人」とは別の「人間」親鸞像がある。
ところが厩戸皇子には「人間像」が無い。
とってつけたような家系図と聖人伝説だけで実在したと納得できる程私は素直じゃないみたいです。(笑)
 

今年は資料のハッキリしてるもう少し新しい時代をやりたいと思ってますが、その前に昨年の宿題「信長」を以前提示した説も含めて話したいと思います。
 
極少数の読者の皆様、宜しければ今年もお付き合い下さい。

2007/12/22  16:59

邪馬台国はどこですか? 鯨統一郎  歴史

邪馬台国が何処にあったのか?
 
私は「解らない」が正解だと思ってる。
 
大きく九州説と畿内説に分れるが、これは京大と東大の学会内の争い的な面強く、それ以外にも様々な特定地が存在する。
 
ただ「東北」とした説はこの本で始めて知った。
 
なるほど、確かに南北を逆に読めば東北地方への日数に合致する。
ただ、その根拠として挙げている朝鮮の地図は実は根拠とは成り得ない。
何故ならその遥か前「隋書」における倭人伝では倭国の位置を正確に把握しているからである。
正確とまでは言えないかもしれないが、少なくとも南北逆で認識していた訳で無い事は確かだ。
あれは単に「書き間違い」と言うか「写し間違い」です。
 
だから作者のように「断言」するのはちょっとついていけないが、要所要所で同意出来る部分も多い。
特に「方角も距離もアテにならない」とは同意。
作者は「水行10日、陸行1月」を信じていたが、私はこれも信じてない。(笑)
極論言えば、あんなもん魏の使者のでっち上げだと思ってる。(爆)
 
魏志倭人伝と一般に言われているが、これは便宜上の呼称でほんとはそんな書物は存在しない。
正確には「三国志・魏書・東夷伝・倭人の条」である。
「倭人の条」は僅か二千文字足らずであり、ついでに書いたこの文献にたいして信憑性は無い。
魏の使者は何処まで来たのだろう?
作者は「伊都国」としており、確かにそれは多くの学者も納得しているのだが、私はそれすらあやしいと思ってるのです。
「至る」と「到る」の文字を挙げていましたが、実際他書でこの文字を使い分けしている事実は無く、これも残念ながら根拠とは成り得ない。
「伊都国まで行った」とは限らないとすら私は思ってる。
使者は日本列島に来たとは思うが、そこで倭人から国の様子を聞き早々と帰宅したんじゃないかな?(笑)
もしかしたら半島で朝鮮人から聞いただけで来てないかも知れない。(笑)
だから距離も方角もいい加減なものなのです。
 
しかし、これしか邪馬台国を特定する資料がないのも事実だ。
だから少ない資料から邪馬台国を特定したいとする人達の気持ちも解らないではないが、とても「断言」出来る学問なんてレベルにはならないものだとは一言言っておきたいかな。(笑)
 
ま、とはいえ、このようなミステリーは読んでて楽しい。
なるほど「東北」すら特定地の可能性があるのだと目の醒める思いのした一冊でした。
(最後はかなり強引だと思うが…)
 
*邪馬台国は日本列島何処でも可能性はあるが、それは中国人が「倭人」と認識出来る範囲での事です。
だから「ハワイ」とか「エジプト」で無い事は確かだと思う。

2007/12/19  21:48

聖徳太子はだれですか? 鯨統一郎  歴史

ヌマンタさんのブログ
ヌマンタさんのブログで紹介されて読んでみました。
 
連作歴史ミステリーとでも言いましょうか。
正直、こういう形式なら私でも書けそうな気がしてきた。(笑)
 
全体的に作者鯨統一郎氏の歴史スタンスは私と似ているみたいで、納得できる説は無論ですが、そうでない説も好意的に読むことが出来、面白かったです。
 
釈迦、邪馬台国、聖徳太子には同意。
信長、勝海舟は否定。
イエスは・・・解らん。(爆)
 
今日は丁度私自身、聖徳太子非実在説を終えたところなので「聖徳太子はだれですか?」の感想を…
 
今年「聖徳太子非実在説」を展開するにあたって、実は推古天皇を「無視」してました。(笑)
理由は色々あるんだけど、大まかに言えば「そこまで話しを広げたくなかった」のが一番の理由。
「蘇我天皇説」を無視したのもそうですが、話しを巧く纏める自信が無かったのです。(苦笑)
 
歴史を推理する場合、どこまで定説を信じるか?は重要なスタートラインであり、私は仮説をA Bと分け二度スタートしました。
「聖徳太子は実在しないが、厩戸皇子は存在する」としたのが仮説A。
こちらは支持している人が多いし、学問として研究している人も多い。
一方「厩戸皇子も存在しない」とした仮説Bは言わば「トンデモ説」の部類だ。
こちらは学問ではなく、歴史をある程度学んだレベルの人間が娯楽として楽しむ物であり、これを世に浸透させるのは危険とは以前何度か話したと思う。
それは「記紀」の記述をどの程度信頼するかであり、私やこの作者のように端から無視すれば可能性は際限無く広がり、それはもはや「ミステリー」ではなく「ファンタジー」になってしまうのです。
ファンタジーを史実の如く思いこんでしまう人間が増える事への危惧がある。
これは笑い事ではなく、戦前の皇国史観や現在でも韓国などの歴史教育を見れば解り、私達歴史を多少カジっている人間はその辺りを気をつけなきゃならない。
作者も「小説としてなら」と書き、私もこんなブログ誰も読んでないのは解りつつも注意書きしたのはそういう理由からです。
 
さて、前書きが長くなりましたが(笑)
作者は推古天皇を登場させ聖徳太子と蘇我氏を架空のものとしましたが、その論拠にはまったく異論がありません。
そう、ほんとは日本書紀など信用に値しないのです。
結局日本書紀の編纂者(藤原不比等)の思惑から推測するしかないのです。
作者は私の捨てた蘇我天皇説と推古天皇を登場させ話しを展開しましたが、それを抜きにすれば言ってる事は私と一緒のハズなんだが・・・
私の方が日本書紀の年代記述に捉われすぎ窮屈な感も否めず、何より厩戸、馬子の類似点を指摘しておりながら馬屋古女王=推古天皇への発想が思いつかなかった事が悔しい。
 
やはり推古天皇も蘇我天皇説も含めたこちらの仮説の方が小説として完成度が高いと認めざるをえない。(そりゃ向うはプロだし…(笑)
 
1年前に読んでおけば良かった。(笑)

2007/12/3  19:07

聖徳太子非実在説 あとがき  歴史

1年間お付き合い頂きましてほんとにありがとうございます。m(_ _)m
しんまこさんへのコメントついでに「あとがき」なんぞ書いてみます。(笑)

おかしな話しですが、私自身世の中に「聖徳太子非実在説」が広まる事を良しとはしません。
一万円札で親しまれた「聖徳太子像」が服装の細かな違いだけで安易に「聖徳太子ではない」と広まってしまうような世の中に非実在説は危険過ぎます。(笑)
 
私自身仮説Aは未だしも仮説Bは飛躍し過ぎてる部分もかなりあると思っていますし、この説が絶対正しいなどとは全然思ってません。(無責任だろ)
 
私自身が現在描いている聖徳太子の正体を書いたに過ぎず人に押し付けられるレベルでは到底ありませんので、読んでいらっしゃる方々はそこんとこよろしくお願いします。(笑)
 
そうですね。
小説として展開して行くなら面白いかもしれません。(笑)
 
今年のテーマ「聖徳太子」は私が今まで漠然と思っていた事を資料を集めながら整理したものです。
見切り発車でスタートしたので、根底から覆す決定的な資料を見つけてしまうんではないか?という不安にかられながらの投稿でしたが、運良くそのような資料には出会わず(笑)微修正をしながらなんとか自分自身では結論を出す事ができました。
 
ほんとはもっと早くに終わってたんだけど、間がもたないので引き伸ばしました。(爆)
 
さて、来年のテーマなんにしましょうかね。

2007/12/2  15:04

聖徳太子非実在説 二つ目の法隆寺  歴史

法隆寺は607年聖徳太子が建立したとされている。
ただ、現存の法隆寺が当時の姿のまま残されていたとされる法隆寺の主張に学会は否定的である。
2004年の年輪年代測定法により法隆寺金堂、五重塔、中門に使用されている木材は668年から685年に伐採されている事が確定しおり、現存する法隆寺は大凡持統朝時代の再建だろうと言われており、私もそう思う。
ただし、五重塔の心柱の用材だけは594年の伐採と推定されており、再建されたとはいえそれ以前にも法隆寺が存在しいた事もまた確定されている。

ただ、私はこの二つの法隆寺が同じ物だとは思っていない。
 
蘇我馬子(聖徳太子)が崇峻天皇兄弟を祀る為に建てた法隆寺は一度焼失しているのです。
乙巳の変にて蘇我入鹿(聖徳太子)を暗殺した中大兄皇子は蘇我蝦夷(聖徳太子)邸を取り囲み絶望した蝦夷は火を放ち自殺した。
この建物がズバリ「法隆寺」であり、これが法隆寺焼失の真相と考える。
その後再建されているが、それは同じ処に建てられた別の法隆寺であり、誰かが別の用途で建てた物なのです。
 
では誰が何の為に法隆寺を再建したのか?
 
長引かせましたが、これで決着つけます。(爆)
 
 
法隆寺が再建されたのは持統天皇の時代と言われている。
 
この時代は再建前と建築様式が違い「非再建論」はこれを論拠としているが、あくまで「再建」である以上以前の形式に拘るのは寧ろ自然な事であろう。
再建後の法隆寺も以前と同じような建物であり、何より飛鳥時代を代表する人物を祀るのだから当然と言えば当然。
そう、再建された法隆寺で祀られているのは崇峻天皇兄弟ではない。
飛鳥時代を代表する人物聖徳太子=蘇我馬子、蝦夷、入鹿なのです。
そして再建した人物とは、再建された持統朝に突然頭角を現し、その後の日本を裏から牛耳る藤原氏の事実上の始祖藤原不比等、この人以外有り得ません。
 
藤原不比等は持統朝において最初っからその地位を約束されていた訳ではない。
一般には親(中臣鎌子)の地盤を受け継いだとイメージされがちだが、乙巳の変以降鎌子は一旦歴史の表舞台から消えているし、天智vs天武の戦いもあり、藤原氏(中臣氏)にとっては不遇の時代であった。
ただ、それでも藤原氏が日本の貴族社会に君臨できたのは鎌子が蘇我氏を抹殺したからであり、藤原氏としては蘇我氏を祀らなければならない。
これは日本人特有の「怨霊信仰」という形であり、祀らなければ祟られるが、祀れば一族の繁栄に繋がるという世界では変わった考えであり、日本人以外には理解出来ないかも知れない。
(世界史では抹殺してそれで終わり)
蘇我氏が崇峻天皇を祀ったのもそれが理由であり、その蘇我氏を抹殺した藤原氏もまた蘇我氏を祀らねばならないのです。
 
聖徳太子信仰は聖徳太子(蘇我氏滅亡)の死後直ぐ生まれたと言うよりは、法隆寺を再建した藤原不比等が始りだと思っている。
無論乙巳の変以降、それに関った中大兄皇子など信仰はあったと思うが、大々的に広まったのは不比等の頃だと思ってます。
あるいは不比等が伸し上がっていく為に蘇我氏を祀らねば周りを納得させる事が出来ず、その為の「再建」とも思われます。
 
不比等はその後日本書紀編纂において、蘇我氏の善の部分を聖徳太子とし称え信仰させる事で、自ら(藤原氏)を蘇我氏の怨霊から守りそれが藤原氏の繁栄に繋がると考えたのです。
 
これが聖徳太子の正体です。

2007/9/17  11:47

天武系→天智系 皇位継承の裏  歴史

称徳天皇の死後天武系皇族にはめぼしい人材が殆どおらず次の天皇は天智系の白壁王(光仁天皇)が即位する事となる。
これは藤原氏の総意によるもので、特に藤原北家の藤原永手(ふじわらのながて)主導によるものである。
光仁天皇は天智天皇の孫にあたり候補の一人ではありましたが、即位に至ったのには皇子他戸親王(おさべのしんのう)の存在が大きい。
他戸親王は聖武天皇の娘である井上内親王を母とし女系ではあるが天武系の血を引く。
他戸王を立太子させる事により当時の常識であった天武系との繋がりを辛うじて保つ事を大義名分としたのであった。
ただ、ここで再び権力闘争が起きる。
最高権力者藤原永手が急死してしまうのだ。(暗殺?)
後ろ盾を失った他戸親王、井上内親王親子は光仁天皇を呪詛した疑いでそれぞれ皇太子、皇后を廃され幽閉され共に急死(むろん暗殺)した。
この事件は永手の権力により傀儡とされていた光仁天皇(及び山部親王)が藤原式家と結び反撃したものだと思う。

*式家の藤原百川(ふじわらのももかわ)は光仁・桓武2代に渡って信任が厚い。
(後に権勢を振るう藤原北家もこの時期は衰退してた)

*一方山部親王(桓武天皇)は他戸親王、井上皇后の怨霊に手を焼く事となりますので、この事件に関っていた事はまず間違い無い。
 
天武系から天智系への移行にはこのように藤原氏内部の権力闘争があったのです。
 
さて、満を持して登場の桓武天皇ですが、百済系王族の血筋との説がそういった関係(笑)を中心に囁かれている。
天皇の万世一系へ疑問符を付ける最後の時代ですが、まぁ一笑して良いでしょう。
桓武の母高野新笠が渡来系の和氏出身である事が事実だとしても200年は遡ります。
相当日本人化した氏族であり、和氏自体政権の中枢に入るどころかその後名前すら聞きません。
まったく無視してよいレベルである事をつけたしておきます。

ま、関係あったとしても女系ですし…(笑)

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