2008/5/8 22:38
Juliao Sarmento 文化・芸術
GWで里帰りしておりました。
幼稚園デビュー直後であることも手伝ってか
情緒不安定気味のアクセルは
おじいちゃん おばあちゃん(じょにま父母)の
優しさに とことんつけこみ、ワガママ放題。
ハラハラし通しでしたが、
お庭でお花観賞をしたり、BBQしたり、お散歩したりと
良い季節を満喫してまいりました。むふふーん。
さ、そんなこととは全く関係ありませんが
Juliao Sarmentoです。
日本語読みは「ジュリアン・サルメント」。
「ジュリアーノ」と記載される場合もあります。
いやー レビューの一つも出来る状況って
いいもんですね。
しかもBanksyに続いて文科系連発(^0^)。
とは言え、前回のBanksyに比べれば
このJuliao Sarmento、
知名度においては劣るのかもしれません
(そもそも比較すること自体がオカシイけど)。
ネット上の記事や写真も なかなか見つからないし、
手ごろな画集も見つからないし。。
これでも長年ファンやってるんですが、
苦労してます(笑)誰か助けて。
■レビュー入る前に、一枚どーじょ

いつの展示だかは定かではないのですが、
いかにもサルメントらしい作品。
ちょっと画像粗くて残念だけど、
白地に黒鉛で少女の体が描かれているのが
おわかりでしょうか?
良く見ると 中央が切り裂かれた黒いスカート、
欠損している指、
何度も描きなおした跡のある脚・・・などなど、
意味深なモチーフ満載です。
繊細な描線と、
頻繁に取り上げられる少女像から
女性作家さんと誤解されることが多いそうですが、
実際は1948年生まれ、リスボン出身の
背の高ぁーい 髭面の男性作家。
それ以外、何もプライベートなことは
わからない(っていうか 私が知らないだけ)。
初期はもっとプリミティブなイメージの作品を
制作していたのですが、
有名になったのは俄然この「White Paintings」と呼ばれる
白地に黒鉛の暗示的な作品群を発表するようになってから。
■ちなみにファイバーグラスを用いた彫刻も作ってます。

これね。
絵の中の少女が抜け出してきたみたい。
迫力です。
この少女像は顔部分を黒い布で覆われているけど
他に 首のない像もある。
いずれにしても平面作品同様、
主役の少女の匿名性を保っている、というわけ。
私が目にした数少ない彼の評論集には
軒並み「エロティック」「フェティシズム」
「ボンデージ」といった いささか物騒な言葉が踊っている。
確かに、それとハッキリわかる作品もあることだし、
あながち それらのコピーが間違ってるとは言えない。
でも、ただ それだけ・・・なのかなぁ?
私がSarmentoの作品を見た時に感ずるものは、
そういった言葉(エロだとか)にある
表面的な暴力性とは、むしろ無縁のものなんだけど
そんな人 他にいませんか?
たとえば、
積み重ねられた白い皿、羊歯植物と、
縛られ、宙吊りにされた手足が描かれた
1枚のSarmentoの絵。
黒鉛で丹念に描かれた それぞれのモチーフは、
繊細ながらも 確かな輪郭をそこに示している。
そして、それらを囲む、あの大きな、しらけた空間―。
絵の中で、体の断片やモノが
どう扱われていようと
そこにはいつも、酷く静かな世界がある。
縛られた手足や首一つ取ってみても、
それは皮膚に食い込む
おどろおどろしい ボンデージの世界ではなくて、
むしろ昆虫標本用の細い針でもってするように、
一つのモノの有態を そこに留めようとする、
作家の淡々とした意図しか見えない
・・・って、そっちの方が逆に怖いか 汗。
なんか適当な表現が見つからないなぁ。
つまるところ何が言いたいかというと、
これらの絵を
性的なイメージの産物として片付けるのは簡単だけど、
むしろ作者は、
ソレ(性的なこと)そのもののみを
注視していたわけじゃなくて、
この世の人の営みの全て・・・
たとえば、生命、死、人間 その他 有機物、無機物・・・
といったコトたちの 瞬間瞬間を、
ある時 突然、前後のストーリーから切り離し、
永遠にそこに留めておこうとしたかのように見える。
その一瞬の中にある、
美しさ、バカバカしさ、悲しさ、真剣さの全てをも含めて。
その視線は暴力的というよりも むしろもっと、
「なぜ?どうして?」と何度も親に問う 子供にも似た、
原始的な好奇心に支えられている。
今、目の前にあるモノ、人、
その一瞬が放つ静かな吸引力を
壊さないように、そのまま筆でそっくり画面へ
写し取る。
Sarmentoの絵を見るといつも、
そんな風に感じられるのだ。
どこか静謐でありながら、
邪気の無い 温もりを残す作品たち。
俯瞰することなく、
あえて一人間として世界に対峙しようとする
Sarmentoだからこそ 作ることが出来た
世界なのだろう・・・
と思うんですけど、いかがなもんでしょうか。
いつか本物を、まじまじ眺めてみたいものです。
目下のところの夢だわ。。。
(あとがき:この記事はアップ後、一部編集し直しました)
幼稚園デビュー直後であることも手伝ってか
情緒不安定気味のアクセルは
おじいちゃん おばあちゃん(じょにま父母)の
優しさに とことんつけこみ、ワガママ放題。
ハラハラし通しでしたが、
お庭でお花観賞をしたり、BBQしたり、お散歩したりと
良い季節を満喫してまいりました。むふふーん。
さ、そんなこととは全く関係ありませんが
Juliao Sarmentoです。
日本語読みは「ジュリアン・サルメント」。
「ジュリアーノ」と記載される場合もあります。
いやー レビューの一つも出来る状況って
いいもんですね。
しかもBanksyに続いて文科系連発(^0^)。
とは言え、前回のBanksyに比べれば
このJuliao Sarmento、
知名度においては劣るのかもしれません
(そもそも比較すること自体がオカシイけど)。
ネット上の記事や写真も なかなか見つからないし、
手ごろな画集も見つからないし。。
これでも長年ファンやってるんですが、
苦労してます(笑)誰か助けて。
■レビュー入る前に、一枚どーじょ
いつの展示だかは定かではないのですが、
いかにもサルメントらしい作品。
ちょっと画像粗くて残念だけど、
白地に黒鉛で少女の体が描かれているのが
おわかりでしょうか?
良く見ると 中央が切り裂かれた黒いスカート、
欠損している指、
何度も描きなおした跡のある脚・・・などなど、
意味深なモチーフ満載です。
繊細な描線と、
頻繁に取り上げられる少女像から
女性作家さんと誤解されることが多いそうですが、
実際は1948年生まれ、リスボン出身の
背の高ぁーい 髭面の男性作家。
それ以外、何もプライベートなことは
わからない(っていうか 私が知らないだけ)。
初期はもっとプリミティブなイメージの作品を
制作していたのですが、
有名になったのは俄然この「White Paintings」と呼ばれる
白地に黒鉛の暗示的な作品群を発表するようになってから。
■ちなみにファイバーグラスを用いた彫刻も作ってます。
これね。
絵の中の少女が抜け出してきたみたい。
迫力です。
この少女像は顔部分を黒い布で覆われているけど
他に 首のない像もある。
いずれにしても平面作品同様、
主役の少女の匿名性を保っている、というわけ。
私が目にした数少ない彼の評論集には
軒並み「エロティック」「フェティシズム」
「ボンデージ」といった いささか物騒な言葉が踊っている。
確かに、それとハッキリわかる作品もあることだし、
あながち それらのコピーが間違ってるとは言えない。
でも、ただ それだけ・・・なのかなぁ?
私がSarmentoの作品を見た時に感ずるものは、
そういった言葉(エロだとか)にある
表面的な暴力性とは、むしろ無縁のものなんだけど
そんな人 他にいませんか?
たとえば、
積み重ねられた白い皿、羊歯植物と、
縛られ、宙吊りにされた手足が描かれた
1枚のSarmentoの絵。
黒鉛で丹念に描かれた それぞれのモチーフは、
繊細ながらも 確かな輪郭をそこに示している。
そして、それらを囲む、あの大きな、しらけた空間―。
絵の中で、体の断片やモノが
どう扱われていようと
そこにはいつも、酷く静かな世界がある。
縛られた手足や首一つ取ってみても、
それは皮膚に食い込む
おどろおどろしい ボンデージの世界ではなくて、
むしろ昆虫標本用の細い針でもってするように、
一つのモノの有態を そこに留めようとする、
作家の淡々とした意図しか見えない
・・・って、そっちの方が逆に怖いか 汗。
なんか適当な表現が見つからないなぁ。
つまるところ何が言いたいかというと、
これらの絵を
性的なイメージの産物として片付けるのは簡単だけど、
むしろ作者は、
ソレ(性的なこと)そのもののみを
注視していたわけじゃなくて、
この世の人の営みの全て・・・
たとえば、生命、死、人間 その他 有機物、無機物・・・
といったコトたちの 瞬間瞬間を、
ある時 突然、前後のストーリーから切り離し、
永遠にそこに留めておこうとしたかのように見える。
その一瞬の中にある、
美しさ、バカバカしさ、悲しさ、真剣さの全てをも含めて。
その視線は暴力的というよりも むしろもっと、
「なぜ?どうして?」と何度も親に問う 子供にも似た、
原始的な好奇心に支えられている。
今、目の前にあるモノ、人、
その一瞬が放つ静かな吸引力を
壊さないように、そのまま筆でそっくり画面へ
写し取る。
Sarmentoの絵を見るといつも、
そんな風に感じられるのだ。
どこか静謐でありながら、
邪気の無い 温もりを残す作品たち。
俯瞰することなく、
あえて一人間として世界に対峙しようとする
Sarmentoだからこそ 作ることが出来た
世界なのだろう・・・
と思うんですけど、いかがなもんでしょうか。
いつか本物を、まじまじ眺めてみたいものです。
目下のところの夢だわ。。。
(あとがき:この記事はアップ後、一部編集し直しました)








