お知らせ 分類なし
どうやらここは2ちゃんねるの餌食となってしまったようです。
当分の間、コメントはできないようにします。
悲しいことですが、しょうがないです。
私へのメッセージはメールでお願いします。
当分の間、コメントはできないようにします。
悲しいことですが、しょうがないです。
私へのメッセージはメールでお願いします。
2008/8/28 1:52
日々是反省 分類なし
今日、息子を感情的に怒鳴ってしまった。
そんな自分に反省。
これからは自分の感情を息子にぶつけるのは止めよう。
イライラするなら、その原因をなるべく客観的に考えよう。
そして、自分になにが出来るのか、よく考えよう。
息子との距離のとり方に悩む毎日だが、
「サポートしていく」というスタンスを忘れずにいよう。
息子の不安感・不安定さは私自身の姿を映しているのだ。
まずは自分が不安になるのを止めよう。
「なんとかなるさ」と自分に言い聞かせて落ち着こう。
パニックになるのは止めよう。
日々是反省。
日々是勉強。
今日出来なかったことを明日から変えていく努力をしよう。
そんな自分に反省。
これからは自分の感情を息子にぶつけるのは止めよう。
イライラするなら、その原因をなるべく客観的に考えよう。
そして、自分になにが出来るのか、よく考えよう。
息子との距離のとり方に悩む毎日だが、
「サポートしていく」というスタンスを忘れずにいよう。
息子の不安感・不安定さは私自身の姿を映しているのだ。
まずは自分が不安になるのを止めよう。
「なんとかなるさ」と自分に言い聞かせて落ち着こう。
パニックになるのは止めよう。
日々是反省。
日々是勉強。
今日出来なかったことを明日から変えていく努力をしよう。
2008/7/31 21:54
おばあちゃんの老人ホーム 分類なし
おばあちゃんは相変わらず入院しているが、
いたって元気で、病院ではもう持て余し気味である。
老人ホームをいくつか私が見学し、
ここかなというところをダンナにも見てもらい、OKが出て、
そこのパンフレットを持っておばあちゃんの病院に行き
おばあちゃんに説明するときは、緊張した。
おばあちゃん、もう家に帰れないのか・・・
と思ってショックを受けるんじゃないかな、と。
でも、そんな心配は無用だったらしい。
その話をする日はおばあちゃんの娘である叔母にも来てもらい、
叔母が中心となって話をしてくれた。
「おばあちゃん、別荘買うみたいなもんだよ。
皆がお世話してくれるし、家から近いし、
落ち着いたらまた家にちょっと泊まりに来ればいいんだから」
と、うまく話を進めてくれた。
おばあちゃんは、もうノリノリになった。
「そんなにいいところがあるんだねぇ。
早くそこに行きたいよ。早く話を進めておくれ。
他の人が入っていっぱいになっちゃったら困るから」
と言った。
心配して損した。
こんなにあっさり了承するなんて・・・。
おばあちゃんも思っていたのだろう、
このままの状態では家に帰ったら皆に迷惑かけるし、
かと言ってこのままずっとここにいるのも嫌だし・・・と。
老人ホームは病院よりも自由が利く。
活動もたくさんある。
病院のように毎日が単調で、飽きるということはあまりなさそうだ。
大好きなマージャンも出来る。
そこが一番大きいのではないかと思う。
今は来週の体験入所に向けて準備中。
おばあちゃんは毎日指折り数えて、早く行きたいと言っている。
でも、色々準備は大変なんだよ・・・。
体験を終えたら、本格的に入所が決まり、
契約とか、お金のこととか、荷物のこととか、
また色々面倒くさいことがある。
でも、それ乗り越えて、一通り終わったら、
私の自由は増えるのかな?
今は一日おきに病院に顔を出すようにしているけど、
それも、週一くらいに減るかな?
落ち着くまでまだしばらくかかるだろうけれど、
ゴールはもうすぐ!
頑張ろう。
いたって元気で、病院ではもう持て余し気味である。
老人ホームをいくつか私が見学し、
ここかなというところをダンナにも見てもらい、OKが出て、
そこのパンフレットを持っておばあちゃんの病院に行き
おばあちゃんに説明するときは、緊張した。
おばあちゃん、もう家に帰れないのか・・・
と思ってショックを受けるんじゃないかな、と。
でも、そんな心配は無用だったらしい。
その話をする日はおばあちゃんの娘である叔母にも来てもらい、
叔母が中心となって話をしてくれた。
「おばあちゃん、別荘買うみたいなもんだよ。
皆がお世話してくれるし、家から近いし、
落ち着いたらまた家にちょっと泊まりに来ればいいんだから」
と、うまく話を進めてくれた。
おばあちゃんは、もうノリノリになった。
「そんなにいいところがあるんだねぇ。
早くそこに行きたいよ。早く話を進めておくれ。
他の人が入っていっぱいになっちゃったら困るから」
と言った。
心配して損した。
こんなにあっさり了承するなんて・・・。
おばあちゃんも思っていたのだろう、
このままの状態では家に帰ったら皆に迷惑かけるし、
かと言ってこのままずっとここにいるのも嫌だし・・・と。
老人ホームは病院よりも自由が利く。
活動もたくさんある。
病院のように毎日が単調で、飽きるということはあまりなさそうだ。
大好きなマージャンも出来る。
そこが一番大きいのではないかと思う。
今は来週の体験入所に向けて準備中。
おばあちゃんは毎日指折り数えて、早く行きたいと言っている。
でも、色々準備は大変なんだよ・・・。
体験を終えたら、本格的に入所が決まり、
契約とか、お金のこととか、荷物のこととか、
また色々面倒くさいことがある。
でも、それ乗り越えて、一通り終わったら、
私の自由は増えるのかな?
今は一日おきに病院に顔を出すようにしているけど、
それも、週一くらいに減るかな?
落ち着くまでまだしばらくかかるだろうけれど、
ゴールはもうすぐ!
頑張ろう。
2008/7/29 23:06
胃痛 分類なし
息子のいない私の休日3日目。
今日のメインは病院に行くことだった。
一ヶ月ほど前から、シクシクと胃が痛むのだ。
ずっと病院に行かなきゃ・・・と思いながら、
今日まで延ばしてしまった。
私の担当の先生の診察が、火曜の午前と木曜の午後しかないせいもある。
とにかく、食欲はあるのだけど、
食べて数時間するとシクシクと痛み、もたれた感じがする。
胃の辺りを触ると、痛みを感じ、胃の辺りが硬くなっている気がする。
「癌だったらどうしよう?」
なんてバカなことも、頭のどこかで考える。
でも、今年の5月あたりからの私では、
ストレスはMAXだったから、
そのせいで癌を発症してもおかしくない気がする。
先生の診察室に入り、問診を受けると、
「去年もこの時期に来てますね」
と言われてしまった。
もっと前に来たような気がしていたけど、
そうか、去年も来てたんだ・・・。
とりあえず、前回と同じようなでももうちょっと強めのお薬を出してもらい、
それでも改善されない、
もしくは薬が切れると痛みがまた出る、という場合は
検査をきちんとしましょう・・・ということになった。
私はこの先生の診察が好きだ。
声も喋り方もなんだかホッと安心する。
触診のときの先生の手が温かくて、優しくて、うれしくなる。
あのハンドパワーで治ってしまわないかなぁ?と思う。
明日は息子が帰ってくる。
また胃が痛くなるような日々が始まるのか?
まあ、あまりイライラしないように離れて見るようにしよう。
今日のメインは病院に行くことだった。
一ヶ月ほど前から、シクシクと胃が痛むのだ。
ずっと病院に行かなきゃ・・・と思いながら、
今日まで延ばしてしまった。
私の担当の先生の診察が、火曜の午前と木曜の午後しかないせいもある。
とにかく、食欲はあるのだけど、
食べて数時間するとシクシクと痛み、もたれた感じがする。
胃の辺りを触ると、痛みを感じ、胃の辺りが硬くなっている気がする。
「癌だったらどうしよう?」
なんてバカなことも、頭のどこかで考える。
でも、今年の5月あたりからの私では、
ストレスはMAXだったから、
そのせいで癌を発症してもおかしくない気がする。
先生の診察室に入り、問診を受けると、
「去年もこの時期に来てますね」
と言われてしまった。
もっと前に来たような気がしていたけど、
そうか、去年も来てたんだ・・・。
とりあえず、前回と同じようなでももうちょっと強めのお薬を出してもらい、
それでも改善されない、
もしくは薬が切れると痛みがまた出る、という場合は
検査をきちんとしましょう・・・ということになった。
私はこの先生の診察が好きだ。
声も喋り方もなんだかホッと安心する。
触診のときの先生の手が温かくて、優しくて、うれしくなる。
あのハンドパワーで治ってしまわないかなぁ?と思う。
明日は息子が帰ってくる。
また胃が痛くなるような日々が始まるのか?
まあ、あまりイライラしないように離れて見るようにしよう。
2008/7/28 15:55
束の間の休日 分類なし
息子は昨日から学校の林間学校に行っている。
夏休みに入り、塾の夏期講習に行きだしたものの、
行く前には必ず行き渋るので、
私が炎天下の中、なんとか連れていっていた。
それ以外にも、息子の気まぐれに振り回されて、
私のイライラは頂点に達していた。
特に前々日の荷造りの時には、
持っていっていいはずのないペンライトを持っていくと言い
(しかも、夜中のトイレが怖いからという情けない理由だった…)
私はキレてしまった。
もういい加減にして、さっさと行ってくれ!
そんな思いだった。
息子はそんな私のイライラを感じ取り
「どうせ僕なんて邪魔なだけなんでしょ?」
と言った。
そう、確かに私は息子を邪魔者扱いしていた。
もう少し自立して欲しかった。
離れたところで元気にしていて欲しかった。
ベタベタまとわりついてくるのが、うっとうしかった。
今朝、目が覚めたとき、
息子が今日はいないことに気づいてホッとした私がいた。
毎日毎日、息子のことに悩まされていたから。
水曜の夕方に息子が帰ってくるまでが私の休日。
それまでにしっかりリフレッシュして、
身体も心もリセットしておこう。
笑顔で息子に「おかえり」と言えるように。
とりあえず今日は観ようと思っていた映画『西の魔女が死んだ』を観た。
不登校の少女が主人公の映画。
おばあちゃんの優しさで少女は元気になっていった。
私も息子にああやって接することができたらいいのだけど…。
夏休みに入り、塾の夏期講習に行きだしたものの、
行く前には必ず行き渋るので、
私が炎天下の中、なんとか連れていっていた。
それ以外にも、息子の気まぐれに振り回されて、
私のイライラは頂点に達していた。
特に前々日の荷造りの時には、
持っていっていいはずのないペンライトを持っていくと言い
(しかも、夜中のトイレが怖いからという情けない理由だった…)
私はキレてしまった。
もういい加減にして、さっさと行ってくれ!
そんな思いだった。
息子はそんな私のイライラを感じ取り
「どうせ僕なんて邪魔なだけなんでしょ?」
と言った。
そう、確かに私は息子を邪魔者扱いしていた。
もう少し自立して欲しかった。
離れたところで元気にしていて欲しかった。
ベタベタまとわりついてくるのが、うっとうしかった。
今朝、目が覚めたとき、
息子が今日はいないことに気づいてホッとした私がいた。
毎日毎日、息子のことに悩まされていたから。
水曜の夕方に息子が帰ってくるまでが私の休日。
それまでにしっかりリフレッシュして、
身体も心もリセットしておこう。
笑顔で息子に「おかえり」と言えるように。
とりあえず今日は観ようと思っていた映画『西の魔女が死んだ』を観た。
不登校の少女が主人公の映画。
おばあちゃんの優しさで少女は元気になっていった。
私も息子にああやって接することができたらいいのだけど…。
2008/7/11 13:11
少しずつ 分類なし
息子は相変わらず学校に行ったり行かなかったり。
でも、今週は三回行けたからいいほうかな?
私やダンナも行かないことを責めないようになり、
息子の今の状態を受けとめていくようにしたら、
気分的にも楽になった。
焦ってもしょうがないのだから。
人生という長い目で見れば、この試行錯誤の期間はきっと有益なものになる。
そう信じて。
発達障害は、その可能性もあるということだったが、
レベルはあまりひどいものではなく、
いわゆる普通との境目、グレーゾーンだろうということだった。
名前が付いたからどうとかいうものではない。
ただ、うちの子を普通と同じにさせなきゃと思っていた、
その考え方を変えるきっかけになった。
違うから、違うなりにいいところを認めて伸ばしていけばいいんだ。
そんな子育ての基本中の基本に今さら戻った。
案外、不登校もいいものかもしれない。
忙しい毎日で忘れている大事なものをもう一度考えるいい機会になったから。
塾も今は完全にお休みしている状態。
でも、夏期講習からは復帰すると言っている。
ま、焦らずに行けるなら行けばいい。
中学受験がすべてではないし。
もしこのまま勉強アレルギーが続いて、中学受験ができなかったら、
山村留学に行かせようかな、とも考えている。
親から離れて寮や里親のもとで生活をし、
自然に囲まれた環境で大好きな虫とりに明け暮れるうちに
自分で何か考えるだろうと思っている。
でも、本人はまだ中学受験はするつもりらしい。
でも、今週は三回行けたからいいほうかな?
私やダンナも行かないことを責めないようになり、
息子の今の状態を受けとめていくようにしたら、
気分的にも楽になった。
焦ってもしょうがないのだから。
人生という長い目で見れば、この試行錯誤の期間はきっと有益なものになる。
そう信じて。
発達障害は、その可能性もあるということだったが、
レベルはあまりひどいものではなく、
いわゆる普通との境目、グレーゾーンだろうということだった。
名前が付いたからどうとかいうものではない。
ただ、うちの子を普通と同じにさせなきゃと思っていた、
その考え方を変えるきっかけになった。
違うから、違うなりにいいところを認めて伸ばしていけばいいんだ。
そんな子育ての基本中の基本に今さら戻った。
案外、不登校もいいものかもしれない。
忙しい毎日で忘れている大事なものをもう一度考えるいい機会になったから。
塾も今は完全にお休みしている状態。
でも、夏期講習からは復帰すると言っている。
ま、焦らずに行けるなら行けばいい。
中学受験がすべてではないし。
もしこのまま勉強アレルギーが続いて、中学受験ができなかったら、
山村留学に行かせようかな、とも考えている。
親から離れて寮や里親のもとで生活をし、
自然に囲まれた環境で大好きな虫とりに明け暮れるうちに
自分で何か考えるだろうと思っている。
でも、本人はまだ中学受験はするつもりらしい。
2008/6/25 17:32
発達障害!? 分類なし
息子は相変わらず学校になかなかすんなり行けない。
先週は遅刻しながらも、なんとか登校できたのだが、
今週はまた行けなくなった。
「学校嫌い」「いやだ」「無理」「怖い」
そんなことを言い、パニックを起こす。
行かなきゃいけないとは思っているから、着替えて出かける準備はするのだけど…。
昨日は私も出かける予定があったので、3時間目に間に合うように一緒に家を出た。
話をしながら、なんとか学校の近くまで行った。
もう少しで校門が見えるというところまで来て「やっぱり無理!」と回れ右してしまった。
しょうがないので、私の用事に付き合ってもらった。
それも社会勉強だと思って。
出口の見えないトンネルにいるような気分。
この先、どうなるのだろう…?
しかし、少しだけ光も見えてきた。
発達障害の可能性があるのではないかと思って、
明後日病院で診察を受けることにしたのだ。
はじめはテレビで発達障害の子を見て、ちょっと似てるかもと思った。
ネットや本で調べるうちに色々共通点があると思い出した。
息子は発達障害だから、普通の理論が通じなかったのかもしれない…そう思うようになった。
金曜日、病院に行くのは不安でもあるが、なにかこの先の希望が見えてくる日になればいいと思っている。
先週は遅刻しながらも、なんとか登校できたのだが、
今週はまた行けなくなった。
「学校嫌い」「いやだ」「無理」「怖い」
そんなことを言い、パニックを起こす。
行かなきゃいけないとは思っているから、着替えて出かける準備はするのだけど…。
昨日は私も出かける予定があったので、3時間目に間に合うように一緒に家を出た。
話をしながら、なんとか学校の近くまで行った。
もう少しで校門が見えるというところまで来て「やっぱり無理!」と回れ右してしまった。
しょうがないので、私の用事に付き合ってもらった。
それも社会勉強だと思って。
出口の見えないトンネルにいるような気分。
この先、どうなるのだろう…?
しかし、少しだけ光も見えてきた。
発達障害の可能性があるのではないかと思って、
明後日病院で診察を受けることにしたのだ。
はじめはテレビで発達障害の子を見て、ちょっと似てるかもと思った。
ネットや本で調べるうちに色々共通点があると思い出した。
息子は発達障害だから、普通の理論が通じなかったのかもしれない…そう思うようになった。
金曜日、病院に行くのは不安でもあるが、なにかこの先の希望が見えてくる日になればいいと思っている。
2008/6/14 23:11
おばあちゃんの死と、お金の問題 分類なし
昨日の朝、実家のおばあちゃんが亡くなった。
93歳だった。
実家の母の母だったので、私が小学生くらいの頃から
一緒に住んでいた。
とても優しいおばあちゃんだった。
今年の3月に肺炎で入院し、
その後、療養型の病院に5月に転院して入院生活を送っていた。
数日前に容態が悪いと知らせが入り、
私も連絡のあった夜から病院に行って、終電で帰ってきたり、
次の日も、朝、息子を学校に送り出してから
夕方まで病院に行っていたりした。
母も二晩病院に泊まりこんだのだが、
少し落ち着いたようだったので、
その夜は家に帰って久しぶりに自分の家の布団で休んだ。
まさにその日の明け方、病院から電話が入り、母は大急ぎで向かったが
間に合わなかったと言っていた。
おばあちゃんは晩年、認知症に加えパーキンソン病も患い、
3月に入院する前も、ほとんど寝たきりの状態だった。
起こして座らせてあげれば車椅子に乗れ、
食事も口に運んであげれば食べれる状態だったが、
口をきく事もあまり出来なかった。
言葉も出てこない、表情も乏しくなってしまった自分の母親を介護していた母は
肉体的だけでなく、精神的にも相当大変だったと思う。
そうかと思うと、入院していた病院に母の兄弟の伯母たちが見舞いに行くと、
「よく喋ったよ」なんて言っていて、
母は悔しい思いもしたようだった。
そのおばあちゃんが亡くなり、昨日は私も朝の家の仕事が済んでから
おばあちゃんの遺体が運ばれた葬儀屋の施設に行き、
母や妹や伯父・伯母たちと合流した。
そして、納棺の儀式が終わった後、
みんなでそば屋で昼ごはんを食べた。
その席で、葬儀に関するお金の話になった。
母は6人兄弟の上から3番目。
一番上の伯父が話を仕切った。
「これだけ掛かるそうなんだけど、みんないくら出せる?」
伯父がそういうと、いつもは賑やかな下町気質の叔父・伯母たちも
急にだんまりを決め込んだ。
みんなお金がないのだ。
「均等に割ると20万くらいじゃない?」
と叔母が言うが、
他の兄弟たちはすんなり払えない。
一人だけ来ていない叔父も障害者だし今までもお金でトラブルがある人なので、
「あの人はあてにできない」
と皆が口々に言う。
一番下の叔父も、いろいろ借金があり、お金は出せない様子。
一番上の伯父に詰め寄られるが、なんとも返答に困っていた。
「私、出すよ」
と私が言ったが、伯父には怒られてしまった。
「子どもと孫じゃ立場が違う。香典としてならいいけど、
皆と同じように出す必要はない!」
と言われ、なんだか口出しするな、と威嚇されたようだった。
昔から母の兄弟は皆お金に苦労している。
お金の話になると流れるなんともいえないあの空気が私は嫌いだ。
私が出して済むのなら、私が出す。
そう言いたかったが、あの伯父の前では言えない。
皆の前でいい格好しているみたいなこともしたくなかった。
幸せなことに、今私は裕福な生活をさせてもらっている。
ダンナの家が土地持ちで、アパート経営もしていて、
義父もおばあちゃんも相当の年金をもらっている。
ダンナも特別高いお給料をもらっているわけではないが、
私もダンナもあまり高い買い物をしないので、
家賃がなくて、子どもが1人な分、他の家庭よりも余裕はある。
貯金もある程度ある。
だから、実家のおばあちゃんの葬式代で叔父・叔母たちが
お金が出せなくて、あんな空気になるくらいなら、
私が30万でも40万でも50万でも出してやる!!!
でも、亡くなったおばあちゃんの息子や娘が出せなくて
孫の私がしゃしゃり出てきて皆の倍も払ったら、
皆のメンツってもんもあるから、難しい。
そんなことをずっと昨晩考えていた。
で、一番下の叔父の家に、私は今日電話をした。
私が40出すから、20はうちの名前で、20は叔父の名前で、と提案した。
叔父は不在で、義理の叔母が電話に出ていたので、
叔父が帰ってきたら相談して明日電話をくれると言っていた。
お金は時間が掛かっても返すと言っていた。
私は小さい頃、よく夏休みにまだ新婚の叔父の家によく遊びに行かせてもらっていた。
そんな恩もあるし、
貸し借りを作ったり、返してもらおうとかはあまり思いたくはないから
そんなのはどうでもいい、と言った。
叔母は「ありがとう」をくり返していた。
50代になって姪っ子に借金して
実の母の葬式のお金を出さなきゃいけないなんて人生は辛い。
叔父や叔母の立場だったら、辛いし恥ずかしいし情けないだろうな、と思う。
でも、叔父や叔母もそんなに怠けて遊び歩いて博打をして借金を作ったわけではない。
運が悪かった、というか、
恵まれない運命なんだ、きっと。
悪い方に悪い方に流れてしまうんだ、なぜか。
叔父も叔母も悪い人ではない。
でも、お金がない人、なのだ。
今、入院中のダンナのおばあちゃんは、
結局1人でトイレに行けるようにはならないだろうということで、
施設に入る方向で家族が動き出している。
施設とは、有料介護つき老人ホーム。
入所一時金が1000万とかいう世界。
1000万で探すか、1500万くらいまで出そうか、という相談をしている。
そんな家で嫁をやっていると、
たかが数十万で苦労している母の親戚と本当に世界が違う・・・と思ってしまう。
世の中ってなんて不公平に出来ているのだろう。。。
93歳だった。
実家の母の母だったので、私が小学生くらいの頃から
一緒に住んでいた。
とても優しいおばあちゃんだった。
今年の3月に肺炎で入院し、
その後、療養型の病院に5月に転院して入院生活を送っていた。
数日前に容態が悪いと知らせが入り、
私も連絡のあった夜から病院に行って、終電で帰ってきたり、
次の日も、朝、息子を学校に送り出してから
夕方まで病院に行っていたりした。
母も二晩病院に泊まりこんだのだが、
少し落ち着いたようだったので、
その夜は家に帰って久しぶりに自分の家の布団で休んだ。
まさにその日の明け方、病院から電話が入り、母は大急ぎで向かったが
間に合わなかったと言っていた。
おばあちゃんは晩年、認知症に加えパーキンソン病も患い、
3月に入院する前も、ほとんど寝たきりの状態だった。
起こして座らせてあげれば車椅子に乗れ、
食事も口に運んであげれば食べれる状態だったが、
口をきく事もあまり出来なかった。
言葉も出てこない、表情も乏しくなってしまった自分の母親を介護していた母は
肉体的だけでなく、精神的にも相当大変だったと思う。
そうかと思うと、入院していた病院に母の兄弟の伯母たちが見舞いに行くと、
「よく喋ったよ」なんて言っていて、
母は悔しい思いもしたようだった。
そのおばあちゃんが亡くなり、昨日は私も朝の家の仕事が済んでから
おばあちゃんの遺体が運ばれた葬儀屋の施設に行き、
母や妹や伯父・伯母たちと合流した。
そして、納棺の儀式が終わった後、
みんなでそば屋で昼ごはんを食べた。
その席で、葬儀に関するお金の話になった。
母は6人兄弟の上から3番目。
一番上の伯父が話を仕切った。
「これだけ掛かるそうなんだけど、みんないくら出せる?」
伯父がそういうと、いつもは賑やかな下町気質の叔父・伯母たちも
急にだんまりを決め込んだ。
みんなお金がないのだ。
「均等に割ると20万くらいじゃない?」
と叔母が言うが、
他の兄弟たちはすんなり払えない。
一人だけ来ていない叔父も障害者だし今までもお金でトラブルがある人なので、
「あの人はあてにできない」
と皆が口々に言う。
一番下の叔父も、いろいろ借金があり、お金は出せない様子。
一番上の伯父に詰め寄られるが、なんとも返答に困っていた。
「私、出すよ」
と私が言ったが、伯父には怒られてしまった。
「子どもと孫じゃ立場が違う。香典としてならいいけど、
皆と同じように出す必要はない!」
と言われ、なんだか口出しするな、と威嚇されたようだった。
昔から母の兄弟は皆お金に苦労している。
お金の話になると流れるなんともいえないあの空気が私は嫌いだ。
私が出して済むのなら、私が出す。
そう言いたかったが、あの伯父の前では言えない。
皆の前でいい格好しているみたいなこともしたくなかった。
幸せなことに、今私は裕福な生活をさせてもらっている。
ダンナの家が土地持ちで、アパート経営もしていて、
義父もおばあちゃんも相当の年金をもらっている。
ダンナも特別高いお給料をもらっているわけではないが、
私もダンナもあまり高い買い物をしないので、
家賃がなくて、子どもが1人な分、他の家庭よりも余裕はある。
貯金もある程度ある。
だから、実家のおばあちゃんの葬式代で叔父・叔母たちが
お金が出せなくて、あんな空気になるくらいなら、
私が30万でも40万でも50万でも出してやる!!!
でも、亡くなったおばあちゃんの息子や娘が出せなくて
孫の私がしゃしゃり出てきて皆の倍も払ったら、
皆のメンツってもんもあるから、難しい。
そんなことをずっと昨晩考えていた。
で、一番下の叔父の家に、私は今日電話をした。
私が40出すから、20はうちの名前で、20は叔父の名前で、と提案した。
叔父は不在で、義理の叔母が電話に出ていたので、
叔父が帰ってきたら相談して明日電話をくれると言っていた。
お金は時間が掛かっても返すと言っていた。
私は小さい頃、よく夏休みにまだ新婚の叔父の家によく遊びに行かせてもらっていた。
そんな恩もあるし、
貸し借りを作ったり、返してもらおうとかはあまり思いたくはないから
そんなのはどうでもいい、と言った。
叔母は「ありがとう」をくり返していた。
50代になって姪っ子に借金して
実の母の葬式のお金を出さなきゃいけないなんて人生は辛い。
叔父や叔母の立場だったら、辛いし恥ずかしいし情けないだろうな、と思う。
でも、叔父や叔母もそんなに怠けて遊び歩いて博打をして借金を作ったわけではない。
運が悪かった、というか、
恵まれない運命なんだ、きっと。
悪い方に悪い方に流れてしまうんだ、なぜか。
叔父も叔母も悪い人ではない。
でも、お金がない人、なのだ。
今、入院中のダンナのおばあちゃんは、
結局1人でトイレに行けるようにはならないだろうということで、
施設に入る方向で家族が動き出している。
施設とは、有料介護つき老人ホーム。
入所一時金が1000万とかいう世界。
1000万で探すか、1500万くらいまで出そうか、という相談をしている。
そんな家で嫁をやっていると、
たかが数十万で苦労している母の親戚と本当に世界が違う・・・と思ってしまう。
世の中ってなんて不公平に出来ているのだろう。。。
2008/5/22 22:11
ジェットコースターのような一週間 分類なし
この一週間、あまりにもいろんなことがありすぎた。
疲れた・・・。
でも、少し強くなっただろうか?
それとも、鈍感になったのだろうか?
今日も一揉めあったのに、あまり動揺しなかった。
「もうどうにでもなれ」という心境に達してしまったのかも・・・。
まず、第一に息子のこと。
先週、火曜日に、息子は学校を休んだ。
朝、突然「行きたくない」と言い出したのだ。
理由は家庭科の先生に裁縫の授業で出来なかったから怒られたとか、
担任の先生に、道で拾ったガラクタを学校に持って行っていたのを注意されたとか、
なんだか、私から見たら、大したことないことばかり。
要するに学校と塾の両方で疲れちゃって行きたくなかったことのようでもある。
その日は結局学校を休み、家でゴロゴロし、布団の上でマンガを読んだりしていた。
でも、夕方からの塾は行った。
・・・変なの。。。
木曜は、塾に行きたくないと言い出した。
木曜は息子の苦手な算数の日。
私は無理やり塾まで引っ張っていった。
でも、あと少しというところで息子の抵抗が強くなり、
歩道上で取っ組み合いになった。
通りすがりのおばさんが「どうしたの?」と心配して声をかけてきたほど・・・。
よっぽど酷い状態だったと思う。
私はそのおばさんの前で少し大人しくなった息子をそこにおいておき、
塾に飛び込み、先生に助けを求めた。
先生に声をかけられた息子の足は、ようやく塾へと向かった。
でも、私に対しては罵声を浴びせ、
「今日は弁当いらないから!」
と言った。
私の作った弁当など食べたくないらしかった。
こんなに憎まれてまで受験をする意味があるのか?
そう思いながらも、嫌なことからすぐ逃げたがる息子を
なんとかしたいという気持ちだった。
土曜日は午前中、息子は塾のテスト、私は塾の保護者会、
2時間ほど間が開いて、午後は息子は塾の授業、
私は実家の母と実家のおばあちゃんのお見舞いだった。
その2時間の間も、息子はちょっとでも遊びたい様子だった。
塾の前で待ち伏せしていた私を気にも留めず、公園へとまっしぐら・・・。
アリの巣を潰すと言って、公園の片隅のアリがたくさんいるところを掘り返したり、
水攻めにしたり・・・。
これが小6の受験生だろうか?
やっぱりこの子は受験生の自覚がなさ過ぎる・・・。
そんな気持ちになりながら、一時その公園での時間に付き合い、
それから一緒にご飯を食べに行き、塾に送っていった。
日曜日は、息子の塾は夕方早めに終わる。
入院中のおばあちゃんが息子のことばかり訊いてきて、
「会いたい」と言っているのを伝えていたので、
息子は「おばあちゃんのところへ行く」と言い出した。
自転車で行こうと息子と2人で家を出たが、
息子は読みかけのマンガを片手に家から出てきた。
「そんなの持っていたら自転車がこげないでしょ?」
と言っても、「だいじょぶ、いつも片手運転だから」と屁理屈で返す。
「そんなにマンガが読みたければ、お見舞いなんて行かなくていいから
家でマンガを読んでいなさいよ」
と言っても、
「おばあちゃんが来いって言うから、しょうがないから行ってあげるよ」
と言う始末。
「そんなこと言うんだったら、来なくていい!!!」
息子の態度にカチンと来た私はスピードを上げて自転車で病院に向かった。
息子は病院までは着いてきたが、
まだブツクサ言っていた。
「ほんとに来なくていいから、帰んなさいよ」
私はそう言って、病院に入った。
しばらく入り口で着いてくるかと気にしていたが着いてこなかった。
駐輪場に戻ると、息子の姿は自転車もろともなくなっていた。
通りの方を見ても、その姿はなかった。
家に帰れるのか不安にはなったが、そんなに遠い距離でもないし、
なんとか来た道を戻って帰るのだろうと思い、
私は病院に入った。
おばあちゃんのお見舞いを終えて40分後くらいに病院から出た私は
家にいるダンナに電話をかけた。
息子は当然家にいるものだと思っていた。
ところが家には帰っていなかった。
道に迷ったのだ!
ダンナには電話越しにすごく怒られた。
「なぜ一人で帰らせたんだ。
どこにいるんだ。
どうやって探すんだ」
責められても私だってどうしたらいいかわからなかった。
その時、私の携帯に公衆電話からの着信があった。
出ると息子からだった。
携帯は持っていなかったけれど、
テレホンカードはたまたま持っていたのだった。
今どこかたずねても、場所を示すものがないらしく、
曖昧な答えばかり・・・。
やはり道に迷っていた。
「もう少し大きい通りに出て。場所がわかるところにいきなさい」
テレホンカードの度数も残りわずからしく私も焦った。
「とにかく、家に電話しなさい!」
そして電話を切った。
しばらくして家にかけたが、電話はかかってきていなかった。
息子の電話の中の数少ないキーワードから思いつく場所を
手当たり次第に自転車で走り回り、探したが見つからなかった。
ダンナは私の携帯に電話を何度もかけてきて、
「どうするんだ?警察に行って探してもらえ!」
と言い出した。
しょうがないので、交番に行ったが無人だったので、
近くの警察署まで行った。
警察で息子の特徴などを説明している最中に、
私の携帯がなりだし、公衆電話からの着信と液晶に表示された。
「今どこにいるの?!」
息子はある駅の前にいた。
私が探していたのと逆方向に走っていったらしかった。
相当遠くまで行っていた。
警察の人は親切に車で息子のいる駅まで一緒に行ってくれ、
息子と私と息子の自転車をのせて、自宅まで送ってくれた。
ダンナに息子の無事を伝えると、ダンナはホッとした様子で
お腹が減ったから早く帰ってきて、近くのファミレスにみんなで行こうと言った。
おばあちゃんがいないからできることだった。
おばあちゃんがいたら、ファミレスなんて出かけられないから。
私は疲れきって、頭がおかしくなりそうだった。
息子に何かあったら私のせいだと思いながら探していたのだが、
理不尽なことで怒ったわけではないのに、私ばかりが責められ、
息子はケロッと冒険旅行を終えた気分でいることに、なんだか違和感を感じた。
月曜はまた、学校を休んだ。
嫌いな家庭科があるからだった。
こんなに逃げてばかりでどうするんだろう?と思い腹が立ったが
前夜の出来事で私は疲れていた。
息子は途中から行くと言っていたのだが、
私の声のかけ方が気に入らないと言い出し、
行くのを止めたと言った。
私は責任転嫁をして、逃げるだけの息子を許せず、
思わず手を上げた。
後からすごく後悔した。
自分の感情をコントロールできなかった。
本当に頭がおかしくなりかけていた。
息子と話しても、ダンナと話しても、
涙が止まらなかった。
火曜日は、学校には行ったが、
塾は2コマ目から遅れていった。
もううるさく言うのは止めた。
水曜は学校は遅れそうになりながらも行った。
学校を帰ってくる時間にはダンナが早帰りでもう家にいたので、
息子はきちんと塾に行った。
そして、今日、木曜日。
息子はまた今度は塾を休んだ。
今日は学校が遠足だったから、疲れていて「もうダメ・・・」ということだった。
私も、もう、無理やり息子を引っ張っていこうとしても
体力の無駄遣いなので止めにした。
精神的にも、嫌な気分になるだけだし・・・。
息子のことはダンナにほとんど任せることにした。
私だと、言うことをきかないし、
余計にこじれる。
困るのは息子。
あまりヒステリーを起こすのは止めよう。
これは誰にでもある反抗期なのだから仕方ない・・・
そうやって、落ち着こうと今は努力している。
こうやって改めて書くと、
本当にいろんなことがあったなぁと思う。
そして、これ以外に第二のこと、おばあちゃんのことがあるのだが・・・
それはまた改めて書くことにする。
疲れた・・・。
でも、少し強くなっただろうか?
それとも、鈍感になったのだろうか?
今日も一揉めあったのに、あまり動揺しなかった。
「もうどうにでもなれ」という心境に達してしまったのかも・・・。
まず、第一に息子のこと。
先週、火曜日に、息子は学校を休んだ。
朝、突然「行きたくない」と言い出したのだ。
理由は家庭科の先生に裁縫の授業で出来なかったから怒られたとか、
担任の先生に、道で拾ったガラクタを学校に持って行っていたのを注意されたとか、
なんだか、私から見たら、大したことないことばかり。
要するに学校と塾の両方で疲れちゃって行きたくなかったことのようでもある。
その日は結局学校を休み、家でゴロゴロし、布団の上でマンガを読んだりしていた。
でも、夕方からの塾は行った。
・・・変なの。。。
木曜は、塾に行きたくないと言い出した。
木曜は息子の苦手な算数の日。
私は無理やり塾まで引っ張っていった。
でも、あと少しというところで息子の抵抗が強くなり、
歩道上で取っ組み合いになった。
通りすがりのおばさんが「どうしたの?」と心配して声をかけてきたほど・・・。
よっぽど酷い状態だったと思う。
私はそのおばさんの前で少し大人しくなった息子をそこにおいておき、
塾に飛び込み、先生に助けを求めた。
先生に声をかけられた息子の足は、ようやく塾へと向かった。
でも、私に対しては罵声を浴びせ、
「今日は弁当いらないから!」
と言った。
私の作った弁当など食べたくないらしかった。
こんなに憎まれてまで受験をする意味があるのか?
そう思いながらも、嫌なことからすぐ逃げたがる息子を
なんとかしたいという気持ちだった。
土曜日は午前中、息子は塾のテスト、私は塾の保護者会、
2時間ほど間が開いて、午後は息子は塾の授業、
私は実家の母と実家のおばあちゃんのお見舞いだった。
その2時間の間も、息子はちょっとでも遊びたい様子だった。
塾の前で待ち伏せしていた私を気にも留めず、公園へとまっしぐら・・・。
アリの巣を潰すと言って、公園の片隅のアリがたくさんいるところを掘り返したり、
水攻めにしたり・・・。
これが小6の受験生だろうか?
やっぱりこの子は受験生の自覚がなさ過ぎる・・・。
そんな気持ちになりながら、一時その公園での時間に付き合い、
それから一緒にご飯を食べに行き、塾に送っていった。
日曜日は、息子の塾は夕方早めに終わる。
入院中のおばあちゃんが息子のことばかり訊いてきて、
「会いたい」と言っているのを伝えていたので、
息子は「おばあちゃんのところへ行く」と言い出した。
自転車で行こうと息子と2人で家を出たが、
息子は読みかけのマンガを片手に家から出てきた。
「そんなの持っていたら自転車がこげないでしょ?」
と言っても、「だいじょぶ、いつも片手運転だから」と屁理屈で返す。
「そんなにマンガが読みたければ、お見舞いなんて行かなくていいから
家でマンガを読んでいなさいよ」
と言っても、
「おばあちゃんが来いって言うから、しょうがないから行ってあげるよ」
と言う始末。
「そんなこと言うんだったら、来なくていい!!!」
息子の態度にカチンと来た私はスピードを上げて自転車で病院に向かった。
息子は病院までは着いてきたが、
まだブツクサ言っていた。
「ほんとに来なくていいから、帰んなさいよ」
私はそう言って、病院に入った。
しばらく入り口で着いてくるかと気にしていたが着いてこなかった。
駐輪場に戻ると、息子の姿は自転車もろともなくなっていた。
通りの方を見ても、その姿はなかった。
家に帰れるのか不安にはなったが、そんなに遠い距離でもないし、
なんとか来た道を戻って帰るのだろうと思い、
私は病院に入った。
おばあちゃんのお見舞いを終えて40分後くらいに病院から出た私は
家にいるダンナに電話をかけた。
息子は当然家にいるものだと思っていた。
ところが家には帰っていなかった。
道に迷ったのだ!
ダンナには電話越しにすごく怒られた。
「なぜ一人で帰らせたんだ。
どこにいるんだ。
どうやって探すんだ」
責められても私だってどうしたらいいかわからなかった。
その時、私の携帯に公衆電話からの着信があった。
出ると息子からだった。
携帯は持っていなかったけれど、
テレホンカードはたまたま持っていたのだった。
今どこかたずねても、場所を示すものがないらしく、
曖昧な答えばかり・・・。
やはり道に迷っていた。
「もう少し大きい通りに出て。場所がわかるところにいきなさい」
テレホンカードの度数も残りわずからしく私も焦った。
「とにかく、家に電話しなさい!」
そして電話を切った。
しばらくして家にかけたが、電話はかかってきていなかった。
息子の電話の中の数少ないキーワードから思いつく場所を
手当たり次第に自転車で走り回り、探したが見つからなかった。
ダンナは私の携帯に電話を何度もかけてきて、
「どうするんだ?警察に行って探してもらえ!」
と言い出した。
しょうがないので、交番に行ったが無人だったので、
近くの警察署まで行った。
警察で息子の特徴などを説明している最中に、
私の携帯がなりだし、公衆電話からの着信と液晶に表示された。
「今どこにいるの?!」
息子はある駅の前にいた。
私が探していたのと逆方向に走っていったらしかった。
相当遠くまで行っていた。
警察の人は親切に車で息子のいる駅まで一緒に行ってくれ、
息子と私と息子の自転車をのせて、自宅まで送ってくれた。
ダンナに息子の無事を伝えると、ダンナはホッとした様子で
お腹が減ったから早く帰ってきて、近くのファミレスにみんなで行こうと言った。
おばあちゃんがいないからできることだった。
おばあちゃんがいたら、ファミレスなんて出かけられないから。
私は疲れきって、頭がおかしくなりそうだった。
息子に何かあったら私のせいだと思いながら探していたのだが、
理不尽なことで怒ったわけではないのに、私ばかりが責められ、
息子はケロッと冒険旅行を終えた気分でいることに、なんだか違和感を感じた。
月曜はまた、学校を休んだ。
嫌いな家庭科があるからだった。
こんなに逃げてばかりでどうするんだろう?と思い腹が立ったが
前夜の出来事で私は疲れていた。
息子は途中から行くと言っていたのだが、
私の声のかけ方が気に入らないと言い出し、
行くのを止めたと言った。
私は責任転嫁をして、逃げるだけの息子を許せず、
思わず手を上げた。
後からすごく後悔した。
自分の感情をコントロールできなかった。
本当に頭がおかしくなりかけていた。
息子と話しても、ダンナと話しても、
涙が止まらなかった。
火曜日は、学校には行ったが、
塾は2コマ目から遅れていった。
もううるさく言うのは止めた。
水曜は学校は遅れそうになりながらも行った。
学校を帰ってくる時間にはダンナが早帰りでもう家にいたので、
息子はきちんと塾に行った。
そして、今日、木曜日。
息子はまた今度は塾を休んだ。
今日は学校が遠足だったから、疲れていて「もうダメ・・・」ということだった。
私も、もう、無理やり息子を引っ張っていこうとしても
体力の無駄遣いなので止めにした。
精神的にも、嫌な気分になるだけだし・・・。
息子のことはダンナにほとんど任せることにした。
私だと、言うことをきかないし、
余計にこじれる。
困るのは息子。
あまりヒステリーを起こすのは止めよう。
これは誰にでもある反抗期なのだから仕方ない・・・
そうやって、落ち着こうと今は努力している。
こうやって改めて書くと、
本当にいろんなことがあったなぁと思う。
そして、これ以外に第二のこと、おばあちゃんのことがあるのだが・・・
それはまた改めて書くことにする。
2008/5/14 12:29
おばあちゃんのいない生活 分類なし
おばあちゃんが入院して今日で10日目。
最初はおばあちゃんがいないとなんだか不自然な感じがしたが、
もうすっかりそれにも慣れてしまった。
主のいなくなったおばあちゃんの部屋はひっそりとしている。
私は、朝晩の着替えや、
その他おばあちゃんの世話に使っていた時間が余るようになり、
改めて、おばあちゃんに時間と労力を使っていたことを感じた。
いつもの家事も、あんなに追われるようにこなしていたのに、
今は嘘のようにすばやく終わってしまう。
でも、こんな生活もきっとあとわずかだ。
おばあちゃんは順調に回復してきている。
といっても、それは心臓の話。
心臓の方は随分落ち着いてきたようなのだが、
やはり脚は動かなくなってしまったようだ。
今週からリハビリが開始されたが、
「どこまで動けるようになるか・・・。
前のようにはきっと歩けるようにはならないと思う」
と、先日病室の担当の看護婦さんに宣告された。
多分、おトイレに一人で行ったりできるまでには戻らないだろうとのこと。
寝たきりではないが、車イス生活。
常に誰かがそばにいて世話をしなければならない。
今までは義父にお昼を頼んで出かけることが出来たけれど、
おトイレのことはおばあちゃんも嫌がるし、義父には頼めない。
となると、家に帰ってきた場合、私が全面的に看ることになる。
でも、それは絶対に無理。
息子の受験のこともあるし、
おばあちゃんのことばかりなんてやってたら、
きっと私がウツになる。
だから、帰ってきたときのことを色々考えなければならない。
デイサービスも今まではお楽しみ程度で月に二度しか行ってなかったけれど、
これからは週に3回くらいは行っててくれるとありがたい。
叔母に週に一度来てもらって、後はヘルパーさんを頼もうか。。。
とにかく、夜はどうしても私が看ることになるのだから、
昼間はなるべく人に任せるようにしたい。
友達は、
「お金もあるんだし、施設とかリハビリの病院とかに入っててもらいなよ」
と言うが、
おばあちゃんはお見舞いに行くたび、
「病院は嫌だよ・・・。早く家に帰りたい」
と言う。
そんなおばあちゃんを、別の病院に移すことはあまりにむごい気がする。
本当に私が面倒看られるか、心配だが、
いろんな人の力を借りて、頑張っていくしかないと思っている。
どれだけその生活が続くのかも分からないし・・・
あまり無理せず、やっていこう。。。
やっとそんな覚悟が出来てきたところだ。
最初はおばあちゃんがいないとなんだか不自然な感じがしたが、
もうすっかりそれにも慣れてしまった。
主のいなくなったおばあちゃんの部屋はひっそりとしている。
私は、朝晩の着替えや、
その他おばあちゃんの世話に使っていた時間が余るようになり、
改めて、おばあちゃんに時間と労力を使っていたことを感じた。
いつもの家事も、あんなに追われるようにこなしていたのに、
今は嘘のようにすばやく終わってしまう。
でも、こんな生活もきっとあとわずかだ。
おばあちゃんは順調に回復してきている。
といっても、それは心臓の話。
心臓の方は随分落ち着いてきたようなのだが、
やはり脚は動かなくなってしまったようだ。
今週からリハビリが開始されたが、
「どこまで動けるようになるか・・・。
前のようにはきっと歩けるようにはならないと思う」
と、先日病室の担当の看護婦さんに宣告された。
多分、おトイレに一人で行ったりできるまでには戻らないだろうとのこと。
寝たきりではないが、車イス生活。
常に誰かがそばにいて世話をしなければならない。
今までは義父にお昼を頼んで出かけることが出来たけれど、
おトイレのことはおばあちゃんも嫌がるし、義父には頼めない。
となると、家に帰ってきた場合、私が全面的に看ることになる。
でも、それは絶対に無理。
息子の受験のこともあるし、
おばあちゃんのことばかりなんてやってたら、
きっと私がウツになる。
だから、帰ってきたときのことを色々考えなければならない。
デイサービスも今まではお楽しみ程度で月に二度しか行ってなかったけれど、
これからは週に3回くらいは行っててくれるとありがたい。
叔母に週に一度来てもらって、後はヘルパーさんを頼もうか。。。
とにかく、夜はどうしても私が看ることになるのだから、
昼間はなるべく人に任せるようにしたい。
友達は、
「お金もあるんだし、施設とかリハビリの病院とかに入っててもらいなよ」
と言うが、
おばあちゃんはお見舞いに行くたび、
「病院は嫌だよ・・・。早く家に帰りたい」
と言う。
そんなおばあちゃんを、別の病院に移すことはあまりにむごい気がする。
本当に私が面倒看られるか、心配だが、
いろんな人の力を借りて、頑張っていくしかないと思っている。
どれだけその生活が続くのかも分からないし・・・
あまり無理せず、やっていこう。。。
やっとそんな覚悟が出来てきたところだ。
