2007/11/21  15:28

翻案小説  書物たち

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最近、竹風堂の「方寸」というお菓子を頂きました。
落雁によく似た乾菓子で、ひさしぶりに上品な味わいの和菓子です。
ほたるさん、どうもありがとう。

名古屋には鬼饅頭とか田舎臭いのしか無いからなあ。

さて、和菓子ということで思いつきました。



  「 和 菓 子 の 家 」



もう思いついちゃったんだから仕方がない。

「ヘンゼルとグレーテル」がもしも、江戸時代の日本に入っていたら
きっと近松門左衛門が人形浄瑠璃にでもしてくれたのかもしれない。

と、いうワケで
21世紀の黒岩涙香を目指し、私がこの「ヘンゼルとグレーテル」を
「翻案」することで、「翻案小説」というジャンルを再興を目指してみます。
ヘンゼルとグレーテルはそれぞれ平太とお照、
悪い魔女は山姥ということで始めましょう。



 むかしむかし、あるところに貧しい木こりの一家が住んでいました。
 木こりには二人の子供がおり、平太(7歳)とお照(4歳)といいました。
 継母にイジメられながらも、二人は仲の良い兄妹でした。

  ( 中 略 )

 貧乏に堪えかねた木こりのおかみさんは、
 「子供達を山奥に捨ててしまう」事を提案しました。

 "平太は江戸で丁稚奉公させて、お照を女郎小屋に売り飛ばす"
 というのが、もっとも現実的な問題の解決方法かと思うのですが、
 木こりのおとっつぁん、おかみさんに言いくるめられ承知してしまいました。

  ( 中 略 )

 山奥で二人が目を覚ますと辺りは真っ暗。
 当然ながら親達が迎えに来るはずもありません。

  「お照、まあ待っておいでよ。
  お月さんが出りゃあ、豆を辿って、家に帰れるさ」

 しかし、落としてきたはずの豆がまったく見つかりません。
 そう、鳥たちが食べてしまったのです。

  「なあに、そのうち、道が見つかるさ。観音様のお導きがあるよ」

 ふたりは夜中じゅう歩き通して、あくる日もひもすがら歩きました。

 おとっつぁん達に捨てられて三日後のお昼頃、可愛い小さな家の前に出ました。
 二人がその家へ近づいてよく見てみますと、なんと、これが

   「 和 菓 子 の 家 」

 壁は餡子の詰まったモナカ。窓は葛きり。瓦屋根は落雁。
 
  「たんと御馳走になろうよ。ぼくは、屋根を齧るよ。
  お照、おまえは窓を食べるといいや。
  ありゃあ、甘いよ! これあ、和三盆に違いない!」

 どうして貧乏人の子供に和三盆が判るのか謎ですが、
 そのとき、家の中からお婆さんが出てきました。

  ( 中 略 )

 優しいお婆さん(正体は山姥)に招かれて家に入ると、
 土間は 水 羊 羹 、座布団は ド ラ 焼 き で出来ており
 仏壇には ト コ ロ テ ン と キ ン ツ バ が供えられ
 神棚には、ハ ロ ー キ テ ィ な ご や ん (カスタードクリーム入り) がありました。

  「お腹が空いてるんじゃろ。さあ、食べんしゃい」

 金平糖、五家宝、あんみつ、出るわ出るわ、まさに和菓子の家。

  ( 中 略 )

 悪い山姥を倒した平太とお照は、山姥が遺した和菓子のレシピを元に
 江戸で一番の和菓子屋を興し、大成功を収めました。

 現代では、二人は日本最年少の若手事業家として知られます。

 ちゃんちゃん。






完璧ではないか。
福音館書店はぜひ買い付けに来るべきだろう。

タイトルは、

  「 平 太 と お 照 と 和 菓 子 の お 家 」 (原作・グリム兄弟)
  (さく: SHIN え: u-skey)

これでミリオンセラーを狙います。

2007/10/28  5:16

人間失格  書物たち

最後に日記を書いてからしばらく経ちますね。

どのくらい書いてなかったかというと、
「あみん」が25年ぶりに再結成しちゃうくらい久しぶりです。

まあ、別に再結成を「待って」はいませんでしたけど、
新アルバムはたいへんに良い出来です。

ところで、ジェンダーフリーが叫ばれる「男女平等」の時代ですが、
「待つわ」は、女性が主人公だからウケたのであって、
あれを男性デュオ、例えばスキマスイッチあたりが

 ♪ボクは待ーつーぞ いつまでも待ーつーぞ
  他の誰かに キミが振られる日までーーーーー


なんて歌ったところで、女々しすぎると馬鹿にされて
おそらくまったくヒットしないだろうと思います。


クリックすると元のサイズで表示しますさて、掲題の 「 人 間 失 格 」 です。
オマエのことか?と問われたら否定する術を持たない私ですが、
それはちょっと置いておくとして、太宰治の小説「人間失格」です。

週間少年ジャンプを持っている集英社が、
そのコネを利用したのか、集英社文庫の「人間失格」の表紙に
小畑健のイラストを使用して、累計売上がこの夏だけで9万部強だそうです。

いまどきネットで読める「人間失格」を9万人が買っている、
というのはやっぱり凄いことでしょう。
小畑健のイラストさまさまでしょうな、集英社は。

しかし、そのイラストが、「Death Note」の夜神月そのまんまなのは
版権とか著作権とか大丈夫なんでしょうか。
原作者である大場つぐみが

 「この絵は夜神月であると容易に認められる。
 夜神月は、私が創作したキャラだから、私に著作権料を払うべきだ」

とか言い出したら、「キャンディ・キャンディ」の二の舞ぢゃありませんか。
漫画の再販およびアニメDVDや映画DVDの販売等も危うくなります。

加えて、不満なのは、ラノベっぽく見えること。
あくまでも主観ですが、漫画を使う事で表紙から受ける「雰囲気」そのものが、
中学生や高校生ウケを狙っているように見えて安っぽく感じてしまいます。

それから夜神月は「人間失格」の主人公のイメージと合致しません。
どちらかと言えば、ドス氏の「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフでしょう。

 「選ばれた人間なのだから、道を踏み外していても赦される。
 僕は、 新 世 界 の ネ申 だ 。」


なんて価値観が、まったく同じだというのに。


さて、たとえ表紙イラストの漫画キャラのおかげだとしても、
"文学"作品が9万部近く売れるのは珍しいことです。

(夏休みの読書感想文を書かなくちゃ!と本屋に向った中学生が
 「お、夜神月だ! 感想文はこれでいいや」
とかいう短絡的思考で購入した、という可能性も高いでしょうが)

これでやっぱり他の出版社も見習って、
こぞって漫画キャラ表紙イラストの文庫本を多く出すのでしょうか。

そこで、どんな漫画なら売れるか考えてみました。

たとえば、

 夏目漱石 「吾輩は猫である」
  → 「みかん・絵日記」
最後は死んでしまうのだから「ネコ萌え」な小説では無いあたりがウケ狙い。

 川端康成 「山の音」
  → 「美味しんぼ」の海原雄山と栗田くん
まあ、単に「舅と嫁」という間柄の漫画が他に見つからなかっただけですが。


・・・難しいですなあ。もう思いつかない。
どんなキャラを使ったら、きょうび文学作品が売れるでしょうかね。


さて「人間失格」ですが、タイトルからして重いんじゃないでしょうか。
ちょっとタイトルを変えてみたら、ゆとり世代向けの"軽さ"が出るでしょう。

例えば、「らき☆すた」なんかを見習って、


 「 人 間 ☆ 失 格 」


 「 こ ☆ こ ☆ ろ 」


筆者も、つのだ☆ひろや漫☆画太郎のように、


 太宰☆治 「人間☆失格」



あるいは、文学作品の題名に横文字も使ってみましょう。


 「伊豆のDANCER」


 「Maskの告☆白」


 「RUN!メ☆ロ☆ス」









・・・ダメ、ゼッタイ。






追記:

 漱石@NATSUME 「こ☆こ☆ろ」

ケータイ小説の大ベストセラー。
21世紀的ボーイズラブの傑作として認知される。

・・・なんかそんな臭いがする。


2007/7/15  5:47

続編制作  書物たち

徳永英明がモヤモヤ病から復帰後、
「VOCALIST」というタイトルでカバーアルバムをシリーズ化して
発表しており、その第三作が8月に発売されるそうです。

自分のオリジナル曲よりもカバーアルバム売っててどうする。
 英明、自重しろ。
なんて思ったりもしますね。

さて、先行シングル「恋におちて -Fall in love-」を聴きました。
うーん、微妙です。
ちょっと人気があったからって
なんでもシリーズ化すりゃいいってもんじゃないだろう。

シリーズと言えば、ハリー・ポッター映画シリーズ第5作
 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」
が先日から公開されて、テレビなどで宣伝を見かけますね。

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そして、来週には、シリーズ最終巻

 「ハリー・ポッターと死の秘宝」

が発売になる様子です。

作者は書き始めた頃から「7冊で終りにする」と言っていましたから、
この「死の秘宝」で終わるはずなのですが、
最近ファンの人達が、「ハリーを救おう」なんていう署名運動を始め、
作者である某女史も、
 「やっぱり終りにするのを止めるかも」
なんて発言しています。

シリーズを引き伸ばすのかよーーー。

なにしろイギリスですからね。
100年以上も昔ですが、死んだはずのシャーロック・ホームズが
ファンの強い要望で蘇っちゃった、という前例があるワケで
今回もやっぱりハリーが帰ってきちゃうんぢゃないんでしょうか。

と、いうワケでハリー・ポッター第8巻を考えてみました。



 シリーズ第8巻 「ハリー・ポッターと少年探偵団の活躍」

ヴォルデモート最期の究極魔法により、
6歳の身体に戻ってしまったハリーは
正体を隠して6歳児として生活を始める。

しかし、

 身体は子供、魔法は大人

なので、ホグワーツ魔法学校で起こる難事件を解決するため奔走。
ハグリッドがくれた魔法の腕時計で、ダンブルドア校長を眠らせ、
魔法の蝶ネクタイで声色を変えて校長に成りすまし事件を解決。
決め台詞は、「真実はいつも一つ」。口癖は「バーロー(笑)」


 シリーズ第8巻 「ハリー・ポッターと伝説のドラゴン」

第7巻のクライマックス、捨て身の攻撃で
ヴォルデモートを後ろから羽交い絞めにしたハリー。

 「ロン!今だっ、あの究極の魔法をっ!呪文を唱えるんだ!」
 「え、そんな、できないよ!そんなことをしたら君まで・・・」
 「構わない、僕が死んでも伝説の七つの珠を集めて生き返らせてくれ!」

ハーマイオニーが止めるのを振り切り、
涙ながらにロンは渾身の力で魔法を使い、
ヴォルデモートは爆死。ハリーを道連れにして。。。

願いをかなえてくれるという伝説のドラゴンを呼び出し、
ハリーを生き返らせるため、世界中に散らばる珠を追い求めるロン。
降りかかる幾多の苦難。襲い掛かる敵たち。

死んでいる間、ハリーは、天界の神様の下で
新たなる魔法を習得する為に修行に励む。



 シリーズ第8巻 「ハリー・ポッターと空き家の冒険」

第7巻のラストシーンで、ハリーはヴォルデモート卿とともに
ライヘンバッハの滝壺へと消えていった。
しかし、実はハリーは死んでいなかった!!!!
3年後、彼はロンとハーマイオニーの前に現れた。
いったいどうやって・・・と言葉を失う二人にハリーが言う。

 「初歩的なことだよ、ロン君。
 ヴォルデモートと僕は確かにライヘンバッハの滝の淵で格闘した。
 だけど、僕は日本の格闘技の"柔術"をちょっと知っていてね。
 おかげで滝壺に落ちたのはヴォルデモートだけさ」

ハリーの活躍がいま再び!



 シリーズ第8巻 「ハリー・ポッターと市警本部の犯罪」

ヴォルデモートとの死闘から、20年後・・・
闘いの後遺症からハリーは魔法使いとしての能力を失った。

イギリスを離れ、彼は現在、カリフォルニアで刑事をしている。
最愛の妻ハーマイオニーを失って数年、酒と煙草の量が増え
自暴自棄な生き方をしているハリー。

犯人を検挙するためには、暴力も発砲もいとわない。
始末書も小言も停職もなんのその。

人は彼を、「ダーティ・ハリー」と呼ぶのであった。








しかし、正式な続編よりも、外伝や「スピンオフ」が
おそらくマトモな選択だと思います。

例えば、

 ハリーの両親の若い頃

 ハーマイオニーが主役

 スネイプ先生の暗い暗い過去

を描くなんてのがいいでしょう。







まあ、第7巻を出した時点で、

 すっぱり綺麗に終われるか

というのは歴史的な作品としての毀誉褒貶を左右するハズです。


2007/6/30  12:50

映画鑑賞  映画たち

尾崎豊が昔、

 ♪盗んだバイクで走り出すぅ

と唄っていました。

だが、しかし、
バイクではどうも「青春の発露」という強いエネルギーが
いまいち感じられないと思うのは私だけでしょうか。

だいたい、15でバイクに乗るのもどうかと思うのですが、
たかがバイク1台を盗んでいる辺りがセコいというか小さい。

やはり、男ならば、

 ♪盗んだデコトラで走り出すぅ

くらい豪快なコトはするべきではないか、と思う124歳の夜。

「青春」といえば、自らの青春時代をバブル景気の頃だと
述懐するマイミクさんも多くいらっしゃいますね。

そんなアナタにお薦めなのが、

 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」

という広末涼子主演の映画です。
あのバカさ加減がたいへんに良かった。

なかなか上手い紹介記事がネットにありました。


単なるおバカ映画なのですが、ホイチョイプロダクションの
その目の付け所が凄いなあ、と感心することしきりでした。


最近観た映画で面白かったのは、

 「それでもボクはやってない」

 「赤ひげ」

あたりでしょうか。
黒澤明の「赤ひげ」は、3時間という長さが疲れるのですが、
ほんのちょっとしか出番の無い香川京子が印象的です。

あ、ロッキー第6作「ロッキーバルボア」も観ましたが、
たいへんにがっかりでした。
だってエイドリアンが出てこないのですから。
まあ、少なくとも「ロッキー5」よりはマシかな、てな感じです。

とりあえず、「ロッキー7」は作らぬほうがよいでしょうな。



そんな感じで最近の映画鑑賞のメモでした。

2007/6/29  22:09

殺人犯  時事

8年前に山口県で起きた母子殺害事件の裁判がかまびすしい。

最高裁が死刑を支持して無期懲役判決を破棄し、
広島高裁に差し戻されたおかげで、
ヒステリック・ジャパンでは死刑の是非が論議されている様子。

まあ、難しい話は私には判らないので、
死刑がどーのこーのという話は置いておくとして、
差し戻される前までは、
 「無期懲役になって、うまくすれば数年で生きて出てこられる。ひゃっほー」
なんて思っていた被告側が、死刑の可能性が出てきた途端
 「ちょっとボク、せーしんじょーたいがおかしかったから・・・」
と必死になっている辺りに注目したい。

殺害そのものは周到に計画されたものではなく、
特に前科も無く犯罪的に傾向が強いとは言いがたい上に
家庭が不遇であるなどその成育環境はやはり考慮に入れるべきで
18歳でありながら未熟な一面を持っていただろう事は想像に難くない。

なおかつ、世論に後押しされるカタチで
「死刑にするか否か」だけを論じている裁判みたいで
事実関係の究明、という根本的な部分が抜け落ちている。
ちょっとずさんな進め方をされているとも見えるんだよなー。

だけれども、弁護士側の
 「著しく未発達は精神が起こした事件」
という定義もちょっとどうかと思う。
未発達な精神の人が、他人の家に上がりこむ為に、
水道管の点検なんていうウソをつくものなのか。

最高裁に差し戻されたおかげで、
死刑判決かもしれない、という可能性が現実的になった。
そのために、精神異常者である、と被告側が強く主張している様子だ。

先日の被告人質問がまた傑作だ。

主婦を殺害後、姦淫に及んだ理由を問われ、

 「精子を女性の中に入れるという復活の儀式」

と答えたらしい。
・・・今まで言ってなかったろ、そんなの。
21人もいるらしい弁護士団には、マトモな頭も持つ人はいないのか。
そんな新主張をするほうが、裁判官の心証を害し、
世論の反発を招き、裁判傍聴人からの失笑が漏れるだろうが。

赤ん坊を殺害したあとで押入れの天袋に隠した理由を問われ、

 「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」

と語ったらしい。

もーダメだ、これは。
当事者のドラえもんさんにガツンと言ってもらうしかないだろう。















ま、死体と交わった上に赤ん坊を殺せる人間は、精神異常者だと思うけど。

2007/5/11  13:53

収集日  時事

川崎市では、ゴミ収集日を7ヶ国語で表記する事にしたらしい。
しかし、 さすがは外国人が多く住む川崎市だね などという安直な見方はできない。

もちろんあの複雑なゴミ分別方法を各国語で説明するのは
たいへんに重要だと思うのだけれど、今回のニュースでは
ゴミ収集「日」を7ヶ国語で表示する事にしたのがポイントだ。
(説明文の多言語化は、名古屋でもやっている)

なにしろ解せんのは、日本にやって来たくせに、外国人達は、曜日すら判らんのか。
これはゆゝしき問題ではないのか。

それから川崎市には、「外国人はゴミを分別しない」という偏見があるらしい。
その偏見もまた大問題ぢゃないのか。

もちろん面倒くさがって分別しない外国人もいるだろうが、
それは日本人もまったく同じだろうよ。

曜日すら日本語で読めない日本在住外国人も問題だし、
「外国人=分別しない」という偏見のある日本もヘンだろう。


ま、何語で書いたって、もともと
分 別 し な い ヤ ツ は し な い ん だ よ 。
やるべきこととやってはいかんことの分別も無いからな。

2007/4/20  14:54

喫茶店 Part II  日々のあれこれ

釈尊会の会長が死んだおかげで、若村麻由美が独身に戻り、
ちょっと不謹慎な喜びが胸によぎった独身男性の皆様こんにちは。
既婚男性と女性の皆様もこんにちは。



まったく関係のない話で恐縮ですが、
だいぶ以前に「執事カフェ」の起業を促したのですが
今回は、新しいシチュエーション喫茶を思いつきました。

メイドでも執事でもなく、「文学少女」です。

 「喫茶・文学少女」

文学少女なのに喫茶店にいる、というのは
PTA方面から大目玉を喰らいそうですが、21世紀です。時代は変わったのだ。

あなたが喫茶店に入ると、閑散とした店内には、
レジの脇に座る読書中の10代半ばの少女しかいません。
手に持った岩波文庫からちょっと目を上げて、か細い声で
 「あ、いらっしゃい・・・」

この文学少女がお茶を入れてくれるわけですが、
左手に持った文庫本から目を離さないので、危なっかしい。

それでも打ち解ければ、いろんな話もできます。

しかし、「喫茶・文学少女」なので、
話題は当然ながら本。小説やら詩の話で持ちきりです。

文学少女はどんな本を読むのでしょうかね。
「嵐が丘」、「高慢と偏見」、「ジェイン・エア」?
あとは、ヴァレリーとかリルケの詩集?
一昔前なら、ジュブナイル向けに、コバルト文庫なんてありました。


・・・少女趣味過ぎてダメだ、こりゃ。


仕方がないので、「喫茶・文学少女」は廃業です。


 「カフェ・文学淑女」

上品で、たおやかな文学淑女です。
ちょっとクラシックな装いに、外では日傘なんて差しちゃって
白い手袋に新潮文庫を持っている。和装もよく似合うのです。

大正ロマンの面影を残す落ち着いた内装のカフェ。
あなたが入っていくと、この文学淑女が
本をパタンっと閉じて、こちらを振り向き上品な笑顔で
 「いらっしゃい。お紅茶になさいますか? それとも、御本?」
なんて訊ねてくれるのでしょう。

あるいは、

 「ショットバー・文学熟女」

なんてのはいかがでしょうか。(喫茶店じゃないけれども)
ランブイエ侯爵夫人に始まって戸川昌子に至るまで
優雅さと知性を兼ね備えたマダムが催すサロンでは
政治・宗教・経済・歴史、様々な議論がなされ
文学そのものを形成してきたものでした。

21世紀、文学の復興のためにマダムの文学サロンを開くべきです。
ジョイスやプルースト、キェルケゴール辺りの読書会でも開くのでしょう。


実は

 「文学幼女の珈琲屋さん」

も考えたのですが、社会不適合者しか来ないような気がするので
このアイディアは却下です。


とりあえず、メイド喫茶よりも文学淑女のカフェならば
訪れてみるにやぶさかではないと思う今日この頃。

2007/4/13  12:02

季節感  書物たち

たいへんに暖かくなって、あゝ春だなアなんて思っていたのに
唐突に雪など積もってしまったモントリオールですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

この雪が融けたら本当に春(のハズ)です。

しかし、たとえ気温は低くても、重要なのは季節感というやつです。
日本の美しい四季にマッチした季節感こそが、
「日本」という国の"雅"や"趣"、果ては"侘び"や"寂び"を生んだわけ。

ま、今日この頃はバレンタインやクリスマスのように
意味合いが全く形骸化し、「とりあえず尻馬に乗って、
なんとなくの季節感に裏打ちされた年中行事」も多いのですが。

とはいえ、年が明ければ書初めをやり、豆まきをして3月の頭には雛飾りを出す。
市場では、白菜やミカンに代って、セロリやイチゴがお目見えし、
梅が香り、桜が咲いて、言っているまに5月です。

5月と言えば、当然ながら端午の節句なワケ。
今年のヒット商品は、これに決まりでしょ。

 http://www.yoshitoku.co.jp/starwars.html

 http://www.yoshitoku.co.jp/sw/image/y_01.jpg

吉徳もよくもまあ考えたものです。
端午の節句に、父と子で語らうダークサイド。
最期は、息子の手によって討たれてしまうという、究極の父子愛。

まあ、こういうワケで、人形業界では
 「3月は雛飾り、5月はダース・ベーダー」
というように「春」という"季節感"の演出に一役買っているのです。

あるいは、アパレル業界関連では
 「明るく軽やかな春らしい装い! 春はライトグリーンが決め手!」

音楽業界ですら、桜に関する歌をどんどん出してきますし、
昔から季節を織り込んだ歌も多いです。

と、いうことは、書籍関連業界も、
「春」にちょいと噛ませてもらうべきではないでしょうか。

つまり、

 「書店の店先に平積みされた本で、季 節 感 を 知 る」

まさに、新 し い 時 代 の 始 ま り です。

春にまつわる本はゴマンとあります。

 竹久夢二 「春」
 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
 太宰治 「虚構の春」
 横光利一 「春は馬車に乗って」
 宮沢賢治 「春と修羅」
 坂口安吾 「桜の森の満開の下」
 島崎藤村 「春」
 三島由紀夫 「春」・・・・・

節分には恵方巻きにかぶりつき、
土用の丑の日はウナギを食べ、年末にはお歳暮を贈る。
その延長線上に、

 「春になったら春にまつわる文学作品を読む」

という習慣が、日本という国に定着するのです。


本屋さんの店先にドンと平積みされた
坂口安吾の「桜の森の満開の下」を見て、みんな思います。

 「ああ、もう春なんだなあ」

春になると、出版社はこぞって島崎藤村の「春」とか
横光利一の「春は馬車に乗って」とかを出します。
著作権も切れているので、いたるところで春にまつわる文学作品。

今はメディアミックス的商業展開も大事です。

本屋の春の本コーナーにはこんなポップ。

 『横光利一の「春は馬車に乗って」、大地真央主演でドラマ化!』

(あんな短い作品をどうやってドラマ化するのか謎ですが)

出版業界だけに限定すれば、
ラノベしか読まないオタクのために萌えキャラのイラストで溢れた詩集

 「ハルしゅら! (原作:宮沢賢治「春と修羅」)」 

を出版。

あるいは、漫画しか読まねーよ、というアホ高校生のために

 「春の枯葉 (原作:太宰治・作画:さいとうたかを)」

で漫画化。
(さいとうたかをの絵柄で太宰文学・・・これはいいかも)

こんな感じで、夏になればシェイクスピアの「真夏の夜の夢」、
萩原朔太郎の「夏帽子」、秋になれば、太宰治「ア、秋」、
岡本かの子「秋の七草に添へて」を読み、
冬は冬で、川端康成の「雪国」とか読んじゃうわけです。

ちなみに、子どもの日が終わって、ダースベーダー五月人形を片付けたら
今度は「母の日」がありますね。長谷川伸の「瞼の母」なんて読んじゃって
1億3000万人が、番場の忠太郎の後姿に涙するワケですね。

季節の移ろいに併せて、季節の本を読む、
そんな習慣が出来ると、春夏秋冬、一年中、日本人は本を読むわけです。
これで活字離れ・読書離れ問題は解決!

2007/3/27  11:38

歓送会  友人たち

モントリオールでおそらく最もお世話になったsushi氏が
私の牽衣頓足をも振り切って、とうとう日本へ帰国。

それにともない、3月24日(土)に

 「サヨナラsushiさん 涙のボウリング大会」

を開催し、優勝はsushiさん本人。
決して出来レースだったワケではない(笑
二桁年ぶりにボウリング、という方もいらして、みんな揃ってレベルが低い。
まあ、私は綺麗に最下位でしたが。(あ、子供は除く。笑)

その後、我が家でぱーちー。
ワンルームに16人くらい居た。
熱気も凄い中、ひたすら料理を出し続け、片付け続ける私。
そして、叫び続け、走り回り続ける子供達。・・・ああ、まさに阿鼻叫喚。

近所に住むMont-Royal先生が、ビデオカメラ片手に登場。
後日、そのときの映像を見せてもらったが、
 「ああ、太ったなーorz」 というのが正直な感想。

皆からsushiさんへの「ひとこと」もそれぞれに感慨深いね。
まあ、映像のほとんどをAYAキッズが占めているワケですが。

みんなを送り出し、後片付けを終えて就寝したのは午前3時。
土曜日は某日本語学校へ行くので7時過ぎくらいに起きた。
連続20時間も起きている、というのは、 ここ数年でかなり久しぶりだ。お疲れ。


翌日、昼頃に起きだし、ブランチもそこそこにsushi宅へ。
louis氏帰国前日にも掃除をして片づけをしたが、
研究者というのは、モノをいっぱい持っている人達なのか(笑
ドえらい数のゴミ袋や段ボールだ。

残っていた食材やら本やら、チャッカリいろいろ貰ってくる。
まあ、掃除を手伝った報酬というか役得というヤツだ。

去年から今年のかけてあんなにいっぱいパーティをやった
sushiさんのあの部屋とも、これでお別れだなあ、と思うと
やはり感慨深いものがある。

初めてあの部屋へ行った時は、
スープカレーを作ってもらったりもしたなあ、そういえば。
3回くらいあの部屋のソファで寝たよなあ。
誕生日会もしてもらったし、ほとんどのマイミクさんとも
あの部屋でのパーティでsushiさんを介して知り合ったのだ。

そう思うと、掃除をしながら涙で前が見えません。
あ、よく考えたら大量のホコリが原因でしたが。

複数人で食事をした後、sushiさんは忘れ物を取りに夜中の研究室へ。

理系の研究室なんて初めて入った。

まあ、いいや。
とりあえずそんなこんなで、sushi氏が帰国する週末。
この数年、ずっと見送る側で慣れてるつもりだけど、
やっぱり寂しいもんだね、見送るってのは。

2007/3/12  11:14

OUT  書物たち

今年に入ってから、やけに日本では「バラバラ殺人」が多かった様子だが、
街の本屋さんは、これに便乗して

 「殺す前に読まなくちゃ! バラバラ殺人事件フェア!」

なんてポップを作っちゃって、ミステリや犯罪実録モノを中心に

 江戸川乱歩 「盲獣」
 宮部みゆき 「模倣犯」
 黒川博行 「左手首」


とかを平積みにしたんじゃないか・・・とは思わないが
もし本当にそんな特別コーナーを作るなら、

 桐 野 夏 生 「 O U T 」

は確実にラインナップに加えて欲しい。


この作品で直木賞にノミネートされたらしいが、
受賞を逃した理由は充分に理解できる。

著者はストーリーの鍵を握る快楽殺人者に
 「文学少女じみた甘ったれたこと」
を言わせていると、選考委員で、今は亡き黒岩重吾が評している。

確かにその通りなんだよなあ。
物語上での彼の比重が大きくなればなるほど
主婦が殺した旦那を仲間の3人が共謀してバラバラにする、
という話の本筋からどんどん離れていく。

しかし、やっぱり前半はかなりいい。

深夜の弁当工場で働く主婦4人が背負っているのは、
バブル崩壊後の明々白々な「格差社会」の中の下層階級の悲愴そのものだと思う。
フリーターの友達も、パートに出てた別な友達の母親も、
確か似たような仕事をしていたと記憶している。
コンビニで製造日時がその日の午前3時とかになっていると
眉間の皺を深くしつつ深夜の工場で働いている人を思う。

犯罪小説としての性格が色濃いながら、社会派な作品として、
桐野夏生の「OUT」は私の中でかなり評価が高いのだ。

田中美佐子主演のドラマも、原田美枝子主演の映画も
かなり観たいなあ。舞台化作品もあるらしい。

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