small talk kiki的しゃべり場 分類なし
自分の好きな映画、好きな俳優および好きな物事について語るという主旨のこのブログ。TOPページに雑談コーナー「kiki的しゃべり場」を設置しております。初めてここに来られた方や、ROMオンリーだよ、という方もお気軽にコメントしてください。
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Bond22こと「Quantum of Solace」の邦題が決まったらしい。
「007/慰めの報酬」だって。なんだか微妙なタイトルだ。
分かったような、分からないような…。
でも邦題が決まったので、日本版の公式サイトもオープンした模様。
これから随時、撮影風景や写真などがUPされていくみたいである。
秋になる頃にはトレーラーも出来上がってくるであろう。
公式サイト、中身はまだ薄いが、なんせ日本公開は来年の正月第二段なのだし、
気長にいきましょうという感じであろうか。
そうね、気長にいきましょう。先はまだまだ長いのだ。
…ってなんだかんだ言ってるうちに今年ももう5月半ばを過ぎましたよ。
来年なんてウカウカしてたらあっという間にやってくる。
うれしいような、悲しいような…。
***
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これから随時、撮影風景や写真などがUPされていくみたいである。
秋になる頃にはトレーラーも出来上がってくるであろう。
公式サイト、中身はまだ薄いが、なんせ日本公開は来年の正月第二段なのだし、
気長にいきましょうという感じであろうか。
そうね、気長にいきましょう。先はまだまだ長いのだ。
…ってなんだかんだ言ってるうちに今年ももう5月半ばを過ぎましたよ。
来年なんてウカウカしてたらあっという間にやってくる。
うれしいような、悲しいような…。
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2008/5/17 10:43
優雅なる50年代 「裏窓」 映画
1954年 米 アルフレッド・ヒッチコック監督

ワタシはヒッチ作品の主演女優の中では、コケティッシュなティッピ・ヘドレンが一番好きだけれど、ヒッチ先生本人に訊いたら、きっと一番のお気に入りはこの人だと答えるだろう。
グレイス・ケリー。
ワタシはグレイス・ケリーはそんなに好きというわけでもないが、「裏窓」はとても良かったと思う。
これはヒッチ作品がニュープリントでリバイバル公開された時、劇場で見るチャンスは滅多にないわ!とシネスイッチ銀座に観に行った。もう随分前のことになる。
ニュープリントのヒッチ作品を銀座で観るなんてまたとない機会。こりゃ行かなくっちゃというわけで、「めまい」も観たし「ハリーの災難」も観に行った。シネスイッチ銀座は和光の脇の道をちょっと入ったところにある。山野楽器の裏手。ロマンティックな映画を観て、外に出たら銀座のど真ん中。夜空もネオンで輝いている。ちょこっとワインでもたしなんで、イタ飯でも食べて帰りましょ、ってな気分になりまするよ。この映画館で「サブリナ(麗わしのサブリナ)」のリバイバル上映を観た日は映画館を出て銀座を歩きつつ、頭の中で「Isn't it Romantic?」のメロディが流れっぱなし。
夜風は甘く、小娘だったワタシは駅までの道をスキップしながら帰った。
さて、「裏窓」。
噂だけは聞いていたが、それまでTVなどで放映されたのを観た事がなく、私は幸運にもこのシネスイッチ銀座での鑑賞が初鑑賞になった。パラマウントの大きなスタジオ一杯にセットを立て込んで作られたというあのグリニッジ・ヴィレッジのアパートの、裏窓の並ぶ光景。ヘビー・デューティを愛する報道カメラマンのジェフ(ジェームズ・スチュアート)と、彼が本筋の仕事の片手間に撮ったファッション写真の仕事で知り合った売れっ子モデルのリザ(グレイス・ケリー)。
彼女は売れっ子モデルであるだけでなく、実家もお金持ち。
ジェフ的には、全く生きる世界が違う相手だ。
美人で魅力的だが、彼女の世界に取り込まれたら自分は終わりだと思っている。
レース写真を撮っている時のアクシデントで脚を骨折し、現在はギプスで固定した脚で車椅子生活のジェフ。日頃は寝に帰るだけのアパートに閉じ込められて退屈のあまり、部屋の窓から見える目の前のアパートの住人たちの生活を、あれこれと定点観測するようになる。何かに書いてあったが、これはアメリカでもエアコンが普及していない50年代だから設定可能だったお話で、夏だからといって、こんなにどこの家もカーテン全開、窓も開け放って外から生活が丸見えなんて、エアコンが普及してからはあり得なくなったというのだ。そうかもしれない。

大好きなグレイスにぺったりとくっついているヒッチ
動けないので覗きを始めたジェフに、通いの看護士ステラ(セルマ・リッター)が手際よくマッサージをしてやりながらポンポンとお説教をする。
「骨折した挙げ句に覗き。余計なものを見る。トラブルの臭いがぷんぷんするわよ」
「水着美人を毎日見てても体温が上がらない。ホルモン不足ね」
「男と女が出逢って好きになれば、車の衝突みたいにくっつくものよ。標本みたいに分析してどうなるの」
「理性ぐらい災いの種になるものはないわ。本や言葉で武装し分析しあって、自分の本当の気持ちもつかめないのよ」
実にごもっとも。見事な警句のオンパレードだ。
立て板に水でしゃべりまくるセルマ・リッターの見せ場でもある。ずっと動きながら澱みなく台詞を言う。舞台劇のようなシーンだ。そういえば全体にこの作品は舞台劇のテイストが濃い。

そして看護士が帰り、日が暮れると麗しのリザ(グレイス・ケリー)がやってくる。有名クラブ「21」の仕出しの夕食を従えて。この作品でのグレイス・ケリーはパラマウントのデザイナー、イディス・ヘッドが心を籠めてデザインした衣装の数々を着て現れ、まさにプライムタイムの洗練ぶり。特に初登場のシーンの服はイディス・ヘッドらしいデザインでグレイス・ケリーを引き立てている。自分の信条とするシンプルでエレガントな服をもっとも理想的に着こなしてくれる女優はグレイス・ケリーをおいて他にない、とイディスは思っていたが、グレイスはMGMの専属で、普段は彼女の衣装をデザインする機会がない。この「裏窓」は、グレイスがパラマウントへの他社出演となり、念願かなってやっと巡ってきた機会だった。それだけに、いい仕事をなさっている。髪をアップにしてモス・グリーンのツーピースを着て現れるシーンは、後年「鳥」のティッピ・ヘドレンはこの時のグレイスをモデルにヘアスタイルもモスグリーンの服も決められたのかな、と思ったりする。上着を脱ぐと白いホルターネックのブラウス。無機質なほど白く細い長い腕がブラウスから優雅にのびている。こういうブラウスは、こういう百合の茎みたいな腕じゃないと絶対に似合わない。


美人でお嬢様のリザに、君は完璧すぎると言うジェフ。愛するジェフですら自分をうわべだけでしか判断しようとしない事にふと悲しそうな顔をするリザ。美人には美人の悩みがある。「美しい女は何もしなくていい。ただそこに存在していればいいんだ」なんて言われてもねぇ。まぁ、ちょっと言い争いをしても彼女はめげずに翌日もアパートにくるのだけど。
リザはタフで強い意志を持つお嬢様なのである。それは四角い顔にもよく現れている。彼女はジェフに報道カメラマンを辞めさせて、自前のスタジオを構えるファッションカメラマンになって欲しいのだ。…う〜ん、リザ、それは無理だと思うよ。
白髪の巨漢で迫力満点のレイモンド・バー 役名があるのだけど役者にインパクトがありすぎて…
レイモンド・バー演じる妻との不和を抱える男が犯した犯罪を裏窓を覗きつつ推理し、動けないジェフの代わりにお嬢様リザが冒険して証拠をつかんでくる、という本筋も面白いのだが、何度か見ていると定点観測の対象である、他の部屋の住人たちのエピソードに味わいを感じる。
新曲がなかなか仕上がらない作曲家。(作曲家の部屋の客としてヒッチが登場)
新婚で何かと言えばカーテンを閉じて引きこもっているラブラブカップル。
若くてピチピチ。朝から水着姿で体操し、そのフェロモンに引き寄せられて集まる男たちをあやなすミス・トルソー。
一人の食卓を誰かと一緒のディナーのようにしつらえて、一人芝居の果てに涙するミス・ロンリーハート。
ミス・トルソーとミス・ロンリーハートの対比が鮮やかで、それぞれ生活の断片を窓から見える範囲で見せているだけなのに、どういう人生を送ってきたのか、なんとなく想像がつくような描き方をされている。今更言う事でもないが、設定と脚本が非常によく出来ている。
脇の人物たちの動きを追っていると、彼らとすれ違うようにレイモンド・バーが画面に登場して脇の点景から本筋にスムーズに話が戻る。実に滑らかな焦点の移動。構成がうまい。
この脇役の人物たちの人生も、事件の進捗とともに、別次元であれこれと展開していて、事件が解決したころにそれぞれの人生にも悲喜こもごもの転機が訪れている。
男に囲まれていたミス・トルソーの意外な本命や、ミス・ロンリーハートにもついに幸せが訪れそうな気配に、見ているこっちもほっとする。
隅々まで目配りの利いたうまい脚本と演出だ。
頑張れミス・ロンリーハート
本筋、妻殺しの男の犯罪を推理するジェフの言葉をリザが信じ、彼の手足となって素人探偵をはじめるあたりで、きれい事の優雅な世界から一歩も出ないと思っていたリザの行動力にジェフが惚れ直し始める様子や、それを機にさらにグイグイとジェフに迫っていくリザの恐るべき積極性と懲りなさ加減も話の流れの中できっちりと描かれていく。
このリザ。美人でお金持ちで洗練されていて頭も良くて非のうちどころがないが、あまり気乗りしていない男のところに、相手が動けないからといって毎日毎日やってきて、挙句の果てにはベッドも1つしかないし、という男の部屋に強引に泊まる事に決め、抵抗する男に「そんなことを言っていると明日も泊まるわよ」と駄目押しの爆弾を投下する。美人じゃなかったら恐怖の「座敷女」のようなものであるが、美人であってもストーカー気質といえないことはないだろう。けれど、優雅な姿でにこやかに現れ、旅行の荷物はシンプルなのが一番、と言ってマーク・クロスのオーバーナイト・バッグをパチンと開くグレイス・ケリーはやはり絵になっている。男の骨折と、予期せず起きた殺人事件解明に関わっていくうちに、膠着状態だった自分のロマンスも一挙にグイっと進展させる。お嬢様はパワフルだ。殺人犯レイモンド・バーの妻が旅行には出かけてない証拠の結婚指輪を探しにいって自分の薬指にはめ、部屋から望遠レンズで見守るジェフに示すシーンは、「殺された奥さんの結婚指輪があったわよ」ということと「いい加減に私たちも結婚しましょうよ」という意思表示でもある。こんな女に目をつけられた男は、金輪際逃れることはできないのだ。
事件を解決したとはいえ、他人の生活を覗き見た報いでジェフはいい方の脚も折る羽目になってしまい、更に療養生活は延長。因果応報も効いている。
一方、ジェフに合わせてヘビー・デューティ・ライフに切り替えたかに見せかけたリザは、こっそりと「ハーパース・バザー」を眺めているというラストも二人の今後を暗示するようでもある。どちらかの世界に100%引き込もうとしたらあっという間に破綻だろうから、互いの仕事は尊重して分け入らないのが一番ですぞ、リザ。

50年代はアメリカがもっとも繁栄を謳歌した優雅な時代である。この時代の映画を観ていると「21」や「エル・モロッコ」といった高級ナイトクラブが名前だけでも必ず登場する。パーク・アヴェニューの高級住宅地に住むリザはそういった優雅な50年代のNYの匂いをぷんぷんさせている。
実際にもアイルランド系の実業家の家に生まれて(実家は同じくアイルランド系のケネディ家と親交があったらしい)大金持ちのお嬢様だったグレイスは女優を目指してNYに出てきて演劇学校時代はモデルをやっていた。そんな彼女の側面を上手くキャラクターに生かした作品で、BGMのロマンティックな旋律も、いかにもアメリカがもっとも良き時代であった50年代のムードに溢れている。
ヒッチ作品としても1,2を争う傑作で、ロマンティックでありつつも、ユーモラスでもあり、お得意のサスペンスもきっちりとスリリングに展開し、一瞬も観客を飽きさせない。車椅子に乗ったまま動かないのに存在感のあるジェームズ・スチュアート。植物さんのようなヒョロリとした体型(こんなに鍛えてないハリウッドスターも珍しい(笑))ながら、好奇心に満ち、現場を愛し、自由を愛し、世界中を飛び回りたい報道カメラマンの心情もよく出ていた。キャパみたいな男という設定なのね。
手元にあるのはJT一社提供でノーカット字幕版でTV放映されたときのもの。JTのCMだけが控えめに挟まってくるが、中に薫サン(小林 薫)の出たCMも入っていたりして、ワタシ的には捨てがたいビデオテープになっている。
ワタシはヒッチ作品の主演女優の中では、コケティッシュなティッピ・ヘドレンが一番好きだけれど、ヒッチ先生本人に訊いたら、きっと一番のお気に入りはこの人だと答えるだろう。
グレイス・ケリー。
ワタシはグレイス・ケリーはそんなに好きというわけでもないが、「裏窓」はとても良かったと思う。
これはヒッチ作品がニュープリントでリバイバル公開された時、劇場で見るチャンスは滅多にないわ!とシネスイッチ銀座に観に行った。もう随分前のことになる。
ニュープリントのヒッチ作品を銀座で観るなんてまたとない機会。こりゃ行かなくっちゃというわけで、「めまい」も観たし「ハリーの災難」も観に行った。シネスイッチ銀座は和光の脇の道をちょっと入ったところにある。山野楽器の裏手。ロマンティックな映画を観て、外に出たら銀座のど真ん中。夜空もネオンで輝いている。ちょこっとワインでもたしなんで、イタ飯でも食べて帰りましょ、ってな気分になりまするよ。この映画館で「サブリナ(麗わしのサブリナ)」のリバイバル上映を観た日は映画館を出て銀座を歩きつつ、頭の中で「Isn't it Romantic?」のメロディが流れっぱなし。
夜風は甘く、小娘だったワタシは駅までの道をスキップしながら帰った。
さて、「裏窓」。
噂だけは聞いていたが、それまでTVなどで放映されたのを観た事がなく、私は幸運にもこのシネスイッチ銀座での鑑賞が初鑑賞になった。パラマウントの大きなスタジオ一杯にセットを立て込んで作られたというあのグリニッジ・ヴィレッジのアパートの、裏窓の並ぶ光景。ヘビー・デューティを愛する報道カメラマンのジェフ(ジェームズ・スチュアート)と、彼が本筋の仕事の片手間に撮ったファッション写真の仕事で知り合った売れっ子モデルのリザ(グレイス・ケリー)。
彼女は売れっ子モデルであるだけでなく、実家もお金持ち。
ジェフ的には、全く生きる世界が違う相手だ。
美人で魅力的だが、彼女の世界に取り込まれたら自分は終わりだと思っている。
レース写真を撮っている時のアクシデントで脚を骨折し、現在はギプスで固定した脚で車椅子生活のジェフ。日頃は寝に帰るだけのアパートに閉じ込められて退屈のあまり、部屋の窓から見える目の前のアパートの住人たちの生活を、あれこれと定点観測するようになる。何かに書いてあったが、これはアメリカでもエアコンが普及していない50年代だから設定可能だったお話で、夏だからといって、こんなにどこの家もカーテン全開、窓も開け放って外から生活が丸見えなんて、エアコンが普及してからはあり得なくなったというのだ。そうかもしれない。
大好きなグレイスにぺったりとくっついているヒッチ
動けないので覗きを始めたジェフに、通いの看護士ステラ(セルマ・リッター)が手際よくマッサージをしてやりながらポンポンとお説教をする。
「骨折した挙げ句に覗き。余計なものを見る。トラブルの臭いがぷんぷんするわよ」
「水着美人を毎日見てても体温が上がらない。ホルモン不足ね」
「男と女が出逢って好きになれば、車の衝突みたいにくっつくものよ。標本みたいに分析してどうなるの」
「理性ぐらい災いの種になるものはないわ。本や言葉で武装し分析しあって、自分の本当の気持ちもつかめないのよ」
実にごもっとも。見事な警句のオンパレードだ。
立て板に水でしゃべりまくるセルマ・リッターの見せ場でもある。ずっと動きながら澱みなく台詞を言う。舞台劇のようなシーンだ。そういえば全体にこの作品は舞台劇のテイストが濃い。
そして看護士が帰り、日が暮れると麗しのリザ(グレイス・ケリー)がやってくる。有名クラブ「21」の仕出しの夕食を従えて。この作品でのグレイス・ケリーはパラマウントのデザイナー、イディス・ヘッドが心を籠めてデザインした衣装の数々を着て現れ、まさにプライムタイムの洗練ぶり。特に初登場のシーンの服はイディス・ヘッドらしいデザインでグレイス・ケリーを引き立てている。自分の信条とするシンプルでエレガントな服をもっとも理想的に着こなしてくれる女優はグレイス・ケリーをおいて他にない、とイディスは思っていたが、グレイスはMGMの専属で、普段は彼女の衣装をデザインする機会がない。この「裏窓」は、グレイスがパラマウントへの他社出演となり、念願かなってやっと巡ってきた機会だった。それだけに、いい仕事をなさっている。髪をアップにしてモス・グリーンのツーピースを着て現れるシーンは、後年「鳥」のティッピ・ヘドレンはこの時のグレイスをモデルにヘアスタイルもモスグリーンの服も決められたのかな、と思ったりする。上着を脱ぐと白いホルターネックのブラウス。無機質なほど白く細い長い腕がブラウスから優雅にのびている。こういうブラウスは、こういう百合の茎みたいな腕じゃないと絶対に似合わない。
美人でお嬢様のリザに、君は完璧すぎると言うジェフ。愛するジェフですら自分をうわべだけでしか判断しようとしない事にふと悲しそうな顔をするリザ。美人には美人の悩みがある。「美しい女は何もしなくていい。ただそこに存在していればいいんだ」なんて言われてもねぇ。まぁ、ちょっと言い争いをしても彼女はめげずに翌日もアパートにくるのだけど。
リザはタフで強い意志を持つお嬢様なのである。それは四角い顔にもよく現れている。彼女はジェフに報道カメラマンを辞めさせて、自前のスタジオを構えるファッションカメラマンになって欲しいのだ。…う〜ん、リザ、それは無理だと思うよ。
白髪の巨漢で迫力満点のレイモンド・バー 役名があるのだけど役者にインパクトがありすぎて…
レイモンド・バー演じる妻との不和を抱える男が犯した犯罪を裏窓を覗きつつ推理し、動けないジェフの代わりにお嬢様リザが冒険して証拠をつかんでくる、という本筋も面白いのだが、何度か見ていると定点観測の対象である、他の部屋の住人たちのエピソードに味わいを感じる。
新曲がなかなか仕上がらない作曲家。(作曲家の部屋の客としてヒッチが登場)
新婚で何かと言えばカーテンを閉じて引きこもっているラブラブカップル。
若くてピチピチ。朝から水着姿で体操し、そのフェロモンに引き寄せられて集まる男たちをあやなすミス・トルソー。
一人の食卓を誰かと一緒のディナーのようにしつらえて、一人芝居の果てに涙するミス・ロンリーハート。
ミス・トルソーとミス・ロンリーハートの対比が鮮やかで、それぞれ生活の断片を窓から見える範囲で見せているだけなのに、どういう人生を送ってきたのか、なんとなく想像がつくような描き方をされている。今更言う事でもないが、設定と脚本が非常によく出来ている。
脇の人物たちの動きを追っていると、彼らとすれ違うようにレイモンド・バーが画面に登場して脇の点景から本筋にスムーズに話が戻る。実に滑らかな焦点の移動。構成がうまい。
この脇役の人物たちの人生も、事件の進捗とともに、別次元であれこれと展開していて、事件が解決したころにそれぞれの人生にも悲喜こもごもの転機が訪れている。
男に囲まれていたミス・トルソーの意外な本命や、ミス・ロンリーハートにもついに幸せが訪れそうな気配に、見ているこっちもほっとする。
隅々まで目配りの利いたうまい脚本と演出だ。
本筋、妻殺しの男の犯罪を推理するジェフの言葉をリザが信じ、彼の手足となって素人探偵をはじめるあたりで、きれい事の優雅な世界から一歩も出ないと思っていたリザの行動力にジェフが惚れ直し始める様子や、それを機にさらにグイグイとジェフに迫っていくリザの恐るべき積極性と懲りなさ加減も話の流れの中できっちりと描かれていく。
このリザ。美人でお金持ちで洗練されていて頭も良くて非のうちどころがないが、あまり気乗りしていない男のところに、相手が動けないからといって毎日毎日やってきて、挙句の果てにはベッドも1つしかないし、という男の部屋に強引に泊まる事に決め、抵抗する男に「そんなことを言っていると明日も泊まるわよ」と駄目押しの爆弾を投下する。美人じゃなかったら恐怖の「座敷女」のようなものであるが、美人であってもストーカー気質といえないことはないだろう。けれど、優雅な姿でにこやかに現れ、旅行の荷物はシンプルなのが一番、と言ってマーク・クロスのオーバーナイト・バッグをパチンと開くグレイス・ケリーはやはり絵になっている。男の骨折と、予期せず起きた殺人事件解明に関わっていくうちに、膠着状態だった自分のロマンスも一挙にグイっと進展させる。お嬢様はパワフルだ。殺人犯レイモンド・バーの妻が旅行には出かけてない証拠の結婚指輪を探しにいって自分の薬指にはめ、部屋から望遠レンズで見守るジェフに示すシーンは、「殺された奥さんの結婚指輪があったわよ」ということと「いい加減に私たちも結婚しましょうよ」という意思表示でもある。こんな女に目をつけられた男は、金輪際逃れることはできないのだ。
事件を解決したとはいえ、他人の生活を覗き見た報いでジェフはいい方の脚も折る羽目になってしまい、更に療養生活は延長。因果応報も効いている。
一方、ジェフに合わせてヘビー・デューティ・ライフに切り替えたかに見せかけたリザは、こっそりと「ハーパース・バザー」を眺めているというラストも二人の今後を暗示するようでもある。どちらかの世界に100%引き込もうとしたらあっという間に破綻だろうから、互いの仕事は尊重して分け入らないのが一番ですぞ、リザ。
50年代はアメリカがもっとも繁栄を謳歌した優雅な時代である。この時代の映画を観ていると「21」や「エル・モロッコ」といった高級ナイトクラブが名前だけでも必ず登場する。パーク・アヴェニューの高級住宅地に住むリザはそういった優雅な50年代のNYの匂いをぷんぷんさせている。
実際にもアイルランド系の実業家の家に生まれて(実家は同じくアイルランド系のケネディ家と親交があったらしい)大金持ちのお嬢様だったグレイスは女優を目指してNYに出てきて演劇学校時代はモデルをやっていた。そんな彼女の側面を上手くキャラクターに生かした作品で、BGMのロマンティックな旋律も、いかにもアメリカがもっとも良き時代であった50年代のムードに溢れている。
ヒッチ作品としても1,2を争う傑作で、ロマンティックでありつつも、ユーモラスでもあり、お得意のサスペンスもきっちりとスリリングに展開し、一瞬も観客を飽きさせない。車椅子に乗ったまま動かないのに存在感のあるジェームズ・スチュアート。植物さんのようなヒョロリとした体型(こんなに鍛えてないハリウッドスターも珍しい(笑))ながら、好奇心に満ち、現場を愛し、自由を愛し、世界中を飛び回りたい報道カメラマンの心情もよく出ていた。キャパみたいな男という設定なのね。
手元にあるのはJT一社提供でノーカット字幕版でTV放映されたときのもの。JTのCMだけが控えめに挟まってくるが、中に薫サン(小林 薫)の出たCMも入っていたりして、ワタシ的には捨てがたいビデオテープになっている。
2008/5/15 1:41
爺さんコンビ、人生の休暇 「最高の人生の見つけ方」 映画
2007年 米 ロブ・ライナー監督

観ようと思ってる人が多そうな映画である。ロブ・ライナー監督の映画を観るのはけっこう久しぶりだ。でも、これは漠然と俳優の顔合わせやあらすじを聞いただけで、なんだか食指が動いちゃう映画というものだろう。
かなり大きな劇場がほぼ満員。みんな、こういう映画は無条件に好きなんだな。
「恋愛適齢期」のあたりからかなりの増量っぷりだなぁと思ったジャック・ニコルソンだが、今回もまた、そんなドテっ腹で余命半年!?というほどのメタボ体型で登場。早々に体調不良となり入院する羽目になるが、億万長者で病院のオーナーがなんで二人部屋?と予告編の時点で思っていた疑問は最初のシーンでちゃんと答えが用意されていた。彼自身が決めたルールにより、例外なく入院患者は二人部屋なのである。経営効率とかあれこれ考えた金儲けの算段だったのだが、自分もそこに組み込まれる羽目になるとは。人生は皮肉なもんでございます。
太ったせいか、ジャック・ニコルソン、子供っぽく見えるときもあったりして、カワイくなった。
かわいい〜!なんてまた若い女にモテたりしていそうである。
さて、一方のモーガン・フリーマンは博覧強記の自動車整備工。アメリカは医療費が高くつくとよく聞くけど、3Kっぽい仕事で何ヶ月も病院に検査入院していて医療費大丈夫なの?とか余計な心配をしたくなった。
この徹頭徹尾合わなさそうな二人がいやおうもなく相部屋になり、ともに余命半年の宣告をされる前後で互いに段々シンパシーを感じあう。抗がん剤治療に入る前夜、金にあかせてリッチな夕食をパクつくエドワード(ジャック・ニコルソン)に、「おすそ分けする」と言われて不思議な微笑を浮かべながら「遠慮しとくよ」と言うカーター(モーガン・フリーマン)。エドワードは結局薬の副作用で全部戻してしまい、L.A.1のゴージャスな食事がL.A.1最低な食事になるシーンなど、病気の現実からけして目をそむけるわけではないが、描き方がユーモラスでシリアスではない。どことなく肩の力が抜けている感じが漂っている。それは、この映画全体に漂うムードで、力まずサラリとメッセージを伝えてくるのだ。
自分の才覚のみを信じて成功し、神を信じないエドワードは、聖書にちなむ名前は勝手に変更して呼ぶ。彼の秘書も本名はマシュー(マタイ)だが、トマスと呼ばれている。この目の明るい、いつもカチョカチョとPowerBookのキーを打っている秘書にショーン・ヘイズ。飄々として、有能そうで、いい味を出していた。我侭で敵が多く、何かといえば悪態をつくような社長に仕えるからには、こういうノリじゃないと到底続かなさそうである。
秘書「トマス」と
余命を知らされて、「死ぬまでにやりたい事リスト(THE BUCKET LIST)」を書き始めるカーター。フリーマン、ぎっちょである。
それを読んだエドワードは「もっと男らしい事をどんどん盛り込めよ!」と自分のやりたい事も書き加え、病院なんか出ちまって、思うとおりにやっちまおうぜ、という事になる。あと数ヶ月しか生きられないなら、病院なんかでう〜う〜唸ったり、副作用で吐いたりしているよりも、体が動くなら年来の夢に踏み出したほうがいい、とは誰しも思うだろう。現実に、そんなに元気に飛びまわれるものかどうかは別として。それに億万長者と行動をともにできるとは限らないから、旅に出るとしたって予算も大幅に限られてしまうわけだけど。
二人が最初に行うスカイ・ダイビングのシーンは臨場感があった。
これ、頑張ってトライしたのかな、爺さんたち。
あの風圧は、スタジオ撮影、背景合成とかじゃなさそうだ。
セスナの扉が開いて、足の遥かはるか下に大地。風がびょうびょう。ひゃ〜、観てるだけでゾワゾワ。前はこれ、やってみたいと思っていたんだけど、年とともに高所恐怖症になってきたらしく、最近はきっとビビって空中に一歩を踏み出せないな、と思うようになった。そういえばパラグライダーもやってみたかったのだけど、経験者によると、いかにも気持ちよさそうだけど、大気中で妙な揺れ方をするので三半規管が弱いと酔うよ、といわれてそりゃイカン、手が出せん、とワタシの「やってみたい事リスト」から消したばかりである。

富豪のエドワードはジェットセット。自家用ジェットでびゅ〜んとどこにでもひとっ飛び。エジプトだの、アフリカだの、南仏だの、インドだの、チベットだの、中国だの…。行く先はよくある世界旅行のイメージだが、ピラミッドの頂上で二人が絶景の景色を眺めるシーンも、リアルな臨場感があった。実際にピラミッドの頂上に二人を乗せて撮りましたかね?これ。ふ〜ん、隣のピラミッドはそんな具合に見えるわけなのね。
ここで、「人生において、誰かを本当に幸せにした事があるか?」と問われて、エドワードがそれまで話さなかった娘の話をカーターにする。娘の結婚にまつわるにがい話を。娘の為を思ってしたことが娘の怒りを買ったことを。
語るニコルソンもいいのだが、それをサングラスをかけてじっと聞き、少しうつむくフリーマンのアップがとても良かった。
またこのシーン、月並みではあるけれど、ピラミッドのてっぺんに昇ってみたくなる映像だった。
「ここからどうやって降りるんだ!」とニコルソンのエドワードが叫ぶのだが、それじゃどうやって昇ったのだ?とワタシは突っ込みを入れた。どうせ金にあかせてヘリで頂上まで行ったのだな。ヘリに迎えにきてもらいな。
絶景かな、絶景かな
自家用ジェットで北極の上を飛び、神秘的な景色に見入るカーター。
ここで二人が信仰心について会話する。
「俺には信仰心があるんだ」というカーターに、
「これまで何度もこの手の論争はしてきたが、結局神はいるのか、いないのか、というところに行き着くんだ」というエドワードが手にしている本は「SAMURAI」というタイトルだった。
もしかして葉隠れとかお読みになっちゃってたのかしらん?
アフリカのサバンナで二人の爺さんがジープの上で子供のようにはしゃいで歌を歌う。
♪ジャングルでライオンが眠っている、とかいうあれである。やっぱり歌いたくなっちゃうよね、これ。保護区だけど本物の野生動物の中を行くのだものね。
そしてそして、南仏であんなきれいな夕方の海を眺め下ろしつつキャビアをパクパク(フォアグラの方がすきだけど)食べたら、いつ死んでも悔いはないようなものだ。
夜はテントでジン・ラミー 楽しそうだ
二人は旅の間に友情を深め、カーターは妻への、エドワードは娘への、長年の間に埋もれてさび付いていた気持ちをよみがえらせる…というわけで、なんのかのと言っても最後はやはり一番大事な人とどう向き合うか、というところに落ち着くのである。
そして来るべき時は来るのだが、こんなにサラリと楽しく、幸せな気持ちで逝くことができればそれこそ極楽大往生ってもんであろう。
全てにおいて声高に大げさに訴えるという事がなく、サラリとして、しかしポイントではしみじみするという演出がいい。
それにしても、学生のうちに出来ちゃった結婚してなりたい職業を選ぶ暇もなかった、というカーターだが、けっこういいおうちに住んでいるじゃないの。職場での様子を見たらとてもあんなおうちには住めない気配だったけど…。あ、奥さん看護士だったと言ってたから共稼ぎの成果か。にしてもいい感じの家だった。無機質なコンクリート打ちっぱなしの富豪エドワードの家よりずっと住み心地がよさそうだ。余談だが、エドワードの家は、「アイランド」でユアンが演じたリンカーンの本人(本体?)の住いとして使っていた家じゃなかろうか。なんだか、家の造りに見覚えが…。
隠し味として映画のほぼ最初から登場するのは、「コピ・ルアック」。
あら、予期せぬところにまじないのコーヒーが出てきたよ、と思っていると、ラスト近くで一生分笑うネタとして製法が紹介される。
どんだけお高いのコピ・ルアック。そして、一体どんなお味なのコピ・ルアック。
コーヒーよりも、それを淹れる道具のご立派さに目を奪われてしまった。
さてさて。これだけはどうしても死ぬまでにやっておきたいことについて考えてみた。
ワタシは取り敢えず沈まないうちにベネチアに行きたいですねぇ。「生涯最高の男」と手に手をとって。あ、それは余命云々じゃなくて今すぐにでもしたい事、だな。でも、その前に生涯最高の男か。こいつが難関だよ…とまぁ、そんなこんなで、とても、まだまだ死ぬわけにはいかないアテクシ。世のため人のためよりも、ひたすら楽しい事探検隊だい。
ああ、こんなに煩悩が多くっちゃ、間違いなく天国の門の前ではじかれてしまいそうである。
まだまだ修行がタリンのう。 ふ〜〜〜い。 お後がよろしいようで。
観ようと思ってる人が多そうな映画である。ロブ・ライナー監督の映画を観るのはけっこう久しぶりだ。でも、これは漠然と俳優の顔合わせやあらすじを聞いただけで、なんだか食指が動いちゃう映画というものだろう。
かなり大きな劇場がほぼ満員。みんな、こういう映画は無条件に好きなんだな。
「恋愛適齢期」のあたりからかなりの増量っぷりだなぁと思ったジャック・ニコルソンだが、今回もまた、そんなドテっ腹で余命半年!?というほどのメタボ体型で登場。早々に体調不良となり入院する羽目になるが、億万長者で病院のオーナーがなんで二人部屋?と予告編の時点で思っていた疑問は最初のシーンでちゃんと答えが用意されていた。彼自身が決めたルールにより、例外なく入院患者は二人部屋なのである。経営効率とかあれこれ考えた金儲けの算段だったのだが、自分もそこに組み込まれる羽目になるとは。人生は皮肉なもんでございます。
太ったせいか、ジャック・ニコルソン、子供っぽく見えるときもあったりして、カワイくなった。
かわいい〜!なんてまた若い女にモテたりしていそうである。
さて、一方のモーガン・フリーマンは博覧強記の自動車整備工。アメリカは医療費が高くつくとよく聞くけど、3Kっぽい仕事で何ヶ月も病院に検査入院していて医療費大丈夫なの?とか余計な心配をしたくなった。
この徹頭徹尾合わなさそうな二人がいやおうもなく相部屋になり、ともに余命半年の宣告をされる前後で互いに段々シンパシーを感じあう。抗がん剤治療に入る前夜、金にあかせてリッチな夕食をパクつくエドワード(ジャック・ニコルソン)に、「おすそ分けする」と言われて不思議な微笑を浮かべながら「遠慮しとくよ」と言うカーター(モーガン・フリーマン)。エドワードは結局薬の副作用で全部戻してしまい、L.A.1のゴージャスな食事がL.A.1最低な食事になるシーンなど、病気の現実からけして目をそむけるわけではないが、描き方がユーモラスでシリアスではない。どことなく肩の力が抜けている感じが漂っている。それは、この映画全体に漂うムードで、力まずサラリとメッセージを伝えてくるのだ。
自分の才覚のみを信じて成功し、神を信じないエドワードは、聖書にちなむ名前は勝手に変更して呼ぶ。彼の秘書も本名はマシュー(マタイ)だが、トマスと呼ばれている。この目の明るい、いつもカチョカチョとPowerBookのキーを打っている秘書にショーン・ヘイズ。飄々として、有能そうで、いい味を出していた。我侭で敵が多く、何かといえば悪態をつくような社長に仕えるからには、こういうノリじゃないと到底続かなさそうである。
余命を知らされて、「死ぬまでにやりたい事リスト(THE BUCKET LIST)」を書き始めるカーター。フリーマン、ぎっちょである。
それを読んだエドワードは「もっと男らしい事をどんどん盛り込めよ!」と自分のやりたい事も書き加え、病院なんか出ちまって、思うとおりにやっちまおうぜ、という事になる。あと数ヶ月しか生きられないなら、病院なんかでう〜う〜唸ったり、副作用で吐いたりしているよりも、体が動くなら年来の夢に踏み出したほうがいい、とは誰しも思うだろう。現実に、そんなに元気に飛びまわれるものかどうかは別として。それに億万長者と行動をともにできるとは限らないから、旅に出るとしたって予算も大幅に限られてしまうわけだけど。
二人が最初に行うスカイ・ダイビングのシーンは臨場感があった。
これ、頑張ってトライしたのかな、爺さんたち。
あの風圧は、スタジオ撮影、背景合成とかじゃなさそうだ。
セスナの扉が開いて、足の遥かはるか下に大地。風がびょうびょう。ひゃ〜、観てるだけでゾワゾワ。前はこれ、やってみたいと思っていたんだけど、年とともに高所恐怖症になってきたらしく、最近はきっとビビって空中に一歩を踏み出せないな、と思うようになった。そういえばパラグライダーもやってみたかったのだけど、経験者によると、いかにも気持ちよさそうだけど、大気中で妙な揺れ方をするので三半規管が弱いと酔うよ、といわれてそりゃイカン、手が出せん、とワタシの「やってみたい事リスト」から消したばかりである。
富豪のエドワードはジェットセット。自家用ジェットでびゅ〜んとどこにでもひとっ飛び。エジプトだの、アフリカだの、南仏だの、インドだの、チベットだの、中国だの…。行く先はよくある世界旅行のイメージだが、ピラミッドの頂上で二人が絶景の景色を眺めるシーンも、リアルな臨場感があった。実際にピラミッドの頂上に二人を乗せて撮りましたかね?これ。ふ〜ん、隣のピラミッドはそんな具合に見えるわけなのね。
ここで、「人生において、誰かを本当に幸せにした事があるか?」と問われて、エドワードがそれまで話さなかった娘の話をカーターにする。娘の結婚にまつわるにがい話を。娘の為を思ってしたことが娘の怒りを買ったことを。
語るニコルソンもいいのだが、それをサングラスをかけてじっと聞き、少しうつむくフリーマンのアップがとても良かった。
またこのシーン、月並みではあるけれど、ピラミッドのてっぺんに昇ってみたくなる映像だった。
「ここからどうやって降りるんだ!」とニコルソンのエドワードが叫ぶのだが、それじゃどうやって昇ったのだ?とワタシは突っ込みを入れた。どうせ金にあかせてヘリで頂上まで行ったのだな。ヘリに迎えにきてもらいな。
自家用ジェットで北極の上を飛び、神秘的な景色に見入るカーター。
ここで二人が信仰心について会話する。
「俺には信仰心があるんだ」というカーターに、
「これまで何度もこの手の論争はしてきたが、結局神はいるのか、いないのか、というところに行き着くんだ」というエドワードが手にしている本は「SAMURAI」というタイトルだった。
もしかして葉隠れとかお読みになっちゃってたのかしらん?
アフリカのサバンナで二人の爺さんがジープの上で子供のようにはしゃいで歌を歌う。
♪ジャングルでライオンが眠っている、とかいうあれである。やっぱり歌いたくなっちゃうよね、これ。保護区だけど本物の野生動物の中を行くのだものね。
そしてそして、南仏であんなきれいな夕方の海を眺め下ろしつつキャビアをパクパク(フォアグラの方がすきだけど)食べたら、いつ死んでも悔いはないようなものだ。
二人は旅の間に友情を深め、カーターは妻への、エドワードは娘への、長年の間に埋もれてさび付いていた気持ちをよみがえらせる…というわけで、なんのかのと言っても最後はやはり一番大事な人とどう向き合うか、というところに落ち着くのである。
そして来るべき時は来るのだが、こんなにサラリと楽しく、幸せな気持ちで逝くことができればそれこそ極楽大往生ってもんであろう。
全てにおいて声高に大げさに訴えるという事がなく、サラリとして、しかしポイントではしみじみするという演出がいい。
それにしても、学生のうちに出来ちゃった結婚してなりたい職業を選ぶ暇もなかった、というカーターだが、けっこういいおうちに住んでいるじゃないの。職場での様子を見たらとてもあんなおうちには住めない気配だったけど…。あ、奥さん看護士だったと言ってたから共稼ぎの成果か。にしてもいい感じの家だった。無機質なコンクリート打ちっぱなしの富豪エドワードの家よりずっと住み心地がよさそうだ。余談だが、エドワードの家は、「アイランド」でユアンが演じたリンカーンの本人(本体?)の住いとして使っていた家じゃなかろうか。なんだか、家の造りに見覚えが…。
隠し味として映画のほぼ最初から登場するのは、「コピ・ルアック」。
あら、予期せぬところにまじないのコーヒーが出てきたよ、と思っていると、ラスト近くで一生分笑うネタとして製法が紹介される。
どんだけお高いのコピ・ルアック。そして、一体どんなお味なのコピ・ルアック。
コーヒーよりも、それを淹れる道具のご立派さに目を奪われてしまった。
さてさて。これだけはどうしても死ぬまでにやっておきたいことについて考えてみた。
ワタシは取り敢えず沈まないうちにベネチアに行きたいですねぇ。「生涯最高の男」と手に手をとって。あ、それは余命云々じゃなくて今すぐにでもしたい事、だな。でも、その前に生涯最高の男か。こいつが難関だよ…とまぁ、そんなこんなで、とても、まだまだ死ぬわけにはいかないアテクシ。世のため人のためよりも、ひたすら楽しい事探検隊だい。
ああ、こんなに煩悩が多くっちゃ、間違いなく天国の門の前ではじかれてしまいそうである。
まだまだ修行がタリンのう。 ふ〜〜〜い。 お後がよろしいようで。
2008/5/13 0:43
おお、恋は創作の泉 「恋におちたシェイクスピア」 映画
1998年 米 ジョン・マッデン監督

毎度こんな書き出しな感じではあるが、これもだいぶ前にサラっと一度観たきりでじっくりと観ていなかったので、久々にスタチャンで放映されたので鑑賞してみた。いやいやいや。随分いろんな人が出ていたのね。ベン・アフレックまで出ていたのだったっけ。ルパート・エヴェレットも友情出演みたいな形でライバル劇作家役で出ていたのね。草刈正雄に似てるなぁ。
そうそう、これではワタシのコリン(え?)は恋敵の役、というか敵役であったのだった。思い出した、思い出した。
これってもう10年も前の映画だったのだっけ。デンチさんがどこかでエリザベス女王をやっていたと思ったけど、これでだったのか。と、あれやこれやで、随分久々に観たもんですから、間抜けな感慨が多くて申し訳なし。さるにても旬の役者をいっぱい揃えるとそれだけで華やかで元気いっぱい、恋のオーラがビュービュー迸っているような映画になる。
前に見た印象ではグィネスが四角い顔に口ひげ(付け髭)をつけて男装しているのがプハハという感じだったのと、ジョセフ・ファインズがやたらに走り回っていたのだけを覚えていた。…まぁ、ほとんど何も観ていませんね。そのときはあまり関心がなかったのかもしれない。ちゃんとその気で見てみると、テンポが良くて面白い。あれこれ賞を取っているだけあって脚本も隙なく仕上がっている。何よりいい役者が沢山出ているので、それだけでも見ていて飽きない。ジェフリー・ラッシュ、気のいい芝居小屋主人の役。かわいいな。
タイトルロールを演じるジョセフ・ファインズは兄と比べると目が丸くて愛嬌のある顔をしている。最初に見たのはこれだったのか、「スターリングラード」だったのか記憶が定かじゃないけれど、どちらかだと思う。新作は「マンデラの看守」。またいかにもこの人の選びそうな役だなぁと予告編を見ていて思った。
ここではヤングで血気盛んなシェイクスピアを走り回って演じている。上体を反り返らせてガニマタで走る姿がとにかく印象に残ってしまって。見せ場はいっぱいあるのに、なんでそんなところだけなのかしらん、ワタシったら…。

ほとんど破産状態の癖に名門の家柄だけを鼻にかける嫌味なウェセックス卿を演じるコリン・ファースはちょうちんブルマーというか、かぼちゃパンツからタイツの長い脚を出して、相変わらずスラリと姿が良い。が、口ひげを生やして憎らしげな様子はどことなく「カリオストロの城」のカリオストロ伯爵を思い出させる。
このウェセックス卿に富裕な商人レセップスが娘ヴァイオラ(グィネス・パルトロウ)を売り込むセリフのあけすけな事。
父は娘を貴族に持参金付で品物のように渡し、孫が貴族になる未来を買おうというのである。
「ロバのように従順です。お乗りになりたければ持参金をつけてお譲りします。気に入らなければ返品も可能です」
なんて父親に言われて嫁に行く娘も甚だ気の毒。この親父と来た日には…。
それにしてもクレジットに名前を出さずにカメオ出演したルパート・エヴェレット。本当にちらっとしか出ないが美味しい役。ロミオとジュリエットの骨子のヒントを酒場で軽〜くシェイクスピアに授けてくれる。マキューシオの名前まで?ははは。
このライバル作家マーローが長生きしちゃってたらシェイクスピアは埋もれっぱなしだったりして。ともあれルパート、なかなかカッコよく映ってて印象に残るなぁ。

そういえばシェークスピアの時代は女が舞台に上がることはできなかったのだっけ。歌舞伎のごとく女形、というか変声期前の少年が若い女性を演じていた。なんだか色子宿みたいである。それはそれで、また色んなことがあったりしちゃいそうな…。
グィネスは役者になりたいお嬢様。両親の留守に家を抜け出してオーディションを受けに来る。女優は存在しないので、男装して。贅肉のない細長い体つきは男装がさまになる。グィネス、ちょっとクリスチナ女王のガルボ様を思い出す体付き。
そうだ、ワタシが何でなんとなくグィネスに好意的かというと、美貌度に差はあるが、グィネスは時折ふとガルボ様っぽい空気をかもし出すことがあるのだ。それが最高に噴出したのが「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」でのマーゴ役。あの無表情で少し憂鬱そうな顔つきや、無駄肉のない管のような体つきはガルボ様のカリカチュアのようだった。

男装のヒロインという骨子、ヒロインのヴァイオラという名前は「十二夜」そのままじゃないの、と思っているとラストで楽屋落ちがある。幾重にも劇中劇が重なっているかのような面白い構成だ。恋を遠ざかって才能も枯渇しかけていた(若いのに!)シェイクスピアがヴァイオラと出会って恋に落ち、自分の現実の恋愛が盛り上がるにつれ、筆が冴え、自分の経験を戯曲の中に盛り込んでいくという趣向も、ヤング・シェイクスピアならでは。
グィネスとジョセフ・ファインズはけっこうスクリーンの相性が良いのだな。
メリーウェザーって感じの頭巾を被ったヴァイオラの乳母が、お嬢様の恋路を助けるため、あれやこれやとワンポイントで手助けするユーモラスな設定も楽しい。グィネスの男装に対し、ジョセフも付き添い女に化けて出てくるシーンがあるが、挨拶されて薄気味悪そうに後ずさりするコリンも可笑しい。
コリン 黒真珠の耳飾のオヤジ
デンチさんはこれまで見た中で一番小さく短いエリザベス一世だったが、もちろん貫禄は漬物石のごとく重々しく備わっていた。
喜劇には下品に大笑いをし、詩的な言葉が並びだすとあくびをする女王を威厳をこめてユーモラスに演じていた。
ウェセックス卿が婚約者を披露した席で、「あの娘はすでに他のものによって摘み取られておる」と言うくだりはさすが女王。慧眼でございまする。
それにしてもコリン、なんて間抜けな役なの。いつも二枚目ばかりやっているとこういう憎まれ役も楽しいのかもしれない。なんにせよ、とても上手かった。結構憎たらしく映ってたものね。

しかし、いかに男装しようともグィネスの髭は珍妙だし、相手役のジュリエット役はゴッツくてどうにも女に見えぬじゃないの、などと思っていると本番ではアクシデントやハプニングの果てにヴァイオラ(グィネス)がジュリエットを演じることになり、戯作者シェイクスピア自らロミオを演じることになるのは言うまでもないお約束。はいはい、お手盛りだけどそうでなくちゃね。
ヒロインはウェディングドレスで結婚式場から逃げ出してくるものなのだ。それもお約束である。
主演の二人は盛りがついて、どこでも寸暇を惜しんではくっつき合ってマグネットのキス人形みたいにChu!Chu!とアツアツなのだが、ラストの本舞台では悲劇の恋人たちをきっちりと演じる。この舞台シーンもロミジュリ劇の人の印象に残る場面だけをサクサクっとうまく繋いでダラダラと見せないのが歯切れがいい。
しかし、さっきまでドモッてた仕立て屋の親父があんな満員の観客の前でいきなり朗々と口上は言えぬよ〜、と突っ込みを入れつつ、女性の身で舞台に上がったヴァイオラを救う大岡裁きで、またもデンチ女王の大貫禄。このエリザベス女王の行く手の水溜りに側近が競ってケープを脱いで投げ出したというのは、よほど有名な話なのだろう。何にでも出てくる。
デンチ女王はせっかちなので、様子見をして一瞬遅れた側近たちのケープを待たずにドシャドシャと水溜りに踏み込んでいく。
デンチの女王様はなんとなく「M」っぽいな。ひゃはは。
キス人形のようにくっついていた二人だが、芝居を成功させると既にウェセックス卿の妻になってしまったヴァイオラは、夫とともに新大陸に行くしかない。彼女との出会いと別れがシェイクスピアに「十二夜」を書かせることになる、というわけで駆け落ちして大団円というラストじゃないのも、シェイクスピアだけによきかな、である。
毎度こんな書き出しな感じではあるが、これもだいぶ前にサラっと一度観たきりでじっくりと観ていなかったので、久々にスタチャンで放映されたので鑑賞してみた。いやいやいや。随分いろんな人が出ていたのね。ベン・アフレックまで出ていたのだったっけ。ルパート・エヴェレットも友情出演みたいな形でライバル劇作家役で出ていたのね。草刈正雄に似てるなぁ。
そうそう、これではワタシのコリン(え?)は恋敵の役、というか敵役であったのだった。思い出した、思い出した。
これってもう10年も前の映画だったのだっけ。デンチさんがどこかでエリザベス女王をやっていたと思ったけど、これでだったのか。と、あれやこれやで、随分久々に観たもんですから、間抜けな感慨が多くて申し訳なし。さるにても旬の役者をいっぱい揃えるとそれだけで華やかで元気いっぱい、恋のオーラがビュービュー迸っているような映画になる。
前に見た印象ではグィネスが四角い顔に口ひげ(付け髭)をつけて男装しているのがプハハという感じだったのと、ジョセフ・ファインズがやたらに走り回っていたのだけを覚えていた。…まぁ、ほとんど何も観ていませんね。そのときはあまり関心がなかったのかもしれない。ちゃんとその気で見てみると、テンポが良くて面白い。あれこれ賞を取っているだけあって脚本も隙なく仕上がっている。何よりいい役者が沢山出ているので、それだけでも見ていて飽きない。ジェフリー・ラッシュ、気のいい芝居小屋主人の役。かわいいな。
タイトルロールを演じるジョセフ・ファインズは兄と比べると目が丸くて愛嬌のある顔をしている。最初に見たのはこれだったのか、「スターリングラード」だったのか記憶が定かじゃないけれど、どちらかだと思う。新作は「マンデラの看守」。またいかにもこの人の選びそうな役だなぁと予告編を見ていて思った。
ここではヤングで血気盛んなシェイクスピアを走り回って演じている。上体を反り返らせてガニマタで走る姿がとにかく印象に残ってしまって。見せ場はいっぱいあるのに、なんでそんなところだけなのかしらん、ワタシったら…。
ほとんど破産状態の癖に名門の家柄だけを鼻にかける嫌味なウェセックス卿を演じるコリン・ファースはちょうちんブルマーというか、かぼちゃパンツからタイツの長い脚を出して、相変わらずスラリと姿が良い。が、口ひげを生やして憎らしげな様子はどことなく「カリオストロの城」のカリオストロ伯爵を思い出させる。
このウェセックス卿に富裕な商人レセップスが娘ヴァイオラ(グィネス・パルトロウ)を売り込むセリフのあけすけな事。
父は娘を貴族に持参金付で品物のように渡し、孫が貴族になる未来を買おうというのである。
「ロバのように従順です。お乗りになりたければ持参金をつけてお譲りします。気に入らなければ返品も可能です」
なんて父親に言われて嫁に行く娘も甚だ気の毒。この親父と来た日には…。
それにしてもクレジットに名前を出さずにカメオ出演したルパート・エヴェレット。本当にちらっとしか出ないが美味しい役。ロミオとジュリエットの骨子のヒントを酒場で軽〜くシェイクスピアに授けてくれる。マキューシオの名前まで?ははは。
このライバル作家マーローが長生きしちゃってたらシェイクスピアは埋もれっぱなしだったりして。ともあれルパート、なかなかカッコよく映ってて印象に残るなぁ。
そういえばシェークスピアの時代は女が舞台に上がることはできなかったのだっけ。歌舞伎のごとく女形、というか変声期前の少年が若い女性を演じていた。なんだか色子宿みたいである。それはそれで、また色んなことがあったりしちゃいそうな…。
グィネスは役者になりたいお嬢様。両親の留守に家を抜け出してオーディションを受けに来る。女優は存在しないので、男装して。贅肉のない細長い体つきは男装がさまになる。グィネス、ちょっとクリスチナ女王のガルボ様を思い出す体付き。
そうだ、ワタシが何でなんとなくグィネスに好意的かというと、美貌度に差はあるが、グィネスは時折ふとガルボ様っぽい空気をかもし出すことがあるのだ。それが最高に噴出したのが「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」でのマーゴ役。あの無表情で少し憂鬱そうな顔つきや、無駄肉のない管のような体つきはガルボ様のカリカチュアのようだった。
男装のヒロインという骨子、ヒロインのヴァイオラという名前は「十二夜」そのままじゃないの、と思っているとラストで楽屋落ちがある。幾重にも劇中劇が重なっているかのような面白い構成だ。恋を遠ざかって才能も枯渇しかけていた(若いのに!)シェイクスピアがヴァイオラと出会って恋に落ち、自分の現実の恋愛が盛り上がるにつれ、筆が冴え、自分の経験を戯曲の中に盛り込んでいくという趣向も、ヤング・シェイクスピアならでは。
グィネスとジョセフ・ファインズはけっこうスクリーンの相性が良いのだな。
メリーウェザーって感じの頭巾を被ったヴァイオラの乳母が、お嬢様の恋路を助けるため、あれやこれやとワンポイントで手助けするユーモラスな設定も楽しい。グィネスの男装に対し、ジョセフも付き添い女に化けて出てくるシーンがあるが、挨拶されて薄気味悪そうに後ずさりするコリンも可笑しい。
デンチさんはこれまで見た中で一番小さく短いエリザベス一世だったが、もちろん貫禄は漬物石のごとく重々しく備わっていた。
喜劇には下品に大笑いをし、詩的な言葉が並びだすとあくびをする女王を威厳をこめてユーモラスに演じていた。
ウェセックス卿が婚約者を披露した席で、「あの娘はすでに他のものによって摘み取られておる」と言うくだりはさすが女王。慧眼でございまする。
それにしてもコリン、なんて間抜けな役なの。いつも二枚目ばかりやっているとこういう憎まれ役も楽しいのかもしれない。なんにせよ、とても上手かった。結構憎たらしく映ってたものね。
しかし、いかに男装しようともグィネスの髭は珍妙だし、相手役のジュリエット役はゴッツくてどうにも女に見えぬじゃないの、などと思っていると本番ではアクシデントやハプニングの果てにヴァイオラ(グィネス)がジュリエットを演じることになり、戯作者シェイクスピア自らロミオを演じることになるのは言うまでもないお約束。はいはい、お手盛りだけどそうでなくちゃね。
ヒロインはウェディングドレスで結婚式場から逃げ出してくるものなのだ。それもお約束である。
主演の二人は盛りがついて、どこでも寸暇を惜しんではくっつき合ってマグネットのキス人形みたいにChu!Chu!とアツアツなのだが、ラストの本舞台では悲劇の恋人たちをきっちりと演じる。この舞台シーンもロミジュリ劇の人の印象に残る場面だけをサクサクっとうまく繋いでダラダラと見せないのが歯切れがいい。
しかし、さっきまでドモッてた仕立て屋の親父があんな満員の観客の前でいきなり朗々と口上は言えぬよ〜、と突っ込みを入れつつ、女性の身で舞台に上がったヴァイオラを救う大岡裁きで、またもデンチ女王の大貫禄。このエリザベス女王の行く手の水溜りに側近が競ってケープを脱いで投げ出したというのは、よほど有名な話なのだろう。何にでも出てくる。
デンチ女王はせっかちなので、様子見をして一瞬遅れた側近たちのケープを待たずにドシャドシャと水溜りに踏み込んでいく。
デンチの女王様はなんとなく「M」っぽいな。ひゃはは。
キス人形のようにくっついていた二人だが、芝居を成功させると既にウェセックス卿の妻になってしまったヴァイオラは、夫とともに新大陸に行くしかない。彼女との出会いと別れがシェイクスピアに「十二夜」を書かせることになる、というわけで駆け落ちして大団円というラストじゃないのも、シェイクスピアだけによきかな、である。
