2008/7/9  7:47

不幸な方が輝く人 その2 「柳原白蓮」  雑感

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柳原白蓮というと、ワタシはこの写真が脳裏に浮かぶ。
このくったりとした、重い束髪の、なよやかで、儚げな、「大正美人」の代名詞のような風情こそ、
「ザ・柳原白蓮」の1枚である。

彼女について書かれたものの中で、永畑道子の「恋の華・白蓮事件」と林 真理子の「白蓮れんれん」は特に有名だろう。「白蓮れんれん」のほうしか読んでいないのだが、白蓮の血中メス度の高い心理描写が、いかにも林 真理子らしい小説だった。

   〜以下、たたみます〜



ワタシが一番最初に柳原白蓮の存在を知ったのは、10代の頃、有吉佐和子の小説「芝桜」を読んだ時。金と義理に縛られて好きな男と一緒になれない主人公の芸者正子が、年下の左翼青年と駆け落ちした歌人・柳原白蓮の事件に羨望と憧憬を抱く場面が出てくる。  
華族のお姫さまで、炭鉱王と結婚して北九州に住んでいたので「筑紫の女王」と呼ばれていたこと、彼女の夫(再婚相手)伊藤伝右衛門は建築道楽で、彼が建てた屋敷は「銅(あかがね)御殿」と呼ばれていたことなど、この小説の断片的な記述で知った。全体の中ではほんの些細な記述に過ぎなかったのになぜか白蓮についてのくだりは記憶に残っていた。
「柳原白蓮」という名前のインパクトが強かったせいかもしれない。

まだ日本に「姦通罪」という法律があった頃、華族出身で大正天皇の従姉妹にあたるという女が夫を捨てて7歳年下の左翼思想家の元に走ったわけだから、当時としては驚天動地の大スキャンダルでもあったが、一方で大層もない「大正のロ〜マンス」でもあった。金で買われたような成金との結婚を足蹴にして、好きな男の元へ走った白蓮に大衆は喝采を送ったらしい。「金色夜叉」の逆をいった、ということで。
姦通罪を犯して逃げた女から三行半を叩きつけられたのだから、夫・伊藤伝右衛門はいいツラの皮である。気の毒に。ちなみにこの伝右衛門さん。写真を見る限りでは漱石先生風で立派な顔立ちの男前である。「成金の炭鉱王」という事から想像されるような狸オヤジではないのが、またなかなか興味深い。

白蓮は柳原伯爵家の娘ではあるが、正妻ではなく芸者が産んだ娘である。
父・柳原伯爵の妹が柳原二位の局で大正天皇の生母である。
そういうバックボーンが、彼女の肖像に独特の陰影と余韻を与えているようにも思える。
親が決めた許婚との最初の不幸な結婚に破れた白蓮は、当主である兄の意向で成金の炭鉱王に縁付いた。
遠く筑豊まで都落ちして、自分をこの上もない不幸な身の上と思いなし、自分がいかに哀しいさだめの籠の鳥か、というような歌や激しい恋の歌ばかりを詠んで大正文壇でスターになったが、実はこの筑豊にいた時期こそが白蓮の華の時期だと思うわけである。
世間が彼女に抱くイメージ、最も広く知られたイメージは、この筑豊時代のサロンの女王であった彼女である。最も美しかったのもこの時期。いやだいやだと言いながらも年の離れた夫の財力で磨き上げられて、この時期の彼女の写真は一目見たら脳裏に焼付くような印象的な風情がある。

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「誰か似る鳴けよ唄へとあやさるる緋房の籠の美しき鳥」 
…自己憐憫とうぬぼれが腐臭を放つ寸前、ギリギリのラインか

どちらかといえば寂しげな面差しで、クッタリとした細身の姿は大正時代に流行った夢路型といえなくもない。(彼女の最初の歌集「踏み絵」の装丁は竹久夢二の手になる。「踏み絵」ってタイトルがこれまた…。それもこれも夫の財力あればこそである)
「髪が多いので束髪は大振りで、着物の着付けがどことなくゆるい感じがする」と林 真理子は書いている。こういうクッタリ型の美人というのは、シャキーンと板の入ったような襟の合わせ目にはならないのだ。ヤワヤワとしているのが独特の風情をかもし出すのである。それは明治でもなく昭和でもない、大正のカオリである。

世間にもてはやされたり、糾弾されたりしつつも、何度も仲を裂かれそうになりつつ、白蓮は宮崎竜介とその後ずっと添い遂げるわけだが、36歳で駆け落ちして、その後子供を二人産み、太平洋戦争をくぐり抜ける。
人生を二度生きるようなエネルギーを使ったせいか、どんな苦労にもめげず、最愛の長男の戦死がありつつも幸せだったろう宮崎との結婚生活だが、白蓮からはかつての「華」は失われる。大恋愛の成就に、もてるエネルギーの全てを使ったのかどうなのか、あっという間にしなびた老女のようになり、九条武子か、柳原白蓮か、と謳われた「大正の華」の面影は急速に消えてしまったようにも見える。年齢的な事もあるけれど…。

ご本人的には駆け落ち後が本当の自分の人生で、その前は苦難の助走段階に過ぎなかったのかもしれないが、ワタシからすると、白蓮は駆け落ちするまでが華という感じがして仕方がない。
なぜなら、この人も「不幸なほうが輝く人」だからだ。
悲願が成就して精神的に満たされると、なにやら魅力が色あせてしまうのである。
みだりがましいほどに自分の「不幸」に酔って、その中にどっぷりと浸った歌などを詠んでいた筑紫時代の白蓮が、その物憂げな、儚げな「不幸オーラ」で輝いていたからこそ、東京から宮崎竜介も引き寄せられていったのでもあろうし、その後700通にも及ぶラブレターの交換をして、大恋愛を貫く原動力にもなったのだろう。
尤も、一番大きな牽引力になったのは「姦通罪」という強い禁忌を破るというパワーなのかもしれないが…。

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ともあれ、痩せた寂しげな顔の女が持つ情念と土壇場の底力には凄いものがある。
柳腰で風にも耐えぬような雰囲気なれども、強靭なのだ。

そして、この白蓮の写真を見るたびにもうひとつ思い出すものがある。


…それは、これ。

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角川春樹が「溝口正史ブーム」を仕掛けた頃をご存知の方は見たことがあるでしょう、このカバー絵。当時「犬神家〜」文庫本のカバーで、映画のパンフやポスターにも使われていたこの絵(珠世だろうか、松子だろうか)は、白蓮のこの写真をヒントに描かれたものに違いない。当時は子供で知らなかったが、後に白蓮の写真を見て「あ」と思った。髪飾りまで同じ形である。この絵も異様な迫力とムードがあって一目見たら忘れないが、こんなところにまで白蓮の影が及んでいたとはさすが「不幸な麗人」オーラ。
1枚の写真の持つ「妖力」についてふと思いを致すワタシなのである。



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