2008/7/11 1:36
夜と屋台とひとりの女 「ションヤンの酒家(みせ)」 映画
2003年 中国 フォ・ジェンチイ監督

数年前にWOWOWから録画してあったのを再見。
主人公ションヤンを演じる女優タオ・ホンが美人だったし、開発の進む重慶の屋台街で女一人、屋台を切り盛りする悩み多きションヤンの姿と夜の屋台街を中心とした陰影深い画面に魅力があり、印象に残っていた。
あらすじはこちら。
〜以下、たたみます〜
美人で勝気なションヤン。電飾に飾られた屋台街の中で店を出している。
客のいない時、彼女は屋台の向こうに座り一人悠然とタバコをふかす。
裸電球に飾られた屋台は、彼女の劇場なのである。一人芝居を演じる女優のように、美貌の彼女は物憂げにタバコを燻らせる。その姿が絵になることを知っているのだ。
「鴨の首」という名物料理があって屋台は繁盛しているが、ヤク中で厚生施設に入っているダメダメ弟が彼女の苦労の種。兄もいるが、これまたダメ男で夫婦仲がこじれている為、息子を預かって欲しいとションヤンに尻を持ち込む。
その他にもあれこれと彼女の身辺には揉め事、厄介ごとがある。
苦労はそれを引き受けるパワーのある人のところに集まるというが、まさにションヤンはその典型。若くして亡くなった母の代わりに自分が育てたという「情」のせいか、クスリに溺れるヘタレな弟をダメと知りつつ悲痛な思いで面会にいくションヤン。
このダメな弟に対するションヤンの愛は慈母のごとく、うっすらと恋人のようでもある。
弟の厚生施設へ行く時に乗る、長い長いケーブルカーがまた何やら中国っぽい。
ダメ兄とそのがめつい嫁に出奔した父の家を渡すまいと、ションヤンは内心では許していない父と義理の母の暮らす部屋を訪ねて機嫌を取り、家の名義を書き換えさせる。行動力があり、なかなか計算高いところもあるションヤン。女一人、世知辛い世の中を生き抜いていかなくてはならないのだ。知恵も愛嬌も悪巧みも、時に応じて必要なら繰り出すのである。
また、ヤク中の弟の恋人で、ションヤンの元で働きながら帰りを待っている娘アメイの不幸な結婚もションヤンの仕組んだ事。弟を待つよりも嫁に行った方がいいと結婚を勧めたションヤンだったが、相手は精神を病む青年で、ションヤンは厄介払いと自分の利害の二筋道でアメイに望まない結婚に踏み切らせるのである。
その結婚式の時に、既にして暗澹たる不幸な未来が先読みできる演出が見事。式に参列しながらも、さすがに「しまった」と思うションヤンの表情が印象的だ。経済的には恵まれた結婚でも、それだけでは到底カバーできない事もある。女一人の一生を台無しにしたションヤン。世の中には許されない罪もある。

独身で美人の彼女には男からの誘惑も多いが、多くはハナも引っ掛けない。
が、ただ一人、すこし遠くからいつも黙って彼女を見ている男の存在は気になっていた。
この男を演じる俳優、なんだか谷村新司みたいな顔をしているのだが、落ち着きと渋みがあって何かふと女が頼りにしてしまいたくなるようなムードを持っている。
男は、当初少し離れたところから彼女を眺めているだけだったのが、名物・鴨の首を毎晩注文するようになり、そのうち互いに問わず語りの身の上話などするうちに、兄夫婦とのゴタゴタで疲れたションヤンの心のうろにいつしか抜き難く入り込む。
甥も兄夫婦の元へ戻り、アメイも嫁に出して身軽になった彼女の中で男の存在は急速に大きくなる。折から屋台街である吉慶街を再開発のため取り壊すという話が具体化してきた為、立ち退き料を貰い、この際客商売から足を洗って男の妻になる夢を見るションヤン。
二人はついに郊外のリゾートホテルで結ばれる。ついに頼ってもいい男が現れた、この男と結婚したいと心底思うションヤンだが、男はたがいに離婚経験者で男に頼らずやっていかれる女だと思ったからこそションヤンに惹かれたのであり、一定のスタンスを守りつつ会いたい時だけ会おう、と結婚する気が無い事を告げる。
ショックを受けるションヤンだが、更に男には彼女に隠していた正体があった…。
ドシャ降りの雨の中、車を止めさせて降り「二度と会わない」と引導を渡すションヤン。
大雨の中で傷ついた彼女のプライドもズブ濡れになる。
一方、またしてもションヤンの店を手伝っているアメイ。
イカレた夫の子を孕んで堕ろすかどうか決めかねている彼女にションヤンは言う。
「女は、たとえ子供を産まなくても母親なのよ」 そしてこう続ける。
「自分の身に降りかかる災難は自分でカタをつけるのよ」
カッコいいセリフだが、元は自分の押し付けた結婚ゆえに出来た子なのだ。もしもアメイが子を産んだら、ションヤン、面倒を看てあげなさいよ。自分が撒いた災いは自分できっちりとカタをつけなきゃならないのよ。

ラスト、投げやりな様子でタバコを指に挟んだ彼女の前に、またしてもライターが差し出される。
今度は彼女の絵を描きたいという若い絵描きが目の前に立っている。
明日もいますか?と言う絵描きに、「私はいつでもここにいるわ」と答えるションヤン。
また同じ事を繰り返すのか、今度は違う結末が待っているのか…。
絵描きが去ったあと、ションヤンは一人つと涙を頬に滴らせる。
当初は自嘲的なその微笑が、いつしか、それはそれとして明日は明日の風が吹くわ、という色合いの微笑に変わって行く。
そんな女の表情を余すところなく見せる主演タオ・ホンの魅力が核だが、昨今の中国の大都市ではどこでも見られる、黒い甍の連なる未開発の旧市外とガンガンと開発が進む高層ビル群の対比や、街路灯のあまり明るくない夜の路地裏や、電球や電飾が独特の風情を醸し出す屋台街の風景、屋台料理の仕込みのシーンなど、惹きつけられる映像が次々に現れる。
曇天が覆う重慶の空を、長いケーブルに吊られたケーブルカーが左から右へ移動していく光景も忘れがたい。
頭も働き、腕も立つ。勝気で人目を惹くような美貌にも恵まれたが、それゆえにか平凡な幸せは彼女の傍をすり抜ける。
明日になれば陽はまた昇るが、女一人の明日はどっちだ?
というわけで、改革解放前から中国本土の映画は秀作が多いのだが、これも新生中国に生まれた秀作の1本。
陰影に富む映像と、登場人物の心理描写の上手さ、女心の襞や綾の描き方など心憎い。
時折、思い出しては観たくなる映画の1本である。
数年前にWOWOWから録画してあったのを再見。
主人公ションヤンを演じる女優タオ・ホンが美人だったし、開発の進む重慶の屋台街で女一人、屋台を切り盛りする悩み多きションヤンの姿と夜の屋台街を中心とした陰影深い画面に魅力があり、印象に残っていた。
あらすじはこちら。
〜以下、たたみます〜
美人で勝気なションヤン。電飾に飾られた屋台街の中で店を出している。
客のいない時、彼女は屋台の向こうに座り一人悠然とタバコをふかす。
裸電球に飾られた屋台は、彼女の劇場なのである。一人芝居を演じる女優のように、美貌の彼女は物憂げにタバコを燻らせる。その姿が絵になることを知っているのだ。
「鴨の首」という名物料理があって屋台は繁盛しているが、ヤク中で厚生施設に入っているダメダメ弟が彼女の苦労の種。兄もいるが、これまたダメ男で夫婦仲がこじれている為、息子を預かって欲しいとションヤンに尻を持ち込む。
その他にもあれこれと彼女の身辺には揉め事、厄介ごとがある。
苦労はそれを引き受けるパワーのある人のところに集まるというが、まさにションヤンはその典型。若くして亡くなった母の代わりに自分が育てたという「情」のせいか、クスリに溺れるヘタレな弟をダメと知りつつ悲痛な思いで面会にいくションヤン。
このダメな弟に対するションヤンの愛は慈母のごとく、うっすらと恋人のようでもある。
弟の厚生施設へ行く時に乗る、長い長いケーブルカーがまた何やら中国っぽい。
ダメ兄とそのがめつい嫁に出奔した父の家を渡すまいと、ションヤンは内心では許していない父と義理の母の暮らす部屋を訪ねて機嫌を取り、家の名義を書き換えさせる。行動力があり、なかなか計算高いところもあるションヤン。女一人、世知辛い世の中を生き抜いていかなくてはならないのだ。知恵も愛嬌も悪巧みも、時に応じて必要なら繰り出すのである。
また、ヤク中の弟の恋人で、ションヤンの元で働きながら帰りを待っている娘アメイの不幸な結婚もションヤンの仕組んだ事。弟を待つよりも嫁に行った方がいいと結婚を勧めたションヤンだったが、相手は精神を病む青年で、ションヤンは厄介払いと自分の利害の二筋道でアメイに望まない結婚に踏み切らせるのである。
その結婚式の時に、既にして暗澹たる不幸な未来が先読みできる演出が見事。式に参列しながらも、さすがに「しまった」と思うションヤンの表情が印象的だ。経済的には恵まれた結婚でも、それだけでは到底カバーできない事もある。女一人の一生を台無しにしたションヤン。世の中には許されない罪もある。
独身で美人の彼女には男からの誘惑も多いが、多くはハナも引っ掛けない。
が、ただ一人、すこし遠くからいつも黙って彼女を見ている男の存在は気になっていた。
この男を演じる俳優、なんだか谷村新司みたいな顔をしているのだが、落ち着きと渋みがあって何かふと女が頼りにしてしまいたくなるようなムードを持っている。
男は、当初少し離れたところから彼女を眺めているだけだったのが、名物・鴨の首を毎晩注文するようになり、そのうち互いに問わず語りの身の上話などするうちに、兄夫婦とのゴタゴタで疲れたションヤンの心のうろにいつしか抜き難く入り込む。
甥も兄夫婦の元へ戻り、アメイも嫁に出して身軽になった彼女の中で男の存在は急速に大きくなる。折から屋台街である吉慶街を再開発のため取り壊すという話が具体化してきた為、立ち退き料を貰い、この際客商売から足を洗って男の妻になる夢を見るションヤン。
二人はついに郊外のリゾートホテルで結ばれる。ついに頼ってもいい男が現れた、この男と結婚したいと心底思うションヤンだが、男はたがいに離婚経験者で男に頼らずやっていかれる女だと思ったからこそションヤンに惹かれたのであり、一定のスタンスを守りつつ会いたい時だけ会おう、と結婚する気が無い事を告げる。
ショックを受けるションヤンだが、更に男には彼女に隠していた正体があった…。
ドシャ降りの雨の中、車を止めさせて降り「二度と会わない」と引導を渡すションヤン。
大雨の中で傷ついた彼女のプライドもズブ濡れになる。
一方、またしてもションヤンの店を手伝っているアメイ。
イカレた夫の子を孕んで堕ろすかどうか決めかねている彼女にションヤンは言う。
「女は、たとえ子供を産まなくても母親なのよ」 そしてこう続ける。
「自分の身に降りかかる災難は自分でカタをつけるのよ」
カッコいいセリフだが、元は自分の押し付けた結婚ゆえに出来た子なのだ。もしもアメイが子を産んだら、ションヤン、面倒を看てあげなさいよ。自分が撒いた災いは自分できっちりとカタをつけなきゃならないのよ。
ラスト、投げやりな様子でタバコを指に挟んだ彼女の前に、またしてもライターが差し出される。
今度は彼女の絵を描きたいという若い絵描きが目の前に立っている。
明日もいますか?と言う絵描きに、「私はいつでもここにいるわ」と答えるションヤン。
また同じ事を繰り返すのか、今度は違う結末が待っているのか…。
絵描きが去ったあと、ションヤンは一人つと涙を頬に滴らせる。
当初は自嘲的なその微笑が、いつしか、それはそれとして明日は明日の風が吹くわ、という色合いの微笑に変わって行く。
そんな女の表情を余すところなく見せる主演タオ・ホンの魅力が核だが、昨今の中国の大都市ではどこでも見られる、黒い甍の連なる未開発の旧市外とガンガンと開発が進む高層ビル群の対比や、街路灯のあまり明るくない夜の路地裏や、電球や電飾が独特の風情を醸し出す屋台街の風景、屋台料理の仕込みのシーンなど、惹きつけられる映像が次々に現れる。
曇天が覆う重慶の空を、長いケーブルに吊られたケーブルカーが左から右へ移動していく光景も忘れがたい。
頭も働き、腕も立つ。勝気で人目を惹くような美貌にも恵まれたが、それゆえにか平凡な幸せは彼女の傍をすり抜ける。
明日になれば陽はまた昇るが、女一人の明日はどっちだ?
というわけで、改革解放前から中国本土の映画は秀作が多いのだが、これも新生中国に生まれた秀作の1本。
陰影に富む映像と、登場人物の心理描写の上手さ、女心の襞や綾の描き方など心憎い。
時折、思い出しては観たくなる映画の1本である。
