2008/5/13 8:37
柳田国男の民俗学の原点 日本文化史
民俗学者の柳田国男(1875〜1962)は、少年時代に利根川べりに過ごしていて、上の「堕胎の絵馬」を見たと言われる。絵馬は地蔵堂に奉納されていたらしい。少年の柳田氏には非常なショックを受けた事が「故郷七十年」に書かれている。この事が後年になって柳田氏を民俗学に走らせた原点になったと思われるのです。いわばこの絵馬は柳田氏の民俗学のスタート台でも有ったわけです。
絵には鉢巻をしてる女性が、生まれたばかりの嬰児の首を絞めている様子が描かれている。女性の影は、角を生やした鬼として映っていて、凄惨な姿では有る様です。
さて柳田氏の民俗学は「日本文化の根本」は、宗教からでは無くそれから「はみ出した」庶民の信仰にこそ有るとの信念が有った様です。この信念は誠に尊いと思うのですが、一方では「文献による考証学」を疎かになったようです。確かに漢籍や日本の古典には、文字の記録が残っているのですが、それは記録者が何らかの理由が有って書き残したのであろう。
人間は一人一人全く異なる心を持っているし、生き方も様々の様です。これはAOLのブログを読めば良く理解出来るわけです。
清少納言の枕草子には「庚申」と言う文字が見えているのだが、読書家の柳田氏が枕草子を読まないはずも無く「庚申とは舶来のものでは無く、我国の固有のもので有る」と語っている。例えば、柳田氏によれば「猿」は山の神とか、田の神で有って、田植えの時期には山から里に降りて来て「田のお使え」になると言う。如何にも民俗学的な発想と言うべきで有ろう。
私も珍説を一つ、寺社を探訪すると「如意観音像が多いのだが、これは女性達の信者が多かった」からと思っている。写真が何よりの証拠であろう。私が見た古いものでは元禄期(1968年)のものが有った様です。
注
「枕草子第九十九段」五月の御精進のほど、に「庚申せさたまふとて、内の大殿いみじう、心まうけせたまへり。」と見えます。大殿とは藤原伊周(コレチカ)を指すのでしょうか。注釈すれば「大殿が庚申待ちをするので、色々と心配りをしておられます。」と言うので有ろう。枕草子は1000年頃に書かれたと思うから、この時期にも庚申待ちは有った様です。





