2008/5/14  8:09

教義無き「神道」の不思議  日本文化史

クリックすると元のサイズで表示します

我が皇室に対しては、恐れ多い事では有るのですが、近隣の寺社を探訪して見て感じるのは、仏教の我国に及ぼした影響が、顕著に現れていると言う事です。この事が財力と機智とユーモアに富んだ者が、新しい神社を生みだした原因なのだろう。

仏教の経典は強固に出来ていてスキが無く、容易に破れる事が無い様です。いま仏教の経典を、教、律、論の三部に分けて考えた時、教と言うのは釈迦の説法で、律とは日常の行動規範で有って、論とは釈迦の理論で有り、その理論は外部からの攻撃に対して防御出来ると共に、部外者には宣伝も出来るものの様です。(仏教大辞典)

この仏教の教、律、論を三蔵と呼び、これを会得したしたものを「三蔵」と呼んでいて、孫悟空のご主人様を「三蔵法師」と呼ぶのは、ここから来てるわけです。三蔵法師の本名は「陳」です。

さて我国の神道関係書を読んでみると、教祖とか経典(教義)とかは、殆ど無いと言っても良い状態の様です。私が書架している続群書類従には神祇部三に「倭姫命世記」が有って、これは「神道五部書」の中の一部だと言われる様ですが、これは平安期に書かれたものでは無く、偽書だと言われるのです。

さらに群書類従の神祇部には「皇太神宮儀式帳」や「止由気宮儀式帳トユケ」等もあるのですが、前者は伊勢神宮の内宮が神祇官に提出したもので、延暦当時(782年)の内宮の神祭行事を主としたものの様です。他には歴史、宮域、殿社、装束、式年造営制度、所管神社の経理、禰宜の職掌、神田、そのた神郡の経営等が載っている。これらの報告書は、やがて延喜大神宮式制定に用立てたと思うのです。つまり教祖が居て、教義が有ってのものでは無いのです。従って、宗教と呼ばれるものでは有りません。

一方「止由気宮儀式帳」とは、外宮から提出されたもので、内容的には殆ど同じものの様です。誠に恐れ多いのだが、この内宮と外宮は仲が宜しく無かった様で、格式を互いに誇って(神位の上下)軋轢が有った様です。文明頃(1469年)には互いに干戈を交わした事も有ったのです。

要するに我国の神道と言うものは記紀を発展させたものと、仏、儒、道、等の諸教や陰陽五行からの説をとり混ぜて書かれたものの様です。但し、清浄とか正直の徳は重んじた様で、これが最大の特徴かと思うのです。

しかしながら神祇に於いては、神宮とか大神とか、内宮、外宮、石に座す、五色の布等々は、すべて道教思想が入っているのです。否、道教そのままの様です。WEBで検索したら「庚申の日」には神前に五色の布(テープ)等を使用しているから、これも道教の影響なのでしょう。

写真は近所の神社に建っていた「木花之佐久夜比売」の石塔で、彼女は大山津見(山を司る神)の娘で姉妹(妹の方)だったと言う。天界に降りた「邇邇芸命ニニギ」に請われ、姉妹揃って嫁入りしたが、姉(石長比売)は顔が醜い為に婚姻の日に返されたと言う。後に火中に入り子供を産んだ様です。災の火とは穂に通じて、瑞穂の国へ通じるかも知れません。つまり人々は、この石塔の前で豊穣を祈ったかも知れません。



コメントを書く


名前
メールアドレス
URL
コメント本文(1000文字まで)


RSS1.0