2008/7/24  8:31

検校「塙保己一」  日本文化史

塙保己一(ハナワノホキノイチ)かって夏の夜、人の招きに応じて源氏物語を講ずる。たちまち一陣の涼風が吹き、紅燭を吹き消す。保己一は一燭の滅せざるを知らぬ。なお喋々(テフテフ)として講義する、座客まうぜんと(驚きあわてる)して、暫く講義をやめん事を願う。保己一曰く、「何の故ぞや」と曰く。「燭滅せり、書を見るを得ず」と。保己一笑って曰く、「眼のある人、何ぞそれ不自由なるや」と。(意訳近世偉人伝、蒲生重章著)

塙保己一は江戸中期の国学者で、生まれは現埼玉県の人で、七歳で失明したと言われる。後に江戸に出て和漢の学を学び、これに精通したと言われる。後に「和学講談所」を立てて国学を広めたと言う。

塙保己一の名は「群書類従」及び「続群書類従」の編集で知られるが、盲人としては最高の地位で有る「検校」になった事でも知られるのです。群書類従には「検校保己一集」等が見られるから、それが確認できるわけです。

さて盲人が最高位になる為には、「平家物語」を丸ごと暗記する必要が有ったと言われる。中学生の頃に父に連れられて仙台市の松島を見に行った事が有って、どこかの寺の門前だかで、白衣を着た盲人が琵琶を片手に「平家物語」を弾き語りしていた事を記憶している。(門前では無く、洞穴の入口かも知れない)

現在、暇にまかせて「平家物語」を飛ばし読みしてみると、かなり難解の文字も有って、空で覚えるにはさぞかし難儀したで有ろうと思うのです。漢字は目で見て理解出来るもので、意味を師が教えてくれるとは限らず、難解な語句等はどの様に理解したのか、その苦労がしのばれるのです。その意味に於いての塙保己一等は、超人だったに違えないのです。



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