2008/7/25 7:47
空也上人 仏教史
もしも仏教が人間を救済できるもので有るならば、現代の様に殺伐した都会に現れて、多くの悩める者を救って欲しいものです。「理由なき殺人」等は有る筈も無く、人生のスタート台に立った時は、誰でも希望に満ち溢れている筈で有る。人生は予測の出来ない連続では有るけれど、殺人を犯す者になるとは、本人にとっては思いも掛けない出来事で有ったに違えない。人は誰でも強く生きなければならないが、その強く生きると言う事に対して、後押し出来るナニカが必要で有ろう。こんな現状では良い筈も無いし、理不尽に亡くなられた者に対し申し訳ないのです。
図は空也上人(903年〜972)像で有るが、墨染の衣をまとい、胸に金鼓を掛け右手には橦木を持ち、鹿角の付いた杖をつき、腰には鹿皮を巻いた旅姿で有る。口からは六体の小仏を出しているが、その六体の意味は「南無阿弥陀仏」を表しているかと思う。
さて空也上人は「阿弥陀聖」とか「市聖」とも呼ばれ、社会事業(灌漑施設、架橋、井戸を掘る)や、荒野に遺棄放置された死体を集め火葬にして、阿弥陀仏を唱えたと言われる。その活躍した地域は尾張国以北かと思われる。時代は貴族政治が堕落した時でも有り、関東平野では「平将門」が独立国を打立てんと野望を持った時代でも有った。
後には(46歳)京都に戻り、天台座主延昌について受戒し、名を「光勝」と付けたが、自分では空也を名乗り続けたと言われる。空也上人は京都の「六波羅蜜寺」で有名で有るが、この六波羅とは後には「平家」の本拠地として有名で、それ以前は「鳥辺野」の里として知られ、死者葬送の場で有った。この鳥辺野と空也上人とは深い関係に有る事は言うまでも無いが、民衆による「地蔵信仰」との関係も深いのです。有名な「カツラ掛地蔵尊」や「夢見地蔵」等が有ります。
識者と言われる者達がテレビや新聞で、どの様な立派な理屈を述べようとも、悩める者達が「真に救われる意見」で無ければ、何の役にも立たない不毛の理論なのです。仏教の時代と現在では「世の中」が違うと言う事は無く、中国古典の時代から人の心は不変なのです。時代が違うと言うなら、教育とか政治等の方向に問題が有るのだろう。
注
空也上人の写真は「六波羅密寺蔵」から転写したものです。また空也上人と将門を結び付けた諸説も見られますが、詳しい事は不明です。空也上人の事跡については「大日本史料」1ノ14に見られます。
市中の犯罪防止として某国の様に、重武装した警官のパトロールが威圧的で、効果が有ると思うのです。(緊急避難として)しかし日本でも真似をすれば、直ぐに反対の烽火が上がり大騒ぎになるだろう。





