2008/9/25 7:49
吉田屋覚日記−1(福島県相馬地方) 日本文化史
この日記は江戸末期の安政3年〜明治11年まで、福島県相馬地方の商人で有った「吉田屋源兵衛」の日記で有る。吉田源兵衛は、現在の福島県相馬市字中村の商人で有った「鈴木庄右衛門」の手代で有ったが、後には功績によって藩から苗字帯刀を許され「舘岡源右衛門」とも名乗っている。
吉田屋源兵衛は商家の手代では有ったが、当時の藩の経済を担う対外交易(千石船の運航)で実績を上げたので有る。現代でも同じで有るが、商社(商人)の様に物を伝票一枚で、右から左に移動する商人には敵わない様です。毒米をコロガシても利益が得られるのも商社ならでは有るだろう。
江戸幕府は士農工商の時代で有り、商人は最下位に位置付けされたので有るが、コメ本位の消費経済を握り優位に立っていたので有る。一般的に戦乱が収まると、次に来るのが消費生活の拡大で有って、これは江戸元禄時代の、花の時代の招来でも理解できるのです。しかしながら、封建集権的社会に於いては、農工業の生産規模も小さく、生産性から見れば極めて低いもので有ったのです。これは消費に追いつか無い低い生産規模で有って、余剰人口も多かったのです。その低い生産性の中の製品を、自分の懐に入れて富を蓄えたのが商人達でも有ったのです。武士層等は威張ってはみても、その日を暮らすにも困り、商人の富には太刀打ち出来なかったのです。
さて吉田屋源兵衛日記は「覚日記」とも言われ、内容的には次の様に分類する事が出来るだろう。特に武士層(支配階級)からの眼では無いところに大きな特徴が有るだろう。
1、天文気象(地震が多かった様です)
2、千石船による経済活動(千石船以下の船も有った)
3、藩の動向、、、藩と結び付いた活動で有ったから、情報も知り得た立場に居た。
4、経済情報の収集(商人は情報が命でも有ったから、盛んに聞き耳を立てていた)
5、当時の(幕末から明治)社会生活(特に商家関係)
6、商売活動(千石船を利用した、買った売ったの活動)
その活動範囲は廻船を利用したもので、江戸は勿論の事、斎田塩とか岩手県南部地方の鉄や北海道の海産物等で利益を上げた様です。言わば商社活動で有るから、当時の商売になる物なら何でも食指が動いたと思うのです。
注
この「覚日記」に書かれている活動範囲は広いのですが、特に廻船活動を中心にした抜き書きをしてブログに書きたいと思う。なおこの覚日記は「相馬市史−5(抄)」や「相馬郷土研究会」等で翻刻刊行(現在も刊行中)されています。





