2008/9/29  10:11

吉田屋覚日記―7「千石船で運んだ物」  日本文化史

江戸時代は武士層が百姓から取り上げた「米」を売って現金に換えて、生活費に充てると言う経済社会で有って「米社会」で有った。つまり米を中心として社会が廻ったので有る。武士層と農民の中間に位置し、経済を動かしたのが商人達で有った。日本は一年に一回しか収穫できず、収穫の出来不出来によって、社会全体が大きく動いたので有る。明治維新は慶応2年に東北地方に凶作が有って、上方地方との大きな経済的な格差が付き勃発したので有る。この様に天候不順と歴史の節目には、ほぼ相関関係が有り例えば、源平合戦等も平家方の本拠地で有った西国は、その年は「ひでり」続きで、戦いの継続は困難で有ったと言う。平家方は義経の戦上手に敗れたのでは無く、腹が減って敗れたのだと言われる。

さて東北地方の太平洋沿岸を中心としての千石船は、どの様な経済活動をしていたのだろか。千石船は良く言われる様に「海の総合商社」でも有ったのですが、中心になるのは米で有った。江戸に向かう千石船には、米と大豆を船底に積み、上の方には材木を載せた様です。又荷を下ろした後は、その足で遠くは瀬戸内まで出掛け「塩」も運んだ様です。大豆と塩は味噌とか醤油を作る為には必要だったし、砂糖も又重要な産品で有った様です。

吉田屋源兵衛覚日記には、塩とか砂糖の仕切り状が随所に見られる様です。更に多いのは岩手県南部地方で生産される「野田アラガネ」で、これも随所に見られます。恐らく、安政年間になると農具以外にも、日本の近代化に向かって、兵器や鉄鋼船等に使用する鉄の需要が増えたので有ろう。

更には、蝦夷と呼ばれた北海道に航海し、海の幸で有る海産物(荒巻鮭等)関連も多い様です。安政年間になると北海道開拓の記事も見られます。それと関連すると思われる記事に異国船を見たと言うものが有って、東北地方太平洋沿岸にも日本近代化の荒波が押し寄せつつ有った様です。江戸幕府にとっては「尊王攘夷」、「開国」、「長州征伐」、更には江戸町に於ける「不逞の輩の騒擾」が等々有って、多事多難では有ったのです。東北の田舎侍までもが、江戸警備の為に召集令状が来て、急いで上京した事も有ったのです。幕府としては人材も金も欲しい時では有ったのですが、追い打ちを掛けたのが「慶応2年」の凶作で有ったのです。既にKO寸前の状態で有って、その一年後には完全に倒れてしまったのです。

江戸時代の千石船の活躍は、田舎の米を売ると言う役割以外にも、都(江戸、大阪、京都)から文化を運んで来たと言う役割も大きい様です。又、千石船の現在地の連絡方法には飛脚を使用した様ですが、この飛脚便には様々な各地の情報(経済以外も)が載っていて、これも生きた歴史の証人でも有るのです。



コメントを書く


名前
メールアドレス
URL
コメント本文(1000文字まで)


RSS1.0