2008/5/14  21:48

弾けてゆく私の中の池田信夫バブル。  分類なし

私の中では、池田信夫バブルが思いっきり弾けて行っているのですが・・・・。
でも、いいのです、池田信夫Blogでは、かなり学習させてもらいましたから。

話半分程度で読んでいることも多かったです。
少なくとも、厚生労働省の方の詭弁ブログよりは、面白かったし、ためになっています。
自分の苦手分野では、池田先生の話は、いまでもとってもタメになります。

ただ、先端の金融政策の理論については、池田先生は、追いついていないのです。

池田先生のように、インフレターゲット理論が理解できない学者が、日銀の金融政策を語ったりするするから、やっぱり無料の、あるいアフェリエーと・ブログの恐ろしさを、ひしひしと感じるのです。
池田先生は、少なからずアナーキーなところがあり、あらゆる樹木(言論)の芽を伐採してゆくようなところが確かにあります。
「元気なお爺ちゃんだな〜〜〜」と、いつも半ばあきれながらも、私はとても関心していたのですが、どーも、金融政策の理論では、池田先生は、専門外の学者なのです。
まぁ、年齢的に、そんなもんかもしれません。
具体的には、白川新日銀総裁の「現代の金融政策」という図書を、池田先生が、ご自分のブログで紹介された時点で、私は、池田 信夫Blogに、かなりの強い違和感を抱いたのです。詳しくは↓
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f14cc840659662fa282d6bdca668149c
池田氏ともあろう毒舌者が、白川日銀総裁の「現代の金融政策」だけは、手厳しく批判できないなんて・・・私は、信じられないのです。

金融政策の理論になると、池田先生も量的金融緩和程度までしか理解できないのだろうか・・・・?

21世紀の日銀が、どんな政策をしないといけないかというのは、インフレターゲット理論か、インフレターゲット理論もどきを取り入れることが重要なのだ。
だから、日銀総裁は、白川さんじゃダメなのよ。

そして、21世紀では、国内の財政タカ派(まず、増税ありき)の財務省の人々に、ちょっとだけ黙ってもらうことが大事なのだ。

こうして、インフレターゲット理論をちゃんと理解した日銀総裁と、上げ潮派の財務省が、同じ目標を共有しながら、お互いを尊重し合って、威嚇しあわないようにすれば、日本の民間企業の底力は、もっともっと、力強いものになるのですが・・・・。

だから日銀総裁は白川さんじゃダメなのよ・・・。

こんな簡単なことが分からない人は、けっこう多いのよ。ほとんどかもしれない・・・。

分かる人は3秒でわかるけど、分からない人は永遠に分からないのよ。

高橋 洋一氏は、「池田は『財投改革の経済学』の第九章が理解できないよ」と私に教えてくださったけど、「本当にそうなんだ!」と、昨日、私もやっと合点が行ったわけですよ。
私も第九章は、だいたいしか理解できないです。
けれども、だいたい理解できますし、少なくとも、日本の金融村でも、現場で働いている若手の40代の頭脳派の経営者(木村 剛氏やわが夫なども、その中に含まれます)なら、第九章の内容は理解できているのです。
若手の自民党の政治家も、第九章は理解できると聞いています。

第九章は、「第九」なのですよ。
じゃじゃじゃじゃーーーん!!!
じゃじゃじゃじゃーーーん!!!

「第九」は、運命の分かれ目でもあるわけですよ。
「財投改革の経済学」の「第九」の内容を充分理解して実践できる人が、今の日銀総裁になるかどうかが、21世紀の日本経済の分かれ目になるのですよ。。。
第九の内容について記した私の過去のブログ記事は↓
「日米欧の中央銀行の違い」
http://diary.jp.aol.com/applet/uvsmfn2xc/20080311/archive
「国債をもっと発行しても日本は破たんしないと思う。」 
http://diary.jp.aol.com/applet/uvsmfn2xc/20080304/archive

今の時代に、インフレテーゲット理論がたいして理解できない白川氏のような人が日銀総裁になって良いものなのでしょうか?(だめだ!!!)

かたや、世の中の変化が激しい時、世の中の先端の技術がどんどん進化していっているとき、やっぱり、ブログ界でも、高齢者が元気すぎるというのも、「なんだかな〜〜〜〜」と今夜は感じてしまうのです。
やっぱ理論の世界では、専門外でも先端の科学技術に付いてゆけるのは、55歳までか?
あるいは、ぎりぎり60歳か???

みなさん、おやすみなさい。


2008/5/14  16:54

日本の高速道路は、この四つしか創ってはいけない。  分類なし

いわゆる日本の高速道路の費用対効果(コストとベネフィット)の試算は、既に1990年代末に、旧建設省や旧運輸省によって、試算は終わっている。

これを天才・高橋洋一氏が、財投改革の経済学 の127ページに一覧表にして公表している。高橋洋一氏に寄れば、B/C(ベネフィットをコストで割った数)は、世界基準では、成熟している先進国の場合、21世紀では、3あるいは4(話し言葉で言えば、3倍、4倍)でないと、公共事業は経済的に成り立たないというのは、常識になっているらしい。

ちなみに、このB/Cが、4倍以上でないと、新しく高速道路を新しく作らない国は、ニュージーランド。
少なくとも、このB/Cが、3倍以上でないと、高速道路を新しく作らない国は、ドイツである。

日本国内で、B/Cが4倍以上の高速道路は、下記のとおり。

近畿自動車名古屋神戸線  4.1〜10.9倍
中部横断自動車道       4.3倍
関東自動車道水戸線      4.3倍
東北横断自動車道釜石秋田線  4.1倍


さらに、もうちょっと基準を緩めて、このB/Cを道路好きの国民であるドイツ並みの3倍にすると、上の4つの高速道路に加えて、新しく、ベネフィット(利便)とコスト(建設費)との相乗効果が、3倍以上ある高速道路は、以下の三つがなんとか加わる。

日本海沿岸東北自動車道    3.7倍(なんとかセーフ!)
常磐自動車道         3.1倍(ほとんど補欠かぎりぎりセーフ!)
東九州自動車道のごく一部   3.3倍(ぎりぎりセーフ!)

それ以外の高速道路があなたの身近で創られていないだろうか?

あるいは、こういった数字をきっちり裏付けして、科学的に試算された統計を駆使して報道している新聞はあるのだろうか?










2008/5/13  12:49

グローバル時代の必須の対立軸と、日本国内のナンセンスな動き。  分類なし

404ブログさんのところで紹介されていたWAL−MART エグい会社に知恵で勝つをGW中に読んだ。
いわゆるプロ向けの経営本なので、一般の私の愛読者には、読んでも、たいして参考にはならないと思う。

ただ、この本を斜め読みでも読み終えたとき、21世紀のグローバル経済がどういった方向へ向かっているのか、私個人は、より深く理解することができた。

ウォルマートは廉価販売とギリギリまでコストを引き下げる経営手法で、世界のスーパーマーケット業界で君臨している巨大グローバル企業だ。まさしく、ウォルマートは、資本主義陣営(自由主義陣営)の中では、「帝国」にも匹敵する「稼ぐメカニズム」を既に築き上げて、繁栄している。
経済のグローバル化に反対して、人権団体などが、ウォルマート不買運動などを始めても、無駄なのだ。万が一、経済のグローバル化の象徴のひとつであるウォルマートを潰すことができたとしても(ほとんど不可能だが・・・)、第二のウォルマートが即座に次に誕生するだけだ。

同じようなことが、エクソンモービルやBHPビルトンなどの資源エネルギー業界でも指摘できるし、マクドナルドやコカコーラなどの食品産業でも指摘できる。(私は個人的には、マクドナルドとコカコーラの不買運動を時折しているのだが・・・)
詳しくは、最近の動きでは、生き返ったオールド・エコノミーの恐竜、BHPビリトン社の野望
および、日本と中国の資源外交、“風林火山”
を参照されたし。

これら「『グローバル企業、あるいは帝国』とは、なにか?」を肌で実感したいなら、愛知県で実際に数年間暮らしてみるのが一番だ。
私個人も 世界を代表するグローバル企業の一つである、TOYOTA自動車の企業城下町で8年間暮らしてみた。
この「帝国」のすごさを、愛知県で日々実感して私は暮らした。好むと好まざるとを得ず、愛知県は「帝国」のおかげで、愛知県のたいていの人々は、他県よりも物心ともに豊かに暮らしていた。実際に多くの人々が物心ともに幸せに平和に暮らしている様子を見たら、一概に「グローバルゼーションを悪」とは決めつけられないのだ。一番大切なことは、「実際に普通の人々が本当に全体として豊かかつ幸せになったているか?」なのだ。
あえて問題を指摘するなら、トヨタ企業グループの繁栄にダイレクトにあやかれる人々と、そうでない人々の間に「亀裂」のようものが愛知県内でも生じていたことだ。だが、たいていの「あやかれない派」の人々の間でも、たいていの人は、お金が地域内で巡り巡って、自分たちの生活が、「あやかり派」の人々の繁栄(財布の口が緩むこと)のおかげで、成り立っていることも、日々肌で実感して暮らしていたような気もしないではなかった。路上生活者でさえ、愛知県内では、東京や神奈川や千葉や大阪よりも、ず〜〜〜っと豊な生活をしていたのだ。
それほど、「グローバル企業がひとつ誕生するだけで、そのお膝元では、どれだけ普通の人々の暮らしを全体として底上げして、豊かにするか」こそは、愛知県に数年だけでも実際に暮らしてみれば、実感できることなのだ。

一方、アメリカや欧州に目を向けても、国内では、グローバリゼーションに抗議する団体の活動は活発である。

こういったグローバリゼーションへの抗議運動については、このウォルマート本でも詳しく記されている。このウォルマート本で一番面白かった点は、以下の箇所だ(本分28ページから29ページ)。
・・・・2004年、4月の環境団体と社会活動団体の連合体を率いるマイケル・マルクス(カールマルクスではない!)は、各団体のリーダーを集め、次の行動計画を練っていた。・・・・・・
シアトルからジェノバにいたるまで、グローバリゼーションに対する抗議がまだ暴動に近いレベルだったとき、マイケル・マルクスは、労働組合の連合体、人権擁護団体、環境保護団体、社会的責任を重視する投資家などを糾合した・・・・・


上の個所を読んで、「そうなんだ・・・!」と、はたと思いあたったのが、今年のGWだった。
江の島の海を眺めながら、下記のことに、私は改めて明確に、はっきりと、思い当たったのだ。

グローバリゼーションとの対立軸とは、(ウォルマート本を書いた著者ウィリアム・マカードは気が付いていないかも知れないが)、21世紀では、
@労働組合
A人権擁護団体
B環境保護団体
C企業の社会的責任を重視する投資家の団体、
の四つがあげられるのだ。

私だって、なにが対立軸なのか、何と何が対立していないのか、今までははっきり明確に理解できない時もあり、このウォルマート本を読むまで、時折基軸が揺れ動いていたのである。
グローバリゼーションに抵抗を少なからず感じる私は、やはり労働者(あるいは消費者)の権利は守るべきだとも思うし、人権は大切だと常に痛感しているし、環境(具体的には緑などの森や、河川などの水質や、極力浄化された大気)は保護しないと日々の暮らしがギクシャクして味気ないもにになってしまうし、いくらなんでも、どんな大企業でも、経済学の教科書通りの最大の利潤を求めるなんてナンセンスであろうし、巨大企業こそは、社会的責任をも配慮すべきだと確信に近いものを私は持っていた。
ただ、こういった私の信条と、21世紀のグローバリゼーションとの折れ合いを、どういった対立軸で見たらよいのか、私自身が、いつも揺れ動いていたのだ。

グローバリゼーションと これら四つの要素(労働者組合の保護、人権保護、環境保護、企業の社会的責任(←コーポレートガバナンス))は、元来、対立軸しとて「当り前」のものだったのだ。
そして、この二つの対立軸が対立しながら機能することは、全くナンセンスでは無かったのだ!!!民主主義と市場主義の世の中では極めて有効なのだ。
自分の中でも、常に二つの対立する基軸の葛藤があること自体、良心があるなら、ナンセンスでもなく、当たり前のことだったのだ・・・・。

この揺れ動きをブログで記す時間は、最近は無くなっていたけど、私が揺れ動くのも当たり前だったのだ・・・。自分の中の揺れ動きがあることに、私は、やっと合点が行ったのである。

グローバル規模では、
自由主義経済圏では、1990年代を通じてM&Aを繰り返して、TOYOTA自動車真っ青の巨大な「帝国」が次々と誕生していっている。この流れは、21世紀になっても止まりそうもない。いつお互いがお互いを飲み込むかもしれないような「ジャングルの掟」「資本の論理」で、巨大なグローバル企業が、より巨大な資本へと脱皮していっている。
かたや、中国やロシアなどの元共産主義圏では、国家ぐるみで「新帝国主義」「新ファシズム」が誕生している。ロシアや中国などの「新帝国主義」国家でも、資源エネルギー企業を中心にして、資本主義のルールに従いながら、果敢に、自由主義陣営の「帝国」群と戦う準備が着々と進んでいるのである。

そして、日本以外の自由主義陣営群と元共産主義陣営群は、あたかも、世界の地球規模での環境汚染を推し進めながら、さらには、様々な国で働く単純労働者を搾取(?)しながら、チベットなどで見られるような人権をも蹂躙して行くような動きも強い。特に、元共産主義圏の「新帝国主義」国家は、新しい「国家主義」「帝国主義」「ファシズム」なのだから、環境破壊や人権蹂躙は当然のごとく進めるのも、当たり前の話なのである。それが国家主義と帝国主義とファシズムの正体なのだ・・・・。

こんな光景を眺めていたら、誰だって、ひるんでしまう。
少なくとも私は、ひるむし、揺れ動くのだ。
このセンチメンタリズム(この対立軸と葛藤)こそは、良心のある人間なら、当たり前の葛藤だったのだ。

それでは、こういった激しい世界の流れの中で、私たちは、どういった風に生き延びたらよいのだろうか・・・・。

結論から言えば、グローバリゼーションの中では、20世紀型の労働組合なんてものは、まず生き延びられないのではないだろうかということ。
企業に搾取されたくなかったら、個々人が巨大企業を搾取する資本家(株主)になる以外、他に方法はない。資本家はもとより、経営者にさえ搾取されたくなかったら、経営者になるしかないと思う。そして、その経営者は、周期的に不眠に悩まなければならないかもしれない。不眠に悩むのが嫌なら 労働者になったほうが良い。

個人的には、「世界の勝ち馬企業ファンド」とか「世界の帝国企業ファンド」とかが誕生することを切に望む。
こんなファンドが生まれたら、私たちは世界の「帝国」群と「新帝国主義」国家企業群とに投資しながら、このファンドのファンドマネージャー達を通じて、ファンドマネージャーに、「暴走しがちなグローバリゼーション(新帝国主義)に多少は異議を唱えてもらえる」かも知れない。しかも、彼ら巨大グローバル企業の成長と恩恵にもあやかれることになる。
その一方で、プライベートな私生活では、せめて身近な環境保護と人権保護にちまちまながらも貢献しながら、私は暮らしてゆきたい。
こんなファンドを誰か造ってよ。(自分で作れなくって ごめんなさいです)



そういった中で、日本国内での「尊王攘夷」「資本鎖国」の動きこそが、最もナンセンスそのものである。しかも、このナンセンスな動きは日本人全体を貧乏にするから、タチガ悪い。困ったものなのである。
「資本鎖国」の中には、対立軸も何もない。あるのは、ただの自己保身と臆病と空虚である。
「尊王攘夷」「資本鎖国」の中には、対立軸さえも無いのだ。愚かな日本の一部の男たちの「ただの臆病心」「虚ろさ」なのだ。

「資本鎖国」「資本の純血主義」は、天皇という空虚な中心に再び先祖返りして、日本人だけは優秀だとする純血・品格主義に戻ろうとする虚ろな動きだ。
しかも、この「資本鎖国」の虚ろな動きが日に日に強くなっている。
外資を「拝金主義」と軽蔑して、21世紀では、日本人だけこそは「品格」を重んじて純血主義を守ろうとしている流れ。この「資本鎖国」を進めようとする「愚かな」流れが、日本国内企業の経営では再び主流になりつつあるのだ。とても嘆かわしい。
(だから、最近、日本の株式市場が不可解に値上がりしている訳だ!)
負けるかも知れない「巨大資本との戦い」(命までとられるわけではないのに!)を最初から放棄して、日本国内の経営者の中では、株式を買い進めて、再び10年前の「株式の持ち合い制度」に戻って、日本全体を貧乏に落とし込もうとする動きが活発になっている。

最近の日本国内の企業同士での株式の持ち合い比率の上昇は、「古い時代へ逆戻りする」全くナンセンスな動きになのだ。大変困ったものである。

大企業の経営者たちが戦わずして周期的に不眠に悩まないで済むのは、世界広しと言えども、日本国内だけかも知れない。

国内企業同士が持ち合い比率を進めている愚かしさ・ナンセンスさについては、楽天ブログの山崎 元氏のコラムが極めて合理的に説明してありますので、是非とも参照されたし。

第七十七回 株式持ち合いに関する三つの論点

【追記】一部読みやいように、本文を手直ししました。









2008/5/9  20:04

貞子が幽霊じゃないか実際に確かめる「投資戦略基本講座」  分類なし

とうとつですが、
やっぱり人間 元気 元気 元気が一番!元気があれば何でもできる!!!
みなさん、お元気ですか〜〜〜〜!!♪(←アントキの猪木のまね)


さて、本日、私こと貞子(藤井 まり子)は、木村剛発行元のナレッジフォアから、正式に「請負」という形態で、採用されました。とうとう、私は本物のプロに久しぶりに復帰しました♪

つきましては、「投資戦略基本講座」(1年間12回・水曜日コース)の受講者に、まだ欠員が少し残っていることを、ご報告させていただきます。
(商業勧誘、いわゆるセールス・ブログでは無いので、なにとぞ不快に思わないでください。)

詳しくは→『投資戦略基本講座2008』  水曜11回受講


今月の開講日は、5月21日です。(夜7時〜9時)
一回の受講料は1万円。毎月一回12回出席して、地道な資産形成の基礎知識を習得します。
年間受講料は5月から出席の方は、11万円です。

「この世にはうまい話はない!」が合言葉の、投資の基本講座です。

今年4月開講の1年間コースの投資戦略基本講座をお試し受講に興味のある方は方は、1年間12万円払ってでも 受講したほうが良いです。特に、資産形成の初心者の方は、是非、聞くべきです。

初回の4月の講座は、私も出席しましたが(もちろん、さ来週も出席しますし、来月も出席しますし、12回全部出席します)、「投資戦略基本講座」の私の率直な感想はと言いますと、
投資の中級者あるいは、投資の上級者(いわゆるギャンブラーでない地道な賢い資産形成者)を自任しているプロやセミプロにとっては、「1万円払って受講するほどではないかな?」「資産形成の中級者か上級者なら、もう知っていることが多いのでは???」との感想は確かに少しはあります。

が、本物の木村 剛氏は、実物は、かなりお茶目な人なので、投資上級者(プロやセミプロ)にとっても、「ついつい投資なれしてしまって、妙に自信家になったっときに陥りがちな、つい忘れてしまいそうな『投資の基本』をもう一度思い出すには最適である!!!」「会社帰りに落語を聞きに行くよりは、絶対面白いしタメになる!!!」「我慢してエンタの神様を見続けるよりは、面白くってタメになる!!!」「金融関係のセミナー司会のプロになろうと目指す人にとっても、ものすごい教材になる!!!」こと請け合いです!!!

さらに、講座に出席しなければ、まず耳に出来ないような「日本の金融村の裏事情」みたいな情報も盛りだくさんです。
(前回は、「銀行員のアドバイスには、すべて逆張りで行くと 損をしない」とか、「長期金利はやっぱり個人的には、日本はもう上がらないだろうと思う」「日本国内ではFPの有資格者は全国で30万人もいるけど、たいていのFPはF(フリー)だけど、P(プア)である」とのお話などなど、わたしはすこぶる共感して初回講座を聞きました。
笑い上戸の私にとっては、けっこう楽しい講座でした。(以上、きわめて個人的な感想です)

以下は、一般論です。

そもそも一回1万円の受講料は高いかどうかという点ですが、
なぜか日本の場合は、優良なサービスに、そこそこ高いお金を払う習慣がまだまだ少ないわけなんですよ。
それが、昔から私のものすご〜〜〜〜っく納得ゆかない話なんですよね。
(20年前の国内の金融機関なら、金融サービスもアマチュア同然のプロが多かったですから、金融サービスも無料のところが多くても致し方無かったとは思いますが、21世紀でも、こういった「授業」にお金を年間12万円だけ払うことに抵抗を感じる人がまだ多いということ自体、私は理解不能なのです。)
金融でも医療でも、予防的なサービス(これが本当の授業料ですね)にあまり沢山お金を払おうとする人が少ない。
人の命や財産を預かる場合は、安くて優良なサービスは、まず無いのです。
特に予防的な金融サービスや予防医療には、高くて良質なサービスを受けようとしない人が多すぎます。
それでもって、ちょっとだけ高い授業料を払わないから、あとで、本当の意味での「もっともっともっと高い授業料」(この場合は、投資で大やけどをすること)を払わなければならなくなるわけです。
投資の勉強と同じように、予防医療も同じようなことがいえます。
予防医療サービスに少しだけ高いお金を払えば、将来大病しないで済むのに、大病になった後から、高い高い高い医療費を払っている人は、けっこういます。
そもそも自動車の運転免許取得のときは、みなさん、もっと高い授業料を払っているのに、なぜ中長期の資産形成の「わかばマーク知識」を取得するために、初心者や初級者(あるいは自分がセミプロだと勘違いしている人)は、そういった「大人の正しい投資の学校」へ行かないのか、私は、いつも理解不能だったのです。


さて、基本講座水曜日コースは、地道な資産形成を目指す投資「初心者」「初級者」なら、絶対に「ため」になるコースです。
さらに、自分で勝手に、「自分はセミプロだ!ふふふ」と勘違いしている人にとってこそ、絶対「タメ」になるコースです。
言い換えたら、資産形成の本当のプロから見たら、「失礼ながら、あなたのしている資産形成では、その手法ですと はっきり言ってギャンブルです!必ずいつかは大火傷(やけど)します!!!」と指摘できるような投資の初心者の方にとっては、必須なのが、「投資戦略基本講座」です。
しかも、笑って覚える「とってもタメになる基本講座」です。


初回4月講座は、資産形成や投資を一回志してみたけど、今回のサブプライム危機を回避しきれずに、大失敗して痛い目にあったという不屈の初心者の高齢の方々がけっこうたくさん出席されていました。
さらには、30代(?)で初めて地道な資産形成をしてみようと思った聡明な若者の出席者が、会社帰りに、この基本講座にけっこうたくさん出席していました。
さらに、たぶんプロの方と思われる方で、本当にもう一度お客様のために資産形成の基礎をきちんと学びなおそうと志している「反省組のプロ」の方々もけっこう沢山出席されていたように思います。

いわゆる、「投資戦略基本講座」は、資産形成の初心者や初級者向けの有料のセミナーです。
ですから、資産形成の初級者や初心者は、必読の基本講座なのです。

(土曜日コースはもう満杯なのですが、水曜日コースは、まだ空きがちょっとだけあります!。)

実は、木村 剛氏と私とは、木村氏が30代のころ(?)から、KFIクラブなどで面識があります。
わが夫は平素の木村氏の長い長い友人であります。
私にとっては、友達(夫)の友達が木村 剛社長なのですが、私はまだ実際に会ったことは、たぶん10回以下です。
社長はキャラが濃い方なので、もう20回くらい会っているような気がしますが、確かに10回以下なんです。
いつもわが夫と三人でオフで会っていたのですが・・・。

けれども、先日、今回のナレッジフォアの採用面接では、私は生れてはじめて二人っきりになったので(しかも採用面接という、かなりシビアなビジネスで二人っきりになったので)、私は、本当に、怖くて震えあがってしまいました。
採用面接中の木村社長は、オフで会っている時とは全くの別人で(いつもは全く怖くない人なんです!)、あまりに怖かったので、私が面接中に緊張し過ぎて、ず〜〜〜っとぽか〜〜んとしていると、ちょっと社長も困ってしまったようでした。
困った木村社長は自ら、小さな声で
「だからさ、これはさ、プライベートじゃなくって、ビジネスの話だからね・・・(汗)」と時折小声で私に囁いて(ささやいて)、面接中にず〜〜〜っと真っ青になっている私を時折小声で励ましてくださるのですが・・・。そういうような義理人情に厚い方なのですが、それでも、いつもとは全く別人な社長を始めてみた私は、採用面接中は、私は、ず〜〜〜っと、ぽか〜〜〜〜んと、本当に震えあがっておりました。

ひとおもいに、木村社長に、仕事中(=面接中)でもお酒をちょっとだけ飲んでもらって、そのまま、すぐ寝てもらいたくなるほど、面接中の社長は、とっても怖かったのです。

そうなんです、木村氏は、飲むとすぐ真っ赤になってすぐ寝てしまいそうになる人なのです。、

木村社長は、どうも私から見ますと、かたブツ過ぎて、いろいろ誤解されやすい人なのかも知れませんです。
いや、マスメディアに情報操作されて、義理人情に厚い部分だけ、画像では全部カットされているのやも知れません・・・。

社長は、もしかしたら私のような「軟派系」「おんな子ども系」の人間には、マーケッティングが下手なような気もしないではないのであります。
(す・・・すまん・・・社長・・・入社一日目の「請負」の私が・・・・こんなこと書いて・・・すまん・・・。)

彼は、「硬派」にはとっても受けが良いのですがねぇ〜〜〜〜。

というわけで、
今回 会社ナレッジフォアの命令でも木村社長の命令でも一切0%無いのですが、

貞子オリジナル企画の「投資初心者には、とっても勉強になる『投資戦略基本講座』を霞が関に聴きに行って、生(なま)貞子にも会って 本当に貞子が幽霊じゃないかどうかも、ついでに確かめてみよう♪」ツアーを私が勝手に企てたました。(ただし、交通費だけは自腹切ってくださいね!)

貞子に実際に会っても、たいして得はしないと思いますが・・・・。

とうとう出た!最終兵器!!!
ブログ・オフ会処女の貞子が、とうとう表に出るのであ〜〜〜〜る!!!
ブロガー貞子の初めての出る!やっぱり夜に出る!

と、そんなおげさなものじゃないのですが・・・・・。

今回のオフ会を兼ねる「投資戦略基本講座」は、「経済金融には興味があるという共通点だけで、木村 剛さんの講座を聞いて勉強して、そのあと、生(なま)貞子と1〜2時間だけワイワイガヤガヤ2〜3人だけで喫茶店でシラフで盛り上がってみよう♪」くらいの「軽い感覚」で出席していただけると、とても幸いです。

う〜〜ん、貞ちゃん、太っ腹♪

って、単純に私は、講座が終わった後、夜9時過ぎの春の霞ヶ関で、自宅に戻る前に、ほんの1〜2時間だけ喫茶店に寄り道したいだけなのですが・・・。


「投資戦略基本講座」を聞いた後、はたして、あなたは、

「現金 現金 現金が一番♪ 現金があれば何でもできる♪」(アントキの猪木風) のままでいられるのだろうか・・・・・????

たぶん、地道な資産形成を目指す投資初心者や初級者にとっては、今回の「貞子が幽霊じゃないか実際に確かめてみる『投資戦略基本講座』」企画のせいで、投資初心者のあなたは、この講座の「病みつき」になって、毎月一ヵ月に一回、この「投資戦略基本講座」を来年3月まで継続して受講するするようになるだろうと思います。

それくらい、資産形成者の初級者や初心者にとっては、「投資戦略基本講座」は、タメになる話が一杯なのです♪

実は、それが私の本当の狙いです。 ふっふっふ・・・。

そうなんです、不詳貞子は タダでは決して知らない人の前には出ないのです。
(↑ この一行だけは 真っ赤な嘘!)

そうなんです。ビジネスでは、古来より、まず「損して得しろ!!!」という鉄則(掟)があります。
貞子は、いま、その手法を使っているのです。
ちょっと「あくどい」ですね。
うん!ちょっと「あくどい」んですよ。

女性ですから、「色仕掛けブログ」でも書こうかともも思ったのですが、もう、そんなものは残っていないので、こういった正直ブログをしたためているわけです。
その点だけは、あくどくないですから、なにとぞ大目に見てやってください。

以下も真面目な話ですが、
たぶん、今後の世界の株式市場や為替市場や債券市場は、最低でも1年は弱含みを続けるでしょう。
ですから、むこう1年間は、この「投資戦略基本講座」を10回か11回、連続受講すれば、あなたは、来年の3月あたりには「賢い資産形成者」に生まれ変わっているチャンスなのです。
(講座中に、笑ってばかりいないで、真面目に聞けないとダメですよ〜!!!)

「投資戦略基本講座」は、すこぶるグッドタイミングな開講なのです。
ここ1年あたりが、海外マーケットを含めると、初心者が資産形成を始めたり、再開するに当たっては、1997年のアジア通貨危機の時に匹敵するくらいの、まさしく10年に一度あるかないかの絶好のタイミングになると思います。
まさしく、資産形成では、「人のゆく裏に花あり、春の山」、「スキャンダルは買い!」なのです。

けれども、資産形成は、興味ある人はすごく興味があるけど、今回のサブプライム危機で大火傷してしまったギャンブラー(本人は自分が「ギャンブラーであった」ことを自覚していない場合が多いから、困ったものなのですが・・・)にとっては、もう『「投資」の「と」の字も聞きたくない』「『投資のと』と聞いただけで、『もう、とんでもない!』派」「もう懲り懲り派」が大勢を占めているかも知れません。こういった人たちは、健全なアセットアロケーションとかポートフォリオという概念や「複利金利の底力」について学ばないまま、ギャンブルしてしまった人々なのですが・・・。本人はそのことに気が付いていないのです。


(私の知り合いでも「サブプライム危機」から上手に逃げ切れなかった人がけっこう多かったです。
私も去年の11月に、シティーの決算を見て、「これは、一種の『飛ばしだ!!!』!私は売り逃げるよ!!!」とブログで大きな声で叫んだのですが・・・・私は信じてもらえなかったのです・・・・こういったあたりがマイノリティー・ブロガーの一番つらいところです。)

「と、と、と、と、と・・・・とんでもない!」なのです。

そして、この日本では、大やけどを負ってしまった人だけを眺めて、資産形成の基礎の基礎を勉強さえもしないままの「無関派」はいつまでたっても「資産形成は無関心」派のままなのです。

ただね、講師であり社長の木村 剛氏は、画面では「こわもて」にしか見えないかもしれませんが、それは、すべてマスメディアの情報操作によるものなんですよ。

彼は正直な人ですし、誠実な人ですし、すこぶる俊才ですし、しかも熱血で義理固い人なのです。
(大きな声で言えないから、小さな声で言いますが、生(なま)木村社長は、4歳年上の女性の私から見たら、ときどき、ふっと純情なところが透けて見えたりとか・・・・・・・。)

生(なま)木村が本当はけっこうお茶目な人だということを確認するだけでも、この「投資戦略基本講座」は一回1万円払って受講する価値はあると思います。

(木村氏は、自分が笑うより人を笑わせたい人なので、そういった意味では、私と同じような性格ですから、私と木村社長は基本的には「気が合わないじゃない?」という説も一説にはありますです・・・・)

というわけで、
来週の「投資戦略基本講座」後の「貞子ちゃんの連れ連れ日記」のオフ会の会場ですが、たぶん、喫茶店に1〜2時間寄るだけなので、霞ヶ関にある普通の「どってことない場当たり的な喫茶店」になると思います。



みなさん よい週末を♪

【追記1】このブログ記事についての愛読者と私のコメントのやりとりは、5月7日のブログ→『 GWを終えて・・・(フィナンシャル・ジャパン5月号と4月号)』
記事のコメント欄のほうも、プロの愛読者の方を中心に賑わっていますので、 なにとぞ、そちらの5月7日のコメント欄の内容のほうも是非とも参考にしてください。

【追記2】二夜明けて、一部分かりやすいよう読みやすいように、本文を訂正しました。【追記1】で紹介したように、二か所のコメント欄を是非とも熟読ください。日本村金融業界の裏事情について、もっと詳しい情報が盛りだくさんです。

 

2008/5/8  11:07

書評「母が重くてたまらないー墓守娘の嘆きー」  分類なし

GW中に読んだ中で、一番衝撃的だった本。私個人は、一番あっけにとられて、愕然とした本だった。

男性の団塊ジュニアたちの苦しみについては、ネット上では、よく表現されている。けれども、団塊ジュニアの女性たちの苦しみについてネット上で語られることが少ないような気がするけど、それは、私の気のせいだろうか?
団塊ジュニアの女性たちの多くをカウンセリングしている信田さよ子女史による母が重くてたまらないー墓守娘の嘆きー

私にとっては、あまりに衝撃的な内容なので、以下、目次だけでも、全文抜粋引用。

1、母が重くてたまらないー様々な事例からー

@ママのための中学受験
   ゴールインしたのは私ではない
   どこまでもついてくる
A母と娘の「運命共同体」
   アルコール依存症の父
   孤独願望
   男になりたい
   スミレから妖怪へ  
   母のお墓を
B息子を見上げ、娘を見下ろす母  
   変わらない母親像
   母と息子と口紅
   反面教師としての父
   母の使い分け
C気がつけば、落とし穴
   母が選んだマンション、そして合鍵
   体力満点の母
   未来の設計図
D自分の不幸をふたにして
   恨みと怒りのオーラ
   「娘は鬱じゃないでしょうか」
   結婚して家を出て、出産して戻ってほしい
   「娘を心配する母」という安全地帯
E団塊母の苦しみ
   ロマンティック・ラブイデオロギー
   娘だけが希望
   理解の断念
F傷つけ合うことで強まる絆
   「光抱く友よ」に見る母親関係
   見てはいけない光景
   親子の役割逆転
G父の存在はどこに?
   父になることへのためらい
   やっぱり母親の責任か?
   薔薇の花を美しいと思わない
   期待をしなければいい
H無邪気な独裁者
   この10年間の変化
   無邪気に見えて滑稽
   娘との一体感にひびを入れる

2、母とは一体誰なのか?

@独裁者としての母ー従者としての娘
A殉教者としての母ー永遠の罪悪感にさいなまれる娘
B同志としての母ー絆から離脱不能な娘
C騎手としての母ー代理走者としての娘
D嫉妬する母ー芽を摘まれる娘
Eスポンサーとしての母ー自立を奪われる娘

3、迷宮からの脱出

@母に対する処方箋
  母がカウンセリングにやってくるのは?
  まず教育プログラムから
  グループカウンセリングの効果
  隠されたテーマ
A父に対する処方箋
  空虚な中心としての父
  登場した父親のパターン
  パパズグループのねらい
B墓守娘に対する処方箋
  怒りを自覚しよう
  罪悪感は必要経費
  仲間を作ろう
  カウンセリングに行ってみよう
  No!は、母へのサービスだ
  距離をもった母との関係は可能か


本書はあくまでも先端の心理学を踏まえた「科学書」(実証研究書)である。
著者は 団塊世代の女性である。
そして、団塊世代の女性による「団塊世代」の批判書も兼ねている。

この本を斜め読みでも読み終えて、最初の読後感は、「あれ???あぁ〜〜〜!私って、けっこういい母親だったんだ・・・知らなかった!」だった。
ちょっと、ほっとした。
この本の中で、世に言う「団塊の母親たち」が自分たちの娘にさりげに投げているマインドコントロールのような呪文のような言葉を、私は、一度も自分の娘には投げかけていなかったので、ちょっと、ほっとした。

私は家の中では、けっこうグウタラしているし、家の中では、半分「上の空」のようなところのある母親なのだが(性格は変えられないのだ!)、それが結果として、自分の娘には「今のところ」幸いしているのかもしれない。(あくまで、「今のところ」だが・・・・)

実は、私は東京都内に戻って来てから、信田さよ子女史には二度実際に会っている。
信田先生とは実に15年ぶりくらいの再会だった。
この女性は、ほんとうに「団塊臭くない」女性なのである。珍しいくらい団塊臭くない女性なのだ。

私のブログの男性読者が、このブログの目次だけで、信田さよ子女史が、がちがちの急進的なフェミニストであるような錯覚を感じたのなら、それは、間違いだ。
彼女は、人権主義者なのだ。
組織の中で苦しみもがいている男性への深いシンパシーをも兼ね備えている女傑でもある。
組織とは、「資本主義の中では、一種の軍隊に近いような形式をとらざるを得ない」ということも、彼女はよく理解している人である。
その人が あえて、一部苦しんでいる団塊ジュニアの女性たちの苦しみを代弁しているのが本書だ。

この本は売れているようである。
一部のネット書店では売り切れが続出しているようなのだ。

信田先生は、先日お会いした時も、こういったご自分の近著の内容については、(少なくとも私には)ほとんど語ったりしなかったので、こんな重い内容の書籍を書きあげられる人だとは、私自身もこの書籍を手に取ってみるまでは、ほとんど気がつかなかった。会って話をしても気がつかなかったのだ。

私は、ただ、私の死んだ母親が最後の最後まで残した呪縛(女性は結婚したら、家に入ること、外で働かないこと)を「再び破ってみよう」と自分で決めたとき、なんとなく、信田先生だったら私の背中を押して下さるような気がしたので、私は彼女の元を訪ねたような気がしないではない。
他の用事で近所まで寄ったので、何も考えないで、懐かしさの余り、軽いノリで彼女のオフィスに寄ったような気もするのだが・・・・。どっちなんだろうか・・・

GW前にお会いした時も、ちょっとだけわが娘の最近の様子などを話したとき、「●●ちゃんて、よく育っているのねぇ〜〜〜」と信田先生がおっしゃって下さったのだが、私は「社交辞令でも嬉しいなぁ〜〜〜、でへへ」、「へ???そんなものかなぁ〜〜〜?」と、たいして気にも留めなかったのだが・・・・。

本書を手にとって読んでみたら、その内容に、本当に驚いたのだ。

世代に関係なく、地域に関係なく、こういった本書に登場するような「病的な」お母さんは、いつの世も存在している。
ドメスティックな国内だけの中学受験競争の過熱というナンセンスなものが、大流行し始めている中で、そういった母親が増えているような気もしないではない。そして、そういった「病的な」母親の陰には、彼女がどうしても孤独を感じてしまうような父親が存在していて、彼女を「孤立無援」のような感覚に落とし込んでいる。そして、彼女は、自分の孤立無援をぬぐい去るために、巧みに我が子を利用する妖怪へと変化(へんげ)するとの話なのである。。

目次の最後の「距離をもった母との関係は可能か」については、素人ながら私見としては、「不可能だ」と私個人は思う。
素人ながら、相手が父親でも不可能だと思う。
私の場合は、(参考になるかどうか全く分からないが)逃げて逃げて逃げまくるしか方法がなかったような気がする。
逃げるというのは、私の場合は、地理的に距離を保つということだった。
進学や就職を巧みに利用して「逃げた」ような気がする。
変化の激しい時代では、世代が違えば、たとえ親と子でも、お互いがお互いを理解するなんてことは、まず不可能だ。
話し合っても、まず分かりあえない。(けれども、たいていは、母親というのは、自分だけは我が子を深く理解しているという「幻想」「錯覚」を持ちたがるのである。)

私の場合は、ある程度成人したら、家を出て、そう簡単に気軽に親が追いかけて来れない「遠くへ逃げる」のが、一番楽チンだった。
「心理的な親殺しの作業をする」ときは、別居して、他の遠くの土地へ「逃亡」するのが一番だった。
比較的リベラルな家庭で育った私でも、母親は重かった。
私はパワフルな母親から一時的に「逃げた」のだと思う。
私の場合は、「捨てた」のではないが、「他県へ逃げた」のだ。
私の場合、700キロ以上逃げたのである。
700キロ逃げれば、年に数回会うだけで なんとか切り抜けられる。
ただ、「逃げる」と、パワフルな相手は倍返し以上の報復をしてきたような記憶があう。
報復に会うたびにかなりへ込んだ。へ込んでも、また立ち直るのだ。
へ込んだら 同世代の仲間と連帯して、相手のいないところで相手をののしって、仲間に共感してもらって立ち直っていたような気もする。
相手(年老いた母親)を一瞬たりとも「可哀そうだ」なんて思ったら、飲み込まれてしまいそうだった。
相手はとてもしぶといのだ。
ある意味「非情」ともいえる母と娘の戦いだったかもしれない。
そうこうして周期的に私は「表向き負けたふり」をしながらでも遠距離戦争をしているうちに、母親がボケ始めてくれたのである。
私は、母がボケたとき、再び「戻った」のだ。
ちなみに私の母親は友人も多く、自然態で気さくで趣味も多く働き者で、「世間」で言うところの「非の打ちどころのない母」だった。
それでも、昭和一桁生まれのパワフルかつ天真爛漫な母は、家の中ではファシズムしていて、若いころの私にとっては、かなり重かったような気がする。
(正確には、上の40行で記した行動は、若いころの私が無意識のうちにやってのけていたことなのだが、この本を読んでみて、今になって振り返って思い返せば、「理屈」の上では、「そういう行動だったんだなぁ〜〜〜」と改めて思い当たってみたりする訳である・・・。)

もし、あなたの相手(親)が万が一「強大な謎の妖怪」にまで変化(へんげ)していたら、死んでくれるまで、さっさとトコトン逃げても良いと思う。
はっきり言えることは、一般には、どんなに「謎の昭和の妖怪」に見えても、人間である限り、あなたより親のほうが必ず早く死んでくれるという事実なのだ。
「親不孝者」「薄情者」と罵られても、相手が「巨大で老獪な妖怪」ならば、「早目に、とことん、とっとと逃げる」という手も、あっても良いと思う。

とことん逃げてもあなたは我がままでは決してない。
身勝手でも、自己中心でもない。
同性の親子とは、本来、「食うか食われるか」の、そういった危険な関係に陥りやすいものなのだ。同情は禁物だ。
そして、「親という家庭内で絶大な権力をもつ妖怪に食われ続ける限り」、あなたは「自分らしい判断力」さえ身につかないまま、親になってしまうかもしれない。
あなたが、たとえ逃げたとしても、それは正当防衛なのだ。


さて、この本の目次を改めて記しなおして、自分で読み返してみると、「母が重くてたまらないー墓守娘の嘆きー」は、「父が重くてたまらないー団塊ジュニア男の嘆きー」に置き換えても、話が通じるのではないかと思えてしまう。

「墓守」という言葉は、もう守る意味さえ無くなっている「家の中の日本の古い伝統」に置き換えられる。
つまり「敬老の精神」「家父長制度」「日本が全体主義に走っていた戦前のファシズム(集団主義)を受け継いでいる人々が若者に家の中でさえも一斉に押しつけてくる不快な文化」などがそれなのかもしれない。
その不快な文化を「守れ」と若者に言うのは、少子高齢化の進む21世紀では、あまりにもむごい。むご過ぎるのだ。

さらに、「母が重くてたまらない」とは、「高齢者が重くてたまらない」「国家が重くてたまらない」「形骸化した制度や伝統や慣習や慣例が重くてたまらない」と置き換えても、意味が通じてしまうのだ。「母」を「父」「国家」と置き換えても、「娘」を「息子」「国民」と置き換えても意味が通じてしまうのだ。

自虐でも他罰でもない、お互いの違いを認め合って、多様性を容認する日本型個人主義がまだまだ根付いていないから、こういった「置き換え」ができてしまうのだろう。

日本型の個人主義が根付かなければ、日本型の資本主義も、なかなか根付かないのではないかと思ったりする。

【追記】1980年代に日本型の構造改革を終えないまま、21世紀を迎えてしまって、日本経済が大きく減速する前に、社会文化のほうが先に、ちょっとずつおかしくなり始めているのかもしれない。
まぁ、ちょっとずつ可笑しくなっているのはアメリカでもカナダでも欧州でもそうなのだし、高齢化が進む先進国共通の課題なのかもしれない。





2008/5/7  20:21

新生ロシアは北海道と日本の電力会社に食指を動かす?  分類なし

ここ三日ほど、私の頭の中で、ぐるぐるぐるぐる回っているのが、「新生ロシアは、北海道や日本の9電力会社に食指を動かしている????」といった考えだ。
江の島の海を眺めていても、この考えが頭の中でグルグルぐるぐる回っていた。

切っ掛けは、「フィナンシャル・ジャパン2008年5月号ーロシア経済まるかじりー」を読んでから・・・。
以前、「日本の選択」でピーター・タスカも、こういった内容の話をさらっと記していたので、そのときも、ぎょっとしたが、こういった内容に出会うのが二度目となると、本当に、かなり、ぎょっとする。

フィナンシャル・ジャパン5月号に、佐藤 優さんと手島 龍一さんの対談が載っていた。
佐藤 優さんは「国家の罠」を記した人で、元外務省の人。
手島 龍一さんは、「ウルトラダラー」を記した人で、元NHKワシントン支局長。

このキャラの濃い二人が対談しているのだから、内容が濃くないわけがない。
アレルギー体質のある人なら、発作が起きてしまいそうな内容だ。

でも、この二人の言っていることは、たぶん、当たっている。(と思う。)

グローバル・レベルでは、もう帝国主義が復活しているのだ。
以前私のブログでも幾度か記したことだが、フラット化する世界とは、グローバル・レベルでは帝国主義の復活なのだ。
自由主義経済圏では、グローバル企業が「帝国」と化して、国境をどんどん溶かして行っている。かたや、元共産主義圏(正確には中国はまだ共産主義なのだが・・・)では、中国やロシアのように、「新ファシズム国家」「新国家主義国家」「新帝国主義国家」が誕生している。

(以下 フィナンシャルジャパン5月号より、一部抜粋引用)

手島:21世紀初頭の世界では、従来の主権国家は溶けかかっている。ところが、ロシアは、国家主権をむしろ際立たせているように見えます。新政権は(プーチンとメドベージェフの)二頭体制といわれているが、やはりプーチンという指導者の影響力は侮れません。
佐藤:プーチンという人物を見る際には、彼が3段階の変化を遂げてきたことに注目する必要があります。・・・・・(プーチンは)最後段階に至って、「私は神によって大統領に選ばれたのだ」と考え始めた。・・・・
・・・・・・(中略)・・・
佐藤:私はロシアのある資本家に「JR北海道はいつ上場しますか?」ときかれたことがある。
手島:満鉄が持っていた戦略的重要性を思い起こせば、JR北海道への(ロシアの)投資の意図は透けて見えてきます。・・・ロシアの投資家は、・・・・北海道は買いと考えています。・・・・


さらに、フィナンシャル・ジャパン5月号の中津孝司氏(大阪商業大学教授)の「ロシアが日本のエネルギー安全保障の手綱を握る日」というのも、なんともリアルである。

(以下 一部抜粋引用)
・・・・・(ロシアのガスプロムが)エンドユーザーに直接アクセスできるメリットは、効率性の点からも大きい。これは何も(ロシアの)ガスプロムに限らず、(アメリカの)エクソンモービルなどの世界のエネルギー企業も進めてきた戦略だ。実際にガスプロムは、欧州で同様の戦略を進めてきた前科がある。・・・・・・・・
すなわち、それはクレムリンが日本の生命線を握ったことを意味する。
・・・・・(中略)・・・・
エンドユーザーを握られている場合は、公益事業としてあってはならないことだが、ガスや電気が止まる事態も想定しなけらばならない。・・・・・


以下、私見。

今は、国内電力の10%を卸売りしているJパワーが、イギリスTCIに20%の資本を握られるかどうかだけが、盛んに議論されていますが、もっと、視野を広げないといけない。

Jパワーなんてものは、たかだか日本の電力供給の10%を卸売りしている企業であり、私たちエンドユーザーとは、ほとんど関係ない企業である。しかも、そのJパワーの株式を20%保有したがっているTCIは、自由主義経済圏であるイギリス企業なのである。

だから、「イギリスTCIによるJパワーの株式保有率の上昇を、外為法まで発動して阻止しよう」とする動きは、全くのナンセンスであり、経産省が経産省の天下り先を死守しようとしている以外の何物でもない。

ところが、将来、日本が新生ロシア・ガスプロムから液化天然ガス(LNG)をサハリン2からパイプラインで大量に供給を受けるようになれば、ガスプロムが株式市場を通じて、日本の北海道電力や東京電力を飲み込むなんて事態が、起きかねないことになり、Jパワーの外資買収とは、話が全く違ってくるのだ。
9電力への外資買収に至ったときこそ、外為法は毅然と発動すべきなのである。

今の日本の株式市場はバーゲンセールになっている。
Jパワー程度で外為法などを発動しては、ますます、北海道電力や東京電力や関西電力などなどのエンドユーザーに関わっている9電力や、さらには、将来上場するかも知れないJR北海道の株価がますます大バーゲンセールになる危険がある。

ちなみに、ロシアのガスプロムの2007年末の時価総額は、世界第七位で、理屈だけ言えば、世界第21位のトヨタ自動車と世界第65位の三菱UFJを丸ごと飲み込むことも可能な規模(中津孝司教授氏)なのだ。



相手(新生ロシア)がこちら(日本)のエンドユーザーの生命線を握るなら、日本も相手側(新生ロシア)の生命線を握ればよいのだが・・・。そうなれば、お互いが繁栄できるのだが・・・。

今の日本が新生ロシアの生命線を握るようなことが、果たして出来るのだろうか?

日本が、相手国側の生命線を「資本の論理」で握ろうとするなら、竹中平蔵氏が指摘するように、日本だって、ロシアや中国や中東やシンガポールと同様に「国家ファンド」を作る必要も、一理はあるのだ。

が、国家公務員改革も進まないまま、人事庁の創設もままらないまま、改革が進まない今の日本で「国家ファンド」などを創設したら、かえって、日本の「国家ファンド」そのものが、日本国内の大手金融機関に騙されて婆(ババ)をつかまされて終わりそうだ。国際競争力のない日本国内の大手金融機関が、日本の「国家ファンド」を食い物にするだけで終わって、国民の税金を無駄に使ってしまうリスクが、あまりにも高過ぎる。

こういった本当の意味での、エネルギー安全保障(エンドユーザーへのエネルギー安定供給)の抱える「深刻なリスク」の話題を、国内で大真面目に議論している審議会が、この日本国内で存在しているのだろうか・・・・。
たぶん、存在していないのではないだろうか・・・(T T)

【追記】ちょっと調べてみたが、電気事業審議会のHPはここ↓。
http://www.meti.go.jp/report/committee/commi_26/g_commi.html

少なくとも、電気事業審議会では、こういった深刻なエネルギー安全保障(エンドユーザーへのエネルギーの安全供給)上のリスクについて話し合っている様子は皆無だ。それより、審議会のメンバーに電源開発(Jパワー)の社長の名前が連なっているのが、私としては、なんとも、悲しい気分をなってしまう・・・。

【追記2】一夜明けて、読みやすいように、一部文章を手直ししました。

2008/5/7  16:07

GWを終えて・・・(フィナンシャル・ジャパン5月号と4月号)  分類なし

GWは近場しか出かけないで、あとは読書三昧に明け暮れていた。
あまり読書をし過ぎると、頭の中が爆発しそうだ。何冊読んだか、6冊くらいかな???

さて、思うところがあり、ここのところ定期購読を1年ほど停止していたフィナンシャル・ジャパンの定期購読を再開した。

GW中に、フィナンシャルジャパンの5月号と4月号を読んだ。
あまりの充実度に、びっくりして腰が抜けそうだった。
(個人的には、好みの問題だと思うが、4月号よりも5月号のほうがダントツに充実していたように思う。)

私は、フィナン・シャルジャパンは、創刊号から2年あまり定期購読していた。
金融関係の情報に乏しい名古屋で、私は、フィナンシャルジャパンを宝物のように読んでいたのだ。ただ一時期、ちょっと、個人的に「まんねり(?)」のようなものを感じて、購読をやめてしまっていた。。
ブログを更新するほうが面白くなっていたし、当時の私は、「もう、資産形成については、だいたい分かったし、私は個別の銘柄は苦手だし、マクロのお金の流れだけが好きだから・・・」という感覚で、1年前あたりにフィナンシャル・ジャパンの定期購読を停止していたのだ。
以前のフィナンシャル・ジャパンは「1億円の金融資産形成を目指す」専門誌だったと記憶している。
「やっぱり、私は、1億円も金融資産を形成する気なんて無いしなぁ〜〜〜」と、私は中途でフィナンシャルジャパンの購読に止めてしまったのだ。

けれど、1年間のブランク後、再び、フィナンシャル・ジャパンを手に取ってみたら、その内容の充実度に腰が抜けそうなくらい驚いたし、私はすこぶる焦ってしまった。(汗・・・)

1年ぶりに手にしたフィナンシャル・ジャパンは、ものの見事に、「グローバルな経済・金融の総合情報誌」へと脱皮していたのだ。
5月号の副題は「ロシア経済丸かじり」だったし、4月号の副題は「激変アジア」だった。
この内容で、1,000円って安すぎない???
2,000円くらいに値上げしてもよいんじゃない??????

やっぱり有料の情報は、すごいものがある。

私個人は、1年ぶりに有料の日経新聞を読んでも、「あいかわらず新聞記者って、堂々巡りしているんだなぁ〜〜〜」と感じるだけで、焦ったりは決してしないし、腰が抜けそうになることもない。
新聞紙は、たまの休日に、昼寝したくなったら、1〜3個ほどの記事を読めば、睡魔に襲われて、即座に昼寝ができるので、そういった意味では便利だ。新聞紙は、寒かったら、新聞紙にくるまって昼寝もできる。ついでに、靴磨きや土いじりするときも、新聞紙は日常生活では必要不可欠だ。(あとは、新聞紙が水に流せるような紙質に変わったら、トイレでも使えるようになり、新聞紙は「言うことなし!」の生活必需品になる。)

話は元に戻るが、1年ぶりにフィナンシャル・ジャパンを手に取ったら、私は、むちゃくちゃ焦ってしまったのだ。(汗・・・)

世界の経済動向に興味のあるビジネスパーソンは、ぜひともフィナンシャル・ジャパンは定期購読したほうが良い。

投資や地道な資産形成に興味のある人なら、ブログ・サーフィンしている暇があったら、月刊誌フィナンシャル・ジャパンを毎月1,000円払って、効率よく情報収集したほうが良い。せめて最低2年間は継続して定期購読することを私個人は読者の方に強く勧める。

ブログなんてものは、しょせん趣味の範囲で片手間に記されているものなのだから、やはり、どうしても内容が充実しない傾向がある。
私の場合もそうなのだが、ブログの場合は「産みの苦しみ」のようなものは、ほとんど無い。下書きもしない。ワードも使わない。
敢えて、ブログを記し続ける基準などというものは、私の場合は、全くと言っていいほど、ほとんど持っていない。
その時の気分で、自分が気持ち良くなるような内容を記しているのである。
その時の気分で、自分のための覚書であったり、あるいは、平素からよく話し合っている我が子への「遺書」のような感覚で書いていたり、夫との交換日記だったり、あるいは、読者サービスとして記す場合もあるし、「いつか東京へ戻ったら、再就職(?)のときの自分の履歴書になるかも・・・」とかで、記していたこともあった。
モティベーションとして純粋に読者サービスだけで記していたなら、私はもっともっと血尿を出しながらでも(?)、ブログを更新しているはずだ。
読者サービスだけに徹するなら、書きたいことは山ほどあるし、調べたいことも山ほどあるけど、無料提供のブログでは、私も含めて、よほどの資産家じゃなかったら、ブログ中心の生活など不可能なのだ。私も、ちょっとでも面倒だと感じた場合は、あえて書かなかったり、あえて調べないことも多い。
特に私の場合は、出典や拠出を記すのが、(たとえ出典や拠出そのものが、ちゃんとしたところのデータでも)ものすごく面倒で、あえてブログでは記さないことがすこぶる多い。
要するに、私の場合だって、ブログは、自己満足の域を出ていないのが、本当のところである。(アフェリエート・ブログナドの商業的に成り立っているブログの場合はそうでないかもしれないが・・・)
だから、みな、プロもアマチュアも片手間でブログを記すし、記せるのだ。そもそも、ブログは記すだけでも、楽しいだ・・・。


ところが、優良かつ有料の経済金融誌は、こういった点が全く違うのだ。
180度違うといってよい。

フィナンシャルジャパンのようなお堅い経済金融の専門誌は、経済学部を出ていない人には、最初は読んでいて、チンプンカンプンかも知れない。
けれども、経済金融の専門誌は、PC関連の雑誌やスポーツの習得と全く同じなのだ。
まず「習うより慣れろ」なのだ。
最初は訳が分からなくても、とにかく最低2年間は続けることが肝心だ。
「習うより慣れろ」だ。

それより、このフィナンシャルジャパンを毎月つくり上げているスタッフの方々には、まさしく脱帽だ。敬服に値する。
どうやって、こんな骨太の情報を、先端のアップツゥーデートの情報をも織り交ぜながら、発行し続けていられるのだろうか・・・。
血尿とか出ないのだろうか?

週刊ダイヤモンドは、毎週発行なので、一か月続けて読むと、3,350円も掛ってしまうが、フィナンシャル・ジャパンは月刊誌なので、一か月わずか1,000円だ。

しかも、フィナンシャルジャパンの場合は、内容が骨太である。
(内容が骨太だから、昼寝の前に寝転がって読むと、かえってハッとして目が覚めてしまう。)

土台がしっかり形成されていないと、どんな情報も、取り入れても取り入れても、数年後には、ボロボロ、ぽろぽろ落ちて行ってしまう。読者のほうも、堂々巡りになってしまうだろう・・・。

週刊ダイヤモンドの情報だけだと、情報としては、アップトゥーデートな断片情報が盛りだくさんなのだが、なんとなく断片情報には物知りにはなれても、週刊ダイヤモンドや週刊エコノミストだけだと、応用力が身につかない。
週刊ダイヤモンドや週刊エコノミストの情報は、まだまだ地図の無い「Imformation」(案内情報)なのだ。
けれども、フィナンシャルジャパンの情報は、海図のある「Inteligence」なのだ。

ちなみに、「Imformatin」も「Inteligence」も、どちらも日本語では「情報」と翻訳される。

ビジネスマン(あるいは経営者、資産形成者)としての応用力(Inteligent)や瞬発力を身につけたいなら、いまの時代は、フィナンシャル・ジャパンを定期購読することが、一番の早道だと思う。

ということで、私も東京に戻ってきたので、就職活動を始めているのだが、第一希望は、やっぱりフィナンシャルジャパンなのだ。(不詳貞子、フィナンシャルジャパンの採用には、落ちてしまうかもしれないが・・・・落ちた時は、どっか雇って下さい。
 (T T)

【追記】ちなみに、このブログ記事は、フィナンシャルジャパンの採用面接のときにお会いした副編集長にお願いされて書いたブログ記事では一切ありません
あくまで、貞子が自主性のもとで記したブログ記事です。

2008/5/5  19:30

貞子というハンドルネームの由来。  分類なし

このブログ創設当時にも、ちょっとだけブログで記したことがあるが、貞子というハンドルネームの由来について。

10年前あたり、チャットが大流行していたころ、チャットに少なからずハマっていた時期があった。
当時、翻訳のバイトなども手がけていたし、自分のキーボードが遅いことをかなり気にしていたら、我が夫に「チャットをするとキーボードが速くなるよ」とアドバイスを受けた。翻訳の合間にチャットをしてみたら、けっこう面白かった。
最初は本名で出ていたのだけど、(チャットの黎明期は、けっこう本名でチャットをしている人もけっこう多かったのだが・・・)
スクリーンネーム(AOLのチャットでは、ハンドルネームではなく、スクリーン・ネームと呼んでいた)を使ったほうが良いというアドバイスをチャット仲間の人からいただいて、そんなものかなぁ〜〜〜程度の軽い気持ちで、ハンドルネームを持つことにした。

けれども、どんなハンドルネームにしようか、考え始めたら、ちょっとだけワクワクした。
変身願望もあったけど、どちらかというと、「運動会の仮装大会とか、仮装パーティーに出席するとしたら、どんな変装をしたいか?」といったようなワクワク感だった。
あるいは、ハロウィン・パーティーで変装するなら、どんな恰好がしてみたいか・・・みたいな、ワクワク感。
私は私であくまで私なのだけど、どんな名前(ハンドルネーム)でも名乗ってもよいとなると、かなりワクワクした。

当時、貞子のホラー映画が流行っていたので、即座にハンドルネームとしての貞子が思いついた。国連の緒方貞子さんにもかなり憧れていたので、そっちもかけている積りだった。


ただ、貞子だけではつまらないから、ミドルネームをつけたいと思った。
当時、経済誌か何かで、不景気な中で景気づけに(?)、一部のマニアの間でヨーデルが流行っているという記事を読んだ。
それを読んで、「あ!ミドルネームはヨーデルがいい!!!」と即決した。
「ヨーデル貞子」というハンドルネームの誕生だ。

スイス人みたいで、ちょっと楽しいではないか・・・。
それから、「ヨ〜〜〜デル♪ヨ〜〜〜デル♪ヨ〜〜〜〜デルッホ〜〜〜〜♪♪♪」というのを辞書登録した。
ひらがなの「よ」を押して、変換キーを押したら、、「ヨ〜〜〜デル♪ヨ〜〜〜デル♪ヨ〜〜〜〜デルッホ〜〜〜〜♪♪♪」と即座に入力できるようにしたのだ。

チャットルームに入ると、当時は、みな、挨拶していたのだ。
「こんばんは!」とか「おはよう!」とか、みな挨拶していた。
私は、挨拶の代りに、チャットルームに入ったら、景気づけに、「ヨ〜〜〜デル♪ヨ〜〜〜デル♪ヨ〜〜〜〜デルッホ〜〜〜〜♪♪♪」を歌おうと決めた。

当時の私は夜になると、チャットルームによく出ていたので、ヨーデル貞子は、「よく出る貞子」と「夜出る貞子」とも掛けていた。

こういった風に、あいさつ代わりにヨーデルを歌いながらチャットルームに入ってくる「ヨーデル貞子」のハンドルネームが誕生した。

他にも「YODOMIGIMIMASAKO(淀ぎ気味雅子)」とか「KOUZOKAZUMOMIYA(控除和宮)」とかのハンドルネームも作ってみたけど、気恥ずかしくって、なんとなく しっくりこなかった。
一番私にぴったっと来たのは、このヨーデル貞子というHN(ハンドルネーム)だった。

このハンドルネームは、けっこう、いろいろな人にも覚えてもらいやすいハンドルネームだったようだ。一回見ただけで、なかなか忘れられない強烈なハンドルネームだったらしい。世の中、覚えやすいのが一番である。
そういったわけで、ブログにも、貞子というHNを使いました。

ただ、チャットとは違って、ブログは、いずれブログ慣れしたら、固い話題を記すつもりだったので、ヨーデルというミドルネームを使わなかった。


覚えやすいことでいつも一番感心するのが、シェルのガソリンスタンドやマクドナルドの看板である。あの黄色い貝殻のマークや、真っ赤なMのマークは、どんなに遠くからでも、「あ!シェルだ!」「あ!マックだ!」と気が付いてもらえる。
マーケッティング上のネームングを考えるときは、
@原色と
A形(文字ではなく シンプルなデザイン性)
これって、けっこう企業がグローバル化を志すとき、一番大切な要素なのではないか、と思っている。

【追記】「ヨーデル貞子」というHNが誕生した翌年の夏休み、小学校2年生の娘が、私もチャットをしてみたいというので、トイレの花子さんに掛けて「ヨーデル花子」という娘のHNが誕生した。
しかしなが、我が娘は、子供向けチャットの規則(知らない人に住所や電話番号を聞かれても、絶対言わないとか、知らない人に嫌な思いをしたら、必ず信頼できる大人に知らせましょう、などなどの決まり)を読んで、すっかり怖気づいてしまい、チャットはしないことに決めたようだった。

小学校2年生の我が娘は、夏休み、わが夫の母(私にとっては義母)が名古屋にやってくる直前になって、「口止めにお小遣いくれないと、ママが『ヨーデル貞子』と名乗って、チャットで遊んでいるのを、お婆ちゃんにバラスわよぉ〜〜〜うふふ」と自分の母親をゆすってきた。
義母はどちらかというと、とても生真面目で、私とは「笑いのつぼ」がズレテいるのを、わが娘はわずか8歳にして、認知しているようだった。
焦った私は、口封じ用に、我が娘に1000円か2000円くらいの(?)お小遣いを与えたような記憶がある。


2008/5/3  23:16

毒もみ好きな署長さん(宮沢賢治ワールドに見る規制緩和論)  分類なし

GWなので、なるべく「やわらかい肩のこらない話題」ということで、ブログをアップしている。

ISOLOGUEで世界にはまだこんな高利の貸金業が存在する!(←これは、必読です!)を読んだら、俄然、宮沢賢治の「毒もみ好きな署長さん」を、このブログで紹介したくなった。


子ども時代に宮沢賢治は一冊も読まないまま、この年齢になっていた。

無意識のうちに、子供のころの私は、宮沢賢治ワールドがかもし出す「不可解な狂気」のようなものが、子ども心に恐かったのだと思う。
 
母親になって、おませな我が娘から、この春、宮沢賢治の超短編小説「毒もみすきな署長さん」を紹介してもらった。
我が娘の解説によれば、「毒もみ」とは、魚を取る手法であり、他の国では一般に普及している近代的かつ合法な漁法なのだが、物語の中の署長さんが暮らす国では、大変な違法行為であり、毒もみ好きの署長さんは、宮沢賢治作品の中では、先端技術である「毒もみ」を愛したことで、死刑になってしまうという風に読めば、この物語は理解可能なのだそうだ。

「毒もみ好きな署長さん」は、涙を誘う、泣けてくるような、やるせない物語だったのだ。

その一方で「毒もみ好きな署長さん」は、経済学における「規制緩和の是非」に通じる内容をもつ物語であったとも、指摘できる。
物語の中では、「毒もみ」の技術は、火薬(鉄砲)を使って鳥を捕るのと同じくらいの、生産性を上げて人々の暮らしを豊かにする先端技術なのだが、毒もみ好きの署長さんが暮らす国では、違法行為として厳しく取り締まられている技術なのである。

毒もみ好きな署長さんが、死刑になる前に発する次のような言葉が、なんとも泣ける。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中(むちゅう)なんだ。いよいよこんどは、地獄(じごく)で毒もみをやるかな。」


以下、ネット上で、宮沢賢治の「毒もみすきな署長さん」がアップされているのを見つけたので、以下、全文抜粋引用。

(引用始まり)
毒もみのすきな署長さん
宮沢賢治

 四つのつめたい谷川が、カラコン山の氷河から出て、ごうごう白い泡(あわ)をはいて、プハラの国にはいるのでした。四つの川はプハラの町で集って一つの大きなしずかな川になりました。その川はふだんは水もすきとおり、淵(ふち)には雲や樹(き)の影(かげ)もうつるのでしたが、一ぺん洪水(こうずい)になると、幅(はば)十町もある楊(やなぎ)の生えた広い河原(かわら)が、恐(おそ)ろしく咆(ほ)える水で、いっぱいになってしまったのです。けれども水が退(ひ)きますと、もとのきれいな、白い河原があらわれました。その河原のところどころには、蘆(あし)やがまなどの岸に生えた、ほそ長い沼(ぬま)のようなものがありました。

 それは昔(むかし)の川の流れたあとで、洪水のたびにいくらか形も変るのでしたが、すっかり無くなるということもありませんでした。その中には魚がたくさんおりました。殊(こと)にどじょうとなまずがたくさんおりました。けれどもプハラのひとたちは、どじょうやなまずは、みんなばかにして食べませんでしたから、それはいよいよ増えました。
 なまずのつぎに多いのはやっぱり鯉(こい)と鮒(ふな)でした。それから はやもおりました。

ある年などは、そこに恐ろしい大きなちょうざめが、海から遁(に)げて入って来たという、評判などもありました。けれども大人(おとな)や賢(かしこ)い子供らは、みんな本当にしないで、笑っていました。第一それを云(い)いだしたのは、剃刀(かみそり)を二梃(ちょう)しかもっていない、下手(へた)な床屋(とこや)のリチキで、すこしもあてにならないのでした。けれどもあんまり小さい子供らは、毎日ちょうざめを見ようとして、そこへ出かけて行きました。いくらまじめに眺(なが)めていても、そんな巨(おお)きなちょうざめは、泳ぎも浮(うか)びもしませんでしたから、しまいには、リチキは大へん軽べつされました。


 さてこの国の第一条の
「火薬を使って鳥をとってはなりません、
 毒もみをして魚をとってはなりません。」

 というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教えます。
 山椒(さんしょう)の皮を春の午(うま)の日の暗夜(やみよ)に剥(む)いて土用を二回かけて乾(かわ)かしうすでよくつく、その目方一貫匁(かんめ)を天気のいい日にもみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋(ふくろ)に入れて水の中へ手でもみ出すことです。
 そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。そんなふうにして、水の中で死ぬことは、この国の語(ことば)ではエップカップと云いました。これはずいぶんいい語です。

 とにかくこの毒もみをするものを押(おさ)えるということは警察のいちばん大事な仕事でした。

 ある夏、この町の警察へ、新らしい署長さんが来ました。
 この人は、どこか河獺(かわうそ)に似ていました。赤ひげがぴんとはねて、歯はみんな銀の入歯でした。署長さんは立派な金モールのついた、長い赤いマントを着て、毎日ていねいに町をみまわりました。
 驢馬(ろば)が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤(あか)ん坊(ぼう)があんまり泣いていると疱瘡(ほうそう)の呪(まじな)いを早くしないといけないとお母さんに教えました。

 ところがそのころ どうも規則の第一条を用いないものができてきました。あの河原のあちこちの大きな水たまりからいっこう魚が釣(つ)れなくなって時々は死んで腐(くさ)ったものも浮いていました。また春の午の日の夜の間に町の中にたくさんある山椒の木がたびたびつるりと皮を剥かれておりました。けれども署長さんも巡査(じゅんさ)もそんなことがあるかなあというふうでした。

 ところがある朝手習の先生のうちの前の草原で二人の子供がみんなに囲まれて交(かわ)る交(がわ)る話していました。
「署長さんにうんと叱(しか)られたぞ」
「署長さんに叱られたかい。」少し大きなこどもがききました。
「叱られたよ。署長さんの居るのを知らないで石をなげたんだよ。するとあの沼(ぬま)の岸に署長さんが誰(たれ)か三四人とかくれて毒もみをするものを押えようとしていたんだ。」
「なんと云って叱られた。」
「誰だ。石を投げるものは。おれたちは第一条の犯人を押えようと思って一日ここに居るんだぞ。早く黙(だま)って帰れ。って云った。」
「じゃきっと間もなくつかまるねえ。」

 ところがそれから半年ばかりたちますと またこどもらが大さわぎです。
「そいつはもうたしかなんだよ。僕(ぼく)の証拠(しょうこ)というのはね、ゆうべお月さまの出るころ、署長さんが黒い衣だけ着て、頭巾(ずきん)をかぶってね、変な人と話してたんだよ。ね、そら、あの鉄砲(てっぽう)打(う)ちの小さな変な人ね、そしてね、『おい、こんどはも少しよく、粉にして来なくちゃいかんぞ。』なんて云ってるだろう。それから鉄砲打ちが何か云ったら、『なんだ、柏(かしわ)の木の皮もまぜておいた癖(くせ)に、一俵二両(テール)だなんて、あんまり無法なことを云うな。』なんて云ってるだろう。きっと山椒の皮の粉のことだよ。」
 するとも一人が叫(さけ)びました。
「あっ、そうだ。あのね、署長さんがね、僕のうちから、灰を二俵買ったよ。僕、持って行ったんだ。ね、そら、山椒の粉へまぜるのだろう。」
「そうだ。そうだ。きっとそうだ。」みんなは手を叩(たた)いたり、こぶしを握(にぎ)ったりしました。

 床屋(とこや)のリチキは、商売がはやらないで、ひまなもんですから、あとでこの話をきいて、すぐ勘定(かんじょう)しました。
     毒もみ収支計算
 費用の部
   一、金 二両 山椒皮 一俵
   一、金 三十銭(メース) 灰 一俵
      計  二両三十銭也(なり)
 収入の部
   一、金 十三両 鰻(うなぎ) 十三斤(きん)
   一、金 十両  その他見積り
      計  二十三両也
 差引勘定
    二十両七十銭 署長利益

 あんまりこんな話がさかんになって、とうとう小さな子供らまでが、巡査を見ると、わざと遠くへ遁(に)げて行って、
「毒もみ巡査、
 なまずはよこせ。」
 なんて、力いっぱいからだまで曲げて叫んだりするもんですから、これではとてもいかんというので、プハラの町長さんも仕方なく、家来(けらい)を六人連れて警察に行って、署長さんに会いました。

 二人が一緒(いっしょ)に応接室の椅子(いす)にこしかけたとき、署長さんの黄金(きん)いろの眼(め)は、どこかずうっと遠くの方を見ていました。
「署長さん、ご存じでしょうか、近頃(ちかごろ)、林野(りんや)取締法(とりしまりほう)の第一条をやぶるものが大変あるそうですが、どうしたのでしょう。」
「はあ、そんなことがありますかな。」
「どうもあるそうですよ。わたしの家の山椒の皮もはがれましたし、それに魚が、たびたび死んでうかびあがるというではありませんか。」
 すると署長さんがなんだか変にわらいました。けれどもそれも気のせいかしらと、町長さんは思いました。
「はあ、そんな評判がありますかな。」
「ありますとも。どうもそしてその、子供らが、あなたのしわざだと云いますが、困ったもんですな。」
 署長さんは椅子から飛びあがりました。
「そいつは大へんだ。僕の名誉(めいよ)にも関係します。早速(さっそく)犯人をつかまえます。」
「何かおてがかりがありますか。」
「さあ、そうそう、ありますとも。ちゃんと証拠(しょうこ)があがっています。」
「もうおわかりですか。」
「よくわかってます。実は毒もみは私ですがね。」
 署長さんは町長さんの前へ顔をつき出してこの顔を見ろというようにしました。
 町長さんも愕(おどろ)きました。
「あなた? やっぱりそうでしたか。」
「そうです。」
「そんならもうたしかですね。」
「たしかですとも。」
 署長さんは落ち着いて、卓子(テーブル)の上の鐘(かね)を一つカーンと叩(たた)いて、赤ひげのもじゃもじゃ生えた、第一等の探偵(たんてい)を呼びました。

 さて署長さんは縛(しば)られて、裁判にかかり死刑(しけい)ということにきまりました。
 いよいよ巨(おお)きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中(むちゅう)なんだ。いよいよこんどは、地獄(じごく)で毒もみをやるかな。」
 みんなはすっかり感服しました。

(以上、全文抜粋引用 終わり)

良い連休を♪

【追記】一夜明けて、一部読みやすいように、表題と文章を手直ししました。



2008/5/2  21:55

懐かしの名物先生  分類なし

娘の中学の父母懇談会というものに行ってきたので、ちょっと感想。

子どもたちは(母親たちも?)、担任の先生を始めとして、学校の先生にあだ名をつけて遊ぶことが多い。

名古屋にいたころも、子供同士やお母さん同士で、勝手に名物先生にあだ名を付けて遊んでいた。

ノートの取り方や掃除の時間でも、とにかく「美しく!!!」というのが口癖の先生には、「ロッテンハイマー●●」・・・・。
あまりに色気から遠のいている先生には、「セクシー●●」。
本当はとってもりっぱな先生なんだけど、機嫌が良いと、ついヘラヘラする癖があると「ヘラッシー●●」。
苗字が大竹だと、そのまんま「まことちゃん」。
苗字が岡田とかで、ちょっと校則に厳しいと、即座に「オカダマ」。
感情表現の苦手な理科の先生には、「ロボット●●」

今年の娘のクラスは、どうやら、女子中学一番の名物先生が担任になったようだ。
あだ名は「マキコ」。

「マキコ」先生は早口の熱血先生だ。声も大きい。
女子教育に対する情熱とパワーだけは伝わってくる。

就業のチャイムが鳴った後も子供同士で教室でワイワイがやがや騒いでいたりすると、
「早く席につかないないと、マキコが来るわよ〜〜〜〜〜!!!!」と、誰かが大声で注意を喚起することがある。
その瞬間、後ろに「マキコ」がニヤニヤと仁王立ちして、「今、私を呼び捨てにしたわね・・・(ニヤリ)」と呟いていそうな感じ・・・・。
(自分の中学時代を思い出しますです・・・・)

そのマキコ先生から父母懇で聞いた話。

女子校の修学旅行は、やっぱり、今でも、昔と同じで、男の子がいないせいか、夜にお酒を飲んだり、たばこを吸ったりする子は皆無なのだそうだ。
一番困るのは、就寝時間を過ぎても、修学旅行先のホテルの自分の部屋から、他の仲良しの子がいる部屋へ行ったっきり、なかなか戻ってこない子が多いこと。
そうすると、各部屋の鍵が掛けられないので、他の宿泊客が子供たちの部屋へ紛れ込んでしまうこと。
ほかの一般の宿泊客のお爺ちゃんとかが、部屋を間違えて入ってきて、女子中学生の部屋でぐっすり寝てしまっていたことが、過去あったらしい。
ほかの部屋から自分の部屋に戻った子は、知らないお爺ちゃんが自分のベッドで寝ているから、夜中に大騒ぎになってしまったようだ。
そうこうして、その子たちは、「知らないお爺ちゃんが寝た布団で寝るなんて・・・」と、半べそ掻きながら就寝しなければならなかったという。

そういったわけで、「トイレットペーパー封印」という「修学旅行の伝統」が生まれたという。
夜10時過ぎると、各自各部屋に戻って、鍵を閉める。
各部屋が鍵を閉めたのを確認して、先生が各部屋を廊下側からトイレットペーパーで封印して歩くのだそうだ。
誰かが規則を破って、10時過ぎに部屋を抜け出すと、トイレットペーパーが破れてしまう。行き先は、やはり「トイレットペーパー」が破られている部屋なのだそうだ。封印が破られた部屋を見つければ、部屋を抜け出した子供たちは、今のところは、すべて「現行犯逮捕」できるのだそうだ。
今から、わが娘たちは、どうやって、先生たちの「トイレットペーパー封印」の先手を破ろうか、子供たち同士で思案しているようだ。
親の私は、その話を聞きながら、にやにや「出来るかな〜〜〜」と言いながら、一応、無謀な知恵を貸さないように、じっと我慢している。(^。^


トランプもウノも禁止。
もちろん、色紙などを持って来て、旅先で手作りトランプを作れば、ゲームをして遊ぶのはOK。(この規則は、名古屋も同じ。)
わが娘は、去年、本当に、友達と手分けして、トランプを作ったらしいのだが、トランプが出来上がったときは、もう眠くて眠くてトランプなど出来ないまま、皆と就寝したようだ。

(そうこうすると、高校生になると、私たちの時代は、10年玉だけあれば出来る「こっくりさん」をして遊び出したのだけど、今では「こっくりさん」って流行らないのだろうか・・・・。
夜中に「コックリさん」で盛り上がっていると、一人か二人「自称霊感少女」を名乗る子が現れる。
みなの尊敬を集めて、さまざまな部屋から「お呼び」がかかるようになる。その後「霊感少女」は、学年のヒーローに祭り上げられて、3年間ず〜〜っと一目置かれる存在になる・・・・・・)

と、こんな話をブログで記していたら、後ろにマキコ先生が仁王立ちしていそうな気が
してくるから、やっぱり名物先生の存在は偉大なのだ・・・。








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