2008/7/18  21:38

シエラレオネ:虚しい食生活  海外−アフリカ

本日の深夜、正確に言うと明日の早朝、ロンドンへ発つ。但し、今回はあまり嬉しくない。あまりというかほとんど嬉しくない。何故かというと年内にあと2回ここに来なければならないからだ………(>_<)。

今日はまだ紹介してなかった現場における俺の非常にPoorな食生活についてレポートしたい。

と、その前に、今し方ショッキングな事実が判明した。毎朝、例えば洗濯や掃除など食事以外の身の回りの世話をするために雇っているオスマンというおっさんがポットに熱湯を入れてもってくる。もちろん、インスタント・コーヒーまたは紅茶用だ。前々からオスマンがそのポットに入っている水をどこから取っているのかということが、疑問だった。前に紹介したように、俺がいる地区は上水道がないので、沼の水を直接取水して、シャワーやトイレには使っていると報告した。飲料や歯磨きはもちろんミネラル・ウォーターだ。しかし、その沼の水は茶色いのでそれと比べると、オスマンが持ってくるお湯は透明に見えた。従って、誰かが推測した「井戸から持ってきているんじゃないか」との希望的観測が仲間内では有力説となっていた。先ほど、いつも聞くのを忘れるのだが、オスマンがお湯を持ってきた時に聞いてみた。オスマンはあまり英語が上手くないので、出来るだけYes, Noで答えられるように「この水は井戸から取っているのか?」と聞くと「No, sir, this is tapped water (いいえ、ご主人さま、これは蛇口から取った水です)、No well here(ここには井戸はありません)」との答え。ということは煮沸しているとは言え、あの沼の水を直接、毎朝、体に摂取していたとは…。現地の人間は生存率50%という競争を勝ち抜いてきた強者であるが、こっちは無菌培養で育った日本人である。今の所何ともないし、過去2年間飲み続けてきた日本人もいるが…。何のためにミネラル・ウォーターで頑張っていたのか!

それでは食事。しつこいようだが、この田舎には一般に電気がないので、食料を保存出来る冷蔵庫がない、と言うことでレストランがない。元々の追い出された宿舎には電気がないので、自炊という選択肢もなかった。従って、まだ会ったことはないが、顧客を介して近所の“料理が上手い”とされる主婦に金を渡して3食(→8.5ドル程度/person)を作ってもらっている。

しかし、所詮、田舎の主婦である。外人が何を食べるか何か想像も出来ないのだろう。基本的には現地飯。一応、メニューは毎回替えようと努力してくれているみたいだが、味のベースが一緒なので多少食材を変えても印象は一緒。最初の1日で飽きる。それから正直言って、まずい。

こちらもたまにはリクエストしてみるが、俺らの希望に沿うことは難しい。これはこの主婦の責任ではなく、まずこの場所は雨量が多すぎて、野菜が栽培しにくい所らしい。だからマーケットに行っても本当に食材が乏しいのが分かる。じゃがいもさえ取れないようだ。

空腹感を感じて食卓についても、食事が美味しくないというのは本当に不幸だし、特にこういう場所ではストレスの一つにもなる。次回は無理してもレトルト類を買ってきて、自炊をしよう。

では紹介。

クリックすると元のサイズで表示します
(朝食:いきなり激辛スパゲティと逆に甘すぎて一口食べると頭痛がしてくる粥(Porridge)。特に粥は誰も手を付けないので、止めて欲しいと再三頼んでいるが、何故かほぼ毎朝出てくる。それから底に砂が付いているパン。)

クリックすると元のサイズで表示します
(昼食:サフラン・ライスと現地人がよく食べる名前は忘れたがカレーもどきの料理。最初の1回は美味しいが、これが毎日続くと…)

クリックすると元のサイズで表示します
(夕食:朝食と同じスパゲティ。またかぃ!それと魚の身をすり潰したものを油で揚げたもの。味自体は日本人に合うかもしれないが、油がギトギトなんで1個全部は食べられない。それから毎日マンゴとパイナップルが付くがかなり質は低い)

クリックすると元のサイズで表示します
(今日はたまたまジャガイモをフリータウンから入手したので、ボイルして同僚と一個ずつ分けた。久々にお腹に優しいものを食べたという感じ。しかし、かなり虚しい…)

と、いう訳で、料理はほとんど栄養のバランスなど考えていないし、あれだけ油ぎったものを食べ続けるというのは我々、日本人の体にどう影響するのだろうか?それから、ご覧の通り、野菜がほとんどないのである。肉は鶏肉のみ。こんな過酷な生活環境でこの食事が続いたら体調を崩して当然だ。

とにかく次回は発電機の軽油の金を払ってでも、日本から食材を持ち込み、自炊する。

しかし、この国は本当に印象が悪い。あと2回も来ないといけないなんて…かなり憂鬱。

明日から丸2日ロンドン。何をしようか。

2008/7/17  7:21

シエラレオネ:インターネット事情及び生活環境  海外−アフリカ

これだけ水・電気のない劣悪な生活環境と強調しておきながら、なぜこれだけブログを頻繁に更新出来るのか, in other words, インターネットにアクセスが可能なのか、不思議に思われているかも知れない。

クリックすると元のサイズで表示します

実は事務所兼宿舎には、車1台分のコストを掛けて設置された衛星インターネット・システムが設置されている。その仕組みの説明を聞いていないので、今一、どういうシステムなのかは分かっていないが、どうやらここから大西洋上の衛星と繋がっているらしい。だから、豪雨の時や下界が晴れていても上空の状況が悪いと繋がらない時もある。

そもそもこのプロジェクトが始まった2年前には携帯電話の電波も届かない所だったらしく、安全上の理由によりせめてインターネットだけはということらしい。もちろん、この街で唯一のインターネットのアクセス・ポイントだ。アフリカの地方でも最近はネット・カフェなどでインターネットにアクセス出来る層も増えてきたが、この国には首都以外ない。だって電気がないから…。

少し俺の仕事及び生活の場である現場事務所及び宿舎を少し紹介する。

クリックすると元のサイズで表示します
(元々、農業研究所内にあった施設を大改造。エアコン、インターネット、水道タンクなどを新たに設置。出来るだけ「こっち」側の環境に整えたかったが…。ちなみにこの木の棒で出来た柵は家主にセキュリティ上何らかの柵を設けてほしいとお願いした所、これが出来た。TIAだ)

クリックすると元のサイズで表示します
(事務所兼宿舎の生命線である英国製発電機(23KVA)。俺もあまり電気は詳しくないが、発電機なんてあくまで補助電源というイメージがあるが、これだけ朝から晩まで1台で毎日稼働させていたら、すぐ故障してしまうのではと秘かに危機感を抱いている)

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(関係ないが、現場の近くの風景。典型的なジャングルだ。まあ砂漠よりはましか。Positiveに行こう!)


2008/7/16  7:57

#13〜16 「世界で一番いのちの短い国」他3冊  読書

#13「世界で一番いのちの短い国〜シエラレオネの国境なき医師団」

クリックすると元のサイズで表示します

出張前にこの国の勉強をしようと思い読んだ一冊。この本によるとシエラレオネは日本では全く無名だが、下記の点でその世界では有名:

1)平均寿命最短、乳児死亡率最悪、5歳未満の乳幼児死亡率最悪、妊産婦死亡率最悪、
2)内戦時、RUF(反乱軍)の一般人に対する「四肢切断」、子供を誘拐し、最前線へ送る「子供兵」などの人権蹂躙
3)ダイヤモンドがアルカイダ組織の資金源にもなっている。

2)、3)に関しては分からないが、1)は著者が滞在していた2002年時よりはかなり改善されているみたいだ。この本を読んでこの国に対してかなりビビってしまったが、意外とそうでもなかったというのが今の印象。

#14 「さまよう刃」東野圭吾

クリックすると元のサイズで表示します

人間の屑に蹂躙され死体となった一人娘の復讐のため、父は犯人の一人を殺害し、更に逃亡を続けるもう一人を追い続ける。「遺族による復讐殺人」は世論を真っ二つに割り、警察内部でも父に対する同情論が密かに持ち上がる…。

目新しさはないが、娘を持つ親としては非常に重いストーリー。でも、一気に読んだ。最近、実際にこの手の事件が続き、本当に日本の将来を憂慮するが、自分や自分の家族が犯罪に巻き込まれる確立はゼロではない。俺も、この父親と同じ条件にあれば間違いなく同じことをやるだろう。裁く権利というのは誰にあるのか?しかも、この小説の犯人のように恐らく更生は難しいであろう未成年であれば…。難しいテーマだ。

#15 「陰日向に咲く」

クリックすると元のサイズで表示します

よく機内で週刊文春を読むが、一番楽しみにしているのは劇団ひとりのコラムだ。独特の弱々しい文体が人を和ませ、シュールな笑いで最期を締める。彼は非常に文才があると個人的には思う。第二弾を期待する。

この「陰日向に咲く」は5つの話が微妙に絡むこのオムニバス小説になっている。期待に沿った出来栄えだと思う。でも、コラム程度の短さの方が劇団ひとりの良さが出るかも。

#16 「テロリストのパラソル」

クリックすると元のサイズで表示します

初版が出た1998年に読んだと思う。最近、著者の藤原伊織氏が亡くなられたという記事を読み、再度読んでみる気になった。前回、読んだ時、面白くて徹夜で読破した記憶があったからだ。

10年ぶりに読んだが、やっぱり面白い。今回もほぼ徹夜で読破。さすが、江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した作品だ。

ただ、安保闘争等の学生運動の経験した人が読んだ方がもっと深い所まで読み切れるのだろうと思う。

今となっては叶わぬ願いとなったが、本作品の続編、または番外編を読みたかったな。

2008/7/15  4:16

シエラレオネ:ジョギング・コース  海外−アフリカ

コンディショニング作りに世界中どこに行っても、治安上の問題がない限り“走る”。コンディションの問題と、車で現場と事務所の往復をしているだけだとなかなか庶民の生活というのが見えて来ない。実感出来ない。そういう意味でも走って現地の人々と少しでも触れ合うということは、仕事の面でもプラスになる。

ということで、今日は現場でのジョギング・コースを紹介する。最近、「生活の場」とは関係ない首都フリータウンの記事が続いたので俺の現場での生活環境が理解いただけるだろう。

大体、毎日、平日は5時ジャストに近くのモスクから大音量でコーランが流されるのでそれで起こされる。しばらく、ベッドの中でゴソゴソしながら6時位から着替えてジョギングの準備に掛る。

6時半事務所兼宿舎を発。まだ日は昇っておらず薄暗い。この国は無理無理にGMT(グリニッジ平均時)に合わせようと国の標準時間設定しているのではないだろうか。実際の太陽の動きを考えたら、多分もう1時間遅らせた方がいいのでは?

@鬱蒼とした森の中にある事務所兼宿舎。森の冷気というか空気が体をレフレッシュしてくれる。

クリックすると元のサイズで表示します

Aしばらく行くと木立に囲まれた車道に出る。前にも行ったが事務所兼宿舎は仕事とは全く関係のない農業関係の研究所内に間借りしており、その研究所は広大な敷地を持つ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(こういう壮大な風景を見ながらのジョギング。心が洗われる感じ。ちなみにまだ夜明け前)

クリックすると元のサイズで表示します
(この坂を登り切ると、研究所の外へ)

Bここから一般道。車は皆無なので排気ガスはないが、一般家庭は朝食の準備で釜戸や炭で火をおこすので少し煙たい。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(コロニアルな雰囲気の家)

クリックすると元のサイズで表示します
(一般人の家はこんな感じ)

クリックすると元のサイズで表示します
(アフリカン!)

クリックすると元のサイズで表示します
(朽ち果てたモスク。火事でもあったのか?)

クリックすると元のサイズで表示します
(“メインストリート”は続く)

Cこの辺がこの街の中心地になるのかな。写真で見るとあまり変わらないが…。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(この時間帯、なぜか子供が石鹸や洗剤を頭の上のザルに載せて売っている姿が目立つ)

Dこれが折り返し地点にしているセントラル・モスク。この街の規模にしては立派だと思ったが、パキスタンのイスラム団体の資金で建てられたとのこと。この辺りで時間は7時。ちょうど日の出になる。

クリックすると元のサイズで表示します

E帰りは研究所に入ってから少し道を変え、森林の中の小路を行く。森の匂いというのは万国共通だ。体が浄化される感じ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(木々の合間から見える広大な田園風景に毎度感動しながら事務所に戻る)

と、いうことでこの往復でノルマである大体5kmはクリア。

俺みたいな外人が早朝に走っていることに対する住民の反応はガーナなどと比べると全般的に控え目。すれ違ってもじっと俺が通り過ぎるのを見つめていることが多いかな。多分、田舎で外人慣れしていないということもあるのでは。


2008/7/14  7:34

シエラレオネ:フリータウン諸々  海外−アフリカ

週末は買い出しと“心の洗濯”のため首都フリータウンへ。暖かいシャワーと虫の心配なくゴロリとなれる清潔なベッド、そして大した番組はやっていないがテレビ、エアコン、当たり前のことがうれしい。

@カラオケ

クリックすると元のサイズで表示します

フリータウンの全容はまだ把握していないが、他のアフリカ諸国と同じく中国の進出は目覚ましいようで、町中で政府系の建物やサッカー場など目立つ建物は大体中国の援助によるものらしい。従って、中華レストランは4、5軒あるようだ。この前行った「吉林」というレストランの個室にはカラオケがあり、日本語の曲があったのは驚いた。しかも、曲が結構新しい(=よく知らない)!普段滅多にカラオケなど行かないが、こういう究極の状況で歌うカラオケというのは盛り上がる。但し、味は東京であの料理を出したら、確実に3か月以内につぶれるだろうというレベル。しかし、ここでは現地飯以外なら何でもご馳走だ。野菜が補給出来るのがうれしい。

A芸者ブランド缶詰

クリックすると元のサイズで表示します

フリータウンにも外人や金持ち用のスーパー・マーケットがある。もちろん、ほとんどの商品が輸入モノなので値段は安くない。ちなみにフリータウンではスーパー・マーケットにしろ、ホテルにしろレストランにしろ、オーナーはレバノン人。この街の経済はレバノン人に握られていると言っても過言ではない。

クリックすると元のサイズで表示します

あるマーケットで気になるものが!芸者ブランドの缶詰。値札を見ると13,500Le. (=US$4.5)、つまり一カン500円もする。表示を見ると”PRODUCT OF THAILAND”。しかし、アラブ文字が併記されていたので、中近東マーケットから流れてきたモノか?一応、購入し食べてみたが、味は普通だが、ツナがすぐにボロボロくずれてしまい食べにくかった。

B渋滞

クリックすると元のサイズで表示します

この国は周りの国のように産油国でもなく、ガソリンは決して安くない。基本的に所得が恐ろしく低い国なので車を持つ層というのは極めて限定された特権階級のみと思われるのであるが、フリータウン市内は何故か車が多い。懐かしささえ感じるような2、30年以上前に製造されたような日本車のオンボロ中古のオンパレードであるが、道路はそのオンボロ車に埋め尽くされ常に大渋滞なのである。しかし、東京なんかで渋滞に遭っても納得するが、このフリータウンで渋滞により時間を取られるととんでもなく悔しい。まさに人生の浪費だ。


2008/7/11  20:03

シエラレオネ:Florence Restore (イタリア料理)  グルメ(海外)

フリータウンから車で1時間程未舗装の道を行ったSussex Beach(→シエラレオネは本当にどこに行ってもイギリスの地名が多い。独立時に英国色を排除し、自分たちのオリジナリティを復活させようなどという考えはなかったのか?)にあるイタリアン・レストランFlorence Restore。

クリックすると元のサイズで表示します

店は浜辺に面し、雨でなければ泳げたり浜辺で寝転がったり出来た。リゾート・ロッジやダイビング・スクールも併設されている。1960年代からこの国にいるというイタリア人のおじいさんが経営しているが、あまり愛想のある人ではないようだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

味の方はパスタ類がさすがにおじいさんの指導が効いているのか何を食べても美味しい。少し頼み過ぎたので途中で食べるのが辛くなったが、ロブスターや鯛などのシーフードもなかなかの味だ。ただ、雨季の閑散期ということもあると思うが、メニューにないものが多かった。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

それにしても、この店に至るまでの道はひどかった。舗装されていれば20分ぐらいで来たのだと思うが、道の状態はかなりひどく車の中で常に体が跳ねている状態。あれでは客もこの店に来るにはかなり思い切った決断が必要となる。そう考えればフリータウンからの集客は然程期待できないように思えるが…。よほど自信があるのかな。


2008/7/10  18:41

シエラレオネ:ドライブ途中の風景  海外−アフリカ

フリータウンから現場まで3時間ドライブの風景。

クリックすると元のサイズで表示します
(基本的にはこのような未舗装のガタガタ道を行く。当地のドライバーはこんな道でも飛ばすので、その振動はすごい)

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(途中で渡ったリトル・スカーシーズ川。なかなか雄大な景色で、橋の上でちょっとデジカメ撮影。現場近辺に“グレート”・スカシーズ川があるので仕方がないが、この壮大な風景からリトルという名称はちょっと可哀そうだ)

クリックすると元のサイズで表示します
(もちろん橋の道はアフリカンだ)

クリックすると元のサイズで表示します
(俺が橋の上でデジカメ写真を撮っていると下校中の小学生(?)が興味深そうに寄ってきた。ついつい日本にいる娘達を思い出す)

(本日よりカウントダウン開始!シエラレオネ脱出まであと8日)

2008/7/9  19:00

シエラレオネ:現場復帰!  海外−アフリカ

昨日、3時間掛けて首都のフリータウンから現場へ到着。本日より仕事へ復帰!

この国に来てどうしてもNegativeな記事が多いので、今日はこういうキレイ(?)に見える所もあるということで口直し。以下、俺が退院の次の日に、気分転換に散歩に行ったラムリー海岸。久々に天気も良く、まさにシー・ブリーズが病み上がりの体を癒してくれた。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

浜辺から俺の泊まっているホテルを見る。これがヨーロッパだったら素晴らしい立地になるのだが、国が国だけに安全性のことを考えると…。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
(全く関係ないが、ホテル・レストランの洋上ステージ)

2008/7/8  20:18

シエラレオネ:報告-入院しました VOL.2  海外−アフリカ

アフリカと言っても色々あると思うが、アフリカの病院ってどういう環境なのか俺も想像出来なかった。今まで日本人を含めた外人が何度も使っているとは聞いていたが、正直怖かった。ここは一応この国では最高級クラスであるが、やっぱり全てがアフリカ・レベル。機材、人材、サービス総じて低い。

入院時は意識朦朧としていたので、デジカメ云々という状況ではなく、写真はないが、あっても載せると気分を害する方もいるかもしれないので丁度良かった。俺としても早く忘れたい思い出だし。

ちなみに病院の構造は1階は診察室、2階は俺が見たところ個室1部屋、3人部屋が3部屋だから合計10名の患者がいることになる。3階もあったようだが、同じように入院棟だったのかどうかは分からない。

俺の病室は最悪だった。恐らくは人生最悪の状態で一晩を過ごした。外人は空いていれば個室を使わせてもらえるらしいが残念ながら当日は3人ひと組の相部屋。しかも真ん中のベッド。右側はシエラ人だと思うがバイクの事故なのか、片足のふくらはぎが見事にえぐり取られている。しかもその患部は布をふわっとかぶせているだけで俺の方からよく見えてしまう角度なのである。左側は恐らくギニア人かフランス語を話す寝たきりのじいさん。このじいさんも何の病気か知らないがやたら断末魔のうめき声みたい奇声を定期的にあげる。

ついでに両サイドの患者は寝たきりなので、当然立ってトイレには行けないので、その場でしなければならない。特にバイク事故のおじさんは俺のすぐ横で特殊なお丸っぽいものでやるので顔を背けていても臭いはするし、音は聞こえる。特に臭いの方は、薬の影響があると思うが異様なものがある。そして、それが両側でやられる俺はたまったものではない。特にじいさんは一回、付き添いのおばちゃんが悲鳴を上げたくらい苦しみだして、ベッドに垂れ流したようだ。その後、看護師さん総動員でベッドのクッションやカバーを交換していた。各科毎の入院棟が作れないのは仕方ないとしても、こういう苦しそうな重症患者は何か特別な部屋を作り入れてやるべきだろう。

病院の習慣か、昼はベッド間のカーテンが取り払われ、夜はカーテンで仕切られる。真ん中ベッドの俺からすると昼間は両隣の見たくもない光景を見せられ、夜は仕切られるため全く風が入ってこないので暑くてたまらなかった。両サイドは窓に面しており、カーテンが俺側に膨らむ所を見ると風を感じているはずだ。

結局その晩は12時ぐらい消灯になったが、右からは強烈ないびき、左からは奇声と悲鳴で、こもった臭気、蒸し暑さでほとんど眠れず。最悪の夜。朝を来るのを待ったという感じ。野宿の方がましだった。こんな状態で回復するはずもないのだが、「この部屋にこれ以上いたくない」という執念だろう。もちろん、検査の結果が良かったというのが前提だが、この執念が熱の降下に繋がったのは間違いない。

ちょっと今日は長くなるが、この病院は診察室にいる医師と看護師はある程度のレベルがあると思う。注射も上手くその度に「これは〇○という名前の薬で◎◎のために打ちます」と説明してくれる。しかし、その下のレベルである看護師補助みたいな人達は全然ダメ。医療の教育も受けてないかも知れない。

以下、「エッー」と思ったこと。

1) 俺が入院する時もそうだったが、医師がいつ病院に来るか誰も分かっていない!あまり定時という感覚はないようだ。だから常に待合室に人が待っている。日本人だから看護師に電話で呼び出せ!と文句を言うが、一般シエラ人はじっと待っている。

2) 入院棟に上がったら、その看護師補助みたいなおばちゃん連中が俺の面倒を見るわけであるが、最初、点滴の際、当然針を俺の手首当たりに刺す訳であるが、なかなか痛みが消えない。俺は注射恐怖症なので注射される時は常に目をそらすが、あまりにも痛みが続くのでその部分を見てみると、注射では考えられない出血。「何したんじゃい!(What did you do?)」と怒り口調で聞くと、そのおばちゃんはちょっとバツの悪そうな顔をして「Sorry」。血を水で洗い落としたが特に異常はなく、恐らく静脈を見つけるのに中で何回か針の角度を変えたのかな?

3) ちなみにその点滴、午後2時から午前2時まで12時間続いた。日本でも点滴は一度しか経験がないのだが、点滴ってこんなに長くやるケースもあるのかな?俺みたいな熱が高かっただけの患者に。最終的に深夜2時になり俺のしびれも切れ、当直のおばちゃんに「いつまで点滴やるの?俺、寝返り結構するし、点滴針をつけたまま寝たら大変なことになるかもしれない」とやはり怒り口調で聞くと、「上からは全部終わるまでと指示されてます」の回答。「あなたが先生に言われたら俺が説明する。頼むから外してくれ!大体、今までのペース考えたら、残りの量だと朝まで掛かるでしょ?」と最後は泣きモードで外してもらった。

4) その外し方もかなり素人。最初首をかしげているのをみて俺には戦慄が走った。こいつあんまり分かってない!!結局、激痛が走り、荒々しく取られたが、良く見ると針と一部の周辺備品は残っておりテープで固定されている。チューブが外されただけのようだ。

5) 翌日も点滴があるから、俺はそのまま針は付けてあるのだと思っていたが、結局、なし。昼ごろまで待って、通り掛かったおばちゃんに「点滴が今日もあるのか?ないのだったら針を取ってほしい」と頼むと「これは針ではない」と頓珍漢な回答。俺がテープを取って手首に見事に刺さっている針を見せると「Sorry」との言葉を残しどこかに消えてしまった。結局、午後2時の看護師の見周りの際にやっと取ってもらったが24時間針が刺さっていた訳で手首に立派な穴が出来ていた。

6) 点滴ネタでもう一つ。空気が血管に入ると人間は死んでしまうとよく聞くが、ある時点滴のチューブの中に一つ気泡を見つけた。もちろん、それまでに空気弁のようなものが何か所かあり、そこで空気は抜ける設計になっていると思うのであるが、その気泡はそれらの関門を乗り越えて俺に迫ってきている。ちょっと気になって、補助のおばちゃんに「この空気の泡が近づいて来ているけど、俺の血管の中に入っても大丈夫なの?」おばちゃんは「問題ない」との即答。「本当にそうか?人間は血管に空気が入ると死ぬんとちゃうんか?」と問いただすように言うと、おばちゃんも自信がなくなったらしく「先生に聞いてきます」と部屋を出て行った。手首に近づいてくる泡を見て非常に不安になってきた。しかし、おばちゃんは帰ってこない。一瞬自分で外そうかなと思ったが、一応、医療機器だしその位の安全性は見ているだろうとそのままにしておいた。すると手首の注射針の手前に小さなプラスチックの物体が空気弁だったようだ。泡が吸い込まれていった。しかし、おばちゃんそのぐらい分っていて欲しいな。ちなみに後でググると多少の空気が入ったぐらいでは人間は死ぬほどのことにはならないらしい。

7) 病院飯はまずい。あと、病院食であるものの全く栄養とは考慮されていない。夕食で出てきたチキンの煮物は塩辛くて食べられたものではなかった。

8) 前述した通りこの病院も小さな発電機なので、必ず止める時間帯がある。その間は水がポンプアップ出来なくなるため水の供給がストップ。トイレも流せなくなる。国一番の病院がそれではいかんだろう。

と、色々書いたが、今回この病院で治療してもらわなければ、確実に苦しい日々は続いただろう。取り敢えずモハメッド医師と看護師さん達には感謝したい。

でもやっぱり今後2度とは経験したくない出来事であるのは間違いない。あー、健康がいいわ。

2008/7/7  19:37

シエラレオネ:報告-入院しました VOL.1  海外−アフリカ

やっと今日あたりから体調が普通に戻ってきたが、実は金曜日と土曜日、首都フリータウンの病院に入院した。

先週の記事に“水シャワーを浴びていて悪寒が走った”とあったが、あれは月曜日のことで、水曜日-38.2度、木曜日-40度、金曜日-39.2度と高熱が続いた。しかも、マラリア発症の典型的なサイクルである悪寒→発熱→発汗に非常に似た症状だったので、俺もかなりの部分で遂にマラリア患者になったと絶望的になった。

特に木曜日は、人生の中でもあれほど辛い体調はなかった。当然、一日中ベッドの上にいたが、“人形状態”だった。ほとんど動けない。(全く誇張なしで)すぐそばにある携帯に手を伸ばそうとしても、まず、心の面で「体や手を動かそう」という意志が「じっとしておこう」という反対する意志に簡単に負けてしまう。肉体的にも、高熱のため背骨が全体的にきしむため10cm手を伸ばすのが無茶苦茶苦痛。結局、携帯を取ろうとしてから手にするまで1時間半掛った。

と、いう感じで金曜日に一応、当地ではNo.1の病院に入院。モハメッド医師が俺の担当だったが、聞く余裕などなかったが恐らくイギリスかアメリカに留学していたのではないだろうか?こちらの人独特のアクセントがなく、聞きとり易い。ちょっと安心した。

まずは予想されたマラリアまたは腸チフスの血液検査。その後、尻に強烈な解熱の筋肉注射。尻って意外と敏感では?背骨があれだけ痛かったのにその背骨が弓なりになるくらい曲がるくらい強烈な痛さ。しかし、この注射が効いた。その後、急速に熱が下がる。そう言えば、子供の頃、掛かり付けの医者は「薬でしばらく辛い日々を過ごすか、注射をしてすぐに楽になるか」という2つの選択肢を迫る人だったな。最近は子供の風邪では注射しないようだけど、確かに尻への解熱の注射はすぐに熱が下がった記憶がある。

その後、入院棟に移り点滴。診察室はまあまあだったが、入院棟は日本では考えられない環境だった。何と言っていいのか…取り敢えず清潔とは言えない。それから、蚊が無茶苦茶多い(当然、ここも電気がないので発電機で賄っており、エアコンを付けることは難しい)。寝た切りの患者さんもいるので、蚊があれだけいたら困るだろう。病院側としても問題としては分かっているみたいが、何とか今すぐに解決しようという気持ちがやっぱりないんだろうな。

最後に心配していただいた方もいるので、血液検査の結果は心配されたマラリアや腸チフスではなかった。モハメッド医師によると疲れている体にさほどシリアスではないウィルスに感染したのではないかとの診断。基本的にはもう大丈夫と言われた。

先週を振り返ってよく思い返してみると、俺はひょっとしていわゆる熱射病だったのではないかと思う。シエラに来て基本的に寝不足が続き、炎天下の中俺は帽子が似合わないのでかぶらないし、食事も現地食でバランスが取れていない。あの木曜日の苦しさは昔、タイで炎天下の中ゴルフをした後、同じような症状になったのを思い出した。まあ、治ったのでどうでもいいのだけど。

これをブログネタにするのはどうかと思うが、興味ある方もあるかと思うので、明日は入院の内容をアップ。(VOL.2に続く)

RSS1.0