2008/10/9  6:06

ノーベル賞関連のニュースから  日本を考える

ノーベル賞。日本人研究者が次々と受賞した。受賞された先生方の偉大さは一々触れる必要もない。専門外の私がどうこういうのは失礼にあたる。ただただすごいなあ〜と。静かな興奮の中でネットニュースを眺めてみれば、日本ではわけも分からず盛り上がっている様子。いつものように。まるでオリンピックかW杯サッカーなみ。そして私はしらけてくる。その研究内容の詳細を報道する横で懲りずに関係ない事も同時に報道される。違和感。

受賞者の一人の思想に触れていた。この方、世間的には『反戦』を語る気骨の平和主義者だそうだ。ネットニュースからこの方の主張を引用する。

05年、自民党が憲法改正を目指していた。中国で反日デモが相次ぎJR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。『小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。』

これ聞いて日本人はどう感じるのだろうか?無論、どう感じようと構わない。もし何も感じないならそれでいい。ただノーベル賞受賞者の発言だから!と何の思考もせずなんとなく“やっぱりそうだ!”と思ったらただのバカ。この言葉も実は前後が割愛されていて、もしかすると当人の思惑とは別のニュアンスになっているかも知れないが。

解釈するとこうなるだろう。
『私は戦争が嫌いだ。戦争には何のメリットもない。日本は憲法9条を変えようとしている。憲法9条をなくして戦争しようとしている。とんでもない。憲法9条があるから日本人が愚かな行動(戦争)をやらないのだ。憲法9条がないと日本人はバカな事をやり始める』と。

氏の主張の一つ“戦争して何にプラスになるのでしょうか?”について。私も戦争はしないほうがよいと思う。戦争でプラスでないことは何か?言うまでもない。敗戦国の荒廃、勝ち負けを問わず戦死者が出る。しかしモノごとは立ち位置を帰れば同じ対象を見ても状況は変わる。プラスになることはあるのか?言いたくはないが答えは“Yes”である。これが現実である。

まず戦勝国は(少なくともかつては)領土が増える。ロシアは北方領土を韓国は竹島を占領している。また賠償金もせしめることができた。原爆の威力も確認できた=科学技術の進歩を他国を使って実験できた。一方でインドもフィリピンもインドネシアも西洋列強の植民地支配から独立できた。武器を売って戦争稼業を生業にする人もいる。言い出すとキリがないがプラスになることも多い。何事も相対的なもんである。

もし自分の国のことだけ考えるなら、自分の周りだけそれでいいなら現実から目を背けてりゃいい。もっともこの方は『僕はより身近に一人一人の今の生活を守りたい』と断言しているから、多分、身近の人々以外はどうなってもいいらしい。さすが大江健三郎グループだ。しかし現実論ばかり振りかざしたくはないが、それでも現実問題、国際社会の中で自分だけよければいいと言うのは異常である(かといって関係円滑化のためインチキねつ造歴史まで受け入れる歴代首相には愛想もつかすが)。鎖国でもするしかない。鎖国したからと言って一国平和が確保されるはずもない。何故、徳川幕府が開国を決め大政奉還したのか? (←関連記事。クリック)考えれば分かる。

“憲法9条があるから戦争をしない”というのはおかしい。そもそも憲法とかいうのもしょせんは人間が決めたこと。藤原正彦氏に言わせれば時の“流行”を条文化したにすぎない。戦争するかしないかは人間が決めることである。憲法9条がなくなれば日本人は戦争を始め出すとかいうのは、ちょっと日本人をナメテいるとしか思えない。(もっとも現代の日本人は無思考バカだから仕方がない!と言い切るなら納得もできるが。)。

憲法9条をなくせば戦争するというのは以下の論理を連想させる。警官が拳銃を持つと市民を撃ち殺す。大工さんがノミを持てば人を刺しコックさんは包丁でやらかす。医者が鎮痛用の麻薬を使えばアヘン戦争当時の清状態になる。アホか。

現代の日本は国際社会の複雑怪奇な関係なかでうまく立ち回って豊かさを享受している。そしてその安全は米軍によって確保されている。正確には多くの日本人は自国の安全保障を沖縄を中心とする日本の一部の地域に押し付けている。その現実からは目をそむけている、いや下手するとそんなこと考えもしない、知らない、が現代の日本だ。何かと言うと憲法9条を金科玉条のごとくふりかざし、、、まあ〜ええ。その前にそんなに素晴しいものやったらなんで世界の国々が採用しないのだろう?憲法というものにはいろいろ思う所 (←関連記事。クリック)あるがまた別の機会に。

明治維新後、日本は積極的に富国強兵を目指した。もしそれが間違いだったというならまずは当時の東アジアの国際情勢を自分で見直してからにして欲しいと思う。そしてもし自分が国家の責任者ならどういう選択をするか?

話を元に戻す。この方がどう考えようとも一向にかまわない。ただ私が心配するのはノーベル賞をとった方やからという理由でその方の思想までまに受ける人がいないかどうかということだ。そのまんま東知事がこう言ったそうだ。『日本全体が無思考状態』だと。まさにそのとおりだと思う。

こんなこと少しだけ考えてみた。



2008/10/10  8:25

投稿者:patriotsファンの”わし”。

ヌマンタさんへ;学者は世間しらずだと思います。そして世間でやって
いけない、落伍者とまではいかなくても、そういうタイプだから浮き世
ばなれした生活を送っているのだと思います。とにかく大江のおっさん
みたいなろくでもない風潮になりかねない思想をモノごとを考えない日
本大衆に吹き込まないでくれ!と祈るばかりです。

2008/10/9  23:58

投稿者:Patriotsファンの”わし”。

ちびさんへ;様々な紆余曲折、努力の結果として偏りのある思考様
式、それは私も否定はしません。ただ問題は全く思考することない一
部の方々の行動様式。それが今回でいえばノーベル賞受賞者であると
か、時には政治家であるとか、場合によっては学校の先生とか、彼ら
のいうことをそのまま真に受ける姿勢、これはよくないと私は思いま
す。勿論、個々のおかれた環境も大きいですが少なくとも言論の自
由、表現の自由が保証されている日本人が、マスコミの論調に踊らさ
れている現状は醜い。報道は見られてなんぼですが、見る人間の品格
知性もかなり報道様式に影響を与えると思います。戦前の言論空間も
そうですがマスコミはその時々の大衆の求める内容を提供します。現
代のうさんくさい民主主義を継続する以上は個々の人がモノを考える
しかないと思うのですが、ムヅカしいですし。なので私は現実逃避の
旅をつづけます(笑)。

2008/10/9  17:29

投稿者:ヌマンタ

ノーベル賞を頂けるほどの研究成果には敬意を払いますが、さりとてその人の見識が常識に照らして相応かどうかは別問題でしょうね。

まあ、大江という悪しき前例がありますから分りやすいのは確かです。偏見かもしれませんが、学者さんには世間知らずというか、常識はずれの方、けっこう居ると思います。まあ、常識に囚われていたら、ノーベル賞級の発見は出来ないのかもしれませんが。

2008/10/9  12:35

投稿者:チビ

 他人には計り知れない程長い時間を費やし、1つの事に没頭、追究した人生には偏りがあって当然だと思います。たとえ寝る間も惜しみ命を削っていたとしても、世間一般から見ると、変わり者、個性的と映ります。
 どの道にもエキスパートはいて、物事を深く理解していない人間が偉そうに語ってると、浅はかに見え不愉快だと思うでしょう。でもエキスパートは極少数派です。しらけ、違和感も当然。しかし報道は、見られてナンボ。純粋に功績を称えるなんて!大多数のウケ狙いです。違和感を感じず見る人だらけ。
 一つの物事でも、見る角度によって考えが変わります。より知識を持った他人と関わる事は、自分を高める上で大切な事だと思います。「考える力を身につける」学校でよく使われますが、無思考では日本全体、何も変わりませんね。
 

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